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コロナ下初滑り、さて民主国家は専制国家資本主義と折り合える?

2021-01-16 09:49:31 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

3日今年の初詣、例年の琴似神社へ、参拝者少なくゆっくり参拝。

15日、手稲山では久しぶりの積雪20㎝!風もない平日金曜!待っていたスキー日和!

でアッシーを済ませたところで。 

スキー場一番下の聖火台コースに駐車、今年はキッズランドも閑散?

 

コースコンデション最高? 

いつも思います、シニア割引きで2時間3,100円、これ言うなら2,100円でしょう!加森観光に代わって観光客値段に。

聖火台から石狩の街 

そして次のオリンピアエリア 

オリンピアから手稲山 

ハイランドへの連絡ゴンドラから ハイランドのロッジ 

ハイランドの高速リフトで山頂へ 

山頂の様子 

40分かかって山頂  

先ずは女子大回転コースを 

次にパノラマコースを3本札幌の街へ目指して?

    

パノラマビューを1本で残り20分 

聖火台まで戻って2時間終了、キッズランドには子供達 ガラスに映る自画像 でした。

 

さて興味のある方は次のコラムを御一読。

中国共産党は「社会主義現代化強国」として世界征服?へと進めるのか、自由・民主主義国家は今何を犠牲にして何をしなければならないのか?

 

COURRIARjapan 2019.2.25 ニューヨーク・タイムズ(米国)Text by Amy Qin and Javier C. Hernández 

豊かさ、欧米支配からの脱却と引き換えに自由を放棄した人々。

なぜ中国は14億人の国民の「洗脳」に成功したのか?

中国の大学入試統一テスト「高考(ガオカオ)」の壮行会に参加する学生たち。チャイニーズドリームはここから始まる。 Photo: VCG / VCG / Getty Images

息子の出世が貧困から抜け出す唯一の道

中国北西部の甘粛省でも特に貧しい地域、砂塵の舞う丘陵地に住むコン・ワンピン(51)は、毎朝5時10分に起きて井戸水を汲み、息子の朝食をつくる。

息子が英語と化学の本に首っ引きになっている間に、足を洗ってやる。息子が携帯電話を覗いていたら、殴る。

息子のリ・チウツァイがちゃんと勉強しているか見張るコン・ワンピン Photo: Gilles Sabrié for The New York Times

学校を中退したコンにとって、息子のリ・チウツァイ(17)の将来は何よりも大切なものだ。チウツァイが大学入試統一テストでよい点をとれたら、一流大学に入れたら、ハイテク企業の幹部社員になる夢を叶えることができたら……すべてが変わるのだ。

「息子は私たちが貧困から抜け出すための唯一の希望なのです」とコンはいう。

豊かになるために「暗黙の取引」を交わした人々

コンと同じ境遇にある多くの中国人は、豊かになるという夢を叶えるため、この国を支配する共産党と「暗黙の取引」を交わしている。政府は、農民の子であっても一生懸命に努力をする者にはよい暮らしを約束してくれる。それと引き替えに、彼らは政治には口出ししない。自宅の強制撤去に抗議する人たちがいても目を背け、街中に貼られたプロパガンダポスターにも文句をいわない。

巨大な電光掲示板に流れる中国共産党のプロパガンダ「人々に信念、民族に希望、国家に実力」?「人々に富裕、民族に幻想、党に権力」

 Photo: Gilles Sabrié for The New York Times

コンは母国の経済成長を誇りに思っているし、自分もその分け前にあやかりたいと思っている。政治は彼女にとっては取るに足りないことだ。

「指導者のことなんか気にかけていません。向こうだって、私たちのことを気にかけていませんから」

欧米の多くの専門家は、長らく中国の民衆についてこう考えていた──長年に渡った毛沢東時代の苦難に耐えたのだから、まずは自由や所得の上昇と引き替えに一党独裁を受け入れるだろう。だが、豊かになった暁には、政治的な自由を要求するだろう。

だが、いま起きているのはそれとはまったく反対のことだ。国民は豊かになったが、中国の独裁的な指導者たちは私利私欲にまみれている。習近平国家主席は死ぬまで権力の座にとどまるかもしれない。国民は共産党にさまざまな要求を突きつけているが、「経済発展が民主化を呼び起こす」という予測は裏切られたままだ。

