熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・五月文楽:豊竹呂太夫襲名披露「菅原伝授手習鑑」

2017年05月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの華やいだ満員御礼の文楽:豊竹呂太夫襲名披露公演である。
   襲名披露狂言は、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」である。
   その前の「寺入りの段」は、義太夫を呂勢太夫と三味線を清治、「寺子屋の段」は、前を呂太夫と清介、切を咲太夫と燕三。
   3年前の住大夫の引退披露狂言が、この「菅原伝授手習鑑」の「桜丸切腹の段」で、大阪の文楽劇場で観たのだが、その時と同様に今回も簑助の桜丸で、浄瑠璃を弟子の文字久太夫と三味線藤蔵で演じられて、当時を彷彿とさせ、口上を経て、呂勢太夫と清治の素晴らしい「寺入りの段」の後、この呂太夫の襲名披露狂言に続く重要な後半部分の簡略版「菅原伝授手習鑑」は、非常に充実した格調の高い舞台で感動的であった。
   
   この「寺子屋の段」のメインテーマは、
   「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」、
   松王丸が、我が子小太郎を菅秀才の身替りに立てて、その本心を武部源蔵に明かす時に、引いた丞相の詠んだ歌で、
   「菅丞相には我が性根を見込み給ひ、何とて松のつれなかろうぞとの御歌を、松はつれないつれないと、世上の口にかかる悔しさ、推量あれ源蔵殿。倅がなくばいつまでも人でなしと言われんに、持つべきものは子なるぞや。」
   「松だけが、つれない筈がない」と認めてくれ、烏帽子親である丞相の御恩に報いたい気持ちは、敵方藤原時平に仕えても、決して忘れていない、心底丞相に忠義者であって薄情ではない証として、最愛の息子小太郎を犠牲にして、丞相の子菅秀才の命を守り抜くことで、身をもって実証した松王丸の断腸の悲痛。
   これが、この舞台の眼目であり、身替り、もどりなど義太夫浄瑠璃の常套手段が使われているが、やはり、息を飲むシーンは、松王丸が、首実検で、菅秀才の首だと小太郎の偽首を見る場面であろう。
   歌舞伎でも、色々な型バリエーションがあるが、松王丸が桶に手をかけようとすると、とっさに源蔵(和生)が遮り、緊張が走り、丁々発止の緊張が舞台に漲り、松王丸の苦渋と安ど綯い交ぜの表情が悲しい。
   この日の主役呂太夫の情緒連綿たる浄瑠璃と清介の三味線の名調子が、観客の肺腑を抉る。

   それに、何と言っても感動を呼ぶのは、幕切れの死んだ小太郎の野辺の送りの「いろは送り」の流麗で哀調を帯びた浄瑠璃が哀切極まりない。
   舞台中央で、美しい白装束で慟哭をこらえて踊るように舞う勘十郎の女房千代は、サンサーンスの瀕死の白鳥を思わせる優雅さと悲痛。
   躍り出た玉男の松王丸との流れるように優雅な相舞の絵の様なシーン。
   千代はエビぞりの後ろ振りで哀惜の情を表し、松王丸は棒立ちになって中空を仰いで左手で顔を覆って慨嘆・・・感動的な咲太夫と燕三の浄瑠璃に乗って、悲しくも美しい幕切れが涙を誘う。
   すごい舞台であった。
   
   
   
   
コメント
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