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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

台風一過のわが庭・・・一面に広がるブルーの露草

2008年09月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今度の台風は、日本の南岸を通過しただけなので、殆ど影響はなかったが、やはり、翌日の夕方には、爽やかな青空が現れて随分秋らしくなった。
   前夜の雨風に打たれて正体もなかった露草が、か弱い茎を一杯に広げて伸び上がり、少し遅い午後まで鮮やかなブルーの花を一面に咲かせていた。
   Dayflowerだから、朝顔と同じで、朝早く咲いて午後には萎んでしまう儚い命なのだが、青い夏草と言うのは、熱い夏には大変貴重で、爽やかな朝など、露などを受けて日に輝く姿は実に可憐で、何故だか、昔、子供の頃に、暑い日の林間などですっと横切る涼風に感激したあの頃を思い出させてくれる。

   先日、鬱蒼とした庭の雑草を刈り取って、少し見通しを良くした。南西のコーナーの所には手が回らなかったのだが、そこに残っていた露草がきれいに咲いていたのである。
   露草は、元々雑草であるし、長くてか細い茎をどんどん伸ばして広がるので、引っ張れば一網打尽に引き抜けるので、非常に駆除しやすい草花なのだが、私は、この露草の風情が好きなので、毎年、意識して一部を残して、鮮やかで可憐なブルーを楽しんでいる。
   意識して庭に残す花は、すみれとこの露草だけだが、露草の方は、いくら完全に引き抜いても、翌年、またどこからか庭一面に生えてきて花を咲かせる。
   
   柔らかくて薄い花弁が3枚、上の2枚は鮮やかなブルーだが、下に向く1枚は小型の白色。細く真っ直ぐに伸びて上にそりあがった一本のメシベ、それに沿うように2列縦隊に並んだ六本のオシベ。
   2本づつオシベの形がまちまちで不正形なところが面白い。
   花は、ハート型の葉を二つに折り曲げた袋のような所から茎を出してその先に咲いているのだが、受粉したメシベだけが残って袋に隠れて肥大し始め、次に待機していた新しい花が咲き出す。その繰り返しなのか、袋の中には実がいくつか大きくなり始めており、咲いている花の先には小さな蕾が付いていて、それらが袋の中で数珠状に並んでいる。
   この口絵写真のように、同時に二つの花が咲く双子花は、四葉のクローバーのように少ないのだが、時々現れることがある。

   この露草の青い葉っぱをつぶすと青い液体が採れ、絵の具代わりに使えるようだが、退色するので下絵を描く時に使うと言うことで、今でも京都の友禅の下絵に使われていると聞く。
   雑草にしておくには惜しいような風情のある花だが、ほっておけば地面を這ってどんどん広がり、何か障害物があればその上に這い上がり無秩序に広がり続ける非常に行儀の悪い草花であり、朝のほんの僅かな時間しか命のない儚い花であり、幸いなことに、消えてなくならないので珍重して大切に栽培することもないのであろうか。
   花言葉事典を調べると、露草の花言葉は、「尊敬」「小夜曲」「なつかしい関係」と言うことのようだが、私のイメージとはしっくりこない。
   なつかしいと言う雰囲気には合っているが、誰との関係がと自問すると優しい風情が一挙に吹っ飛んで行ってしまう。

   話は飛ぶが、今、私の庭に咲き乱れているのは宮城野萩。
   数年前に他へ移植した筈だったが、根が残っていたのかいつの間にか生い茂るまでになって、今、えんどう豆やスイトピーのような形の(マメ科だから当然だが)赤紫の花を一面につけてたわわに枝を広げている。
   ムラサキシキブの実も、鮮やかな紫色に色づいてキャビアのように光り輝いている。
   混み合っているので、花木や草花の植え替えをあまりしないので、毎年変わり映えのしない姿の繰り返しなのだが、精一杯風や空気を感じながら季節によって微妙に変化して行く植物達の風情を楽しんでいる。
   訪れてくる昆虫や蝶、野鳥たちとの交歓を見ているのも面白い。

   椿の実が落ち始めたので、摘んだら大変な数になった。
   木の大小にもよるが、天賜、玉之浦、小磯、紅妙蓮寺、白羽衣、岩根絞と言った主に一重で、八重でも蘂がハッキリしている花には、昆虫や小鳥が良く訪れるので実が多くつく。
   本当は、自然の受粉であるからどのような雑種になっているのか、種蒔して花の咲くのを待つのも楽しみだが、とにかく、そんな鉢が沢山あるので今年はどうするか考えている。
   偶々、曙椿に2つ実が付いたので、これは、楽しみに種蒔して育ててみたいと思っている。
コメント
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