コンたちを国家に縛りつけている複雑な「暗黙の取引」は、なぜ成り立っているのか。彼らは1949年の共産党革命以前から自らに問うていた疑問を、いまでも繰り返し問い続けているのだ。

どうして中国は弱体化したのか。

なぜ、欧米に遅れをとってしまったのか。

世界の超大国に返り咲くには、どうしたらいいのか。

伝統が我々をダメにした

かつては、古臭い伝統文化に原因があるとされた。階級が重視され、個人の積極性がくじかれ、数学や科学のような実際的知識よりも儒教の古典の教養が重んじられているのが悪いのだと。共産党はマルクス主義に基づく政策を実施してそうした文化を打ち破ろうとしたが、惨憺たる結果に終わった。

中国の指導者も国民もずっと答えを探し求めてきた。共産党は、伝統文化を完全に捨て去るのではなく、それをもとに新しい施策を考え出すようになった。政府は国民に教育を提供し、儒教やマルクス主義がもたらした「商人蔑視」の偏見を取り払い民間企業の活動を合法化した。

さらに、「中国の偉大さを取り戻すための物語」に誇りと屈辱の感情を盛り込み、強力なナショナリズムを育んできたのだ。

だが、多くの国民にとってそうした政策は打算の対象でしかない。党との暗黙の取引を反故にすることに伴う代償も、またしかりだ。

長年にわたり、党は抑圧的な力を拡大してきた。

新疆の少数民族ウイグル人のように、国が強硬な権威主義へ向かったことで、親類縁者の絆や社会慣習、信仰、日常生活を破壊されてしまった人たちもいる。また、弾圧の不安に怯え、おとなしくふるまう人たちもいる。

中国は民主化するという「誤算」

体制に不満を抱いている国民がどれほどいるのかは、わからない。たとえば、トランプ政権との貿易戦争の拡大に対し内々に不満を漏らす中流階級は大勢いる。だが、思い切って意見を述べるものはほとんどいない。

コンたちの世代は、飢餓と政治の激動がまだ記憶になまなましい時代に育った。当時の記憶は「戒め」として人々に受け継がれている。

中国は人口が多すぎる。

民主主義は時期尚早だ。

政治に口を挟むな。

質問はするな。

だがこれまでのところ、祖国の繁栄に対する誇りと、一獲千金への夢のおかげで不満も恐怖も表立っては現れていない。

昔は欧米への憧れもあったがいまは、子供たちに誇り高く力強い中国を見せたいと考えている。それゆえに海外で教育を受けた多くの中国人が、祖国に戻りはじめている。

中国が将来的には欧米のようになるという予測は、誤りだった。北京在住の歴史家で作家の許知遠はいう。

「中国人の精神構造はとても実利的です。幼い頃から理想家になるな、人と同じように生きろといわれて育ちます。体制のなかで生き残り、優秀さを発揮することが奨励されています。社会全体が、競争の舞台ですから」

後編はこちらから: 「チャイニーズドリームを掴むためなら犠牲はいとわない」|能力主義と愛国心を餌に「独裁」を突き進む中国の「国民統制術」

© 2019 New York Times News Service

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「大学統一入試に受かれば金持ちになれる」「チャイニーズドリームを掴むことが成功への近道だ」──誰でも豊かになれるチャンスがある「能力主義」を標榜し、欧米支配の危機感を煽ることで愛国心をたきつける中国の巧みな国民統制術の実体に米紙「ニューヨーク・タイムズ」が迫った。

 

Yahoo News 8/1(土) 7:01配信 現代ビジネス 

中国・習近平がひた隠す…香港パニック、じつは香港だけの問題ではなかった!

