おさんと茂兵衛の不倫物語であるが、先に、時蔵と梅玉の歌舞伎の舞台を見ているのだが、文楽では、初めてのような気がする。
京都烏丸通りの大経師の妻おさんと手代の茂兵衛が下女お玉の仲介で密通し、1683年に処刑された事件を、その3年後に、井原西鶴が、好色五人女の「暦屋物語」として書き、33年後に、近松門左衛門が、「大経師昔暦」として人形浄瑠璃として書き上げた物語である。
ふとした過ちで起こった相手取替え不倫でも、西鶴は、愛欲に溺れた(?)人間的な二人の愛を主題にしているのに対して、近松は、夫婦もどきの逃避行ながら二人の関係は一度限りで貞節を守り、逃げて来た二人を慮り、また、助けようとするお玉の伯父梅龍や親の道順夫妻との人間の絆をテーマにした物語にしている、その差が面白い。
因みに、大経師とは、経巻・仏画などを表具する経師の長で、朝廷の御用を務め、更に、暦の発行を許可されていたので西鶴の「暦屋」でもあるのだが、非常に学識もあり格式の高い由緒ある職業で、おさんとて、大変なお内儀なのであり、手代との不義密通などと言えば大事件となるのも当然なのである。
お玉(西鶴では、りんだが、お玉で通す)が、茂兵衛(西鶴では茂右衛門だが茂兵衛で通す)に岡惚れなのは同じなのだが、更に、話を興味深くしているのは、おさんの夫大経師以春と下女お玉の扱い方である。
まず、二人の密通事件の仲立ちとなるお玉の役割。西鶴では、おさんが、茂兵衛に恋をしたお玉にラブレターの代筆をしてやったのだが、そのつれないふざけた返事に腹を立てて、偲んで来ると返事が来た時に、悪戯心を起こして懲らしめてやろうと、お玉と寝所を入れ替わる。ところが、宴会の後の疲れで不覚にも寝入ってしまって、あろうことか茂兵衛と契ってしまう。
一方、近松の方は、借金の身代わりのお礼にと、おさんがお玉を訪ねたら、毎夜、以春が夜這いして困ると訴える始末で、夫を懲らしめてやろうと、寝所を入れ替わる。其処へ、以春の印判の無断借用で窮地を救ってくれたお玉の愛に報いようと、茂兵衛が忍び込んで来る。外出先から以春の帰りを出迎える行灯の光が部屋に差し込み、二人は驚愕する。
一方、以春だが、西鶴では、江戸城の襖の表装出張で留守をしており、その間に、おさんの親元から、留守を預かるために真面目一方で堅物の手代の茂兵衛が送られてきて、これにお玉が恋をする。しかし、この大経師は、京都きっての遊び人四天王の一人で、男色・女色なく昼夜の別なく遊び暮らし、芝居の後、水茶屋・松尾に並んで道行く女を品定めして、その時見た13か14の超美少女・今小町ぞっこん惚れて、果敢にアタックして嫁にしたのが、このおさん。「花の色はこれにこそあれ、いたづら者とは、後に思ひあわせ侍る。」とは、正に浮世草子で、西鶴の表現が冴えている。
方や、近松の方は、以春が、お玉をものにしようと追っかけまわして、毎夜のように、屋根から出窓伝いにお玉の寝所を訪れる(しかし、成功しない)好色な男として描かれていて、宮中出入りの表具師も形無しである。
おさんを遣うのは、人間国宝の文雀で、相手の茂兵衛は、一番弟子の和生で、ぴったり呼吸の合った師弟コンビ。それに、お玉の清十郎に、道順の玉女が加わって重厚な舞台を作り上げている。
この時、以春が、おさんを少女妻(西鶴では14歳くらい)として迎えていたので、当時はまだ17歳と言うのだが、文雀が遣うと、品格のある格式高き大店のお内儀と言う感じになり、どうしても、匂うような色香まで漂ってくるいい女の雰囲気となり、舞台を圧倒する。
ところで、ことの起こりの二人の契りの場だが、人形浄瑠璃と言っても、極めて濃蜜。
狸寝入りのおさんが、揺り起こされて目覚めた振りをして「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サァこれこそ』と頷けば」で、相手の確認は、この頭巾がすべて。真っ暗な中で「その手をとって引き寄せて、肌と肌とは合ひながら・・・」 綱大夫の名調子が冴え渡る。
漆黒の闇で何も見えない筈なのだが、そこは人形浄瑠璃であるから、二人の濡れ場は映画以上にリアル。堅物の茂兵衛故に初心なのか、肩肘立ててじっと動かずに添い寝する茂兵衛に、おさんの方が、茂兵衛の首に手を回して身を起こしてしがみ付く。文雀のおさんは、息づいている生身の女なのである。
