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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

スティーヴン グリーンブラット 著「シェイクスピアの驚異の成功物語 」(2 当時の劇場)

2020年12月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   シェイクスピアで一番興味があるのは、その戯曲が演じられた劇場のことである。
   イギリスで言われていたことで気になったのは、「シェイクスピアを聴く」と言うことで、シェイクスピアを見ると言うことではないということである。

   さて、ロンドンのテムズ川南岸のサザークに、シェイクスピア当時の劇場を彷彿とさせるグローブ座(Globe Theatre)があり、毎年、夏期に、シェイクスピア劇が上演されている。
   この劇場は、映画「恋に落ちたシェイクスピア」の舞台である劇場そっくりで、そのイメージが良く分かるのだが、完全に青天井の劇場であり、ハムレットの漆黒の闇の中で、父王の亡霊の呪いのシーンを観るのも、この太陽が燦々と輝く舞台であって、シェイクスピアの戯曲が素晴らしい聴く文學であったとしても、まさに、聴くというシチュエーションであったのである。

   あれほど、エポックメイキングなシェイクスピアを輩出した黄金期のロンドンでありながら、このような劇場が生まれたのは、ほぼ、この当時のことだと言うから、ギリシャ悲劇や喜劇が演じられたエピダウルスのような巨大な野外劇場や、大規模な競技や猛獣たちとの闘技などの見世物を演じたローマのコロッセオのような野外競技場や円形劇場などの歴史を思うと、芝居小屋である劇場の歴史は、極めて新しいのである。
   

   シェイクスピアが生まれた頃にはイングランドの何処にも独立して存在していなかった劇場は、歓楽地帯が提供してくれる殆どあらゆるもの――踊り、音楽、上達すると面白くなるゲーム、血を見るスポーツ、刑罰、セックスなど――と手を結び、それをネタにしていて、実際、劇的模倣と現実との境界線、一つのお楽しみと別のお楽しみとの堺がぼけることがあって、売春婦は劇場の雑踏で客を見つけ、劇場内の小部屋で事に及んだ。熊いじめなど血腥い俗悪な見世物を演劇とは見なしてはいなかったとしても、エリザベス朝のロンドンでは、動物をいじめることと芝居の上演とは奇妙に絡み合っていて、市当局の怒りを招き、交通渋滞、無為徒食、治安紊乱、公的不衛生を起こすものとして非難されたので、サザックのように、参事会員や市長の管轄外の場所で、芝居が打たれた。と言う。

   しかし、このような見世物小屋とは一線を画した赤獅子座、そして、後のシェイクスピアのグローブ座などの、極めて画期的な新機軸の劇場が生まれてきた。
   シェイクスピアがロンドンに初めて出てきた時に目にした劇場は、グローブ座のような、
   大きな平土間の真ん中に突き出した四角い舞台、そして周りを取り囲む、階段状に成ったギャラリー(回廊)の客席、「平土間客」が立って芝居を観る平土間には屋根がないが、舞台は、絵が描かれた天蓋が屋根のように覆っていて二本の柱で支えられていた。地面からは5フィートの高さの舞台には、落ちないように周りに柵がないので役者は注意する必要があった。舞台の底は、奈落で保管場所と成っていて、舞台に仕掛けられた落とし戸で役者が奈落に消えるときには効果満点であった。舞台奥の木製の壁には登退場のドアが二つあり、背後には小部屋があって役者たちが、カーテンをさっと開けて気色張って登場したり演技効果を上げた。舞台奥、ドアの上には、最高の入場料を払う上客専用の小部屋に分かれた二階席があって、この二階席の中央部分は舞台として利用され、シェイクスピアは、バルコニーや城壁上部の胸壁と言った使い方をしていた。私が観たグローブ座では、楽隊が入って演奏していた。
   手持ちの写真が探せないので、分りやすいように、インターネットの写真を借用すると、
   
   
   

   著者は、「劇場」という名前は、どうしても、ルネサンスという概念にピッタリで、どうしても、古代の円形劇場を思い起こさせるという。
   当然、シアター座は、「ローマの古い異教の劇場を模して」作られたと教会の説教師から攻撃されたと言うことだが、興行師たちは、市当局や教会の管轄が及ばない女王の枢密院管轄地区で芝居をして屈しなかった。

   劇場の説明については、セシル・デ・バンクの「シェイクスピア時代の舞台とその今昔」が詳しい。
   何かを見物するために集まる最も単純な方法は、観るものを取り囲むことである。原始人の「踊場」の円形状やストーンヒンジのような有史以前の寺院の円形がやがてギリシャ・ローマ演技場のような広大な観客席を持つ円形または半円形の劇場に至った。
   中世には、観客は馬の引く屋台の上で演じられる短い宗教劇を車座に成って見物したり、長い奇跡劇はコーニッシュ円形場で演じられ観客は四方から眺めた。
   したがって、当時、テムズ川の南岸の熊いじめの小屋は円形競技場、すなわち、サーカス小屋のような形をしていた。それが、建てやすい八角構造になっていった。
   いずれにしろ、エリザベス時代ロンドンにあった公設劇場は、ギリシャ・ローマ時代の円形演技場の流れを汲んでいるのである。
   
   これらとは一寸違って、私が興味を持ったのは、シェイクスピア時代の田舎の芝居の舞台である。
   旅籠を劇場として使うことがあって、何階か建ての「コ」型の旅籠の開口部に屋根付きの舞台を設えて、旅籠の中廊下部分をギャラリー席、中庭部分を立ち見席にして、公演を行っていたと言うことである。
   これだと、劇場が四角形となるのだが、グローブ座の舞台と雰囲気は殆ど違わないし、この辺りの感覚も面白いと思う。

   私が幼少年期を過ごした、宝塚の田舎では、田舎回りの劇団が、大きな農家の庭先を借りて、縁側を舞台に、庭を客席にして、国定忠治や切られの与三などを見せていたが、あの観劇も懐かしくて良い。

   
コメント
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