もう、20数年前に出た本だが、一昔前と言うと大袈裟とは思うけれど、歌右衛門と共に歌舞伎の女形として一世を風靡した七代目尾上梅幸の「拍手は幕が下りてから」と言う聴き語りを纏めた本を楽しみながら読んだ。
実に含蓄のある豊かな芸談を鏤めた珠玉のような本で、残念ながら、歌舞伎ファンになってからは、梅幸の舞台を見たことがないので、私には、いわば歴史上の歌舞伎役者なのだが、菊五郎の父君でもあり、お馴染みの役者たちの話題も出てくるので、興味を持って読ませて貰った。
冒頭で、歌舞伎ブームの再来を喜びながら、歌舞伎は、歌と舞と伎の総合芸術であり、また、義理人情の世界で、封建社会の中にあって、庶民がどう生きて来たか、諸々の制約の中で人間としての精一杯の生き方を追求した芝居であり、決して古くさくはない。そんなことを言えば、古典劇はすべて古くさいものとなってしまうが、シェイクスピア劇やギリシャ悲劇は、古くさくて今や通用しないのか。人間がどうやって生きて来たかを描いたのがギリシャ悲劇であり、庶民の精一杯の生き方を描いた歌舞伎も今日的意味を十分に持っている。と説いている。
歌右衛門のように華やかなで重厚な時代物とは違って、清楚な娘役から優しくて慈愛に満ちた母親と言ったしみじみとした庶民の哀歓を描いた世話物などで本領を発揮した梅幸の歌舞伎観であり、感動を呼ぶ。
六代目尾上菊五郎の実子ではなく養子であることを知ってショックを受けて引っ込み思案であった中学生の頃に、「筆屋幸兵衛」のお霜や「文七元結」の娘など、貧乏で寂しい娘役が回って来て、自分の心境と重なって、それが当たり役となり評判になったと言うのだから、スタートから庶民派役者であった。
女形には夫々に持ち味があって甲乙つけがたいが、特に好きなのは「摂州合邦辻」の玉手御前だと言う。
義理の息子・俊徳丸に恋をして助けるために最後は自害する、そのひたむきな生き方が魅力だと言うのである。
梅幸は、玉手の横恋慕は、忠義のためにわざと恋をしたのではなく、本当に惚れて、惚れているからこそ、毒酒を盛って癩病にしたのであり、だから父親が気が違ったと激怒したのであって、俊徳丸には、精々色っぽく情を込めて接したと言うことらしい。
演じて面白いのは、侍の女房などの真面目な役より、下町の女房、花柳界の芸者などで、少々崩れている方が個性も出しやすくてやり甲斐がある、日常生活でも、真面目な人は面白くなくて、そういう女性の方が親近感が持てると言うのも、梅幸の庶民感覚にぴったりと言うことのようである。
庶民の精一杯の生き方に感動しながら万感の思いを込めて女形を演じ続けて来たのであろう。
女形でも、日常生活の面での言葉遣いから立ち居振る舞いまで女になり切ろうとする役者と、普段は普通の男として生活しいざ舞台に立つと女になれば良いと言う二種類あるが、梅幸は、六代目の教えで、後者のタイプであるから、一旦舞台を離れれば、野球やゴルフに興じたり、車を運転したり、悪友とバーをはしごしたり、言葉もベランメエ調だった。
雀右衛門も、80歳を越しても、オートバイで突っ走っていたと言っている。
それでは、いつ女になって、いつ男に戻るのか。
女になるのは、脚本を貰い役作りをするところから始まるが、やはり、その瞬間は化粧である。鬢付け油を眉に塗った時から女になるのだが、自分でやらないと、女になって行かないと言う。
男に戻るのは、舞台が終わって楽屋に戻った時、まだ、衣装を着けている時は女形の余韻が残っているが、衣装を脱ぎ、化粧を落として楽屋を出れば、もう寺嶋誠三となる。
