資本主義が、その発展によってか退歩によってかは別にして、世界中の経済社会が大きく変質し、地球環境の破壊や生活の安全安心を脅かすなど我々人類に脅威を与え始めて、企業の社会的責任を求められるなど、大きく転換を迫られている。
しかし、今や資本主義は、企業のあり方にしても、コンプライアンスが課題であったころから、企業の積極的な社会貢献が重視される段階を経て、新たな市場を創造して持続可能な開発を主導することが求められる段階、すなわち、社会企業家精神の発露によって創造的破壊を誘発して価値ある社会を作ろうと言う、そんな時代に突入したと言うのである。
「世界中には、病気や貧困、識字率の低さなど問題も多いが、どの時間単位で見ても、世界は少しずつ、確実に良くなっている。より健康に、より裕福に、より教育水準が高く、そして、より平和になっている。」と言うビル・ゲイツの論文からはじめて、17人の識者たちが、夫々の資本主義論を語っている。
しかし、決して現在の資本主義に対してペシミスティックになるのではなく、同じくビル・ゲイツが「私たちの務めは、イノベーションが正しい方向を目指すようにすることだ。」と指摘するように、ソーシャル・イノベーションを巻き起こすことによって、如何にして、新しい持続可能な資本主義を築き上げるか、その模索と試みを説いているのである。
最近、つとに話題となっている所得階層の最底辺のBOPをターゲットにしたソーシャル・ビジネスであるムハマド・ヤヌスのグラミン銀行などのような、これまでの資本主義では、市場とさえ考えられていなかった分野において、市場原理に基づいた手法で、低所得者層のニーズの把握、生産性や所得の改善、経済活動への参加などによってベンチャーとして事業を起こす社会企業家に焦点を当てて、資本主義の将来像を浮かび上がらせている。
この本では、ユース・スター・カンボジアなどの発展途上国での社会企業家活動のみならず、荒廃の危機に瀕していたブラジルのクリチバが、タイムダラーと称する地域通貨を創造してダイナミックな社会変化を興して復活を遂げた様子など色々な事例を詳細に論じて居て興味深い。
尤も、「世界のビジネスを変えた20のアイディア」においては、我々先進国において現実に機能している社会的責任投資、有機革命、環境改善商品、地域経済活性化事業、クリーン・テクノロジーなどを例証しながら、社会企業家精神の発露によるビジネスチャンスは、我々の経済社会の随所に存在することを示している。
前世紀において、企業に期待されていたのは、株主のために利益を出すこと、従業員のために職を提供すること、そして所在国に税金を納めることの三つだったが、今日では、この三つの「古典的な経済上の仕事」に加えて、過去20年間に、三つの新たな「現代的な経済上の仕事」、すなわち、環境責任、社会的責任、平和の推進が加ってきたと言う認識が重要なのである。
最早、環境保護や社会の規範を侵害しているとか、戦争行為から利益を得ているなどと言ったことが発覚して、非倫理的な企業だと看做されると、ブランドの失墜のみならず企業の命運さえ左右される時代になっており、企業行動に対する要求水準が極めて高くなっているのだが、逆に、この経済社会の変化が、新しい社会企業家的な広義のビジネスチャンスを生み出していると言うことでもあろう。
ところで、ここで論じられている社会企業家精神とは、
現実的かつ革新的で、市場原理に基づいた持続可能な手法を用いて、社会全体に恩恵を齎そうとする志向や発想で、先進国、途上国を問わず、世界各国の構造的欠陥の犠牲になっている数十億人の人々を優先的に考える姿勢だと言う。
いわば、社会企業家とは、ヴァージングループのリチャード・ブランソン的資質と、マザーテレサ的資質をうまく併せ持っているような人物で、新たな発想と考え方を採用して、そのアイディアにビジネスの原理を取り入れて現実的な形にして、人々の発想や従来の週間を変革し、社会システムを一新すると言うことである。
ここから私の話は飛躍するのだが、この本で論じられている社会企業家は、まず、企業や政府の行動を促すようなことはせず、市場原理を活用して、自ら行動を起こして問題解決を目指して成功を収めていると言うことである。
何故、こんなことに拘るかと言うことだが、民主党政権が、市場原理主義を糾弾して(原理と言うか、あるいは、行き過ぎが駄目なのかは判然としないのだが)、政府主導の、それも、政治家(二流と言われ続けていた政治家が何時時代をリードする一流になったのであろうか)主導の社会経済改革で、日本経済が改革復興出来ると唱え続けているのに対して、当初から疑問に思っていたからである。
私は、国民の平等と福祉を重視した厚生経済的なビジョンには元より賛成であるが、いずれの時代においても、経済社会を動かす原動力となるのは、市場原理が有効に機能して、個々の企業や個人が、クリエイティブな発想をフル活用してイノベーションを追及して新しい地球空間を生み出すダイナミズムだと思っている。
今、日本に必要なのは、あの形振り構わずに、戦後の廃墟から今日を築き上げた日本人の前方だけしか見ずに突っ走って来たダイナミックな企業家精神の復活であり、その再生活動の場・環境を、政府が作り出すべきであって、無為無策の下手な経済政策や指導誘導は、必ずしも役に立つとは思えないのではないかと言うことである。
