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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・志らく「寝床」市場「らくだ」ほか

2018年10月16日 | 落語・講談等演芸
   今回の 第422回 国立名人会 は次の通り。

落語「明烏」 春風亭柳朝
落語「位牌屋」 柳家一琴
落語「寝床」 立川志らく
―仲入り―
講談「赤垣源蔵 徳利の別れ」 宝井琴調
曲芸 鏡味仙三郎社中
落語「らくだ」 柳亭市馬

   落語は、冒頭のまくらが面白いのだが、市場は、まくらなしに、直接「らくだ」を語り始めた。
   志らくもまくらを端折ったが、「寝床」は、下手な義太夫を聴かされる地獄の話だと言って、落語も同じで下手な落語も、これも地獄で、笑点でも、酷いのが居て、名前は言わないがと言って、三平の名前を上げて笑いを誘っていた。

   志らくの語り口は、時々、談志を彷彿とさせる。
   テレビや映画でも活躍している志らくの高座は、やはり、パンチが利いていてリズミカルで面白く、大家と番頭のやり取り、長屋の連中の右往左往、非常にビビッドで楽しませてくれた。
   私は、談志の高座を聴いたことはないが、WOWOWの特集やYouTubeなどで、随分聴いているので、頭にこびりついており、この談志のYouTubeの「寝床」も、癖のある語り口が多少気にはなるが、表情豊かで面白い。

   江戸時代には、義太夫は、一般人の教養と言うか高級な趣味であったのであろう。
   このように大店の旦那の義太夫好きが高じて、丁稚までが、出前途中に、次のような名セリフを口ずさんでいたと言うのであるから、面白い。
   「壷坂霊験記」のお里の”三つ違いの兄さんといって暮らしているうちに、・・・”
   「艶容女舞衣」のお園の”いまごろは半七さん、どこにどうしてござろうぞ、・・・”

   市場の高座には、結構出かけているのだが、今回の「らくだ」のように、本格的な落語を、みっちりと丁寧に語るのを聴いたのは、初めてである。
   この噺は、馬鹿馬鹿しいながら、あり得る話でもあり、夫々の人間模様が面白くて、やはり、落語協会の会長だけあって、聴かせて楽しませてくれた。

   札付きの乱暴者のらくだが、フグに当たって死んだと言うので、ほとほと困り抜いて手を焼いていた長屋の連中は大喜び。兄貴分の熊五郎が、兄弟分の葬儀を出してやりたいと思ったのだが、金がない。   
   上手い具合に屑屋がやってきたので、この屑屋を脅して、月番の所に行かせて、長屋から香典を集めさせ、大家から、酒と料理を出させ、八百屋から棺桶代わりに漬物樽を調達させようとするのだが、
   大家が断わったので、兄貴分は屑屋にらくだの死骸を担がせ、大家の家に乗り込んで行き、屑屋に「かんかんのう、きゅうれんすー」と歌わせて、死骸を文楽人形のように動かして踊らせたので、大家は恐怖に慄いて依頼に従い、八百屋もその話を聞いて即座に言うことを聞く。
   ところが、ここで噺が終わるのではなくて、兄貴分が、穢れ落としに屑屋に酒を強要するので、断り切れず飲み始めた屑屋が、酒乱と化して、主客逆転。 
   酔っぱらった二人は、剃刀を借りてきてらくだを坊主にして、漬物樽に放り込んで荒縄で十文字に結わえて、天秤棒を差し込んで二人で担ぎ、屑屋の知り合いがいる落合の火葬場で内緒に焼こうと運び込むのだが、途中で、樽の底が抜けて仏を落としてしまう。
   仕方なく死骸を探しに戻ると、途中で、願人坊主が寝ていたのを、酔った二人は死骸と勘違いして樽に押し込んで焼き場へ持って行き火を点ける。
   熱さで堪え切れなくなった願人坊主が 「ここは何処だ」 「焼き場だ、日本一の火屋(ひや)だ」 「うへー、冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯くれ」
   
   オチが、辻褄があっているのかどうか分からないのだが、二つのサブストーリーが入り組んでいるので、江戸に移ってから、後半の葬礼(ソウレン)に工夫が加わって、バリエーションが出来ているようである。

   「明烏」だけは聞いたことがなかったので面白かった。柳朝も名調子で上手い。
   日向屋の若旦那である時次郎は、難しい本ばかり読んでいる堅物で、困った父親が、札付きの遊び人の源兵衛と多助に、時次郎を吉原に連れて行くよう頼み込んで、「お稲荷様のお篭り」と騙して誘いだす。吉原では、二人は女に振られて散々だが、時次郎だけは、しっぽりと楽しんで朝を迎える。朝迎えに行った二人に、前夜遊郭だと知って慌てて帰ろうとした時次郎が、大門には見張りがいて、勝手に出ようとすると袋叩きにされると脅されたのを、逆手に取って、花魁に足を絡ませられて蒲団の中から出て来れず、「帰ろう」と言う源兵衛と多助に、「勝手に帰りなさい、大門で袋叩きにされるよ」。

   
   
   
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国立演芸場・・・国立名人会:小三治の「出来心」

2018年09月29日 | 落語・講談等演芸
   今日の「第421回 国立名人会」のプログラムは次の通り。

   落語 「黄金の大黒」 柳家三之助
   落語 「里帰り」 三遊亭吉窓
   落語 「質屋庫」 むかし家今松
    ―仲入り―
   落語 「禁酒番屋」 柳家はん治
   紙切り 林家正楽
   落語 「出来心」 柳家小三治
  
   とにかく、人間国宝小三治の高座のチケットを取るのは、至難の業。
   国立劇場ファンのあぜくら会員にしても、10日のチケット予約日には、インターネットで30秒間の勝負で、瞬時に完売してしまう。
   それはそれとして、今回は、予定時間を30分も越えての熱演で、名調子の泥棒の話「出来心」を語り切った。

   まくらで、世間は、78歳で、もうすぐ、79歳になる自分を年寄りと言う 
   と言ったら、付き人の女性に、
   20年前、78歳の人をどうお思いましたかと聞かれて、
   「めちゃめちゃジジイ、先が、可哀そう、だと思った」と答えたと言う。

   この頃、思い出す歌があると言って、歌い出した。
   渥美清の「泣いてたまるか」の歌である。

   天(そら)が泣いたら 雨になる
   山が泣くときゃ 水が出る
   俺が泣いても 何にも出ない
   意地が涙を・・・泣いて・・・泣いてたまるかヨ~・・・とおせんぼ

   58も78もないと言って、頚椎手術の話をして、右手で湯飲みを取り上げて、手術のbefor/afterを実演して見せた。

   物忘れが激しいことを嘆いた。今、一寸した前のことも分からなくなる。
   噺家も、特別ではなく皆と同じです。と言って笑わせた。

   今日は調子が悪い。皆さんんは不運だ。
   今日は泥棒の話だろ、話が決まっていると、自由を束縛されていて嫌だ。
   と言いながら、語り始めた。

   さて、「出来心」は、土蔵破りのつもりが、お寺の壁を破って墓地に入ったと言う間抜けな泥棒の話で泥棒の親分に弟子入りして、微に入り細に入り空き巣の手ほどきを受けて、捕まった時には、「80歳の母がいて、13を頭に5人の子供がいて、仕事がなくて生活に困って、出来心でやったので許してくださいと言えば、頑張れと言って1万円くらい貰えるかもしれない」と教えられて、留守宅を探して空き巣稼業に出る。
   頓珍漢を重ねながら、格子が開いている家があったので、上がり込んで上等のたばこがあったので吸って、お茶を飲んで、美味い羊羹を三枚重ねて頬張っていると、途端に2階から声が掛かってビックリした弾みに羊羹が喉に引っかかって七転八倒、出て来た主人に背中を叩いてもらい、親方に教えてもらった通りに「この辺に、サイゴベエさんは居ませんか」、「それはワシだ」、泥棒は、面食らって、下駄を忘れて玄関から飛び出す。
   次に、貧乏長屋に辿り着き、一番奥の長屋に忍び込んだが、部屋には空き家だと勘違いしそうなぐらい何もなく、腹が減ったので、鍋にあったおじやを美味そうに食べていると、家人の八五郎が帰ってきたので、逃げ場がなく、あわてて泥棒は縁の下にもぐりこむ。
   八五郎は、泥棒に入られたことを知って、家賃を払えずに困っていたので、「泥棒に入られ金を持っていかれたから」と家賃を免除してもらおうと考えて、 家主を連れて来る。
   八五郎からインチキ事情を聞いた家主は、「被害届を出すから」と何を盗られたのかと質問するのだが、八五郎は、元々、何もなかったので、口から出まかせで、家主が羅列した「泥棒が盗って行きそうな物」を総て盗られたといって羅列するのを、家主は調子を合わせて記録する。
   そこへ、隠れていた泥棒が出てきて、「出来心」と謝り、逃げていた八五郎も詰問されて、「ほんの出来心」。