香港が投げかけた「中国の大問題」

2019年、「犯人引渡し条例」に反対するデモが、香港を埋めつくした。中国が不当に介入しようとしている。学生は、大学にバリケードを築いて立てこもり、抵抗した。 2020年7月1日から、中国の「国家安全法」が香港に適用されることになった。反対派をいつでも逮捕し、有罪にできる。香港の自由の息の根を止める、強力な逆襲だ。  なぜ習近平政権は、こんな強圧的な手段をとるのか。これを黙って見ていてよいのか。この問題の背景と今後を考えてみたい。  この問題は大きな問題だ。中国共産党とは何か、を問うことに等しい。  中国共産党とは何だろう。中華人民共和国憲法には何と書いてあるか。中国の憲法は、1949年の建国のあと、1954年に全国人民代表大会(全人代)で採択された。そのあと何回も改正され、2018年にも改正されている。中国の憲法を改正する権限は全人代にある。国民投票は行わない。  これら憲法を読み比べてみる。意外なことだが、憲法の条文に、中国共産党についての言及がほとんどない。「序言」に、革命と建国に至る中国共産党の貢献について、のべてあるだけである。2018年になってようやく、第一条に、《中国共産党の指導は中国の特色ある社会主義のもっとも基本的な特徴である》と書き加えられた。  国家の成立に欠かせない中国共産党が、憲法に書かれていない(いなかった)。これはどういうことか。

中国が「道を誤る」ワケ

日本のケースと比較してみよう。日本で、中国共産党にあたるのは、天皇だ。  帝国憲法にも、日本国憲法にも、天皇についての言及がはっきりある。言及がない、中国共産党とは違う。では、天皇とは何か。  天皇が誰であるかは、帝国憲法ではなく、皇室典範によって定められている。帝国憲法と皇室典範とは、どちらも最高の法規だとして、セットになっていた。これがわかりやすい。  戦後、日本国憲法だけが最高の法規となり、皇室典範はただの法律に格下げになった。けれども日本国憲法は、帝国憲法の改正憲法である。そして、帝国憲法は(旧)皇室典範の効力を前提にしている。つまり日本国憲法も、憲法の効力を超越した天皇の存在と、セットになっている点は実は、変わらない。  帝国憲法に規定があるので、天皇は国家機関である。しかし同時に、憲法を超越してもいる。この二重性が、戦前の日本を苦しめた。そして道を誤らせた。  これに輪をかけた二重性が、中国を苦しめている。そして道を誤らせる可能性がある。そう見ることができる。このことを、詳しくみて行こう。

中国共産党の「正体」

中国共産党が、中華人民共和国を指導する。これは、事実の問題である。法規の問題ではないのである。  中国共産党は、どういう存在か。「中国共産党章程」をみると、「総綱」に、中国の広汎な人民の利益を代表する、中華人民共和国を建国した、などと書いてある。章程の条文に、共和国と政府を指導します、と書いてあるわけではない。中国共産党は、なぜか、中華人民共和国と政府を指導しているのである。  政党は、政府と違って、任意団体である。税もとらない。国家機関ではない。人びとがつくる私的な団体だ。だから憲法に、政党についての言及や規定がなくて、当然ではある。  アメリカ合衆国憲法は、共和党や民主党に言及しない。日本国憲法は、自民党に言及しない。当たり前だ。ワイマール共和国憲法は、ナチスに言及しない。憲法制定時、ナチスはまだなかった。のちに議会が全権委任法を成立させたので、ナチスが国家を指導する体制が確立した。  全権委任法にあたる法律は、中国に存在しない。天皇にあたる存在として、憲法が中国共産党に言及しているわけでもない。  結論として。「中国共産党が中華人民共和国を指導する」のは、事実としてそうなのであって、憲法によって根拠づけられているのではない。

「イデオロギー」と「軍事力」

憲法によって根拠づけられていないなら、何によって根拠づけられているのか。  ひとつは、イデオロギーである。中国共産党の思想やその政策は、無条件に正しい。そう、人びとが思うことになっている。もうひとつは、軍事力である。中国共産党は、人民解放軍を指揮する。人民解放軍は、政府ではなしに、中国共産党の軍隊なのである。  軍事指揮権については、中国の憲法にどう規定されているか。  武装力は全人民のものである、と規定している。そして、中央軍事委員会が所管するとしている。その主席が、軍事指揮権をもっているのだろうか。  実は政府と別に、中国共産党にも、中央軍事委員会がある。その主席が、軍事指揮権をもっている。このことは、憲法の外側の事実である。その党が国家を指導する。よって、政府の中央軍事委員会は形ばかりのものになる。  その証拠が、1954年の憲法である。第二十七条に、全人代は、中央軍事委員会の「副主席」以下を決める、と書いてある。  主席を誰が決めるのか、書いてない。それは、中国共産党が決め、そこから政府の中央軍事委員会に降ってくるのであろう。「政府に、軍事指揮権はありません」という証拠である。