静かに衝立が移動して二人は夢の中へ。
「旦那お帰り」の声に起こされて、行灯の光で見合はす夜着の内 「ヤァおさん様か」「茂兵衛か」で我に返り、驚愕した茂兵衛は、柱にもたれて棒立ちになって天を仰ぎ おさんは、がっくりと蹲って顔を覆う。
茂兵衛はともかくとしても、おさんの方は、相手が違っていることくらいは分かる筈だが、それを言えば、近松の世界もぶっ壊しになるので野暮は止めよう。
西鶴の物語では、相手が初めてではないのを知って恐れをなす。しかし、目覚めてことを知ったおさんに真相を知らされて、死を覚悟して愛に目覚めた茂兵衛は、以春が留守の間、情熱のままに行動し、おさんも寝所に通う茂兵衛を拒まず、二人は破局の恋に突き進んで行く。二人で参詣した石山で琵琶湖に心中したと装って丹波路へ愛の逃避行をするのだが、出入りの栗売りの通報で捕まって粟田口の刑場で磔となる。
話としては、主人以春のお玉恋慕が蒔いた種で、少女のように幼い若妻の浅はかな振る舞いが仇となって生じた不義密通を、人倫に悖る罪としてのみ扱って、二人の心情には一切触れずに色恋抜きで、その罪びとを思う肉親の心情とその葛藤をテーマにした近松ものの方が、芝居としては上等かも知れないが、私は、西鶴の、人間の真実を描いた物語の方がはるかに好きである。
親友だった大石内蔵助の死を心から悼んでいた近松にとっては、このテーマの方が自然であったのかも知れないとは思うが、あまりにも閉塞感が強くて窒息しそうなのである。
おさん茂兵衛の恋の話で長くなってしまったが、この近松の物語で核となるのは、やはり、「岡崎村梅龍内の場」で、お玉が縛られて太平記講釈師の伯父梅龍宅に送られて来た後、お玉を心配して逃避行のおさん茂兵衛が訪れて来て、そこへ、おさんの両親道順夫妻がやって来て出会う善人同士の心の会話の豊かさと情の世界である。
人形も上手いが、切々と語る住大夫の奥深い浄瑠璃の凄さは格別である。
冒頭の「大経師内の段」の切場が、人間国宝の綱大夫と清二郎の父子コンビで、次の「岡崎村梅龍内の段」の切場を、人間国宝の住大夫と錦糸が勤める極めて贅沢極まりない舞台で、文楽の醍醐味を存分に楽しませて貰った。
京都烏丸通りの大経師の妻おさんと手代の茂兵衛が下女お玉の仲介で密通し、1683年に処刑された事件を、その3年後に、井原西鶴が、好色五人女の「暦屋物語」として書き、33年後に、近松門左衛門が、「大経師昔暦」として人形浄瑠璃として書き上げた物語である。
ふとした過ちで起こった相手取替え不倫でも、西鶴は、愛欲に溺れた(?)人間的な二人の愛を主題にしているのに対して、近松は、夫婦もどきの逃避行ながら二人の関係は一度限りで貞節を守り、逃げて来た二人を慮り、また、助けようとするお玉の伯父梅龍や親の道順夫妻との人間の絆をテーマにした物語にしている、その差が面白い。
因みに、大経師とは、経巻・仏画などを表具する経師の長で、朝廷の御用を務め、更に、暦の発行を許可されていたので西鶴の「暦屋」でもあるのだが、非常に学識もあり格式の高い由緒ある職業で、おさんとて、大変なお内儀なのであり、手代との不義密通などと言えば大事件となるのも当然なのである。
お玉(西鶴では、りんだが、お玉で通す)が、茂兵衛(西鶴では茂右衛門だが茂兵衛で通す)に岡惚れなのは同じなのだが、更に、話を興味深くしているのは、おさんの夫大経師以春と下女お玉の扱い方である。
まず、二人の密通事件の仲立ちとなるお玉の役割。西鶴では、おさんが、茂兵衛に恋をしたお玉にラブレターの代筆をしてやったのだが、そのつれないふざけた返事に腹を立てて、偲んで来ると返事が来た時に、悪戯心を起こして懲らしめてやろうと、お玉と寝所を入れ替わる。ところが、宴会の後の疲れで不覚にも寝入ってしまって、あろうことか茂兵衛と契ってしまう。
一方、近松の方は、借金の身代わりのお礼にと、おさんがお玉を訪ねたら、毎夜、以春が夜這いして困ると訴える始末で、夫を懲らしめてやろうと、寝所を入れ替わる。其処へ、以春の印判の無断借用で窮地を救ってくれたお玉の愛に報いようと、茂兵衛が忍び込んで来る。外出先から以春の帰りを出迎える行灯の光が部屋に差し込み、二人は驚愕する。
