熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ベルリン国立歌劇場・・・ワルトラウト・マイヤーのイゾルデ

2007年10月17日 | クラシック音楽・オペラ
   NHKホールに、ベルリン国立歌劇場のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(ダニエル・バレンボイム指揮)を観に出かけた。
   私の最大の関心事は、ワルトラウト・マイヤーのイゾルデを聴くことであった。
   終幕直前の「愛の死」は、正に圧巻で、双眼鏡を離さずにマイヤーの表情をずっとアップで鑑賞していた。
   最愛のトリスタンの死を看取って放心状態で歌いだすが、神々しいサウンドに溺れて行きながら法悦の喜びに浸る恍惚の表情の何と美しいこと、少しづつスポットライトがフェーズアウトして幕となると万雷の拍手であった。

   私が、一番最初に「トリスタンとイゾルデ」を観たのは、もう、40年以上も前になるが、バイロイト・オペラが大阪のフェスティバル・ホールで公演をした時で、全く、クラシック音楽鑑賞をゼロからスタートしたところだったが、給料の一か月分近い価格のチケットを買って出かけたのである。
   その前に、カール・ベーム指揮のバイロイト公演のレコードが出たので買って来て何度も聞き返して予習をしてから出かけた。
   主役は同じで、トリスタンがウォルフガンク・ウイントガッセン、イゾルデがビルギット・ニルソン、同じかどうか知らないが、大阪では、マルケ王は、ハンス・ホッターが歌い、指揮はピエール・ブレーズで、オーケストラはNHK交響楽団がピットに入った。
   演出は、ワーグナーの孫のウィーラント・ワーグナーで、非常にシンプルなモダンなセットで、三原色の微かな照明を使って殆ど何も見えないような暗い舞台から、全編最初から最後まであのこわく的なワーグナーサウンドの中から歌手の声が湧きだして来るような荘厳に近い凄い舞台であった。

   私は、ウィントガッセンとニルソンの第二幕の延々と続く螺旋階段を少しづつ上り詰めていくような限りなく美しい「愛の二重唱」に圧倒されてしまい、そして、最後のニルソンの「愛の死」に痛く感激し、何故こんなに魅惑的な音楽をあの革命家で身持ちの悪かったワーグナーが作曲出来たのか、不思議でたまらなかった。
   ニルソンのあのような凄いソプラノをその後殆ど聴いたことがないが、今回のマイヤーに、ニルソンの思い出をもう一度と思って出かけたのだが、ドラマチック・ソプラノと言っても本来メゾ・ソプラノなので、声の質なのか一寸印象は違ったが、素晴らしいイゾルデで満足して帰って来た。

   今回の舞台の演出は、明るくてマイヤーの演技や表情が良く見えて、それに、その心算で聴いていたので、流石に東西随一のワーグナー歌いの素晴らしさは格別で、実に繊細かつ性格描写と言うか表現力が豊かで改めてイゾルデを見直した感じであった。
   舞台では歌いながらの表情なのできつい感じがしたが、カーテンコールで現れると中々綺麗な歌手だと思って見ていた。
   レパートリーは、ワーグナーが多いようだが、カバレリア・ルスティカーナのサントッツアやフィデリオのレオノーレなども歌うようである。ジョセフ・ヴォルピーの『史上最強のオペラ』を読んでいると、メトロポリタンでは、カルメンがイメージに合わなくて、メイヤーに悪いことをしたとヴォルピーが反省しているところがあったが、今では、持ち役であるらしい。
   何れにしろ、ワーグナー歌いは強烈な声量をそれも長時間要し、それに、抜群のテクニックを要求されるので大変であろうが、先のMETでドミンゴと共演したボイトも凄いが、ギネス・ジョーンズやヒルデガルト・ベーレンスなども素晴らしかったと思っている。

   ところで、今回のベルリン国立歌劇場だが、ベルリンの壁崩壊の前に一度出かけて、ホフマン物語だったか、観た事がある。
   この劇場は、ブランデンブルグ門の向こう側の東ベルリンにあって、当時はヴィザがなければ、夜中までに西ベルリンに帰ってこなければならず、オペラが跳ねたら急いで電車に乗って国境を越えたのを覚えている。
   確か、西ドイツマルクで払ったと思うが可なり安かった。
   別な日に、やはり東ベルリンにあったコミッシェ・オペラで「魔弾の射手」を観たが、軍隊スタイルの演出でビックリした。
   こんなことを思い出しながら、渋谷のNHKホールをあとにした。

   
   
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