不安定で、危険すぎる

政府に軍事指揮権がない。立憲政治でもないし、文民統制でもない。  かつての日本は、軍事指揮権(統帥権といった)が、天皇にあることになっていた。しかし天皇は、実質的な意思決定をしない。それが帝国憲法の、立憲政治の原則だった。すると、軍は、政府のコントロールを離れて勝手に行動できることになる。実際そのように行動し、日本を破滅に導いた。  中国の軍事指揮権は、中国共産党(の中央軍事委員会主席)の手の中にある。政府にはない。すなわち、中国共産党がいったん軍事行動を起こすと決めたら、国務院(政府)も全人代(議会)も、それを止められない、ということである。たとえそれが、どんなに不合理な決定だったとしても。  中国共産党が、中華人民共和国を指導する。では、誰が、中国共産党を指導するのか。誰もいない。特に、中国共産党のトップ(党中央)は、誰にもコントロールされない。憲法によってさえ。  党の章程をみると、党の全国代表大会が、権力の根源であると書いてある。でもこの大会は、5年に一度開かれるだけだ。そして、よく知られているように、全国代表大会は、すべて党中央がお膳立てすることになっている。大事なことは、すべて舞台裏で決まっていくのである。  中国は、見かけは立憲政体をとっている。でも実態は、専制権力である。中国は、かつての日本と同じような、不安定で危険な体制なのだと、理解しなければならない。

「香港」だけの問題ではない

法の支配と、近代的な民主政治の感覚に慣れ親しんだ香港の人びとは、この得体の知れない異様な中国の独裁的な権力を、受け入れられないと思った。  中国政府と共産党は、中国公民なのに共産党の権威を受け入れない香港の人びとを、許しがたいと思った。  香港でなくても、世界の大部分の先進諸国の人びとは、中国共産党の支配を、異様で受け入れられないと思うだろう。  しかし中国はそのパワーを、世界に及ぼそうとしている。これは、香港だけの問題ではない。同時代の国際社会の、すべての人びとの問題だ。 ---------- 【連載:橋爪大三郎の「社会学の窓から」】最新バックナンバーはこちらから ----------

橋爪 大三郎(社会学者)

 

YahooNews 2021.1/13(水) 6:31配信 現代ビジネス 福島 香織(ジャーナリスト)

中国「ジャック・マー失踪」の全舞台裏…じつは習近平の“自爆”で、中国経済が「大ピンチ」へ!

ジャック・マー「失踪」の舞台裏

中国ではこの数か月、アリババをはじめとするインターネットプラットフォーム企業が「独禁法違反」のターゲットになって、厳しく取り締まられている。   特に、アリババ、テンセントに対して昨年暮れに50万元の罰金が科されたことは額こそ低いが、見せしめ的な効果は大きく、一部ではアリババやその傘下のフィンテック企業・アント・グループの国家接収の前触れではないか、という憶測まで流れた。

 ロイターなどの報道では、11月のアント・グループの上海・香港同時上場が急遽中止になったときに、アリババ創業者で大株主の馬雲(ジャック・マー)がアントの国有化を当局に提案していた、という話もある。また、11月以降、馬雲の動静が不明で、失踪と騒がれている。  多くの人たちが民営保険企業・安邦保険の元CEOの呉暁暉がしばらく「失踪」したあとに、詐欺や職権乱用で懲役18年の判決を受けて投獄されたときのことを思い出していた。保険は公的管理下におかれ実質国家に接収されることになった。