一方、以春だが、西鶴では、江戸城の襖の表装出張で留守をしており、その間に、おさんの親元から、留守を預かるために真面目一方で堅物の手代の茂兵衛が送られてきて、これにお玉が恋をする。しかし、この大経師は、京都きっての遊び人四天王の一人で、男色・女色なく昼夜の別なく遊び暮らし、芝居の後、水茶屋・松尾に並んで道行く女を品定めして、その時見た13か14の超美少女・今小町ぞっこん惚れて、果敢にアタックして嫁にしたのが、このおさん。「花の色はこれにこそあれ、いたづら者とは、後に思ひあわせ侍る。」とは、正に浮世草子で、西鶴の表現が冴えている。
方や、近松の方は、以春が、お玉をものにしようと追っかけまわして、毎夜のように、屋根から出窓伝いにお玉の寝所を訪れる(しかし、成功しない)好色な男として描かれていて、宮中出入りの表具師も形無しである。
おさんを遣うのは、人間国宝の文雀で、相手の茂兵衛は、一番弟子の和生で、ぴったり呼吸の合った師弟コンビ。それに、お玉の清十郎に、道順の玉女が加わって重厚な舞台を作り上げている。
この時、以春が、おさんを少女妻(西鶴では14歳くらい)として迎えていたので、当時はまだ17歳と言うのだが、文雀が遣うと、品格のある格式高き大店のお内儀と言う感じになり、どうしても、匂うような色香まで漂ってくるいい女の雰囲気となり、舞台を圧倒する。
ところで、ことの起こりの二人の契りの場だが、人形浄瑠璃と言っても、極めて濃蜜。
狸寝入りのおさんが、揺り起こされて目覚めた振りをして「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サァこれこそ』と頷けば」で、相手の確認は、この頭巾がすべて。真っ暗な中で「その手をとって引き寄せて、肌と肌とは合ひながら・・・」 綱大夫の名調子が冴え渡る。
漆黒の闇で何も見えない筈なのだが、そこは人形浄瑠璃であるから、二人の濡れ場は映画以上にリアル。堅物の茂兵衛故に初心なのか、肩肘立ててじっと動かずに添い寝する茂兵衛に、おさんの方が、茂兵衛の首に手を回して身を起こしてしがみ付く。文雀のおさんは、息づいている生身の女なのである。
静かに衝立が移動して二人は夢の中へ。
「旦那お帰り」の声に起こされて、行灯の光で見合はす夜着の内 「ヤァおさん様か」「茂兵衛か」で我に返り、驚愕した茂兵衛は、柱にもたれて棒立ちになって天を仰ぎ おさんは、がっくりと蹲って顔を覆う。
茂兵衛はともかくとしても、おさんの方は、相手が違っていることくらいは分かる筈だが、それを言えば、近松の世界もぶっ壊しになるので野暮は止めよう。
西鶴の物語では、相手が初めてではないのを知って恐れをなす。しかし、目覚めてことを知ったおさんに真相を知らされて、死を覚悟して愛に目覚めた茂兵衛は、以春が留守の間、情熱のままに行動し、おさんも寝所に通う茂兵衛を拒まず、二人は破局の恋に突き進んで行く。二人で参詣した石山で琵琶湖に心中したと装って丹波路へ愛の逃避行をするのだが、出入りの栗売りの通報で捕まって粟田口の刑場で磔となる。
話としては、主人以春のお玉恋慕が蒔いた種で、少女のように幼い若妻の浅はかな振る舞いが仇となって生じた不義密通を、人倫に悖る罪としてのみ扱って、二人の心情には一切触れずに色恋抜きで、その罪びとを思う肉親の心情とその葛藤をテーマにした近松ものの方が、芝居としては上等かも知れないが、私は、西鶴の、人間の真実を描いた物語の方がはるかに好きである。
親友だった大石内蔵助の死を心から悼んでいた近松にとっては、このテーマの方が自然であったのかも知れないとは思うが、あまりにも閉塞感が強くて窒息しそうなのである。
おさん茂兵衛の恋の話で長くなってしまったが、この近松の物語で核となるのは、やはり、「岡崎村梅龍内の場」で、お玉が縛られて太平記講釈師の伯父梅龍宅に送られて来た後、お玉を心配して逃避行のおさん茂兵衛が訪れて来て、そこへ、おさんの両親道順夫妻がやって来て出会う善人同士の心の会話の豊かさと情の世界である。
人形も上手いが、切々と語る住大夫の奥深い浄瑠璃の凄さは格別である。
冒頭の「大経師内の段」の切場が、人間国宝の綱大夫と清二郎の父子コンビで、次の「岡崎村梅龍内の段」の切場を、人間国宝の住大夫と錦糸が勤める極めて贅沢極まりない舞台で、文楽の醍醐味を存分に楽しませて貰った。