浜田屋遼太

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ドッコイショ

2015-12-15 | 日々是好日

人間歳をとってくると、何かにつけて「ドッコイショ」と言う回数が増えてくる。

「ドッコイショ」の頻度は年齢に比例して増大していくと言われている。

若い人はめったに「ドッコイショ」とは言わない。

老人たちはめったやたらに「ドッコイショ」を連発する。

日本はこれから老齢化社会にまっしぐらに突入していく。

「ドッコイショ」はどういうときに発せられるのか。

コタツに座っていて、急に用事が出来て立ち上がることになったとしよう。

若い時は、コタツから立ち上がることなど何の苦もない。

しかし人間歳をとってくると、立ち上がることが大義になる。

立ち上がることか大仕事になる。

大仕事を決行するには決意がいる。

そういう意味では「ドッコイショ」は一種の決意声明ということになる。

この場合、はっきり自分で決意し自覚して「ドッコイショ」と発しているが、言うつもりなどないのに思わず「ドッコイショ」とつぶやいていたということはよくある。

ウ〜ン、「ドッコイショ」はつぶやきなのか、ひとり言なのか…

「ドッコイショ」はコタツ周域用語としてとらえてきたが、民謡界周域でも盛んに使用される。

♪草津よいとこ一度はおいでー

「ドッコイショ」

日常生活でやたら「ドッコイショ」と使い捨てのように発しているが、民謡界では掛け声として「アーコリャコリャ」とともに、その顔の広さに驚かされる。

民謡というのは、地方地方で自然発生的に生まれたものだ。

昔の日本の農業や漁業に伴う労働歌でもあった。

特に掛け声は、その地方の労働と密接につながっていた。

「エンヤコーラ」というのは漁業の網を引く動作と伴に発せられ、「ドッコイショ」は農村地帯の農作業と伴に発せられることが多かった。

田植えにしろ草取りにしろ立ったりすわったりの連続で、そのたびに我々の先祖は「ドッコイショ」と言い続けていたのだ。

日本の歴史は「ドッコイショ」の歴史だったのだ。

 

本文とは関係ないが、出雲大社から歩いて5分の御菓子屋さん「とみや」のいちご大福。

辛党のお方にもオススメだよ         

美味しい和菓子でした(^^♪

 

 

コメント
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