これは、WSJの見出しだが、トットナムで薬物密売を捜査中の警官がタクシー運転手の黒人男性マーク・ダガン氏(29)を射殺したことに端を発した英ロンドン北部のトットナムで6日発生した暴動、そして、その後ロンドン各地のみならず、バーミンガムやリバプールにまで飛び火した暴動について、英米紙は、大々的に報じている。
ロンドンには、昔植民地であった各地の人間やコモンウエルスの人間など、世界各国から入国して来た沢山の人種や民族が住んでいて、あたかも人種の坩堝と言った観を呈している。
このために、これまで、中東で問題が起こればロンドンのモスクが襲われ、パキスタンで紛争が起これば、在英パキスタン人が暴れると言った調子で、世界各自で有事があると、すぐにロンドンに飛び火してトラブルが発生するなど、国際情勢が、敏感にイギリスの内政に影響を与えて来た。
しかし、今回の暴動は、英国国内の内政問題で、産経によると、「英国では金融・経済危機の後遺症で失業者は245万人を数える。しかし、失業給付など財政支出が切り詰められ、低所得者層に不満がたまっている。その上薬物密売など黒人居住区の治安が悪化し、警察の取り締まりが強化されたことも「黒人を犯罪者扱いしている」として黒人社会と警察の緊張を高めていた。」と言う。
BBCでは、カリブ海地域の黒人と白人主体の警察との摩擦が原因だと言うのだが、丁度、北アフリカや中東の民主化運動のように、ソーシャル・ネットワーキング・サービスを通じた呼びかけで、若者たちが、8日、各地に集まって暴徒化、放火や略奪を繰り返している。
第1次世界大戦までの100年間に、約5000万人のヨーロッパ移民が国を離れ、新大陸南北アメリカを目指したが、その後、脱植民地時代、すなわち、独立後は、移民の方向が逆になった。
大量の旧植民地の先住民族が、宗主国に移り住むようになってきたのである。
フランスの場合には、対ドイツ戦線に送り込まれた多くの西アフリカ人が帰国せずにそのまま住みつき、その後、入国して来た旧植民地マグレブや北アフリカ出身のベルベル人などを含めると、フランスのアフリカ移民は、2005年には、500万人に達しており、これらが、フランス社会に同化できず、不満分子として社会の不安要因となって騒動を起こしている。
イギリスの場合も同様で、先駆けとなったのは、1948年に、帰還兵を乗せた客船がティルベリー港に入港した時に、イギリス国籍を持ったジャマイカなどの大量の移民を運んできたことで、その後、海外の大英帝国から宗主国イギリスへの移民の流入が陸続と続き、香港が中国に返還され、何万人と言う英国国籍を持つ香港人たちが入国するまで、これが続いた。
私など、車で道を間違えて、ロンドンの某街区に入った時には、インドの国にいるような錯覚に陥ってしまった経験があるのだが、英国は、既に、旧植民地からの膨大な移民を内包した大英帝国の縮図なのである。
ところで、私が、ここで論じたいのは、ロンドンの暴動を含めて欧米の治安悪化や騒動は、かってヨーロッパの先進国家が、帝国主義政策を押し付けて、搾取に搾取を重ねて蹂躙して来た旧植民地に対する行為による因果応報であること、そして、この事実関係を、英国等欧米諸国の殆どは切実に考えても居なければ、罪の意識さえないと言うことである。
暴動に加わった若者たちの最大の不満は、貧困・就職難、格差の拡大と言った社会悪であり、いわば、暴動は、社会の底辺に住む弱者の行き場のない憤りの表現。
ロイターによると、「参加者はその多くが高い失業率が続く地域の出身者とみられ、緊縮財政策が進められている英国で社会福祉サービス削減の影響を受けている層とも言える。
略奪の標的とされているのは携帯電話やスポーツ用品、洋服で、貴金属店や質屋も狙われやすいという。液晶テレビやパソコン台を頭の上に載せて歩く若者の姿も見られたが、警察はこうした略奪を取り締まりきれていない。」と言う。
連日連夜のようにテレビで放映される豊かな文明社会を見せつけられて、携帯や薄型テレビさえ手にできない疎外された若者たちが、うっぷん晴らしに、アパートを焼き打ちにし、ソニーの倉庫を火災に巻き込む。あまりにも、悲しい現実ではなかろうか。
揺り篭から墓場までと言われて福祉国家の鑑であった筈の英国が、イギリス病と揶揄されて、死に体になっていたのを、サッチャー改革で蘇り、ビッグバン政策が効を奏して、さらに、ICTおよび金融革命に上手く便乗して、最先端の富裕国に躍り上って世界の金融センターとして起死回生した。
ところが、幸か不幸か、世界的な金融危機に遭遇して、一気に、国家経済は急降下して危機的な状態に逆戻り。
労働党から保守党に政権は変わったが、今の英国は、益々困窮の度を深めるだけで、福祉国家的な厚生福利、文教教育などになど割く経済的な余裕はなく、まして、今回、社会への不満を爆発させて暴徒化した若者たちを懐柔する資金さえ捻出するなどは考えられない。
