熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「リンカーン」を鑑賞

2013年05月07日 | 映画
   アカデミー賞で主演男優書を取ったダニエル・デイ=ルイス が、どのようなリンカーン像を作り上げているのか、非常に興味を持って劇場に出かけた。
   アメリカ史の一端を齧ったくらいの知識しかないので、リンカーンのことも、スピールバーグが焦点を当てて描いたと言う「奴隷の廃止と南北戦争の終結」の偉業とフォード劇場での観劇中の暗殺程度しか知らなかったので、この映画は、アメリカの歴史を彷彿とさせて、非常に面白かった。

   スピールバーグは、4~5歳の時にリンカーン記念館でリンカーン像を見て最初はその偉大さに恐怖を抱いたのだが近づくとすぐに魅了されたと思い出を語っているのだが、アメリカで生活し何度も訪れておりながら、私が、初めてこの像を見たのは、ごく最近で、卒業記念に連れて行った次女に促されての訪問であった。
   巨大な記念館に、白亜のリンカーン像が鎮座ましますそれだけなのだが、何故か、無性にアメリカの偉大さを感じたのが不思議であった。
   リンカーン当時、日本は、幕末で風雲急を告げており、未曽有の国難に遭遇していた時期で、1865年にリンカーンが暗殺された3年後に明治維新を迎えている。
   その時見上げて取ったスナップショットがこれである。
   

   さて、この映画「リンカーン」だが、歴史学者ドリス・カーンズ・グッドウィン 著「リンカン Team of Rivals」を原作にして、トニー・クシュナー が脚本を書いたものだが、800ページもある大作から、最後の4か月間に絞って、南北戦争の終結と修正第13条による奴隷制の廃止に焦点を当てたと言う
   複雑な政治活動を追いかけながら、修正第13条を巡る戦いを、上院では既に通過していたので下院での興亡を中心に、生々しくドキュメンタリータッチで、リンカーンの家族との触れ合いや私生活をも交えながら、当時のアメリカの歴史を活写していて飽きさせない。

   スピルバーグは、インタビューで、
   リンカーンは、最大の危機に瀕した時代にこの国を導き、政治システムとしての民主主義の存続と奴隷制の廃止に心血を注ぐなど、彼が居たからこそアメリカ合衆国が存続したのである。
   しかし、この映画では、リンカーンのイメージを壊さないためにシニカルな表現をを避け、同時に、英雄としてあがめられることも避けて、一人の人間として描いた。
   広い視野を持ちつつ理想を忘れない、将来を見据えながら過去を忘れなかった偉大な政治家であったので、彼の政治手腕に焦点を当てた映画になっている。
   と述べているのだが、この映画には、奴隷制度の悲惨さや、多くの若者たちが死んでいった南北戦争の残酷さなどは、皆が知り過ぎる程知っているので、殆ど描かれてはおらず、修正第13条をめぐる政治的駆け引きや政争を浮き彫りにして、当時の最大の岐路に立ったアメリカの歴史を描いている。
   あの映画「鉄道員」の幕切れのように、実に優しくて温かいスピルバーグの眼差しが印象的である。

   民主主義の総本山だと目されているアメリカだが、この映画では、修正第13条を通すために、あらゆる手を遣って、反対派の議員を買収したり懐柔したりと権謀術数の限りの手練手管が描かれていて面白い。
   しかし、今でも、ワシントンには、ふんだんに豊かな資金力を駆使して議員を抱き込む大企業などのロビー集団が大手を振って跋扈しており、ころころころころ、それに議員たちが靡いて議決をスキューする議会政治が暗躍し続けているのであるから、何がどこが、リンカーンが、ゲッティスバーグで演説をぶった「人民の、人民による、人民のための政治」なのか分からない。
   環境問題が進まないのも、銃規制法案が葬られてしまうのも、総て、強力なロビー活動のなせる業なのである。
   尤も、3Dプリンターで、誰でも、簡単に銃を作れるようになってしまったので、いくら銃を規制してもダメになってしまったのだが。