夫君のイボ・ビンコが、フィオレンツア・コソットが、オペラが跳ねた後も、中々、役の魂が乗り移って覚めなかったと言っていたが、人夫々なのであろう。
もう一つ面白かったのは、「間と息のつめが芸の極意」と言う章で、六代目の経験を語っているところである。
ロシア・バレーのアンナ・パブロワが帝劇で「瀕死の白鳥」を上演した時、どうしても舞台袖から見たくて大道具に化けて菜っ葉服姿で観察していたら、ラスト・シーンで、白鳥が左右に羽を徐々に下げながら倒れて行く時、ずっと息をつめたままだった。
偶々の会談の時に、感動したと感想を述べて、もし幕が下りなかったらどうするのかと聞いたら、パブロワは「その時は死ぬだけです。」と答えたと言う。
六代目の稽古の厳しさは、梅幸にとっては正に壮絶と言うべきで、「3時間以上寝る奴はバカだ」と昼夜を徹して行われたようで、隣の犬がいつも昼寝をしているのが羨ましくて、本気で「犬になりたい」と思ったほどだと言う。
「鼠小僧」の三吉の稽古の時に上手く行かなくて、庭の雪の上を隅から隅まで何往復も歩かされて足の感覚を失いかけ腫れた足で歩いて合格した。「おおできた。さぞ寒かっただろう。」と六代目は、しっかりと梅幸を抱きしめたと言う。
「娘道成寺」の稽古の時には、夜中の二時を回ってくたくたになっても一滴の水も飲ましてくれずに、スライスしたレモンだけ口に入れられて、酸っぱいレモンが、砂糖のように本当に甘くなるまで続いたと言う。
伝統を守りながら、本当の真実の芸を人々に見せるために必死に芸道を突っ走ってきた六代目と梅幸の血の滲むような話や、歌舞伎の奥深い世界を紐解きながら、西洋好きで文化人のダンディな梅幸のほのぼのとした人間性が見え隠れした素晴らしい本であった。
「途中でお客様の手を叩かすな。幕が下りて”ああ、よかった”とハーッとため息が出るような芸を心掛けよ」と、六代目が、梅幸に言っていたと言う。
実に含蓄のある豊かな芸談を鏤めた珠玉のような本で、残念ながら、歌舞伎ファンになってからは、梅幸の舞台を見たことがないので、私には、いわば歴史上の歌舞伎役者なのだが、菊五郎の父君でもあり、お馴染みの役者たちの話題も出てくるので、興味を持って読ませて貰った。
冒頭で、歌舞伎ブームの再来を喜びながら、歌舞伎は、歌と舞と伎の総合芸術であり、また、義理人情の世界で、封建社会の中にあって、庶民がどう生きて来たか、諸々の制約の中で人間としての精一杯の生き方を追求した芝居であり、決して古くさくはない。そんなことを言えば、古典劇はすべて古くさいものとなってしまうが、シェイクスピア劇やギリシャ悲劇は、古くさくて今や通用しないのか。人間がどうやって生きて来たかを描いたのがギリシャ悲劇であり、庶民の精一杯の生き方を描いた歌舞伎も今日的意味を十分に持っている。と説いている。
歌右衛門のように華やかなで重厚な時代物とは違って、清楚な娘役から優しくて慈愛に満ちた母親と言ったしみじみとした庶民の哀歓を描いた世話物などで本領を発揮した梅幸の歌舞伎観であり、感動を呼ぶ。
六代目尾上菊五郎の実子ではなく養子であることを知ってショックを受けて引っ込み思案であった中学生の頃に、「筆屋幸兵衛」のお霜や「文七元結」の娘など、貧乏で寂しい娘役が回って来て、自分の心境と重なって、それが当たり役となり評判になったと言うのだから、スタートから庶民派役者であった。
女形には夫々に持ち味があって甲乙つけがたいが、特に好きなのは「摂州合邦辻」の玉手御前だと言う。
義理の息子・俊徳丸に恋をして助けるために最後は自害する、そのひたむきな生き方が魅力だと言うのである。