   小三治の「出来心」は、YouTubeで聴けるが、30分のバージョンでは、真ん中の「サイゴベエ」の話が省略されていて、今回は、45分の完全バージョンを語った。
   若い頃のパンチが聞いた語り口とは趣が違ってきているが、しみじみとした滋味深い語り口が感動的であった。
   羊羹を頬張って咽て苦しむ様子や美味しそうにおじやをかき込む仕草など、国宝級の芸の輝き、
   とにかく、淡々と語る風情にも人間性が滲み出ていて清々しい。
   
   泥棒の落語は、結構、色々あるようだが、上方落語の「盗人の仲裁」が、江戸落語化した「締め込み」が面白い。
   泥棒は自分の金をそっくり博打ですった職人にやる「夏どろ」
   ヘボ碁試合に入れ込む碁の好きな泥棒の噺「碁どろ」

   落語だから笑っておられるが、実際に泥棒に遭遇すると恐ろしい。
   
   
   
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国立演芸場・・・上方落語会

2018年08月25日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場のプログラムは、「上方落語会 春之輔改メ 四代目 桂春團治襲名披露公演」

   演題は、次の通り。
   落語 笑福亭べ瓶   時うどん
   落語 桂三若     宿題
   落語 桂きん枝     悋気の独楽
    ―  仲入り  ― 
   口上 桂春團治 三笑亭夢太朗 桂きん枝 桂三若
   落語 三笑亭夢太朗   目黒のさんま
   落語 春之輔改メ四代目 桂春團治  親子茶屋

   面白かったのは、桂三若の「宿題」。
   なかなかの美男子で、表情豊かにパンチの利いた語り口が秀逸。
   この三若が、口上の司会役も務めたのだが、上手い。
   「宿題」は、今様家庭劇を題材にした師匠文枝の新作落語で、三若は、オリジナルの短縮バージョンで熱演。

   小学6年生のはじめが、塾の宿題を持って帰って来るのだが、難しくて分からない母親は、仕事で疲れて帰ってきた父親に教えてやってくれと振る、算数の文章題で鶴亀算である。
   月夜の晩数えてみると、鶴と亀を合わせて16匹、足は44本、鶴と亀は何匹ずつでしょうかと言う問題で、x、yを使えば簡単に解けるのだが、小学生であるから、加減乗除の筆算なので、頭の問題であり、慣れない親は途惑って即答できない。
   翌日も、その翌日も、同じような文章題を宿題に持って帰って父親を悩ますので、頭にきた父親は、塾に怒鳴り込みに行く。先生は、「わかりました、もう難しい問題は出しません」。何でそう言えるんだと突っ込む父親に、「お父さんの学力の程度がわかりましたから」。

   Youtubeで、文枝のオリジナル・バージョンの高座を見ると、この部分は、きん枝の高座には抜けているのだが、翌日、父親は会社に行って、部下の京大を出た新入社員に聞くと、即答して計算の仕方まで教わるのだけれど、まだよくわからないのだが、急に部下に優しくなる。
   子供の能力や生活程度に合わせて子供のカリキュラムを考えると言うことのようだが、親も親としてのメンツがあって、夫婦や親子の対話や受け答えが、非常にビビッドで面白い。
  あの山中伸弥教授でさえ、お嬢さんが高校生の時に、数学の問題を聞かれたのが答えられなくて、「お父さんは京大教授でしょ。」と言われたと本に書いていた。
   

   桂きん枝は、色々な武勇伝の多い波乱万丈の人生を歩いてきた名うての上方の噺家とかで、来年、桂派の由緒ある名跡で師匠の前名である「桂小文枝」を継ぎ、「四代目 桂小文枝」を襲名する予定だとか、はりきっている。
   阪神の大ファンだとかで、まくらに、阪神ファンの常軌を逸した派手な行状をひとくさり。
   口上での、歯に衣を着せないきん枝の語り口が面白かった。
   
   この「悋気の独楽」は、何回も聞いている落語で、お馴染みだが、元々、上方オリジナルの話で、東京で演じられると少し話が変わっていて面白い。
   きん枝の語り口は、ウィキペディア記載と殆ど変わらないバージョンで、丁寧に語っていて面白い。
   妾宅へ通い詰める主人に気づいた妻が、お伴の定吉に白状させる話で、面白いのは、定吉が持っている3つの独楽(主人、妻、妾)で、妻と妾の独楽を回して、後から真ん中に主人の独楽を回して、近づいた方に主人が泊ると言うことなのだが、何度回しても、主人独楽は。妾独楽になびいて行く。「あ、御寮人さん、こら、あきまへんわ」「なんでやの?」「へえ、肝心のしんぼう(心棒/辛抱)が狂うてます」。
   独楽は、取って付けたような話だが、女性の嫉妬をテーマにした噺とかで、面白い。

   三笑亭夢太朗の「目黒のさんま」と 桂春團治の「親子茶屋」、
   合わせても30分ほどの高座。
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国立演芸場・・・一龍斎貞水の講談「累」ほか

2018年06月23日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場の 第418回 国立名人会 は次の通り。
   チケットは早くからソールドアウト。

講談「馬場の大盃」 一龍斎貞友
曲独楽 三増紋之助
落語「中村 仲蔵」 三笑亭夢太朗
― 仲入り―
講談「累」 一龍斎貞水
制作協力:(株)影向舎

   人間国宝・一龍斎貞水の立体怪談「累」、
   薄暗い舞台には、お化けの出そうな墓場の幽霊屋敷を模した装置が設営され、中央に、苔むした講釈台が置かれて、貞水が座っていて、講談のストーリー展開や情景に合わせて、照明が変化し効果音が加わって、オドロオドロシイ実際の現場を見ているような臨場感と怖さと感じさせる立体的な舞台芸術。
   語りながら百面相に変化する貞水の顔を、演台に仕掛けられた照明を微妙に変化させて、スポットライトや色彩を変化させて下から煽るので、登場人物とダブらせて、凄みを見せる。
   暗闇の舞台の破れ提灯や行燈が微かに揺れて光を帯び、行燈が割れてドクロ首が飛び出し、寂びれた障子に幽霊の影が映ったり、人魂が宙を舞ったり、最後には、累(かさね)の亡霊が障子を破って飛び出す。

   主人公の累は、顔が醜いために夫に殺されて、怨霊となってとり憑く女の物語。
   怨霊は、化けて自由自在に登場して、復讐して恨み辛みを晴らすと言う特権を持っているので、どんな手を使ってでも、いくらでも悪を挫き正義の味方面が出来る虚構の世界の住人。この、いわば、庶民にとっては、無残に夢を絶たれて逝った悲劇の主人公が救世主のような蘇って留飲を下げてくれるのであるから、怖いけれど面白い。この逆転パラドックスが、怪談の良さかも知れない。

   さて、記憶が確かなら、「累」の話は、
   下総国岡田郡の百姓・与右衛門は、後妻のお杉の5才の連れ子を邪険に扱って、誤って川に溺れさせて、棒杭に顔を打ち付けて醜い顔になって土座衛門として上がってきたのだが、それが祟って、その後生まれた娘累もよく似た事情で、片足が悪くて醜い顔になって成人したのだが、息倒れで倒れていた流れ者の谷五郎を甲斐甲斐しく看病し、両親の死後、二代目与右衛門として婿に迎えて跡を継がせる。しかし谷五郎は、容姿の醜い累を殺して別の女と一緒になる計画を立て、累の背後に忍び寄って、川に突き落とし、必死に縋る累を残忍な方法で殺す。その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、次々と死んでしまう。頑健な後妻・きよとの間に、娘菊が生まれたが、累の怨霊が現れて、少女になった菊を責めさいなむ。 
   最後は、弘経寺の祐天上人が累の解脱に成功するのだが、オドロオドロシイ累(後に、かさね)の怨霊の凄まじさに圧倒される。

   累ものとして、歌舞伎など色々作品はあるようだが、この累の死体が上がったところを累ヶ淵と言うようで、三遊亭円朝も、怪談噺「真景累ヶ淵」を作っている。
   落語の圓朝ものも、当然、立体落語になるであろう。
   歌丸の圓朝ものでも、効果音が入ったり、趣向を凝らした高座もあったりで、面白いことがある。
   一度、円丈の高座だと思うが、立体落語を見た記憶があるが、落語に、幅と奥行きを感じて、非常に面白かった。