 中国はなぜ急に独禁法強化の方策を打ち出したのだろうか。  じつは、この方針は昨年12月の党中央経済工作委員会で打ち出された八つの重点工作のひとつでもある。  具体的には(1)国家戦略科学技術パワーの強化、(2)産業チェーン、サプライチェーンの自主コントロール能力の増強、(3)内需拡大戦略の起点の堅持、(4)改革開放の全面推進、(5)種子と耕地問題の解決、(6)市場独占禁止の強化と資本の無秩序な拡張の防止、(7)大都市住宅の突出した問題を解決、(8)二酸化炭素排出量のピーク問題とカーボンニュートラル達成に向けた取り組み、だ。  新華社報道によれば、「市場独占禁止を強化し、資本の無秩序拡張を防止する。市場独占禁止、不正当競争禁止は、社会主義市場経済体制をよりよくするものであり、ハイクオリティー発展の内在要求を推進する」という。

力を持ちすぎたから…

中国としてはプラットフォーム企業のイノベーション発展を支持し、国際競争力の増強を掲げ、また公有制経済と非公有制経済の共同発展もうたっているのだが、同時に「法律工作をインターネット領域にまで伸ばさなくてはならず、インターネットが法外の地であってはならない」と強調しており、インターネットプラットフォーム企業やフィンテック企業が、他業種よりも法の束縛がゆるく、不公平に優遇されているという見方が党内にあることがうかがえる。

 エネルギーや電信分野の国有企業寡占のほうが市場独占という意味では深刻だが、そちらはむしろ共産党政権として数社の大手国有企業による寡占を推進し、民営や地方経営企業を接収したり再編したりしている。一方で民営フィンテック、テクノロジー企業、インターネットプラットフォーム企業が独禁法違反として取り締まられるのだから、不公平の定義自体が共産党の都合で判断されている。

 習近平政権の狙いは、党中央による経済のコントロール強化であり、市場をコントロールするためには大手国有企業の市場寡占は有利だが、民営プラットフォーム企業が力を持ちすぎることは不利である、ということなのだ。

引き金となった「事件」

アントの上場の急な中止は、銀行が受けるさまざまな資本規制や金利上限規制を受けずにきたフィンテック企業に対して、新たな規制をかける法律の準備が進められていることを受けてのものだろう。  この法律ができれば、アントには規制にひっかかる部分が出てくるとみられている。だが、こうした制度上の変化の流れ、というのはアント側も当局側も了解していたわけで、おそらくは水面下で交渉が重ねられてきたはずだ。

 なので、上場の急停止の本当の理由は、習近平の馬雲(ジャック・マー)に対する見せしめ的処罰ではないか、とみられている。  10月24日に上海で行われた金融フォーラムの場で、馬雲が「監督を恐れないが、古い方式の監督を恐れる」「中国にシステミックリスクがないのは基本的にシステムが存在しないからだ」と、強烈な皮肉を交えた中国政府への批判を行ったことが引き金だったというのが、海外メディアの共通認識だ。

 おりしも中国の債務バブルがいつはじけるとも限らないリスクを前に、既存金融機関の再編整理が始まっている中で、アントの事業で大儲けしているアリババ・馬雲の放言は見過ごせなかったということだろう。  中国当局はこうしたフィンテック企業への監督強化の第一歩として2019年に、アリペイ、ウィーチャットペイのチャージ資金を、人民銀行の当座預金に預けることを義務付けた。これまでは、こうしたチャージ資金はアリババやテンセントが自前で運用して少なからぬ利益を上げていたが、その利益を政府が接収した格好となった。

みずからの権力を脅かす「敵」

馬雲(ジャック・マー)の大胆な批判発言は、中央政府がじわじわとインターネットプラットフォーム事業やフィンテック事業にかける規制や圧力に反発したものと思われる。

 利用者10億人をこえるアリペイとEC市場の半分以上のシェアをかかえる天猫サイトなどを擁するデジタル経済圏の支配者の一人であるという自信、自負がひょっとすると、こうした恐れを知らない発言につながったのかもしれない。  馬雲はもともと反逆児的性格があり、2003年にアリペイ事業を始めるときに、金融分野に一民営企業が入り込むことで共産党からにらまれるかもしれないと噂がたったことに対し、「アリペイのために投獄されてもいい」とまで言ったといわれている。当時、共産党中央幹部の怒りを和らげるために中南海に日参している馬雲を新華門付近で見かけた、といった話を出入りの関係者知人から聞いたことがあった。

