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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

フレッツ光が、やっと、通じた日

2013年12月18日 | 生活随想・趣味
   鎌倉市民となって、数日後、やっと、フレッツ光が通じた。
   千葉を離れた翌日、鎌倉の新居に、そのままの形で、フレッツ光が移動される筈であったが、急遽、住民の工事許可が取れなくて、遅れてしまったのである。
   聞くところによると、電波障害に反対と言うことではなく、要するに、工事そのものに反対する住民が居て、その許可を取らないと工事が始められないと言うことなのである。

   私など、フレッツ光は、正に、文明の利器だと思っているので、敷設に反対する人は、時代遅れのラッダイトだと思っているので、理解に苦しむが、工事が嫌いだ嫌だと言うのは分からないではない。
   しかし、そんなことを言っておれば、暇で気難しい老人が増える一方であるから、このような理由のはっきりしたい抵抗運動は、どんどん増えてくる筈である。
   公共目的のために、個人の意思なり見解をどこまで容認するかと言う問題だが、私自身は、欧米生活を何年か経験していて、その面から考えると、日本の場合には、かなり、無理なごり押しに近い形の少数意見を押し切れない弱さが顕著で、そのことが、公序良俗の健全な発展を妨げて来ているように感じている。

   さて、フレッツ光だが、漸く、通じて、やっと、電話とインターネットとテレビが繋がるようになった。
   ずっと停電していて、やっと、電気が点いたと言う感覚である。
   引っ越しの荷解きで、寸暇を惜しむ多忙な毎日だったので、世の中の動きにも殆ど無頓着な数日だったが、テレビとインターネットがないと、完全に文明社会から孤立したような感じになる。
   しかし、逆に、今まで、余りにも、テレビやインターネットに没頭し過ぎて、何をしていたのかと言う、変な感覚が頭を過るのも面白い。
   言うならば、インターネットとテレビと電話がなければ、一切文明社会から遮断されてしまったようなものなのだが、それにかまけて、本当の生活をしていなかったのではないかと言う思いである。

   また、明日から、同じような元の生活に戻るのだろうと思うが、すこしは、もう少し人間らしい生活をしたいと思ってはいる。
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