   一龍齋貞友の「馬場の大杯」は、伊賀上野の藤堂高虎の子息2代目大学守高次公の酒の相手をした侍の話。
   名調子で面白かった。
   アニメのちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんなどの声優なので、学校の公演に行くと、人気絶頂で、師匠を食うとか、貞水が語っていた。
   
   夢太朗の落語「中村仲蔵」は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の五段目の(二つ玉の段)で、与市兵衛の財布を奪って、「五十両ォ~」と一言喋るだけの斧定九郎を、名優の演じる役どころにした「中村仲蔵」の革新的な芸の編み出し逸話。
   歌舞伎ファンであり、よく知っている話なので面白かった。

   曲独楽の三増紋之助
   器用な曲芸師だが、真剣の切っ先に独楽が移動する瞬間に、独楽を落としてしまった。
   わざとではないと思うが、やり直して成功、客は、むしろ、両方を見られて大喜び。
   後に高座に上がった、夢太朗が、万が一の失敗を枕に語っていたら、袖から、三増紋之助が飛び出してきて抗議したので、客席爆笑。
   
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国立演芸場…6月花形演芸会

2018年06月19日 | 落語・講談等演芸
   6月の 第469回 花形演芸会 のプログラムは次の通り
      
落語「長短」 三遊亭楽天
曲芸 丸一小助・小時
落語「死ぬなら今」 三遊亭朝橘
上方落語「遊山船」 桂吉坊
―仲入り―
落語 「ちりとてちん」三遊亭圓楽
漫才 母心
浪曲「稲むらの火」 菊地まどか
宮本麗子=作 曲師=佐藤貴美江

   吉坊の落語と菊池まどかの浪曲を聞きたくて、出かけたのである。
   祖父がラジオで聞いていた浪曲が、私の最初の古典芸能への接触だが、別に好きでも嫌いでもなく、何の興味も湧かなかったのだが、最近、国立演芸場に通っていて、しばしば、聞く機会があって、面白いと思い始めたのである。
   それに、最近、女流の落語家など古典芸能で、女性芸人の活躍が目覚ましく、一寸、雰囲気のある芸を楽しめるので、注目しており、若くて綺麗なまどかが、新作ながら、あの有名な和歌山の「稲むらの火」を演じると言うのである。

   まず、吉坊の「游山船」
   天神祭りで賑わう夕暮れ時、喜六と清八の二人連れが、浪花橋の上から大川を見下ろして、賑やかに行きかう夕涼みの屋形船を見下ろして、無学な喜八が少し学のある清八に挑む頓珍漢な会話が世間離れしていて、実に面白い落語。
   喜六がボケで清八がツッコミと言う、正に、上方漫才の落語バージョンと言った感じで、テンポの速い小気味よい吉坊の畳み掛けるような大阪弁の語り口が秀逸。
   御大人が、芸者や舞子、太鼓持ち、料理人を従えての屋形船の模様を存分に聞かせて、最後は、
   碇の模様の揃いの浴衣を着て派手に騒いでいる稽古屋の舟に見とれた清八が、
   「さても綺麗な錨の模様」と呼びかけると、舟の上から女が「風が吹いても流れんように」
   感心した清八が、喜六に「お前のとこの嫁さんの”雀のお松”は、あんな洒落たことよう言えへんやろ」と言ったので、頭にきた喜六が、家に帰って、嫁さんに、無理に、去年の汚い錨模様の浴衣を着せて盥に座らせて、屋根の天窓に上がって声を掛けようとするのだが、どう見ても汚くて絵にならないので、
   「さても汚い錨の模様」 洒落た嫁はんのこたえは「質においても流れんように」

   殆ど内容のない噺で、毒にも薬にもならない人畜無害の落語だが、正に、語り手の話術の冴えが光る高座で、Youtubeで、ざこばや笑福亭松鶴の「游山船」が聞けて面白いが、吉坊のパンチの利いた爽やかな落語を楽しませて貰った。

   菊地まどかは、アラフォーの大阪市出身の浪曲師、演歌歌手。
   このタイトルの「稲むらの火」は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震の津波の時に、紀伊国広村の庄屋濱口儀兵衛(梧陵)が、自身の田にあった収穫直後の稲藁に火をつけて、村人たちを安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし誘導して助けたと言う実話をもとにした話で、小泉八雲が、「A Living God」として著わしており、有名な逸話である。
   30分弱の菊地まどかの名調子が、感動的であった。
 
圓楽は、歌丸の必死で高座を務める様子を笑いに紛らわせてまくらに語っていたが、心の交流があったればこそ、優しさがホロリとさせる。
   あまりにもポピュラーな「ちりとてちん」
   芸の年輪を感じさせて面白かった。

    三遊亭楽天も三遊亭朝橘も、圓楽一門会のメンバー。
   三遊亭楽天は、元ダンサーと言う特異なキャリアーで、02年の入門と言うから、落語歴は新しくて二つ目だが、既に、大物の風格のある堂々たる語り口。
   三遊亭朝橘 の「死ぬなら今」は、阿漕な商いで巨万を築いた伊勢屋の旦那が死んで、閻魔庁へ出頭して、閻魔大王ほか、冥官十王、赤鬼、青鬼など居並ぶお偉方に賄賂を握らせて天国行き。代々の伊勢屋の遺言で「地獄の沙汰も金次第」が定着して、その悪事が露見して、地獄の鬼たちお偉方は、すべて、天国にしょっ引かれて、地獄は空っぽ。「死ぬなら今」だと言う噺。
   三遊亭朝橘の話術の面白さが、冴えて楽しませてくれた。
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国立演芸場・・・立川流落語界初日

2018年05月26日 | 落語・講談等演芸
   「立川流落語会」の初日を聞きに行った。
   この日は、ソールドアウトであったのだが、前には、談春と志の輔の登壇した日に行ったのだが、今回は出ておらず、志らくと談笑、談四楼を聞きたいと思って、 先に予約を入れていたのである。
   
   プログラムは、次の通り。

   25日(金)
   落語「真田小蔵」  只四楼
   落語「松竹梅」 立川三四楼
   落語「たらちね」 立川志ら玉
   落語「幇間腹」 立川こしら
   落語「短命」 立川志らく
   ―  仲入り  ―
   落語「粗忽長屋」 立川談笑
   落語「大安売り」 立川左平次
   江戸の唄 さこみちよ
   落語「一文笛」 立川談四楼

   日大のアメフトがホットニュースであったので、マクラに日大。
   志らくは、開口一番、日大出身ですと言うと、「頑張れ!」と掛け声。
   辛辣な日大風刺の後、談志の声音で、談志の逸話をひとくさり、
   談志の公演の5千円のチケットが、ヤオフクで、8万円となったと聞いて、チケットを買って(当然来ている筈の)聞きに来たお客さんに、後悔するような噺をするからと言って、ひどい話だったとか。
   談笑は、高座を降りた後、布団返しに登場した只四楼の後から駆け込んできてタックル、舞台を横滑り。

   これとは、違うが、さこみちよが、江戸の唄で、しっぽりとした艶唄の合間に、子供に、
   「嘘ばっかりついてると、首相になっちゃうよ」
   粋な唄いにかまけて、もっと、これまでに、人生いろいろ、忖度しておくべきだったとも。

   談四楼は、日大の学長の会見について語り、
   理事長は出てこないが、保釈金を払って鴨池は出てきて、首相は逃げた・・・
   マクラを、早々に切り上げて、「一文笛」を人情噺風に情感豊かに語っった。

   さて、志らくの「短命」
   色っぽくて器量よしの伊勢屋の娘のところへやってきた婿養子が、入れ替わり立ち代わり、3人も死んだと言う話を隠居のところへ持ち込んだ八五郎が、何故だと聞く。隠居は「伊勢屋の婿たちは房事過多で死んだのだろう」と言いたいのだが露骨には言えないので、それとなく匂わせて語るのだが、解せぬ八五郎が頓珍漢の受け答え。身をくねらせて色っぽい仕草で説く志らくの説明が秀逸。”ご飯なんかを旦那に渡そうとして、手と手が触れる。白魚を5本並べたような、透き通るようなおかみさんの手だ。そっと前を見る。……ふるいつきたくなるような、いい女だ。……短命だよ”
   茶碗を渡すときの指と指の触れあうシーンを再現したくて、家に帰った八五郎が、嫌がるがらっぱちの女房に命令して、飯を持った茶碗を受け渡しさせるが、女房の顔を見て、「ああ、俺は長命だ」。
   ウィキペディには、隠居が、以下のような川柳で説明を試みると書いてあるのが面白い。
   その当座 昼も箪笥の環(かん)が鳴り
   新婚は夜することを昼間する
   何よりも傍(そば)が毒だと医者が言い