 当時の胡錦涛政権も、また金融、インターネット方面に利権をもっていた上海閥も、だが馬雲を利用して自らの利権を拡大し、蓄財に励むことを選んだ。アリババのイノベーションに法整備が追い付かず、事実上放任になったといってもいい。  その無法空間に生まれた自由を利用して、馬雲はアリババ帝国を築いたのだった。

 だが、習近平は江沢民や胡錦涛とは違い、経済や文化分野を含めたすべてにおいて党中央の指導力を発揮し、自分のコントロールの及ばない存在を許せない性格だった。デジタル金融とEC市場の支配者であり、海外からも信望がある有能でカリスマ性をもつ企業家リーダー・馬雲の存在自体が、自らの権力を脅かす敵であると思い込んでいるふしもあった。

アリババだけの問題ではない

アントの上場停止のあとは、アリババの独禁法違反による立件と調査が発表され、アリババの香港株はその日一日で9%の暴落をみた。馬雲(ジャック・マー)は11月以降、その動静が途絶え、年明けて1月3日までに、「馬雲財団」がプロデュースした企業家コンテスト「アフリカビジネスヒーローズ」の審査員であった馬雲の名前がホームページから消え、審査員が外されていることが発覚。欧米メディアが「馬雲はどこにいった?」と騒ぎはじめた。  ネットでは、プライベートジェットで深圳、香港経由でシンガポールまで逃げた、といった根拠なき噂までながれていたが、それよりも、次に馬雲の名前が表ざたになるときは経済犯容疑者になっているのでは、という予測を言う人のほうが多かった。  いずれにしろ、アリババはこれまでのアリババでは無くなるかもしれない、と固唾をのんで成り行きが見守られている。 4

 おそらく、この動きはアリババだけでなく、インターネットプラットフォーム経済全体の雲行きを示している。テンセント、百度、美団、拼多多……こうしたプラットフォーム経済全体に党中央の指導強化がおよび、いくつかの企業は国有化されたり、あるいは国家機関が最大株主になったり、あるいは人事権を共産党が握る形でのコントロール強化が進むのではないか。

 なぜ、そこまで経済プラットフォーム企業がターゲットになるかといえば、もちろんフィンテック企業の影響力が中国の金融政策にとって見過ごせないほど大きいということもあるが、それ以上に、この新興分野はAIとビッグデータを駆使した膨大な情報量と解析力をもち、しかも海外ユーザーも多い国際企業だからだろう。

アメリカも動き出す

たとえば、アリペイやウィーチャットのプラットフォームを共産党が接収すれば、中国が人民元国際化への道の切り札と期待をよせるデジタル人民元がEC市場を通じて国際社会での利用がスムーズに広がるし、こうしたプラットフォームの蓄積する個人情報、消費動向は世論操作や政治宣伝、統一戦線工作などを含めた情報戦にも役立つかもしれない。

 今まで、この分野が、さほど厳しい監督も受けずに放任されていたことは奇跡だったかもしれない。  だが逆にいえば、アリババやテンセントがデジタル経済圏の覇者となったのは、中央政府の放任の結果、自由があったからだった。その自由さに、外国企業も引き寄せられ、彼らに投資し、多国籍な活力ある企業に成長した。今後、民営企業の自由が奪われていき、企業の利益、消費者の利益よりも党の利益を優先することを義務付けられるようになれば当然、その活力は奪われていく。自由のないところにイノベーションは生まれ得ないだろう。

 また米政府は、アリババ、テンセントが解放軍関連企業として投資禁止対象にするかどうかを検討中だが、かりに今まで、積極的な解放軍協力企業ではなかったとしても、今後はそうなっていくことは確実だ。  バイデン政権になれば、対中ハイテク企業への制裁方針は変わるという期待もあろうが、中国のハイテク企業は以前よりももっと共産党に支配され、西側自由社会にとっては警戒すべき存在になってゆく。中国デジタル企業の多国籍なイメージは消え、共産党傀儡企業イメージに変わっていけば、海外の技術者や投資家たちも距離をとらざるをえないだろう。

