熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

五月晴れの緑陰の中での読書

2019年05月18日 | 生活随想・趣味
   五月は、天気が不安定で変わりやすいのだが、スカッと晴れた五月晴れになると、非常に気持ちが良くて、一年でも一番良い季節ではないかと思う。
   わが庭では、シャクヤクやばらが咲いていて、昼咲き月見草やミヤコワスレ、イモカタバミなどが咲き乱れている。
   鎌倉山から下りてきたウグイスが、しきりに鳴き続けていて、快適な涼風が、頬をなぜる。

   しかし、一番嬉しいのは、庭一面に萌出る緑の新芽と若葉の輝きで、わが庭の椿が、一気に活気づいて一回りも二回りも大きく育って行く姿を見ていると、まだ、一年も先の華やかな椿の乱舞を思う。
   玄関から門扉の間のアプローチに、右に大きなヤマボウシとアメリカハナミズキ、左に梅や梨の木が植わっていて、一気に緑の葉をつけて、豊かな緑陰を現出した。
   それに、庭の中央垣根越しに、大きなクロガネモチなどモチノキの木が、葉が生え変わって、すっぽりと庭を覆って、緑陰を広げて、林の中のような雰囲気を作りだしている。

   
   こんな中でも、これから咲き始めるゆりやアジサイには、それ程、悪影響はないのだが、日当たりの悪くなるところで、ばらを育てて、ミニトマトのプランターを置いているのだから、良いわけはないのだが、可哀そうになって、日当たりの時間は限れれているのだが、裏庭や西や東側の庭の空間に移動して、凌ぐこともある。
   あれも植えたいこれも植えたいで、後先を考えずに、庭木や花木を増やして行くので、木々も、自衛手段で、必死になって緑陰を広げる。

   しかし、私にとっては、このわが庭の緑陰が、格好の書斎替わりで、新聞や本を持ち出して、涼風を楽しみつつ、庭に設えたテーブルと椅子に座って、コーヒーや紅茶をすすりながら、読書を楽しむのである。
   4畳半の和室のわが書斎とは、大分、雰囲気が変わって気分転換になるのだが、パソコンが、目の前にない分、開放感が違っていて良い。
   読む本は、殆ど昔と変わらずに、いわゆる、多少専門的なかたい本だが、同時に、写真とエッセイを交えた本や、古い先哲の論文集と言った、一寸息抜きの本を持って出て、気分転換にページを繰る。
   書斎とは違って、集中力に欠けてはいるが、そこは、半分、緑陰での憩いのひと時を楽しむと言うニュアンスがあるので、カメラを側に置いていて、小鳥が訪れてきたり、庭の花の光の当たり具合などが良くなると、写真を撮ることがあるので、まあ、気晴らしのようなものである。
   いずれにしろ、本は、数冊並行読みで、昔は、一冊の本を読み始めたら最後まで読まないと気になる主義であったが、この頃は、歳の所為もあって、途中で、打っ棄る本も多くなってきた。

   良書は、読めば必ず教えられることがあって、いつも、新鮮な喜びと新しい知恵と知識に巡り合えて、この喜びは、何事にも代えがたいので、止められない。
   後期高齢者になっても、相変わらず、月に10冊くらいは本を買い続けているので、はずみ車のハツカネズミのように、止まるわけにはいかないのである。
   と言うよりも、それが、生き甲斐であるのだから、幸せだと言うべきであろうし、
   わが庭の緑陰が、わが憩いの時間と空間を増幅してくれているのであるから、一石二鳥なのである。
   
コメント
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