   この「短命」は、これまでに、何度か聞いているのだが、夫々の噺家によって、バリエーションがあって面白い。

   「一文笛」は、はじめて聞く落語だが、米朝の新作落語だと言う。
   それも、スリを主人公とした「情けが仇になる」と言う噺だが、しみじみとした人間の弱さ優しさが滲み出ていて、可笑しさの中に温かみを感じて面白い。

   スリの親分が、商家の旦那の腰に下げた煙草入れをネタに財布を掏った鮮やかな手口を、手下に開陳して指導しているところへ、足を洗った兄貴分がやって来る。
   兄貴は、このスリの軽はずみが子供の命を危うくしてしまったと語り始める。
   このスリが、駄菓子屋の前で、一文の笛が買えないみすぼらしい子供が、店の老婆に追い払われているのを見て、自分の子供時代を思い出して可哀相になって、駄菓子屋から笛を失敬して子供の懐へ入れた。子供が懐の笛をピーピー吹いたので、老婆は、笛を盗んだなと思って、浪人になっている病気の親のところへ連れてきて怒った。元武士なので、盗人をするような子供に育てた覚えはない出て行けと叱ったので、子供は泣く泣く井戸に身を投げた。
   命は取り留めたが、医者には大金が掛かるが、病気の親にはそんな金はなく、長屋中探しても無理で、子供が可哀相だと思うなら何で一文の金で笛を買って子供に与えなかったのか、それを盗人根性と云うんだ。子供が死んだらどうするんだ?と叱りつける。兄貴。堪忍してくれと、匕首を出して右手の人差し指と中指を落とし、もうこれで盗人やめると言う。子供はまだ生きていて入院に金が要ると聞き、その後、酒屋の前でいい酒を飲んでいる医者の所へ行って、ぶち当たって懐から金を奪う。
  兄貴。何にも云わずにこの金使ってくれ。どうせ医者に戻る金だ。
  指を二本落としたのにまだこう云う仕事が出来るのか? わしはギッチョ。

   知らなかったが、流石に、米朝の作であり、胸にジーンと響く人情噺が、素晴らしい。
   好々爺然とした丁寧で味のある談四楼の語り口が、素晴らしかった。

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国立演芸場・・・歌丸の「小間物屋政談」

2018年04月15日 | 落語・講談等演芸
   酸素吸入器をつけての歌丸の高座だが、体調とは裏腹に、相変わらず、溌溂とした凛とした名調子で、マクラは程々に、45分、「小間物屋政談」を語りきった。

   ここ二三日、天候不順で、低気圧になると、非常に息苦しくなって、酸素の量を増しているのだと言うのだが、本人が可愛い男と言っていたように、肩が角ばってはいるものの、観かけ上は、殆ど、病人には見えないほど元気である。

   この「小間物屋政談」だが、5年前に、この国立演芸場で、歌丸の名調子を聴いている。
   ストーリーは、
   京橋五郎兵衛町の長屋に住む背負い小間物屋の相生屋小四郎は、大坂へ行商に行く途中箱根の山中で、追剥にあって身ぐるみ剥がれて縛られていた芝露月町の小間物屋・若狭屋の主人である甚兵衛を助ける。病弱の甚兵衛は、一両と貸し与えた藍弁慶縞の着物を着たまま亡くなってしまい、江戸に帰ったら妻に返してくれと名前と所書を残していたので、検視に来た大家に小四郎が死んだと間違えられる。行商を終えて帰ったところ、大家の計らいで、女房お時は、既に、同業の三五郎と結婚していて、覆水盆に返らず。腹を立てた小四郎は、奉行所へ訴え、名奉行大岡越前守のお裁きを受ける。若狭屋甚兵衛が亡くなっているので、後家でお時とは比較にならないいい女のおよしと夫婦となり、若狭屋の入り婿として資産三万両を引き継ぐ。オチは、「このご恩はわたくし、生涯背負いきれません」「これこれ。その方は今日から若狭屋甚兵衛。もう背負うには及ばん」

   こう言うしみじみとした味のある人情噺を語る歌丸の姿は、正に、神々しいように輝き、いつも感動しながら聴いている。
   これ程功成り名を遂げた歌丸でありながら、語り口は、何の奇もなく衒いもなく、非常に丁寧に優しく実に明瞭なので、聴いていて、非常に爽やかなのである。
   歌丸の高座では、圓朝ものが多いのだが、「ねずみ」「井戸の茶碗」「紺屋高尾」「竹の水仙」と言った人情噺も聴いていて、私など、通の人は、どう聴いているのか分からないが、とにかく、歌丸の話芸がどうと言う前に、話に引きずり込まれて聴き入っている。

   この日のプログラムは、
   桂游雀 四段目
   桂米助 もう半分
   桂米多朗 ちりとてちん
   桂枝太郎 源平盛衰記
   春風亭昇也 動物園
  
   米團治の「四段目」は、いのししの前足と後ろ足が、藤十郎と仁左衛門で上方歌舞伎だが、游雀の「四段目」は、菊之助と菊五郎で江戸歌舞伎の世界。
   刀を振り回して暴れている定吉に、主人が、お櫃を「御前」と差し出しだすと、「待ちかねたぞ」
   仕事をほっぽりだして歌舞伎に入れ込む丁稚がいたとは面白いが、怒った主人に、二階に閉じ込められた丁稚が、「働き方改革」を主張するところは、時流であろうか。

   「もう半分」は、初めて聴いたが、怪談噺である。
   ちりとてちんは、全編飲んで食べる仕草の連続で、何時観ても、シチュエーションに合わせて顔の表情を無茶苦茶に崩しての熱演で、面白いが、器用でないと難しいであろう。
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国立演芸場・・・国立名人会:柳家喬太郎の「ハワイの雪」ほか

2018年03月21日 | 落語・講談等演芸
   今回の第416回 国立名人会 のプログラムは次の通り

   落語「錦の袈裟」 柳家喬之助
   落語「夢の酒」 入船亭扇辰
   上方落語「しじみ売り」 林家染二
      仲入り
   浪曲「狸と鵺と偽甚五郎」 玉川奈々福 曲師:沢村美舟
     国友忠=作 玉川奈々福=補綴
   漫談 寒空はだか
   落語「ハワイの雪」 柳家喬太郎

   この名人会で、興味深かったのは、染二や喬太郎の落語にしろ、奈々福の浪曲にしろ、しみじみとした人情噺とも言うべき味のある物語が語られたことで、私などこのような話の方が面白く、楽しませて貰った。

   まず、喬太郎の「ハワイの雪」は、自作の新作落語とか。
   雪深い上越高田に、何年も浪人と留年を重ねて、コロンビア大新潟分校(?)で学んでいる孫娘めぐみと住んでいる留吉のところへ、幼馴染で子供の頃に結婚を約束していた、今、ハワイに住んでいる千恵子の孫ジョージ藤川から、そろそろお迎えが近く留吉留吉と言い続けていると言うairmailが届く。
   商店街の腕相撲大会で、優勝すれば、ペアのハワイ往復航空券がもらえると言うので、85歳以上のディープシニアの部に出場して、恋敵で積年のライバルであった酒屋の清吉の粋な計らいで優勝して、めぐみとハワイに飛んで行き、千恵子と涙の再会を果たす。
   手を握って昔を懐かしみながらしみじみと語りながら再会を喜んでいるところに、ハワイには珍しい雪がちらちら舞い降りて、掌に降った雪をかき集めて二人で、幼い頃に一緒に雪かきをしようと言った約束を果たす。次に同じ土地に同じ年周りにに生まれてきたら必ず所帯を持とうと語る。
   千恵子は静かにあの世に旅立つ。

   留吉が土産に、保冷剤を10も詰め込んで持ってきたのが、高田の雪、
   空っぽになっていたのが泣かせる。

   そんな話だったと思うのだが、大学生のモダンギャルの冴えた会話とじいさんの世間離れした対話が、いわば、語り部的な役割を果たしていて、25分ほどの今様人情噺で、喬太郎の語り口は抜群に上手く感動的である。
   英語が書いてあったレターを、めぐみは、エスペラントなどと言う死語になったような言葉を習っていて英語が分からないと言うのも面白いが、フリガナが打ってあると言うのが何とも言えないギャグ。
   ハワイで、めぐみが、ブロークン英語で語りかけたら、父が落語好きでレコードを聞かされ続けていたと言って、ジョージは、べらんめえ調の江戸弁で受け答えしたのでビックリ。
   雪深い上越高田と常夏のハワイを雪で美しくつないだところが良い。
   歌舞伎の「じいさんばあさん」のしみじみとした舞台を思い出して、感慨深かった。