 数年前、「中国ハイテクすごい」「深圳すごい」と持ち上げられてきた民営ハイテク企業、インターネットプラットフォーム経済にとっての冬の時代が始まる。  では、春はいつなのか。私は習近平独裁が終わらない限り、やってこないと思っている。新型コロナや大統領選の混乱から米国のパワーダウンが予想よりひどいので、冬は思いのほか寒く長いかもしれない。

 

ダイヤモンドオンライン 2020.7.31 5:32 ダイヤモンド編集部 Close Up 

【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(上)「リーダーなき世界で日本は今、何を考えるべきか」

 

台湾の李登輝・元総統(在任期間1988~2000年)が30日、97歳で死去した。在任中に総統直接選挙を実現し、台湾の民主化を無血で成し遂げた歴史に残る政治家だった。この李氏にダイヤモンド編集部は昨年末、書面で独占インタビューを実施した。米中対立、民主主義の価値、経済成長のカギ、そして日本への助言まで語り遺したこのインタビューを、李氏への哀悼を込めて再掲載する。アジアの巨人よ、安らかに。(インタビューは質問状に対して李氏が答えた内容を、日本人秘書の早川友久氏が書面にまとめ、ダイヤモンド編集部副編集長・杉本りうこが構成・編集した)

台湾の民主主義導いた李氏は中国をどう見ていたか

21世紀に入り、中国は経済・政治・軍事・科学技術などの各分野で目を見張る発展を遂げた。だが指摘しておきたいのは、中国の発展は覇権主義的であり、決して民主的かつ自由な文明ではないということだ。

民主主義と自由は、人類の文明にとって最も重要な価値観だ。こういった価値観は、私たちに平和と安定、繁栄と進歩をもたらす基盤である。ところが中国は、民主主義や自由といった価値から遠く離れている。中国が世界の強国となりたければ、それは決して覇権主義の発露ではなく、普遍的な価値観を持つ文明を実現することで達成されるべきである。しかし中国は、富と軍事力によるかりそめの繁栄を喧伝しているにすぎない。中国政府が目指しているのはただひたすら、独裁体制の維持と安定だ。

一帯一路構想も、野心に満ちた覇権主義的な計画だ。中国にとっては、自国の内部資源やエネルギー問題を解決する方法となり得るだけでなく、国際貿易上のルールを恣意的に決められる格好の手段だ。他国を唯々諾々と従わせ、世界の新たな支配者に君臨しようとしている。これは中国の覇権主義に見られる一貫したやり方で、結局この計画は、多くの国家を中国の経済的植民地におとしめて終わる。中国こそ、アジアの情勢を最も不安定にしている要因だと断言できる。中国がもたらす動揺は、周辺国家の安全保障上、大きな脅威となっている。

そもそも各国が有する軍隊は、自国の防衛のために存在している。しかしながら、中国の軍事力は対外的な膨張を続けてきた。中国の軍事費はおよそ2500億ドル(編集部注:ストックホルム国際平和研究所の2018年のデータ)で、米国に続く世界2位となっている。中国は世界各国に軍事基地を建設しており、それによって生じる周辺国家との摩擦は途切れることがない。この事実は、東シナ海や南シナ海の問題のほか、各国の航行の安全と自由が侵害された例を挙げるまでもないことだ。こうした行為は地域のリスクを高めるとともに、アジア各国の軍事的支出を増加させ、軍拡レースを助長することにもなりかねない。

こういった中国の専制的なやり方に、最も大きな影響を受けてきたのは台湾だ。中国は少なくとも1000発以上のミサイルの照準を台湾に合わせている。領空侵犯や領海侵犯など、武力による軍事的どう喝は日常茶飯事ともいえる。また外交においても、あらゆる手段を講じ、台湾と国交を持つ国を奪い、台湾が国際組織に参加することを妨害している。経済面では、台湾企業の工場から最先端の高度な技術を盗み、優秀な台湾の人材を引き抜いてきた。そしてそういった人材に対し、自らの政治的思想を放棄して中国に忠誠を誓うことを求めている。中国の最終目的は台湾を併呑し、いわゆる「中国統一」を成し遂げることにあるのだ。

