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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジェフリー・サックス~無知の蔓延

2012年11月06日 | 生活随想・趣味
   ジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋」の「注意散漫な社会」と言う章で、現代人の読書離れが、無知の蔓延の元凶だと、痛烈に批判している。
   印刷媒体は、長期にわたって凋落傾向が続いていて、印刷媒体が、メディアが伝達した語数のうち、1960年には推定26%だったが、2008年には9%に減少し、1日当たりでアメリカ人が情報取得に費やす時間の42%はTVであったが、印刷媒体はわずか5%に過ぎない。若者の間では、読書を楽しむ習慣が消え、書籍の購入は10年ほど前から急速に減り始め、アメリカ人が読書をしなくなり始めて、基礎的な知識を持たない人が増えてきた。特に気候変動のような政治論争の的になっているような問題について、科学的な事実を知らない人が多すぎる。読書力も急激に落ち込んでいる。
   新たな「情報の時代」と言われる今、実は国家の重大事と言う時に、市民として私たちも危機に直面している時に、国民の間で、基礎知識の崩壊が起こっている。と言うのである。

   アメリカ人の大多数に基礎知識が欠けていると言うことは論証されてる。歴史や公民について殆ど知らず、本を読んだことも博物館に行ったこともない人の、知識から隔絶した考えが急速に一般論として広まると言うのは恥知らずの事態である。
   連邦予算の赤字解消や人間が原因の気候変動への対策に取り組むと言った難題に取り組むべき時に必要不可欠な知識を十分に共有することができなければ、私たちの市民としての資格は完全に崩れ落ちる。
   国が税金、歳出、軍事費などの複雑な選択に取り組まなければならない時に、基礎的な知識の不足は危険に繋がる。正しい情報を持たない国民は、プロパガンダによって簡単に動かされ、ワシントンを陰で操る特殊権益団体のずるがしこい策略にあっさりと引っかかる。とも述べている。
   正に、民主主義とアメリカの美徳の崩壊だと危機意識をつのらせているのである。

   だいぶ以前に、アメリカで、大衆迎合型で質の低い某テレビ局が、低俗な番組を流し続けて、アメリカ市民を毒していると問題視されたことがあるが、日本でも、テレビメディアの黎明期に、大宅壮一が、「一億総白痴化 」と警告を発したことがるのだが、
   サックスは、TVにはネガティブで、巨大な企業複合体に所有され運用されているメディア・ネットワークとソーシャル・ネットワーキング・サービスが、かってなかったほど注意散漫な経済を作り出した、アメリカ社会は、テクノロジーと宣伝だけは豊かにあるが、知識に乏しい社会だと結論付けている。

   ところで、3年前に、私は、このブログで「本を読まない日本の大人、特に四国人」と言う記事で、、
   ”日経のセミナーで、法政大諏訪康雄教授が、学力低下は子供だけではない・・・として、文化庁の国語に関する世論調査「読書量の地域格差」を示して、日本の大人が、如何に本を読まないかを示した。
   月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
   仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。”と書いた。
   本と言うだけで、その質を問うていないので、色々な本があり、その実際の知的文化水準は、惨憺たるものではないかと思う。
   日本も、アメリカと同様なのである。

   そして、もっと深刻な問題として付記したのは、
   欧米でのビジネス経験を通じて、日本人のビジネスマンなど国際舞台で活躍している人々の知的水準、特に、リベラル・アーツ教養の不足がかなり深刻で、欧米のトップ・エリートと互角に渡り合えていないと感じていたことを付言した。
   リベラル・アーツ教育重視で急速にトップ大学に躍り出て脚光を浴びている国際教養大学の中嶋嶺雄学長が、学位の問題に触れて、一昔前の出世コースであった東大法学部卒の官僚や大学中退の外交官、所謂日本のエリートが、現在の国際社会で殆ど通用しないのは、学位を持っていないからだと言っていた。
   確かに、欧米では、ビジネスの世界でも、PhDなり、少なくとも、ブッシュ大統領もそうだったがMBAくらいの学位がないトップエリートは殆ど皆無で、学歴社会と言うよりも、然るべき責任ある地位にある人は、豊かな学識経験と教養があって当然であると言うことであろう。
   尤も、芸術やスポーツ、あるいは、多くの匠の世界など、文化芸術技芸技術等々崇高なワザの世界は別であろう。

   先に紹介したジェフリー・サックスのアメリカの基礎知識の崩壊だとして警告を発した問題は、日本にもそのまま言える深刻な問題であって、と言うよりも、経済が20年間も低迷して政治も迷走し続けている日本の方が、もっと深刻なのではないかと思う。
   大上段に振りかぶらなくても、グローバリゼーションで世界中がフラット化してしまった以上、国際競争に勝つためにも、あるいは、個人個人の仕事であっても、先進国は勿論だが、少なくとも、新興国や途上国の人々よりも、技術や技芸や知識教養なり能力が優れていなければ、簡単に駆逐されてしまって、それ以下の生活に甘んじなければならないと言うことである。
   したがって、嫌でも応でも、知識教養、技術など自分の能力を一生懸命に磨き上げなければならない。本も、まともに読まなければならないと言うことであろう。
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