   染二の「しじみ売り」は、上方落語で、今宮神社の10日戎の日に、12~3歳の幼い子供が、貧しい出で立ちで寒さに堪えて、しじみを売っており、親方は、それを買って事情を聞くと、売れっ子芸者の姉が居て、入れ込んだ若旦那は勘当されて、二人は商売を始めたが失敗し、病身の母を養うために、しじみ売りをしていると言う。
   この親方は、姉夫妻が、安治川で心中しようとしていたのを、集金してきた金を全部与えて助けた本人でもあるのだが、幼いしじみ売りにも、お母さんにと言って2両与え、しじみ売りは意気揚々と天秤棒を担いで帰って行く。
   やはり、関西弁で聴く人情噺は、何となく、温かさが増すような気がする。

   ところで、江戸落語になると、この親方が、茅場町の魚屋和泉屋次郎吉親分、裏では義賊の鼠小僧次郎吉と言うことになって、噺はよく似ているのだが、登場人物や場所は関東に代わる。

   入船亭扇辰の「夢の酒」は、若旦那が夢で、さる家の軒下を借りて雨宿りをしていると、女中が見つけて、歳の頃24~5のいい女が現れて、呼び込まれて酒を進められて酔った弾みに怪しくなる、と言った話をおかみさんにしたらおおむくれ。
   おかみさんに泣きつかれて、そのいい女を探して意見をするべく、寝かされた酒好きのおやじも同じような夢をみて・・・
   とにかく、扇辰のおかみさんやいい女の語り口や品の作り方など、女性そっくりと言うか臨場感たっぷりで、目の動きなど顔の表情は、ビックリするほどで、色気さえん感じさせて秀逸である。

   喬之助の「錦の袈裟」は、何回か聞いている噺。
   町内の若い職人衆が、吉原に遊びに行き、妓楼で、錦のふんどしで芸者たちの度肝を抜こうとして乗り込むのだが、抜け作の与太郎が、妻の入れ知恵で、お寺の和尚さんから錦でできた袈裟を借りてきて締めて行き、あの一行はお大名、今の華族さまに違いなく、前に輪がついたふんどしの、一番おっとりした人がお殿さま、と間違われた与太郎は大もて。
   早朝に返却すると約束して借りた袈裟で、花魁が「今朝は返さない」と言うので、「お寺をしくじっちゃう」。
   吉原に言ってよいかと女房の許しを求める与太郎も与太郎で、全くたわいもない噺だが、上方落語の「袈裟茶屋」を吉原遊廓に置き換えた江戸落語とか、とにかく、喬之助の名調子が冴えている。

   玉川奈々福 曲師:沢村美舟の浪曲「狸と鵺と偽甚五郎」が素晴らしかった。
   上智を出た魅力的な才媛の奈々福が、私の浪曲のイメージを 完全に変えてしまった。
   浪花節と言う感じの歌うような語り口はメインだとしても、会話調のパートは、完全に落語家と変わりなく、熱中すると、綺麗な相好を崩しての熱演で、非常によく分かり、日本古典芸能の奥深さを感じて興味深い。
   三味線の美舟は、美人曲師。
   文楽の太夫と三味線とは、また違った芸のコラボレーションで、正に、語りの伴奏と言う域ではなく、二人の演者が、同時に語り演じている感じで、迫力が凄い。

   ストーリーは、
   江戸の大工留五郎が、信州滞在の甚五郎に弟子入りしようとやってくると、本陣宿に、物の怪が祟っているので厄落としに鵺の像を彫れば10両与えると言う張り紙を見て、甚五郎がすでに滞在していると言う。
   恐る恐る弟子入りを願い出ると、その甚五郎は、和泉村の与平という百姓で、貧窮して、娘を売ろうとしたが、貼り紙を見て金欲しさに甚五郎を騙った、代わりに鵺を彫って助けてくれと懇願されて、止む無く引き受ける。そこへ、母親狸を助けてもらったお返しにと子狸がやってきて鵺に化けたので、急いで逃げ去る。 そこへ、留五郎と子狸が座っていた切り株のところに、宿を断わり続けられていた汚い爺いがやって来て、この切り株に見事な鵺を彫って立ち去る。これが本物の甚五郎で、粋な巨匠の伊那路のいたずらだと言ういい話。

   流石に国立の名人会。3時間の束の間だが、楽しませて貰った。
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国立演芸場・・・圓朝に挑む!

2018年02月26日 | 落語・講談等演芸
   江戸歌舞伎で、上方歌舞伎とは一寸雰囲気が変わった作品を観ることが多いのだが、好き嫌いがあって、例えば、鶴屋南北の作品よりも、圓朝の作品の方が好きである。
   同じ怪談や怪奇模様の演目でも、圓朝の方が、少し、人間味があるような気がするからである。
   それに、圓朝は、落語で聴くことが多い所為もあろうと思う。
   尤も、猟奇じみた江戸歌舞伎よりも、まだ、上方歌舞伎の近松の心中物の方が良い。

   久しぶりに圓朝特集の落語を聴いた。
   国立演芸場の”2月特別企画公演「圓朝に挑む!」”である。
   演目は、
   落語「下女の恋」 林家彦丸
   落語「豊志賀の死」 橘家圓太郎
     ― 仲入り ―
   落語「霧隠伊香保湯煙 ~後編~」三遊亭圓馬
   落語「怪談 乳房榎 ~龍の腕~」三遊亭萬窓
   
    萬窓の「乳房榎 ~龍の腕~」は、おきせ口説きから、早稲田の料理屋、落合の蛍狩りまでの物語で、丁度、中段である。
   しかし、以前に、このかなり長い圓朝の「乳房榎」を、一時間ほどのダイジェスト版に仕上げた歌丸の高座を聴いており、その名調子に聞き入って、圓朝の怪談の醍醐味を味わった。
   歌丸の語り口は、怪談であっても、非常にしみじみとした温かみのある人情味を感じさせる感動的な高座なのだが、萬窓は、直球勝負の正統派の語り部と言う感じで、滔々と淀みなくぐいぐい引っ張り込む語り口が爽やかである。
   正介の台詞や表情など役者以上で実に上手い。

   萬窓の語ったストーリーは、
   絵師:菱川重信の妻・おきせに惚れた浪人磯貝浪江は、重信に弟子入りして、師の留守中に仮病をつかって泊まり込み、子供を殺すと脅迫して関係を結び、おきせをものにする。それに飽き足らない浪江は、師を惨殺することを思いつき、重信が制作中の南蔵院を訪問して、下男の正介を馬場下の料理屋に誘い,酒を飲ませ,叔父甥の約束をさせて,正介を殺すと脅して、重信殺しの手伝いを約束させる 。正介は,重信を落合の蛍狩りに連れ出し、薮に隠れていた浪江が重信を斬り、正介も木刀で撲って、浪江が止めを刺す。正介が、南蔵院に重信が襲われたと報告に戻ると,重信が寺の本堂に居て、残っていた最後の女龍の腕を描き上げると姿を消す。
    
   最初は、浪江の卑劣さに泣いたおきせだが、浪江の要求が重なるにつれて情が移り、おきせの方から誘い込む・・・圓朝は、こう語っていますが、と言って、
   ある生命保険会社の調査では、80%の主婦が、来世では、今の夫とは結婚したくない、更に、50%が、夫の顔も見たくない(この表現だったかどうか定かではないのだが、要するに、関わるのも嫌だと言うことであろうか)と言う事だったと語って、笑わせていた。

   以前に、長谷川嘉哉氏の認知症に関する興味深い話を聞いて、このブログに、「妻は旦那を忘れ、旦那は妻を忘れない!」を書いた。
   長谷川先生によると、男性は、「妻取られ妄想(=嫉妬妄想)・・妻を所有?」に陥って、妻が浮気していないかどうか気になって仕方がないと言うことらしい。すなわち、男は妻を自分の所有物だと思っているので、それを失いたくないと言う気持ちが強くて、妻のことが絶えず気にかかる。
   私には、そんな意識はないし、気にはしないが、次の女性への指摘は、身近な知人を見ていてよく分かる。
   すなわち、女性の場合には、「物取られ妄想・・具体的な物事に拘る」と言う症状が現れて、財布がなくなったとか誰かに取られたと言った妄想が起きて来るらしいが、元より夫を自分の所有物だと言う意識はないから、取られても取られなくてもそれ程気にならないし、夫のことなどは、すぐに忘れてしまうので、居なくなっても心配なく、先立たれた後は、むしろ、伸び伸びと暮らせるのだと言う。のである。
   妻が夫に執着しないのなら、案外、モーションをかければ、憧れのマドンナにお近づきになれるかも知れないと友が言ったのだが、そうかも知れない。

