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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・歌丸の「竹の水仙」

2014年12月22日 | 落語・講談等演芸
   年末の笑い納めに、国立演芸場の「国立名人会」に出かけて、歌丸の「竹の水仙」を聞いた。
   前に聞いた「ねずみ」と同じ、左甚五郎のしみじみとした人情噺である。
   大病で2か月も入院したと、大変だったこの1年を振り返りながら、いつも通りの名調子で、張りのある元気な高座を務め、満員御礼の観客を喜ばせた。
   

   修行のための自由気ままな江戸への旅の途中、無一文になった甚五郎が、神奈川の宿で、とある宿屋の二階に泊まるのだが、一銭も払わず飲み食い放題で、長逗留する。
   最初は、「宿賃は、催促なしで、去る時に支払う」という約束だったが、宿の食材も何もかも底をついたので、主人の大黒屋金兵衛が、妻に責められて、勘定取りに二階に上がる。
   「金はない」と言われて仰天した主人を尻目にし、甚五郎は、「支払いの算段をするので、よく切れるノコギリを持って宿の裏にある竹やぶについて来い」と言う。
   甚五郎は、しぶしぶ命じられて主人が切ったその竹で、部屋に籠って、水仙のつぼみの彫刻と、花立てを作りあげて、主人を呼んで、「これが売れたら、売り上げを宿賃として支払う」と言う。
   主人は、半信半疑で、甚五郎の指示どおりに、その花立てに水をたっぷり入れて、竹の水仙をさし、「売物」と書いた紙を貼って軒先の目立つ場所に一晩置く。
   朝日がさして光を受けると、竹で作ったつぼみが割れ、竹の水仙の花が見事に開き、香ばしい香りまで放つ。
   そこへ、肥後熊本の細川越中守の行列が通りかかり、越中守は、軒先の竹の水仙にいたく執心して、側用人大槻刑部に買い求めよと命じる。
   タカが竹の細工物なので、学のない宿の主人と側用人との頓珍漢な会話が交わされ、甚五郎の指値200両に腹を立てて買わずに帰った側用人を、越中守が、あの方を誰だと思うとこっぴどくしかり飛ばし、求めて来なければ切腹だと申し付ける。
   殴られた腹いせで「売り切れ」と隠して、主人が勝手に言った300両で買い取られる。
   気を良くした主人が、神奈川中の孟宗竹を全部買い占めるので、ここで、竹の水仙を作ってくれと頼むと、甚五郎の答えは、否で、
   「竹に花を咲かせれば、寿命が縮む」。 

   この話の前に、歌丸は、甚五郎の修業時代から、竹の水仙を献上して宮中よりひだり官の称号をうけた話や、三井家から運慶の戎像の対として大黒像の彫刻を依頼されて、その手付金30両で、江戸への旅に出たことなどを話すのだが、40分のしみじみとした味わい深い話は、瞬く間に、終わってしまう。
   話の最後に、歌丸は、甚五郎の願いだとして、宿の夫婦に語りかける。
   ”このような宿屋稼業をしていれば、どんな客が泊まるかしれない。身なりで決して人の良し悪しを決めてはなりませんぞ。”  

   この「竹の水仙」は、歌丸が得意としている噺のようだが、奇を衒った笑いやギャグなどがあるわけではなく、取り立てて面白おかしく語る噺ではないのだが、歌丸の滋味深い語り口と表情が、身分や境遇の違った人と人との触れ合いと会話を通して、ほのぼのとした温かさと優しさ、そして、おかし身が滲みだしてきて、笑いを誘い、実に楽しいのである。

   さて、この日の他の落語は、遊雀の「電話の遊び」、鶴光の「木津の勘助」、鶴昇の「味噌蔵」。
   夫々、流石に、名人会の噺家ばかりなので、面白い。
   

   日頃は、江戸落語を聞いているので、鶴光の上方落語は、非常に新鮮で、元関西人の私には、関西弁の懐かしい響きもあって、楽しませて貰った。
   この「木津勘助」の話は、講談や浪曲でも語られているようで、鶴光の得意中の得意噺とかで、立て板に水の名調子で、大坂のインフラ整備に尽力し、飢饉の時に米蔵をぶち壊して庶民を救って島流しにあったと言う男・木津勘助を語り続けた。
   木津勘助の話しだすが、今の政治家にも米蔵を破る気持ちが欲しいでんな……そうすれば一俵(一票)の重みが分かるやろ。と一言。

   演芸場では、開場35周年に寄せて「演芸資料展」を開いていた。
   歌丸の颯爽たる高座の写真があったので、複写したのを載せておきたい。
   
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