弱り目に祟り目、経済成長から見放され、債務超過・財政悪化の先進諸国の闇は深いと言うべきであろうか。
ロンドンには、昔植民地であった各地の人間やコモンウエルスの人間など、世界各国から入国して来た沢山の人種や民族が住んでいて、あたかも人種の坩堝と言った観を呈している。
このために、これまで、中東で問題が起こればロンドンのモスクが襲われ、パキスタンで紛争が起これば、在英パキスタン人が暴れると言った調子で、世界各自で有事があると、すぐにロンドンに飛び火してトラブルが発生するなど、国際情勢が、敏感にイギリスの内政に影響を与えて来た。
しかし、今回の暴動は、英国国内の内政問題で、産経によると、「英国では金融・経済危機の後遺症で失業者は245万人を数える。しかし、失業給付など財政支出が切り詰められ、低所得者層に不満がたまっている。その上薬物密売など黒人居住区の治安が悪化し、警察の取り締まりが強化されたことも「黒人を犯罪者扱いしている」として黒人社会と警察の緊張を高めていた。」と言う。
BBCでは、カリブ海地域の黒人と白人主体の警察との摩擦が原因だと言うのだが、丁度、北アフリカや中東の民主化運動のように、ソーシャル・ネットワーキング・サービスを通じた呼びかけで、若者たちが、8日、各地に集まって暴徒化、放火や略奪を繰り返している。
第1次世界大戦までの100年間に、約5000万人のヨーロッパ移民が国を離れ、新大陸南北アメリカを目指したが、その後、脱植民地時代、すなわち、独立後は、移民の方向が逆になった。
大量の旧植民地の先住民族が、宗主国に移り住むようになってきたのである。
フランスの場合には、対ドイツ戦線に送り込まれた多くの西アフリカ人が帰国せずにそのまま住みつき、その後、入国して来た旧植民地マグレブや北アフリカ出身のベルベル人などを含めると、フランスのアフリカ移民は、2005年には、500万人に達しており、これらが、フランス社会に同化できず、不満分子として社会の不安要因となって騒動を起こしている。
イギリスの場合も同様で、先駆けとなったのは、1948年に、帰還兵を乗せた客船がティルベリー港に入港した時に、イギリス国籍を持ったジャマイカなどの大量の移民を運んできたことで、その後、海外の大英帝国から宗主国イギリスへの移民の流入が陸続と続き、香港が中国に返還され、何万人と言う英国国籍を持つ香港人たちが入国するまで、これが続いた。
私など、車で道を間違えて、ロンドンの某街区に入った時には、インドの国にいるような錯覚に陥ってしまった経験があるのだが、英国は、既に、旧植民地からの膨大な移民を内包した大英帝国の縮図なのである。
ところで、私が、ここで論じたいのは、ロンドンの暴動を含めて欧米の治安悪化や騒動は、かってヨーロッパの先進国家が、帝国主義政策を押し付けて、搾取に搾取を重ねて蹂躙して来た旧植民地に対する行為による因果応報であること、そして、この事実関係を、英国等欧米諸国の殆どは切実に考えても居なければ、罪の意識さえないと言うことである。
暴動に加わった若者たちの最大の不満は、貧困・就職難、格差の拡大と言った社会悪であり、いわば、暴動は、社会の底辺に住む弱者の行き場のない憤りの表現。
ロイターによると、「参加者はその多くが高い失業率が続く地域の出身者とみられ、緊縮財政策が進められている英国で社会福祉サービス削減の影響を受けている層とも言える。
略奪の標的とされているのは携帯電話やスポーツ用品、洋服で、貴金属店や質屋も狙われやすいという。液晶テレビやパソコン台を頭の上に載せて歩く若者の姿も見られたが、警察はこうした略奪を取り締まりきれていない。」と言う。
連日連夜のようにテレビで放映される豊かな文明社会を見せつけられて、携帯や薄型テレビさえ手にできない疎外された若者たちが、うっぷん晴らしに、アパートを焼き打ちにし、ソニーの倉庫を火災に巻き込む。あまりにも、悲しい現実ではなかろうか。
揺り篭から墓場までと言われて福祉国家の鑑であった筈の英国が、イギリス病と揶揄されて、死に体になっていたのを、サッチャー改革で蘇り、ビッグバン政策が効を奏して、さらに、ICTおよび金融革命に上手く便乗して、最先端の富裕国に躍り上って世界の金融センターとして起死回生した。
ところが、幸か不幸か、世界的な金融危機に遭遇して、一気に、国家経済は急降下して危機的な状態に逆戻り。
労働党から保守党に政権は変わったが、今の英国は、益々困窮の度を深めるだけで、福祉国家的な厚生福利、文教教育などになど割く経済的な余裕はなく、まして、今回、社会への不満を爆発させて暴徒化した若者たちを懐柔する資金さえ捻出するなどは考えられない。
弱り目に祟り目、経済成長から見放され、債務超過・財政悪化の先進諸国の闇は深いと言うべきであろうか。