   さて、
   歌舞伎では、最近、八月花形歌舞伎の「怪談乳房榎」で、2度鑑賞しており、夫々、浪江が獅童、お関が七之助、正助が勘九郎と言うキャスティングで、ニューヨークでも脚光を浴びたと言う作品で、非常に面白かった。
   生身の歌舞伎俳優が演じると、落語と違って、当然だが、もっとリアルで臨場感がある。

   圓馬の「霧陰伊香保湯煙」は、足利の機屋の茂之助に見受けされた芸者お滝とその情夫の松五郎の二人が、次々と名前を変え,悪事を重ねて行く物語で、今回は、中段の「伊香保から四万温泉」にかけての物語。
   圓朝の噺は、長くて錯綜していて、登場人物が多くて、とにかく、噺を聴いているだけでは、ストーリーを追うだけでも大変である。
  この噺は、青空文庫にも収載されていて読めるのだが、飛ばし読みでも、難しい。

  圓太郎の「豊志賀の死」は、長編「真景累ヶ淵」の一部であるが、噺が悲惨。
   「豊志賀の死」 は、男嫌いなはずの豊志賀が、世話を焼いてくれる若い男新吉と深い仲に陥るのだが、皮膚病に苦しみ始めると、嫉妬と憎悪に苛まれて、耐えられなくなった新吉が離反し哀れな最後を遂げると言う噺で、男女の仲への色模様、恋に溺れる豊志賀に対する弟子の長屋連中の離反、若い弟子お久の登場と新吉との仲の邪推、等々、微妙な話が絡まって面白いのだが、救いようない噺である。

   彦丸の「下女の恋」は、三遊亭圓朝が「春雨・恋病み・山椒のすりこ木」を題に作った三題ばなしの、春雨だと言う。

   圓朝の噺の登場人物は、私には理解できないようなキャラクターが大半だが、フッと、何を生きがいに生きているのだろうと思うことがある。
   とにかく、オチのつく普段の落語と違って、圓朝ばかりの落語を続けて聞き続けるのも面白い。
   
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銀座ブロッサム・・・桂米團治独演会

2018年01月15日 | 落語・講談等演芸
   昨年秋の上方落語が面白かったので、このブロッサムの「桂米團治独演会」のチケットを予約していた。
   国立演芸場へは、何十回と通っているが、他の劇場や寄席で落語を聞く機会は殆どないので、このような大衆化した古い中劇場での高座は、何となく異質であった。
   桂慶治朗の「みかん屋」と桂ひろばの「狸の化け寺」があったが、米團治が、「七段目」「花筏」「天王寺詣り」の3席を、今年は年男で、年末には還暦を迎えると言いながら、愉快に語り続けた。

   いつもは、マクラに、偉大な大先輩の父親を持ったバカボンの悲哀を語るのだが、この日は、まず、近くの歌舞伎座の前を通ってきて、高麗屋三代の襲名披露公演の賑わいを見たと言って、落語界では、三代続くのは珍しいと、正蔵三平を話題にした。
   親が偉いと、その息子は、エエカッコしいで、自分も、人には大盤振る舞いしながらも、裏では牛丼を食べていたと言う。
   話が、不倫騒ぎで、開き直ればよいのにと、逃げ隠れしている会長の文枝の話になり、上方落語協会の理事会が、開かれる筈なのに開かれない、副会長の自分としては困っている、相撲協会と落語協会とどっちが問題なのか、などと語って、笑いを誘う。
   トランプと同じで、普通なら、知られずに済む話でも、有名になれば、マスコミの餌食になって揶揄されるのだが、世間は、それ程気にしているようには思えない。

   昭和33年12月20日が誕生日で、今年は還暦、
   この年建ったのが、333mの東京タワー、長嶋茂雄が巨人に入団して背番号が33、
   天王寺の聖バルナバ病院に、入院した産気づいた母が、一週間しても出産せず、その上逆子、本来なら帝王切開なのだが、すべては神の思し召し・・・
   生まれた赤子は泣かないので吊り下げたら、かすかにフギャー、
   8割は育たないと言われたのだが・・・
   父親は、米朝らしい・・・とにっこり。

   あの偉大な日野原重明先生でさえ、京大在学中に結核にかかり休学して、約1年間闘病生活を送ったと言うのであるから、人生、分からないものである。
   
   さて、米團治の高座だが、
   「七段目」は、以前に聴いている。
   しかし、同じ歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の「七段目」だが、ところどころ場面やシーンを変えて語っており、身振り手振り、芝居や声音の上手さ巧みさ、丁稚定吉との平右衛門とお軽兄妹の会話が秀逸である。

   「花筏」は、国立能楽堂で、桂南光の高座を聴いていて面白かったので、よく覚えているのだが、同じルーツの語りなので、反芻の面白さと、南光の庶民性土俗性と米團治のスマートさと言ったキャラクターの差が出ていて、楽しませて貰った。

   「天王寺詣り」は、初めて聞く落語だが、去年、この天王寺に行って、あのあたりを散策して、このブログにも書いているので、土地勘なり雰囲気がよく分かる。
   能「弱法師」の舞台だが、正式名は「四天王寺」で、JRの天王寺駅にはないので、天王寺さんとして親しまれている寺ながら、大阪人でも、良く知らない人が多いと、米團治は語り始める。
   愛犬を供養するために、連れ立って四天王寺に行き、犬の引導鐘をつく噺である。
   四天王寺界隈の賑わいや露店や庶民の声、西門あたりから石の鳥居、五重塔、亀の池などの境内ガイド、僧侶の読経等々、内容のそれ程ある話ではないのだが、非常にバリエーションに飛んだ語り口の豊かさ落差の激しさなど、正に、聞かせて笑わせる噺で、還暦とは言えども壮年期のエネルギッシュなパワー充満の米團治の面目躍如たる高座で、面白かった。
   残念ながら、米朝の高座を聴いたことがないのだが、やはり、親子なのであろう、米團治の語り口が、ビデオやYoutubeで観ている米朝とダブるのを感じて、まだまだ、2~30年は続くであろう米團治の更なる飛躍成長を実感して興味深かった。

   サゲの後、改まった米團治が、一丁じめと米朝じめで、観客の手を拝借して幕が下りた。
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国立名人会・・・小三治の「千早振る」

2018年01月07日 | 落語・講談等演芸
   正月の国立名人会は、2日から毎日やっていて、7日は千穐楽。
   東京に住んで居れば、毎日でも行きたいのだが、今年は三が日はまずダメで、4日と5日は箱根へ行き、6日は国立能楽堂に行ったので、この千穐楽の、小三治の高座を聞きたくて出かけて行った。
   勿論、チケット取得は30秒の勝負で、大変であった。

【7日(日)1時】の公演プログラムは、次の通り。
寿獅子  太神楽曲芸協会
落語 「 謎のビットコイン」 柳家花緑
奇術    ダーク広和
落語 「豊竹屋」       古今亭志ん輔
漫才    すず風にゃん子・金魚
落語  「松山鑑」      林家正蔵
       ~仲入り~
落語 「身投げや」     五街道雲助
落語 「親子酒」       柳家小さん
紙切り   林家正楽
落語 「千早振る」     柳家 小三治

   今回は、小三治は、市井の我々の世界には縁のない「記憶にございません」と言う言葉が、昨年から現れ始めたなどと、知っていることを知らないと言う世相を揶揄しながら、短いマクラで切り上げて、「千早振る」を、たっぷり、30分語った。

   「千早振る」は、「百人一首」の在原業平の「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を、奇天烈な解釈で笑い飛ばすと言う噺で、
   「先生」と呼ばれている隠居に、八五郎が、娘に小倉百人一首の在原業平のこの歌の意味を聞かれて答えられないので聞きに来たのだが、全く知らない隠居が、相手の無学を良いことに、苦し紛れに口から出まかせ、いい加減な物語をでっちあげる。

   女断ちをして5年の修業の後大関に上り詰めた「竜田川」が吉原へ行って、花魁の「千早」に一目ぼれしたが、千早に力士は嫌いだと振られて(「千早振る」)妹分の「神代」も嫌だときかない(「神代も聞かず竜田川」)。
   落胆した竜田川は力士を廃業して、実家に戻って家業の豆腐屋を継ぐ。5年後、成功した竜田川の店に零落して女乞食に身を持ち崩した千早太夫が訪れて来て「おからをくれ」と言ったので、激怒した竜田川は、千早を思い切り突き飛ばした。千早は吹っ飛んでしまい、井戸に落ちて死んでしまう(「から紅(くれない)に水くぐる」)。
   八五郎は、大関が失恋くらいで廃業するかとか天下の花魁が乞食になって地方を彷徨うかと言ったり、おかしいと思って抗弁するのだが、隠居に押し切られるので、それでは最後の「とは」は何だと突っ込むと、隠居は、とっさの苦し紛れに、千早は源氏名で、彼女の本名が「とは(とわ)」だと逃げる。
   竜田川を川と思うか、そう思うのが畜生の浅ましさ・・・と大上段に振り被って、隠居の奇想天外な講釈が展開されるのだが、いくら無学と言っても半信半疑で聞きながら、チャチャを入れながらの二人の会話を、至極真面目な調子でユーモアたっぷりに語る小三治の語りが、実に味があって面白い。

   おからを渡そうと零落した千早太夫を見た時に、”互いに見交わす顔と顔・・・”
   このところに差し掛かると、小三治はあらたまって、口調のトーンを変えての名調子、
   私など、仮名手本忠臣蔵の七段目の寺岡平右衛門の台詞を語り始めるのかと思って聞き耳を立てたら、浪花節・・・
   それに、投げ飛ばした千早太夫が、何も食べていないので、風船のようにあっちこっちにぶつかって飛びまわると言う話も面白い。

   この「千早振る」は、2年前のこの小三治の名人会で、桂文楽で聞いており、面白かったのを覚えている。
   また、Youtubeで、小三治の「千早振る」が見られるが、少し若い頃の動画で、雰囲気が大分違っていて興味深い。

   千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
   からくれなゐに 水くくるとは
      在原業平朝臣(17番) 『古今集』秋・294
   と言う歌だが、百人一首講座によると、現代語訳は、
   さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。
   因みに、この舞台の竜田川は、奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある紅葉の名所だと言う川で、JR王寺駅から、奈良交通バスに乗って竜田大橋で下車と言うから、法隆寺のすぐ近くである。
   余談だが、このような真っ赤な紅色の紅葉は、奈良や京都では見たが、欧米や関東に移り住んでからは、一度も見たことがない。
   
   
   
   
   
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国立演芸場・・・国立」名人会:歌丸の「ねずみ」

2017年12月24日 | 落語・講談等演芸
   今日の「第414回 国立名人会」のトリは、歌丸の「ねずみ」。
   この「ねずみ」だが、これまでに、歌丸でも1回、正蔵で2回、入船亭 扇遊で1回、聴いているので、お馴染みであり、左甚五郎の落語は、「竹の水仙」「三井の大黒」ともども、心の琴線に触れる人情噺で、いつも、感動して聴いている。

   歌丸は、開口一番、2017年1月2日に誤嚥肺炎で入院、今年は良いことがなかった、家にいるよりも、病院にいる方が多かった、と話し始めたが、肺炎の方は良くなったが呼吸の方が困難で、鼻に呼吸器の管を通しての登壇であった。
   先日のNHKの「ファミリーヒストリー」で、同じような境遇の人が、100万人おり、力になるのならと登壇しているのだと円楽に語っていたと言うが、「執念」だけではなかろう、正に、脱帽である。
   随分小さくなった感じだが、今まで体重は最高でも50キロ、44~5キロ平均だったと言うから、元々、スマートなのであろう。
   体調は悪いのかも知れないが、高座に座れば、全くそんなそぶりは一切見せずに、矍鑠たる噺家スタイルで、絶好調の時と少しも違わない、瑞々しくパンチの利いた綺麗な語り口で、30分の予定を大きくオーバーして、50分、「ねずみ」を実に丁寧に、むしろ、今まで以上に感動的な熱演で、私など、2列目のかぶりつきだったが、涙が出るほど感激して聴いていた。
   噺家の中には、非常に素晴らしい芸人であって語り口が秀逸であっても、結構聞きにくい噺家がいるのだが、歌丸ほど、功成り名を遂げた噺家で、これほどクリアーに分かり易く綺麗に話す噺家は珍しいと思う。
   いつも思うのだが、この歌丸が、人間国宝でなくて、何が人間国宝なのかと思っている。

   この日のプログラムは、
   落語「親子酒」     桂文治
   落語「七段目」     桂小文治
   落語「阿武松」     桂米助
       ― 仲入り ―
   落語「親子酒」     桂文治
   落語「七段目」     桂小文治
   落語「蒟蒻問答」  滝川鯉昇
   歌謡漫談           東京ボーイズ
   落語「ねずみ」     桂歌丸

    桂米助は、テレビなどで見てはいたが、落語を聞くのは今回が初めてで、 落語「阿武松」 も初めてであった。
   面白い落語ではなくて、相撲取りの出世話だったけれど、大飯食いの話ばかりの印象しか残っていないのだが、講談話の方が、と思って聞いていた。
   桂文治の落語「親子酒」、桂小文治の落語「七段目」、滝川鯉昇の「蒟蒻問答」は、噺家も落語も、夫々、何度か聞いているので、語り口の違いなどを味わいながら楽しませて貰った。
   鯉昇は、ベテランのオーソドックスな噺で、年季の入った語り口を楽しませて貰った。
    文治の酒の飲みっぷりや酩酊して行く酒飲みの表情など実に上手く、小文治の仮名手本忠臣蔵の七段目の寺岡平右衛門やお軽の声音や舞台の表情など、本当に上手い。

   文楽の太夫の浄瑠璃語りにも思うのだが、噺家も、一人で、ナレーションから登場人物の総てを語りきる。その語り口の豊かさ奥深さ、その多様性に、びっくりしながら聞いている。
   

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国立演芸場:「復活円丈 文七元結」を聴く会

2017年12月23日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場の「12月特別企画公演」は、
   「復活円丈  文七元結」を聴く会

   演題は次の通り。
   落語  三遊亭わん丈  時そば
   落語  春風亭百栄   ホームランの約束
   落語  林家彦いち   長島の満月
   落語  柳家小ゑん   ぐつぐつ
    ― 仲入り ―
   落語  三遊亭白鳥   シンデレラ伝説
   落語  三遊亭円丈   文七元結

   新作落語の噺が多いのだが、聞いていた時は、それなりに面白かった。
   しかし、これを書いている現在、どんな話であったかはっきりと思い出せないくらいだから、私には苦手だし、余程の名作であるとか、意表を突いた話でないと駄目である。
   「ぐつぐつ」は、おでんのタネを擬人化して、ネタの立場に立って夫々のネタが恋をしたり心境を語る噺で面白いけれど、むしろ、小ゑんの熱演の方が印象的。
   「シンデレラ伝説」は、白鳥自身の作だが、忘れてしまって、師匠円丈のラジオ録音をダウンロードして思い出して演じることにしたと言う。
   創作落語(新作落語)では、桂文枝のが面白いと思う。

   円丈の「文七元結」は、圓朝原作で、円丈脚色。
   しんみりとした人情噺で、歌舞伎を見ても感動するし名作だと思う。

   円丈の名調子は、相変わらずだが、認知症上がりの復活公演であるので、演台を前に据えて台本を置いて、時々は、読みながらの熱演。
   しゃべり始めると調子が出て、何時もの語り口に戻るのだが、時々、どこまではなしたかなあ、とか、ページを飛ばして一挙に話が進んでしまうところが、ご愛敬である。

   満員御礼で、客席は沸いていた。
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国立演芸場…12月中席”三遊亭小円歌改メ二代立花家橘之助襲名披露公演”

2017年12月15日 | 落語・講談等演芸
   東京へ出て、時間を見て、国立演芸場に向かった。
   中席で、”三遊亭小円歌 改メ 二代立花家橘之助襲名披露公演”で、10日間連続公演なので、確か、相当空席があった筈だったので、直に劇場に行った。
   これまで、トリを取る圓歌の前に、三遊亭小円歌として登場する美人三味線漫談家として、浮世節と言うのか俗曲というのか、よく知らないのだが、粋な小唄を歌って楽しませてくれていたのだが、やはり、襲名と言えば、大したものなので、それに、トリであるから、聴いておきたいと思ったのである。
   知らなかったのだが、初代の立花家橘之助は、大した女流音曲師(女道楽)と言うことで、師匠は三遊亭圓朝で、落語家ではないのに、落語の寄席の主任(トリ)を常時とり続けたと言う。
   それに、舞台作品「たぬき」は、この立花家橘之助を主人公としたもので、山田五十鈴主演で、大変な人気であったと言うことで、橘之助もこの「たぬき」を演じ、襲名披露口上で、 吉原朝馬が、山田五十鈴に、一番太鼓を教えた逸話などを語り、本舞台でも、落語は語らず、「たぬきこぼれ噺」を語って盛り上げていた。

