7年前の正月、新橋演舞場で、海老蔵の「雷神不動北山櫻」を見ていて、今度は2度目の鑑賞である。
この「雷神不動北山櫻」は、天皇家のお家騒動を主題にした勧善懲悪の物語なのだが、夫々、みどり狂言で上演される歌舞伎18番の内の「毛抜」「鳴神」「不動」を一本化して通した狂言と言った感じで、ストーリー展開が良く分かって面白い。
それに、「市川海老蔵五役相勤め申し候」で、海老蔵が、二代目團十郎がつとめた粂寺弾正、鳴神上人、不動明王と言う三役に加えて、謀反の張本人早雲王子と安倍清行を演じるところにも、人気の秘密がある。
前回は、「鳴神」の雲の絶間姫を、芝雀が、実に見事に演じて素晴らしかったのだが、今回は、人間国宝の玉三郎である。
私が、意識して最初に歌舞伎を観たのが、四半世紀前のロンドンでのジャパン・フェスティバルで、勘三郎の鳴神上人、玉三郎の雲の絶間姫で、その時の玉三郎の何とも言えない魅力的な舞台に感激したので、今回は、どのような芝居が見られるのか、非常に期待して出かけたのである。
最近、玉三郎と海老蔵の共演が多くなって、ぴったり呼吸の合った上質な芝居を作り上げて好評だが、この「鳴神」も、どことなくコミカルタッチのホンワカとした雰囲気が何とも言えず、美女のコケティッシュな色仕掛けに、謹厳実直と言うか威厳のある高僧でありながら、端無くも崩れ落ちて行く芝居を、実に味わい深く見せてくれて、非常に面白かった。
このあたりは、流石の玉三郎のリードで、それに、応えて、正に直球勝負の海老蔵の演技が爽やかであり、型がどうのと言った古典歌舞伎の舞台から行くとどうかは分からないが、私には、魅せて見せる舞台になっていて、これこそ、芝居であると思って見ていた。
女の魅力、ことに、やわらかい乳房に触れて幻惑されて陥落しながらも、神憑りの高僧が、騙されたと言って烈火の如く怒って、髪は逆立ち、着ている着物は炎となって燃え上り、姫を逃さじと、その後を追い駆けると言う鳴神上人の変身だが、茶番劇とも言うべき設定ながら、豪快な出立で見得を切り続けて、六方を踏んで花道を退場するのは、やはり、芝居たる歌舞伎で、海老蔵の颯爽たるアクションが、観客の拍手を呼ぶ。
もう一つの18番の「毛抜」だが、興味深いのは、当時、それ程普及していたとは思えなかった磁石を小道具に使って、お家乗っ取りを図ろうとするストーリーで、今回は、これまでのような、円形時計のような南北を示す針のある物ではなくて、大きな長い箱状の磁石を使っていた。
今回は、通し狂言なので、この磁石の来歴が分かって面白い。
この芝居は、
公家小野春道(市川右近)の息女錦の前(児太郎)が、文屋豊秀(愛之助)に輿入れすることになっていたが、その錦の前に降りかかった「髪の毛が逆立つ」という奇病により婚儀が滞っていた。文屋豊秀の家臣である粂寺弾正(海老蔵)は主の命により錦の前の様子を見に春道の館にやって来て、天井裏に仕掛けられた大きな磁石が、姫君の鉄製の髪飾りを吊り上げて奇病をでっち上げて婚儀を妨げ、お家乗っ取ろうとした八剣玄番(市蔵)を成敗する。と言う話。
弾正が、髭を抜こうとして使った毛抜きや刀の小柄が、ひとりでに立って動くのを不審に思って、悪人のカラクリを見破ると言う設定なので、タイトルが「毛抜」なのである。
こんな深刻な話だけかと思ったら、シャーロック・ホームズのような弾正が、一寸した女たらしで、可愛い若衆を乗馬の稽古と称して抱き付いたり、接待に来た腰元巻絹(笑三郎)を口説いて抱きすくめようとしたり、これを、海老蔵が、茶目っ気たっぷりに演じているのだから、面白い。
尤も、100歳を越えても見かけは若づくりと言う陰陽師安倍清行の色きちやふやけぶりは、もっとどうに入っていて秀逸である
。 この場で、海老蔵の弾正に対抗して、達者な芸を披露しているのが、悪役の玄番を演じている市蔵で、玉三郎以外に殆どベテランが出演していない今月の歌舞伎で、気をはいている。
他では、颯爽とした愛之助、市川右近、関白基経の門之助、石原瀬平の獅童、それに、若手の松也、児太郎、尾上右近など、夫々に印象に残っている。
この歌舞伎は、「毛抜」や「鳴神」そして、業火の中で中空に浮かび上がる不動明王の「不動」を観ると言ったことでもあろうが、
やはり、海老蔵が、八面六臂の大車輪の大活躍、それも、しゃれっ気十分なコミカル・ムードから、成田屋のトレードマークである格調の高い荒事まで幅と奥の深い芸を披露しており、それを楽しむことであろうと思う。
この新しい歌舞伎座も、大分、夜景にも風格が出て来て、東京の観光スポットになっている。
そして、地階のメトロ駅に直結した木挽町広場が、何時も賑わっている。
