熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

柿葺落五月大歌舞伎・・・「伽羅先代萩」

2013年05月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   柿葺落五月大歌舞伎の第二部の冒頭は、「伽羅先代萩」の「御殿の場」と「床下の場」で、藤十郎が、襲名披露の舞台同様に政岡を演じて、好評である。
   その一か月前、大阪の国立文楽劇場でも、「伽羅先代萩」で、竹の間の段以降同じ段が演じられて、和生が、政岡を遣って素晴らしい舞台を展開した。
   文楽の場合には、省略なしの本格的な演出であったが、歌舞伎では、飯炊きの場が省略されていて、簡略版であったので、政岡の至芸を鑑賞することが出来なかった。
   本来なら、政岡が、茶器で炊いた握り飯を、鶴千代と千松が食べ終わった後に、栄御前の来訪が伝えられるのだが、今回は、空腹には耐えきれず、それでも政岡に褒められたい一心で、お腹がすいてもひもじくないと必死で我慢しているところへ、栄御前(秀太郎)の登場となったものの、比較的スムーズな舞台展開なので、特に、不足はなかった。

   もう一つの大きな違いは、文楽では、竹の間の延長で、八汐(梅玉)が、この芝居では非常に重要な役割を果たしている典薬の妻小巻を連れて来ているので、御殿の場でも、小巻が、八汐のお家乗っ取り企みの証人として登場するのだが、歌舞伎では、既に八汐の陰謀は露見していると言う前提で、追い詰められた八汐が政岡を殺めようと登場して、それを迎え討つ政岡が八汐を刺して千松の仇を討つと言うシンプルな結末だけの舞台展開となっている。
   省略版だと、どうしても、芝居の展開に無理が生じたり観客の理解力に頼らざるを得なくなるので、やはり、出来るだけ省略なしの通し狂言で演じられることが望ましいのだが、幸いに、4年前に、通し狂言「伽羅先代萩」を、玉三郎の政岡、仁左衛門の八汐と細川勝元、吉右衛門の仁木弾正で観て、楽しませて貰った。

    
   歌舞伎と文楽の鑑賞歴は、既に、20年を越しているので、随分、両方の舞台で「伽羅先代萩」を観ており、記憶がはっきりしているのは、政岡では、藤十郎は襲名披露の時と二回目で、菊五郎を複数回、それに、魁春だが、文楽の政岡は、簑助と紋壽なのだが、夫々に、かなり、舞台や演出の仕方などで、印象が違っているのが面白い。
   この「伽羅先代萩」は、17世紀に仙台で起こった伊達騒動を題材にして、18世紀になって伊達騒動ものが何度か江戸と大坂で歌舞伎化されたようだが、良く上演される「竹の間」「御殿」「床下」の部分は、大坂中の芝居で上演された歌舞伎『伽羅先代萩』を元に構成されているようで、この歌舞伎版を土台に浄瑠璃が書かれているので、藤十郎の演じる上方バージョンの「伽羅先代萩」は、文楽の床本に近いと言われているようである。
   私には、詳しくは分からないが、藤十郎の政岡と、玉三郎や魁春の演じる歌右衛門に繋がっている江戸バージョンの政岡とでは、大分、印象が違うように感じている。

   歌舞伎の舞台でも、江戸では、頂点を極めた演出や芸を、決定版として伝統として大切に伝承・継承されて行くようであるが、上方では、それはそれとして、同じような芝居や演出で舞台を務めていると、あの役者は、工夫が足りない進歩がないと言って観客が満足しないので、絶えず精進を重ねて前に進まなければならないのだと、何かの本で読んだことがある。
   今回の藤十郎の舞台でも、それを強く感じて、藤十郎の苦心と精進の跡を観た思いで、舞台を楽しませて貰った。
   特に、私が感じたのは、栄御前が、鶴千代と千松が取り替えっ子だと確信して政岡に一巻を預けて立ち去って行った後の、政岡の千松への慟哭と悔恨シーンである。
   前回は、千松の亡骸をしっかと抱きしめて、恨み辛みの鬱積・錯綜した慟哭に必死になって絶えようとしていたが、今回は、千松を一度も抱きしめずに、打掛などを愛しげに千松の亡骸にかけて号泣し、亡骸の床に懐剣の鞘を突き立ててかき口説くなど、むしろ、本意とは裏腹に、必死になって千松の手柄を称えようとしていたように思えた。
   しかし、表現は忠義一途の政岡を演じながらも、心の底から湧き上がり迸り出る、無残にも、禄でもない八汐に殺された無念さとわが子への限りなき愛おしさを抑えきれずに、藤十郎の頬に二筋の涙跡がくっきりと浮かび上がるこの至芸。
   前回は、涙でくちゃくちゃになっていた藤十郎の頬は、今回は、二筋の涙跡で、はるかに深い慟哭と悔恨、そして、無慈悲な運命の悪戯を糾弾していたのである。

   もうひつと、他の政岡と違っていたと感じたのは、千松が八汐に殺められた瞬間、藤十郎の政岡は不覚にも少し狼狽し、そして、八汐が千松をこれでもかこれでもかと甚振っている間、藤十郎は、柱に左手でしっかりと抱きついて、右手で懐剣の柄を押さえて微動だにせず一点を見つけていたが、最後には、がっくりと地面に崩れ落ちて、座ったまま動かなかった。
   わが子が殺されているのに、顔色一つ変えなかったと言う政岡像ではなく、忠義一途に徹しながらも、ぎりぎりのところで人間政岡を演じようとしたのであろう、私は、これこそ、本当に生きた芝居だと思って感激しながら見ていたのだが、栄御前の秀太郎のセリフも、実の子であればこうも行くまいとトーンダウンしていたように思うのだが、ここらあたりの絶妙な阿吽の呼吸と協演は、上方歌舞伎の重鎮同士の成せる業であろうか。
   尤も、栄御前が、扇で顔を隠して政岡を観察し始めたのは、千松殺害の瞬間ではなく、八汐が千松を刀で抉り甚振り始めてからではあるのだが。

   栄御前の秀太郎の貫録と、どすの利いた凄さは、流石で、台詞回しとしい、目の鋭さなどその表現仕草と言い、申し分のない出来で上手いと思って見ていた。
   梅玉の八汐は、もう、3回くらいは観ていると思うのだが、非常に芸を抑えた表現で雰囲気を醸し出していて、過度な嫌味のなさが、私は好きである。
   千松を甚振る時にも、刀を大げさに動かしたりせずに、千松のうめき声と表情だけで、残酷さを表現していて、徹底的に嫌われる悪者役であるから、リアリズムと言うより、幾分上品な佇まいが勝った梅玉の芝居の方が、私には向いている。
   他には、團十郎と仁左衛門の八汐を見ているのだが、梅玉よりは、憎々しげで上手かったが、いくら芝居でも、あまり、リアリズムに徹した残酷シーンを見たくないと言う性格なので、芝居見物には向かないのかも知れないと思うことがある。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする