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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂:ユネスコ能から国立名人会の落語へ

2013年12月22日 | 今日の日記
   今日は、鎌倉から千駄ヶ谷の国立能楽堂に向かった。
   移転の忙しさにかまけて、折角持っていたチケットを無駄にしていたのだが、やっと、その合間を縫って、今年の観劇見納めと言う思いも込めて、思い切って東京に向かったのである。

   国立能楽堂は、ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第六回公演で、宝生流能「杜若」大蔵流狂言「焼栗」金春流能「道成寺」であり、いずれも、再度見なので、非常に楽しむことが出来て幸せであった。
   その後、直行したのだが、開演には間に合わなかったが、半蔵門の国立演芸場で桂歌丸がトリの「国立名人会」を楽しんだ。

   ユネスコ能は、能楽協会が力を入れている公演なので、ロビーに、野村萬会長以下お歴々が威儀を正して整列し、客を出迎えていた。

 「杜若」は、伊勢物語の業平をテーマに取り入れた作品だが、「鬘物」に定評のあるシテ方宝生流の大坪喜美雄がシテを舞い、森常好がワキで、素晴らしい舞台を現出。
   旅の僧が三河の国八橋で、杜若の群生に見とれていると、里女が現われて「伊勢物語」の在原業平の歌「唐衣 きつつ馴れにし つましあれば…」を引き、僧を自宅に案内する。女は杜若の精(シテ)で、舞台上で物着して、業平の形見の初冠、二条后(高子)の長絹を着けて現れて、昔の恋の出来事をしのびつつ、静かに太鼓入り序ノ舞を舞う。業平は実は歌舞の菩薩の化身した姿で、業平の多くの情勢遍歴や二条の后への思慕も衆生済度のわざであり、女人や草木までをも歌の力で成仏させるのだと語る。
   一場物の夢幻能で、杜若の優雅な舞が感動的である。

   「焼栗」は、京都の茂山千五郎家の舞台で、千五郎がけがで休演し、七五三がシテ、千三郎がワキを務めた。
   主人が到来物の素晴らしい栗焼きを、太郎冠者に頼むのだが、あまりにも美味しいので、太郎冠者が栗を全部食べてしまって、言い訳に、竈の神親子に進上して家の安泰を願ったのだと口から出まかせを言って逃げようとする狂言である。
   その言い訳も面白いのだが、見ものは、栗を焼く仕草や栗を理屈をつけて一つ一つと食べて行くアクションである。
   この「焼栗」は、以前に二回野村萬のシテで見ているので、和泉流との違いが分かって面白いのだが、栗の焼き方については、野村萬の方が、はるかに詳細で芸が細かく、七五三の場合には、むしろ、屁理屈をつけながら栗を食べる方に滑稽さがあった。
   接客に使おうと栗焼を太郎冠者に任すのだが、所詮、猫に鰹節で、無理な話であるのだが、シテ七五三の独壇場の舞台であった。

   さて、「道成寺」だが、先に観たのは金剛流だったが、今回は、金春流で、シテ本田光洋、ワキ宝生閑、アイ山本東次郎・則俊。
   大槻能楽場のHPには、次のような説明がなされている。
   「安珍清姫」の道成寺縁起を題材にした激しい女の恋の執心を描いた作品。死んでもなお残る女の執念の恐ろしさが表現されている。現行曲の中でも最も大掛かりな大曲。舞台中央に数十キロの釣鐘を釣り上げる。<乱拍子>での小鼓の息を詰めた長い間と鋭い掛け声、シテの緊迫した動きと足使いが見所。<乱拍子>の静寂を破り<急之舞>で激しく舞、クライマックスでシテが鐘に飛び入る<鐘入り>は最大の見所。

   
   「道成寺」は、流派によって演出が違うようだが、今回は、アイの東次郎・則俊が、鐘を担ぎ込んで、鐘を吊りあげるのも、シテが鐘入りするのも、殆ど前回の金剛流の舞台と変わらなかった。
   しかし、気のせいか、金剛流の舞台も、正に、感激であったが、私には、随分違った印象が残っている。
   物着の後、橋掛かり中央に戻ったシテが、大鼓の激しい咆哮(急調のアシライ)に、一気に舞台中央に駆け込み、目付柱を前にして制止すると、変わって、挑発するように、激しい調子の裂帛の掛け声で打ち鳴らす小堤や笛の音にも、動じずに僅かに独特の足遣いの足拍子を踏みながら体を動かすが、殆ど棒立ち状態で動じない。
   10分、20分、間欠的に咆哮する小鼓にも、殆ど反応せずに、僅かに、脇柱方向に向きを変え、そして、鐘のある方向に向かい、時々、一気に両手を広げて激しいアクションを取るが、動じない。
   ところが、時至って、急之舞に転じると、鐘をキッと睨みつけて扇で烏帽子を払い落として、激しく、鐘に向かってアクションを取り、鐘の縁を扇で叩き上げて、鐘に飛び込み、飛びあがると、鐘が頭上から落下する。
   この30分近く(? 私には分からないが、そんな気がする)にも及ぼうとするこの、乱拍子から急之舞、そして、鐘入りに至る緊張感は、大変なもので、激しい女の執念を抉り出した舞台としては、秀逸であろう。
   シテ本田光洋の鬼気迫る激しい緊張感に満ちた舞台は、能楽初歩の私には、正に脅威であった。
   ワキの宝生閑、アイの東次郎の両人間国宝が矍鑠とした素晴らしい舞台を見せて感動的である。

   国立名人会は、三遊亭遊雀の「十徳」、桂竹丸の「光秀の三日天下」、春風亭小柳枝の「掛取り」、三笑亭夢太朗の「巌流島」、桧山うめ吉の俗曲、そして、最後は、桂歌丸の「小間物屋政談」で、3時間の舞台。
   夫々、名人たちの落語であり、面白かったし、うめ吉の俗曲や踊りも素晴らしかったが、私は、歌丸の語るしみじみとした人情噺が好きで、今回も、感動しながら聞いていた。

   京橋五郎兵衛町の長屋に住む、背負い(行商)小間物屋の相生屋小四郎が主人公で、箱根の山中で、追剥にあって縛られていた芝露月町の小間物屋・若狭屋の主人で甚兵衛を助けたのだが、一両と貸し与えた藍弁慶縞の着物を着たまま亡くなってしまい、江戸に帰ったら妻に返してくれと名前と所書を残していたので、検視に来た大家に小四郎が死んだと間違えられる。京都での行商を終えて帰ったところ、大家の計らいで、女房お時は、既に、同業の三五郎と結婚していて、覆水盆に返らず。腹を立てた小四郎は、奉行所へ訴え、名奉行大岡越前守のお裁きを受けて、若狭屋甚兵衛の後家でお時とは比較にならないいい女のおよしと夫婦となり、若狭屋の入り婿として資産三万両を引き継ぐ。オチは、「このご恩はわたくし、生涯背負いきれません」「これこれ。その方は今日から若狭屋甚兵衛。もう背負うには及ばん」
   
   

   能狂言の舞台鑑賞が多かったが、歌舞伎や文楽、それに、ミラノスカラ座のオペラ、都響のコンサートなど、随分楽しませて貰った1年であった。
   ただ、残念なのは、最近、RSCなど最高峰のシェイクスピア劇団の来日がなくなってしまって、良質なシェイクスピア戯曲を楽しめなくなってしまったことである。
コメント
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