熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響定期B・・・大野和士指揮のシベリウス:交響曲第6番とラフマニノフ:交響的舞曲

2019年05月01日 | クラシック音楽・オペラ
   私は定期Cシリーズなので、本当は、20日の大野和士指揮のグリークのピアノ協奏曲とベルリオーズの幻想交響曲であったのだが、当日、落語の桂歌丸追悼公演会とかち合ってしまったので、振替で、同じ大野和士指揮の定期Bのコンサートに変えてサントリーホールに出かけた。
   プログラムは、次の通りで、私が聴いたことがあるのは、シベリウスの交響曲6番くらいで、ほかの曲は、コンサートホールで聴いたことはない。
   指揮/大野和士
   曲 目
     武満 徹:鳥は星形の庭に降りる(1977)
     シベリウス:交響曲第6番 ニ短調 op.104
     ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45

   夫々の作曲家の最晩年の曲を選曲したコンサートと言うことで、大野和士が、都響のホームページで、シベリウスとラフマニノフの2曲を、録画で丁寧に解説をしていた。
   私には、専門的な音楽の難しい話は、分からないので、猫に小判だが、
   シベリウスのこの曲は、ある音階教会せんぽうのドリア調だとピアノを弾きながら説明し、教会堂のはるか上の方からの木漏れ日のような微かな光を描こうとして・・・と語りながら、
   終曲では、シベリウスが常に求めていた遥か彼方の世界、FAR BIYONDとのコンタクト、結びつきを求めて、神秘的な世界へ舞い上がって行く内的心情を表現しようとしたと解説しながら、
   大野和士は、手を天空に向かって真っすぐに伸ばして伸びあがり、祈るようにじっと静止して説明を終えた。

   ケルンやランスなどの壮大な大聖堂の天を突いた壮大な教会堂の一番上方の窓からの光は、私の印象でも神秘的だが、北欧では、それ程高くて立派な教会はない筈で、シベリウスのイメージは、フィンランドだったかノールウェーだったかで感激して観上げた、こじんまりとした素晴らしい木造りの教会の神秘的な光の醸し出す印象ではなかったかと思っている。
   極北に近くて弱い太陽の光が教会堂に現出する絵のように美しい世界は、格別なのであろうと思う。
   フィンランドには、2回訪れただけだが、上空侵犯のロシア空軍機を、愛国者のシベリウスが、自動小銃を構えて追い払おうとしたした国だと知っていたので、ムーミンとサンタクロースの国でもあり、感慨深く、数日過ごしたのを思い出す。

   ラフマニノフの強烈なエネルギー炸裂の凄い迫力の交響的舞曲を聴いて、終曲のハレルヤにおける神との格闘と人間の人生での相克と言う、ダイナミックで強烈なオーケストラの咆哮に、作者が自分自身の人生での総決算ともいうべき最後の別れを印象付けよとした、と言うことが何となく分かったような気がして聴いていた。
   ラフマニノフについては、ピアノ協奏曲での印象が殆どであった私には、死の舞踏と言うか、悪魔が大地を踏みしめて咆哮するような不気味で強烈な舞曲と言う感じで、新鮮な驚きであった。
   ベルリオーズの幻想交響曲と一緒に聴いてみたら、面白いかもしれないと思った。

   クラシックのコンサートには、好きだと言うだけで、もう、半世紀以上も通っていて、欧米のトップ・オーケストラも随分聴いてきたが、如何せん、音楽の勉強をしていないので、その方面の知識には暗くて印象だけで聴いている。
   幸い、欧米生活が長かったので、見聞きした風景や風物などを思い描きながら聴いているのだが、何となく、大野和士の解説を聞いていると、自分勝手であったとしても、イメージを膨らませて楽しめればよいということのようなので、少し、ホッとしている。

   今日は、新天皇皇后即位の令和の最初の日。
   両陛下の御代に幸あらんことを心から祈念する!
コメント
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