   二代立花家橘之助は、落語界一の美人で魅力的な女性であり、落語家たちがアタックしたが誰も成功出来なかったが、初代立花家橘之助は、男女関係が極めて派手で浮名を流し続けたので、襲名を機会に・・・と言って笑わせたら、二代立花家橘之助は、魅力的で良く語る流し目で、意味深に応えていた。
   私など、小粋な小唄を聞くような宴会などに殆ど縁がなかったので、このような立花家橘之助の舞台は、非常に新鮮で興味深いのだが、「たぬき」は、下座音楽も華やかで、このために特別出演した師匠級の 古今亭志ん陽が演じ、自ら、タヌキのぬいぐるみを着て舞台に登場して、二つ並べた木魚を器用に演奏し、腹鼓まで打って、 華を添えていた。
    浮世節から始まった二代立花家橘之助のトリ高座は、素晴らしかったが、花柳流日本舞踊の名取りと言うこともあって、何時ものように、今回は、特に意欲的に、玉三郎の向こうを張って、道成寺を踊って、観客を喜ばせた。

  今回の15日(金)1時の高座プログラムは、次の通り。
  新しく聞いた落語はなかったが、夫々、熱演で、楽しませて貰った。
  久しぶりに、女流落語家三遊亭歌る多を聴いたが、やはり、新鮮で面白かった。
  朝馬が、落語家で、美人No1は橘之助で、あの歌る多は、No3だと言ったら、楽屋で聞いていた歌る多が、舞台に出てきて横切ったので、No2だと、改めて笑わせていた。

  落語     三遊亭伊織  転失気
  落語     古今亭志ん陽 代書屋
  落語     五明樓玉の輔  宗論
  曲芸     翁家社中
  落語     三遊亭歌る多  変わり目
  落語     三遊亭歌司   抜け雀
        ―仲入り―
  襲名披露口上  伊織の司会で、朝馬、小さん、歌司
  落語    吉原朝馬   たぬきこぼれ噺
  落語    柳家小さん  たいこ腹
  浮世節   三遊亭小円歌改メ
          二代  立花家 橘之助  なぬき 道成寺

  
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国立演芸場・・・十一月国立名人会

2017年11月27日 | 落語・講談等演芸
   今月の「第413回 国立名人会」は、トリが上方落語の鶴光、東京ベースながら、上方落語と言うためかどうかは分からないが、いつもなら、早々にソールドアウトとなる「国立名人会」なのだが、直前まで、満員御礼ではなかった。
   私など、上方落語であるから、文句なく真っ先に予約を入れ、あの映画「後妻業の女」のバッタ屋のおやじの何とも言えない惚けた雰囲気を味わいたくて、楽しみながら出かけたのである。
   プログラムは、次の通り。
   落語「子ほめ」   立川談洲  
   落語「紋三郎稲荷」  柳家小せん
   落語「反対俥」      立川生志
   落語「一人酒盛」    柳家小里ん
        -仲入り-
   落語「愛宕山」      三遊亭 笑遊
   曲芸               ボンボンブラザース
   上方落語「竹の水仙」 笑福亭鶴光

   鶴光は、開口一番、客席を眺めて、「高齢化社会だんなあ」。
   女は長生きするので、奥さんを大切にせなあかん、運転手や、ウンソウ、ハイソウ。
   高齢化社会になると、脚光を浴びるのは、落語家で、定年がない。
   門戸は解放されているが、大切なことは、師匠を選ばなあかん、と言って、入門時代の逸話を語り始めた。
   入門の時、当時の四天王の一人松鶴に決めたのだが、直接訪問せずに、「入門を認めるなら○、認めないなら×」と書いて送ってくれと往復はがきを郵送した。勿論、返信など来るはずがないので、直接松鶴を訪れて弟子入りを直訴したのだが、師匠たる人物の名前の笑福亭の「笑」が「松」に誤っていたので、ドアホ!と怒られた。しかし、その時来ていたチラシも同じ間違いをしていて、プロでもこうだからと言うことで入門を許されたと言う。
   ところが、師匠の松鶴は、秋田の👹のような厳つい顔。母に、顔の怖いのは心が優しいと言われたのだが、心も顔と同様に酷く、絶対服従で、一寸したことでも殴られ続けて苦難の連続。
   面白いのは、青いマジックを買って来いと言われて、空色を買って帰ったら空色やないか、紺だと思って買って帰ったら空色が濃いだけやないかと言って拒絶したので、困って店主に言われて青系統のマジックを全部持って帰ったら、選んだのは、グリーン。これは、緑でんがな、と言ったら、信号は、あれが青やないかえ、と言ったと言う。

   こんなマクラを語っていたので、本題の左甚五郎の人情噺「竹の水仙」が長いのかと思ったら、端折ってはいないが、ほぼ、時間通り30分で終わった。
   3年前の年末名人会で、歌丸の「竹の水仙」を聴いているのだが、この時は、
   歌丸は、甚五郎の修業時代から、竹の水仙を献上して宮中よりひだり官の称号をうけた話や、三井家から運慶の戎像の対として大黒像の彫刻を依頼されて、その手付金30両で、今回の旅の序奏となる江戸への旅に出立する話など、40分しみじみとした味わい深い話術で楽しませてくれた。

   左甚五郎を主人公にした落語は、他に、「ねずみ」「三井の大国」がある。
   「ねずみ」は、歌丸で一回聴いており、正蔵でも二回聴いており感激したのだが、「三井の大国」は、まだ、聴く機会がない。
   信じられないような姿の立ち居振る舞いで現れる甚五郎が、素晴らしい彫刻を彫って感嘆させると言う心温まる人情噺であり、可笑しみ笑いと言うジャンルの落語ではないが、実に味があって、私は、この方が好きである。
   鶴光の「竹の水仙」は、同じ話でも、歌丸とは随分ニュアンスも語り口も違ってはいるのだが、大阪弁の上方落語としての味があって、それなりに、楽しませて貰った。

   柳家小里んの「一人酒盛」は、酒乱の酒好きが、客に上がりながら、主人にカンをさせて、一人で酒を飲みながら独り言を延々と語る話で、よくこれだけ、次から次へと酒飲みでしか分からないような御託を並べられるなあと思って、感心しながら聴いていた。
   その老成した顔の表情や仕草が、親しかった同僚に生き写しで、懐かしさも加わって、しみじみとした感慨に耽っていたのだが、話術の冴えも勿論だが、噺家としての年輪と年季の深さを感じて感動して聴いていた。
   この話、上方落語のようで、鶴光の師匠六代目松鶴の十八番だったと言うのだが、まだギラギラしている鶴光には、向かない話かも知れない。

   三遊亭笑遊の「愛宕山」も上方落語だったようだが、
   京都の旦那と幇間が、愛宕山参りをして、「かわらけ投げ」をした旦那が、かわらけの代わりに、懐から小判を30枚取り出したて投げたので、拾ったらやると言われた幇間の一八が、傘を広げて飛び降りて金を拾い、長襦袢を裂いて縄を綯い、その先に石を結わえ、谷の斜面の大きな竹の上部めがけて投げて縄を巻きつけて引っ張り、旦那たちが待つ崖の上に着地すると言う奇想天外の話。
   オチは、「小判はどうした?」「あああ…忘れてきた」

   落語「反対俥」を語った立川生志は、持ち時間が25分だが、話は10分で終わるのでと言って、マクラに、大宰府で多少縁があると言って、日馬富士のことどもについて語っていた。
   「反対俥」は、上野駅に行きたい客が、無茶苦茶老いぼれた車夫と、無茶苦茶威勢が良くて速い車夫の俥に乗って駅に向かう話で、後者の俥では、障害物に出くわして何度も飛び上がるので元気な噺家でないと語れない噺だと言うのが面白い。
   上野を通り過ぎて遠くまで行ってしまうので、終電に間に合わず、オチは、「大丈夫、始発には間に合いますから」ということのようだが、生志のオチは、青森の弘前まで行ってしまい引き返して上野について、「どこまで行くのか」「弘前まで」
   とにかく、この噺も、奇天烈は噺であった。
 
  柳家小せんの「紋三郎稲荷」 は、初めて聴く噺で、
  駕籠屋に「紋三郎稲荷」の狐と間違えられた牧野家の家臣の山崎平馬が、松戸宿本陣でも騙し通して、夜明けを待たずにこっそりと江戸へ出立。祠の下から2匹の狐が出てきて平馬の後姿を見送り、「へぇ~。人間は化かすのがうめえや」 


    前座の立川談洲は、お馴染みの「子ほめ」。
    パンチが聞いていて、若さが光っていた。

   私は、まだ、繁華街の寄席には行ったことがないのだが、国立劇場の名人会は、よくプログラムされていて、いつも、楽しませて貰っている。    
   
   
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