梅幸は、玉手の横恋慕は、忠義のためにわざと恋をしたのではなく、本当に惚れて、惚れているからこそ、毒酒を盛って癩病にしたのであり、だから父親が気が違ったと激怒したのであって、俊徳丸には、精々色っぽく情を込めて接したと言うことらしい。
演じて面白いのは、侍の女房などの真面目な役より、下町の女房、花柳界の芸者などで、少々崩れている方が個性も出しやすくてやり甲斐がある、日常生活でも、真面目な人は面白くなくて、そういう女性の方が親近感が持てると言うのも、梅幸の庶民感覚にぴったりと言うことのようである。
庶民の精一杯の生き方に感動しながら万感の思いを込めて女形を演じ続けて来たのであろう。
女形でも、日常生活の面での言葉遣いから立ち居振る舞いまで女になり切ろうとする役者と、普段は普通の男として生活しいざ舞台に立つと女になれば良いと言う二種類あるが、梅幸は、六代目の教えで、後者のタイプであるから、一旦舞台を離れれば、野球やゴルフに興じたり、車を運転したり、悪友とバーをはしごしたり、言葉もベランメエ調だった。
雀右衛門も、80歳を越しても、オートバイで突っ走っていたと言っている。
それでは、いつ女になって、いつ男に戻るのか。
女になるのは、脚本を貰い役作りをするところから始まるが、やはり、その瞬間は化粧である。鬢付け油を眉に塗った時から女になるのだが、自分でやらないと、女になって行かないと言う。
男に戻るのは、舞台が終わって楽屋に戻った時、まだ、衣装を着けている時は女形の余韻が残っているが、衣装を脱ぎ、化粧を落として楽屋を出れば、もう寺嶋誠三となる。
夫君のイボ・ビンコが、フィオレンツア・コソットが、オペラが跳ねた後も、中々、役の魂が乗り移って覚めなかったと言っていたが、人夫々なのであろう。
もう一つ面白かったのは、「間と息のつめが芸の極意」と言う章で、六代目の経験を語っているところである。
ロシア・バレーのアンナ・パブロワが帝劇で「瀕死の白鳥」を上演した時、どうしても舞台袖から見たくて大道具に化けて菜っ葉服姿で観察していたら、ラスト・シーンで、白鳥が左右に羽を徐々に下げながら倒れて行く時、ずっと息をつめたままだった。
偶々の会談の時に、感動したと感想を述べて、もし幕が下りなかったらどうするのかと聞いたら、パブロワは「その時は死ぬだけです。」と答えたと言う。
六代目の稽古の厳しさは、梅幸にとっては正に壮絶と言うべきで、「3時間以上寝る奴はバカだ」と昼夜を徹して行われたようで、隣の犬がいつも昼寝をしているのが羨ましくて、本気で「犬になりたい」と思ったほどだと言う。
「鼠小僧」の三吉の稽古の時に上手く行かなくて、庭の雪の上を隅から隅まで何往復も歩かされて足の感覚を失いかけ腫れた足で歩いて合格した。「おおできた。さぞ寒かっただろう。」と六代目は、しっかりと梅幸を抱きしめたと言う。
「娘道成寺」の稽古の時には、夜中の二時を回ってくたくたになっても一滴の水も飲ましてくれずに、スライスしたレモンだけ口に入れられて、酸っぱいレモンが、砂糖のように本当に甘くなるまで続いたと言う。
伝統を守りながら、本当の真実の芸を人々に見せるために必死に芸道を突っ走ってきた六代目と梅幸の血の滲むような話や、歌舞伎の奥深い世界を紐解きながら、西洋好きで文化人のダンディな梅幸のほのぼのとした人間性が見え隠れした素晴らしい本であった。
「途中でお客様の手を叩かすな。幕が下りて”ああ、よかった”とハーッとため息が出るような芸を心掛けよ」と、六代目が、梅幸に言っていたと言う。