熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

時事雑感・・・(2)日本の政治の昨今について

2007年10月09日 | 政治・経済・社会
   アゲハチョウが、ひらひら飛んできて、何故か、ツゲの葉に止まって小休止した。
   翅も大分傷ついて欠けていて、盛りを過ぎているので一寸かわいそうだが、カメラに収めた。
   日本のチベットと言われる千葉のトカイナカなので、幸い住宅街の外れでもあり、わが庭にも、色々な鳥や蝶等小さな生き物が訪れてくれるのだが、その姿を眺めながら、まだ、自然環境、エコシステムが健在であることを感じて喜んでいる。
   可愛がっていたシーズーのリオが居なくなってからは、近くの小川や田畑の土手などを歩くことも少なくなって、公園なども花の写真を撮るためにたまに出かける程度になって、自然との関わりが少なくなっている。

   (日本の政治の昨今について)
   坊ちゃん内閣の安倍政権が1年で消え、呉越同舟で安全パイを求めて集合した自民党員で選ばれた、理想も思想も殆ど不透明で何も分からず、日本の将来ビジョンさえハッキリしない福田首相の内閣が始動して一ヶ月弱。
   東大の国際政治学者で、文化人タレントから政治家になって益々意気軒昂な桝添大臣だけが突出して目立っている福田内閣だが、ご祝儀相場か世論調査では、50%以上の支持を得たと言う。
   殆ど何の本質的な変化もないのに世論調査が異常にアップダウンするのは、タレントの人気投票と同じで国民の無定見の極み。政治のノック青島現象である。

   激動している国際情勢にも殆ど関わらずに、相変わらず、太平天国を決め込んでいる日本。相撲協会がけしからんだとか、松井が打った打たなかったと言うニュース(?)は仔細漏らさず、ワールドシリーズや日本シリーズがどうだこうだとメディアが嬉々として克明に報道している国だから、
   政治の方も、最近は、社会保険庁の悪行や事務所経費の処理に1円以上の領収書添付の必要性云々など末梢的な問題ばかり議論していて、日本のあり方、日本の将来についてなどといった基本的な重要問題は政争の具にさえならない。

   安倍政権の不幸の一因は、小泉内閣の極端な政策と舵取りの強引さによって日本の経済社会が大きくスキューしたことによる後遺症をもろに受けて、その対応に苦慮しながら躓いたことにあると思うが、題目だけに終わったものの、戦後レジームからの脱却や憲法改正、教育制度の改革など重要な問題に国民の意識を向けさせた点は評価すべきかも知れない。

   安倍内閣の改革で、不満なのは「国家公務員法」のごり押し改正で、政官癒着の不幸な過去から脱却出来なかったことである。
   国家公務員法改正によって「官民人材交流センター」が設置されることになっているが、根本的な問題は、日本の経済社会において天下りが良いのか悪いのかの1点に尽きる。
   結論は、天下りがない方があるより良いことは陽を見るより明らかで、天下りがあったことによって利権の温床を生み出し、日本の経済社会を大きくスキューさせ健全な機能を麻痺させてきた。

   官僚の知識や経験が欲しければ(利権がらみでなければ殆ど使い道も必要もない)、官民交流の極めて頻繁な欧米のように、「官製天下り用人材バンク」を通さずに、民間人並みにハローワークか民間の人材バンクを通じて、或いは、個人的なルートで就職活動をすればよい。
   私の経験でも、欧米では国家が絡むことなど聞いたこともないし、明治時代ならいざ知らず、国家が官僚の再就職を斡旋する特別な機関を設置するなど言語道断である。

   最近は、格差問題に視点が移って全く視界から消えてしまったが、国の基本法である憲法の見直しについては、如何なる政権であっても、或いは、如何なる時期においても、絶えず最重要課題として正面から取り組むべきだと思っている。
   平和憲法と言う誇るべき憲法であっても、占領下で産声をあげた憲法であり、この間、我々を取り巻く政治経済社会環境が革命的な変革を遂げ、我々日本人のあり方も価値観も大きく変わってきており、このような国家が岐路に立っている時にこそ、改めて国のかたち、日本国のあるべき姿を検討して、よって立つべき基本法をしっかりと確立すべきである。

   例えば、最も重要な生存権の問題だが、
   憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する と規定しているが、「働けど働けどわが暮らし楽にならざり」と言うワーキングプアーが益々増える一方で、格差が拡大し、日本の良き公序良俗、素晴らしい伝統文化や品格が危機に瀕している。
   この過酷な現実を如何に克服して正常軌道に戻すか、これこそ日本存亡の危機であり、これを考えずに日本の未来はない筈である。

   日本の政治も外交も、そして、国の方向も、揺れ動きながら定かでないのは、悉く憲法が曖昧な為。
   早い話が、平和憲法の根幹である前文と第9条の解釈にしても、世につれ人につれてゴムの様に伸びちじみし、テロ対策特別措置法に基づくインド洋での石油補給支援にさえその解釈に混乱を来たしている。

   平和平和と叫んでみても、すぐ傍に核兵器を保有し世界に恐喝外交を強いているならず者国家が存在し、世界各地には、テロが横行し、何時爆発しても不思議ではない紛争地域や火薬庫が至る所に存在するこの世界で、有事の際は、丸腰でどう対処しようとするのであろうか。

   日本が核兵器の準備をしていないとするならば、それは大変な驚きだとヘンリー・キッシンジャーが言っていたが、アメリカ自身、自分たちの安全確保が精一杯で、いくら日本が有事で危機に遭遇してアメリカに擦り寄っても、自分の国は自分で守れと突っぱねられるのが関の山であろう。
   第一、自分の国を自分で守れない、或いは、百歩譲って、自分で守るのが国際信義に反するので守れないと言うような国がこの地球上に存在しても良いのであろうか。
   そして、図体ばかり大きくて、厖大な武器を持ちながら封印して使えないと言いながら、安保理に入って一等国の仲間入りをして名誉ある地位を占めたいと言っても誰が信用して認めてくれるであろうか。

   何も、第9条を変えて正式に軍隊を持てとか、核兵器を開発しろと言う心算は毛頭なく、この厳しい現実の国際情勢を十分に検討・把握して、もう一度、根本から日本の国のかたち、あるべき姿を国際平和、恒久平和と言うフィルターを通して考えよう、そして、よって立つべき日本の理想とビジョンを叩き込んだ基本法たる憲法を作ろうと言うのである。
   これほど、21世紀の未来を志向した壮大な人類にとっての偉業はないと思っている。
コメント
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