   さて、南北戦争であるが、私には、「風と共に去りぬ」で見た印象が、かなり、強烈に残っている。
   奴隷制度を必須とするプランテーション経済が主体であった南部と、自由博愛平等主義に影響を受け産業革命の影響で工場生産を始動し始めて賃金労働者主体となっていた北部とは、当然、奴隷制度については、真っ向から意見が対立しての悲惨な戦争なのだが、まだ、その当時は、アメリカ経済は脆弱であり、イギリスの新たな政策が経済を直撃するとひとたまりもなかった。
   自由貿易に馴染まなかったので、当時のアメリカには、「経済国家主義」的な思想が広がっていて、鉄道建設など重要な産業部門に対しては政府が直接補助し、輸入品には高い関税をかけて保護する必要があり、
   リンカーンが大統領に選ばれると、保護関税を定める「モリル関税法」を制定して 以来、保護貿易政策は必要な限り続き、アメリカを世界最大の産業国家に育て上げる原動力になったと言われており、リンカーンは、政治のみならず、アメリカ経済の発展にも大きく貢献したのである。
   因みに、この保護政策が破棄されたのは、1913年、ウッドロー・ウイルソン大統領の時代なのだが、分裂もせずに、よく、アメリカ合衆国を維持できたものだと思っている。

   ところで、映画の方だが、
   リンカーンを演じた英国人俳優ダニエル・デイ=ルイスは、リンカーン関連の書物やリンカーン自身が書き残したものを徹底的に読み漁り、19世紀の生活に慣れるため、妻メアリー・トッド・リンカーンを演じたサリー・フィールドと、当時の文体で手紙の交換を4ヶ月間行い、夫婦としての役作りも行った。と言われており、天下の多くの名優を差し置いて、三度目のアカデミー男優賞を獲得した。
   この映画が、教材として、沢山の学校に送られたと言うから、子供たちには、ルイスが、リンカーンそのものの生まれ変わりのような強烈な印象を残すであろう。
   二人の醸し出す夫婦像は、正に、150年前のアメリカを思い出させる実に臨場感溢れる堂に入った演技で、実際もそうであったであろうと思わせる程真に迫っていて感動的である。

   奴隷解放急進派のサディアス・スティーヴンスを演じたトミー・リー・ジョーンズが、私には最も印象的であった。
   フットボール選手でハーバードを出たと言う厳つい顔の俳優だが、下院で修正第13条法案が可決された後、書記から法案の原文を貸してくれ明日返すと言って取り上げて家に持って帰り、黒人の妻に土産だと言って渡す幕切れなど、実に清々しくて良い。
   それに、家に帰って、被っていた鬘を脱いで、丸坊主姿になるなど、議場では百戦錬磨の激戦の勇士でありながら、最後に素顔を見せて幕引きを飾るなどスピルバーグの冴えも光っていて面白い。

(追記)この映画の修正第13条は、以下の通り、
    第13条(奴隷及び苦役)-(1865年成立)
    第1節 奴隷および本人の意に反する労役は、犯罪に対する処罰として、当事者が適法に宣告を受けた場合を除くほか、合衆国内またはその管轄に属するいずれの地にも存在しない。
    そして、アメリカは、硬性憲法であり、略記すれば、連邦議会は、両議院の三分の二が必要と認める時は、この憲法に対する修正を発議し、その修正は、全州の四分の三の議会によって承認されなければならない。と規定されている。
    これまでの26回の憲法の修正は、連邦議会の各院が3分の2以上の賛成で発議し、4分の3以上の州の批准をもって成立している。

    日本では、憲法改正は、96条において、衆議院・参議院それぞれの所属議員の三分の二以上の賛同によって発議されることで、国会から国民に提案されると規定されているのを、憲法改正を易しくする目的で、普通の法律改正と同じように、二分の一以上の賛成で発議すると改正しようとしている。
    私は、基本的に、憲法改正には賛成だが、国家存立のための基本法である憲法を、いとも簡単に、文明国では殆ど例を見ないような二分の一で発議するなどと言った暴挙は、絶対に許すべきではないと思っている。
コメント (1)
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