しかし、今や資本主義は、企業のあり方にしても、コンプライアンスが課題であったころから、企業の積極的な社会貢献が重視される段階を経て、新たな市場を創造して持続可能な開発を主導することが求められる段階、すなわち、社会企業家精神の発露によって創造的破壊を誘発して価値ある社会を作ろうと言う、そんな時代に突入したと言うのである。
「世界中には、病気や貧困、識字率の低さなど問題も多いが、どの時間単位で見ても、世界は少しずつ、確実に良くなっている。より健康に、より裕福に、より教育水準が高く、そして、より平和になっている。」と言うビル・ゲイツの論文からはじめて、17人の識者たちが、夫々の資本主義論を語っている。
しかし、決して現在の資本主義に対してペシミスティックになるのではなく、同じくビル・ゲイツが「私たちの務めは、イノベーションが正しい方向を目指すようにすることだ。」と指摘するように、ソーシャル・イノベーションを巻き起こすことによって、如何にして、新しい持続可能な資本主義を築き上げるか、その模索と試みを説いているのである。
最近、つとに話題となっている所得階層の最底辺のBOPをターゲットにしたソーシャル・ビジネスであるムハマド・ヤヌスのグラミン銀行などのような、これまでの資本主義では、市場とさえ考えられていなかった分野において、市場原理に基づいた手法で、低所得者層のニーズの把握、生産性や所得の改善、経済活動への参加などによってベンチャーとして事業を起こす社会企業家に焦点を当てて、資本主義の将来像を浮かび上がらせている。
この本では、ユース・スター・カンボジアなどの発展途上国での社会企業家活動のみならず、荒廃の危機に瀕していたブラジルのクリチバが、タイムダラーと称する地域通貨を創造してダイナミックな社会変化を興して復活を遂げた様子など色々な事例を詳細に論じて居て興味深い。
尤も、「世界のビジネスを変えた20のアイディア」においては、我々先進国において現実に機能している社会的責任投資、有機革命、環境改善商品、地域経済活性化事業、クリーン・テクノロジーなどを例証しながら、社会企業家精神の発露によるビジネスチャンスは、我々の経済社会の随所に存在することを示している。
前世紀において、企業に期待されていたのは、株主のために利益を出すこと、従業員のために職を提供すること、そして所在国に税金を納めることの三つだったが、今日では、この三つの「古典的な経済上の仕事」に加えて、過去20年間に、三つの新たな「現代的な経済上の仕事」、すなわち、環境責任、社会的責任、平和の推進が加ってきたと言う認識が重要なのである。
最早、環境保護や社会の規範を侵害しているとか、戦争行為から利益を得ているなどと言ったことが発覚して、非倫理的な企業だと看做されると、ブランドの失墜のみならず企業の命運さえ左右される時代になっており、企業行動に対する要求水準が極めて高くなっているのだが、逆に、この経済社会の変化が、新しい社会企業家的な広義のビジネスチャンスを生み出していると言うことでもあろう。
ところで、ここで論じられている社会企業家精神とは、
現実的かつ革新的で、市場原理に基づいた持続可能な手法を用いて、社会全体に恩恵を齎そうとする志向や発想で、先進国、途上国を問わず、世界各国の構造的欠陥の犠牲になっている数十億人の人々を優先的に考える姿勢だと言う。
いわば、社会企業家とは、ヴァージングループのリチャード・ブランソン的資質と、マザーテレサ的資質をうまく併せ持っているような人物で、新たな発想と考え方を採用して、そのアイディアにビジネスの原理を取り入れて現実的な形にして、人々の発想や従来の週間を変革し、社会システムを一新すると言うことである。
ここから私の話は飛躍するのだが、この本で論じられている社会企業家は、まず、企業や政府の行動を促すようなことはせず、市場原理を活用して、自ら行動を起こして問題解決を目指して成功を収めていると言うことである。
何故、こんなことに拘るかと言うことだが、民主党政権が、市場原理主義を糾弾して(原理と言うか、あるいは、行き過ぎが駄目なのかは判然としないのだが)、政府主導の、それも、政治家(二流と言われ続けていた政治家が何時時代をリードする一流になったのであろうか)主導の社会経済改革で、日本経済が改革復興出来ると唱え続けているのに対して、当初から疑問に思っていたからである。
私は、国民の平等と福祉を重視した厚生経済的なビジョンには元より賛成であるが、いずれの時代においても、経済社会を動かす原動力となるのは、市場原理が有効に機能して、個々の企業や個人が、クリエイティブな発想をフル活用してイノベーションを追及して新しい地球空間を生み出すダイナミズムだと思っている。
今、日本に必要なのは、あの形振り構わずに、戦後の廃墟から今日を築き上げた日本人の前方だけしか見ずに突っ走って来たダイナミックな企業家精神の復活であり、その再生活動の場・環境を、政府が作り出すべきであって、無為無策の下手な経済政策や指導誘導は、必ずしも役に立つとは思えないのではないかと言うことである。