数ショットを、掲げておきたい。客が引いた時刻のショットである。





この「雷神不動北山櫻」は、天皇家のお家騒動を主題にした勧善懲悪の物語なのだが、夫々、みどり狂言で上演される歌舞伎18番の内の「毛抜」「鳴神」「不動」を一本化して通した狂言と言った感じで、ストーリー展開が良く分かって面白い。
それに、「市川海老蔵五役相勤め申し候」で、海老蔵が、二代目團十郎がつとめた粂寺弾正、鳴神上人、不動明王と言う三役に加えて、謀反の張本人早雲王子と安倍清行を演じるところにも、人気の秘密がある。
前回は、「鳴神」の雲の絶間姫を、芝雀が、実に見事に演じて素晴らしかったのだが、今回は、人間国宝の玉三郎である。
私が、意識して最初に歌舞伎を観たのが、四半世紀前のロンドンでのジャパン・フェスティバルで、勘三郎の鳴神上人、玉三郎の雲の絶間姫で、その時の玉三郎の何とも言えない魅力的な舞台に感激したので、今回は、どのような芝居が見られるのか、非常に期待して出かけたのである。
最近、玉三郎と海老蔵の共演が多くなって、ぴったり呼吸の合った上質な芝居を作り上げて好評だが、この「鳴神」も、どことなくコミカルタッチのホンワカとした雰囲気が何とも言えず、美女のコケティッシュな色仕掛けに、謹厳実直と言うか威厳のある高僧でありながら、端無くも崩れ落ちて行く芝居を、実に味わい深く見せてくれて、非常に面白かった。
このあたりは、流石の玉三郎のリードで、それに、応えて、正に直球勝負の海老蔵の演技が爽やかであり、型がどうのと言った古典歌舞伎の舞台から行くとどうかは分からないが、私には、魅せて見せる舞台になっていて、これこそ、芝居であると思って見ていた。
女の魅力、ことに、やわらかい乳房に触れて幻惑されて陥落しながらも、神憑りの高僧が、騙されたと言って烈火の如く怒って、髪は逆立ち、着ている着物は炎となって燃え上り、姫を逃さじと、その後を追い駆けると言う鳴神上人の変身だが、茶番劇とも言うべき設定ながら、豪快な出立で見得を切り続けて、六方を踏んで花道を退場するのは、やはり、芝居たる歌舞伎で、海老蔵の颯爽たるアクションが、観客の拍手を呼ぶ。
もう一つの18番の「毛抜」だが、興味深いのは、当時、それ程普及していたとは思えなかった磁石を小道具に使って、お家乗っ取りを図ろうとするストーリーで、今回は、これまでのような、円形時計のような南北を示す針のある物ではなくて、大きな長い箱状の磁石を使っていた。
今回は、通し狂言なので、この磁石の来歴が分かって面白い。
この芝居は、
公家小野春道(市川右近)の息女錦の前(児太郎)が、文屋豊秀(愛之助)に輿入れすることになっていたが、その錦の前に降りかかった「髪の毛が逆立つ」という奇病により婚儀が滞っていた。文屋豊秀の家臣である粂寺弾正(海老蔵)は主の命により錦の前の様子を見に春道の館にやって来て、天井裏に仕掛けられた大きな磁石が、姫君の鉄製の髪飾りを吊り上げて奇病をでっち上げて婚儀を妨げ、お家乗っ取ろうとした八剣玄番(市蔵)を成敗する。と言う話。
弾正が、髭を抜こうとして使った毛抜きや刀の小柄が、ひとりでに立って動くのを不審に思って、悪人のカラクリを見破ると言う設定なので、タイトルが「毛抜」なのである。
こんな深刻な話だけかと思ったら、シャーロック・ホームズのような弾正が、一寸した女たらしで、可愛い若衆を乗馬の稽古と称して抱き付いたり、接待に来た腰元巻絹(笑三郎)を口説いて抱きすくめようとしたり、これを、海老蔵が、茶目っ気たっぷりに演じているのだから、面白い。
尤も、100歳を越えても見かけは若づくりと言う陰陽師安倍清行の色きちやふやけぶりは、もっとどうに入っていて秀逸である
。 この場で、海老蔵の弾正に対抗して、達者な芸を披露しているのが、悪役の玄番を演じている市蔵で、玉三郎以外に殆どベテランが出演していない今月の歌舞伎で、気をはいている。
他では、颯爽とした愛之助、市川右近、関白基経の門之助、石原瀬平の獅童、それに、若手の松也、児太郎、尾上右近など、夫々に印象に残っている。
この歌舞伎は、「毛抜」や「鳴神」そして、業火の中で中空に浮かび上がる不動明王の「不動」を観ると言ったことでもあろうが、
やはり、海老蔵が、八面六臂の大車輪の大活躍、それも、しゃれっ気十分なコミカル・ムードから、成田屋のトレードマークである格調の高い荒事まで幅と奥の深い芸を披露しており、それを楽しむことであろうと思う。
この新しい歌舞伎座も、大分、夜景にも風格が出て来て、東京の観光スポットになっている。
そして、地階のメトロ駅に直結した木挽町広場が、何時も賑わっている。
数ショットを、掲げておきたい。客が引いた時刻のショットである。