私の総統就任(1988年)と前後し、台湾の対中政策は開放的になった。それまでは内戦中という建前で、さまざまな交流は途絶えていた。しかし経済貿易の往来が頻繁になると、過度な中国依存のリスクが台湾に芽生えた。そこで私は96年に国家政策として、「戒急用忍(急がば回れ)」政策を進めた。両岸の不均衡な経済関係を目の当たりにして、このままでは台湾の重要な産業や資金が全部中国に吸い取られてしまうと、切迫した危機感を覚えたからだ。この政策では、高度な科学技術と5000万ドル以上の投資、インフラ建設については、政府の審査を経なくては実施できないと決めた。

経済界は目先の利益にとらわれて先走りしがちなものだ。それを野放図に黙認していたら、台湾の持つ産業や技術の優位性も、豊富な資金もあっという間に中国に流れていってしまう。そこで制限を設け、特に台湾が世界でもトップクラスだった電子産業については保護していた。

ところが2000年に民進党が政権を担うと、台湾の方針を「積極開放、有効管理」に大転換させてしまった。確かに当時は中国経済の見通しが明るかったから、誰もが中国への投資を希望していた。しかし民進党は中国への投資を開放する一方で、多くの産業が流出している状況については、何ら有効な方策を打ち出すことができなかった。本来であれば産業流出が続くなら、台湾は新しい産業をつくり出さなければならない。しかしそれができなかったがために、台湾の経済成長率は下降を続けた。それによって就業機会も減少し、失業率が増加する結果となってしまった。

台湾がすべきことは、今でも優位性を保っている分野をきちんと守ることだ。例えばTSMC(台湾積体電路製造)は、私が総統在任中、政府がバックアップをしてできた会社だ。現在では世界最大の半導体製造会社となっている。この会社に対して、中国が買収をもくろんでいるという情報が多方面から寄せられている。あの手この手で、TSMCの企業機密を得ようと画策しているとも聞く。こうした企業を保護し、優位性を守らなければ、台湾の産業は文字通り根こそぎ中国に取られてしまう。

資本主義、自由経済に任せるべきだ、という言い方は確かに聞こえがいい。だが資源のない台湾が、中国の経済的なブラックホールにのみ込まれないためには、民間任せにせず政府が、台湾独自の優位性をいかに保つかをきちんと考えていくべきだ。

中国が「妨害」しても李氏が訪米できた理由

東西冷戦が終了したとき、私も含め誰もが、米国の覇権が確立したと考えた。だが実際に起きたのは、米政治学者サミュエル・ハンチントンが言うような文明の衝突だった。フランシス・フクヤマ氏は「歴史は終わった」と言ったが、その主張はあまりに早過ぎたのである。01年の同時多発テロで、米国は中東問題に足をすくわれてアジアから後退した。08年のリーマンショックで、経済的な地位も失陥した。いま世界には、リーダーシップを取る国家が存在しない。

だが米国による一極支配の時代が終わった今、私が言いたいことは逆説的ではあるが、「米国との関係がますます重要になる」ということだ。それは米国による軍事の傘で守ってもらう、というような話ではもはやない。より密接で対等な同盟関係を追い求めていく必要があるのだ。むしろ米国もそうした互恵的な関係を望んでいるのではないか。トランプ大統領の発言から私はそう感じている。日本は米国との間で、率直な対話に基づく対等なパートナーシップを築くことを考えるべき段階に来ている。

米国は民主主義を標榜する社会だ。経済的には中国との関係が利益にはなるが、こうした状況でも民主主義国家としての良心を発露させてきたのが米国の議会だ。私は95年に米コーネル大学のフランク・ローズ学長から招待されて訪米した。大学の特別講座で講演をするのが目的だったが、私が訪米を画策していることが伝わり始めると案の定、中国が妨害を開始した。現役の台湾総統の訪米は、当時のクリントン政権にとっても頭の痛い問題だったに違いない。だが、すごいのは議会だ。私を訪米させようと言って、上下院で採決までした。米国は民主主義を、経済的利益よりも上位の価値として認めているのだ。

日本の場合は残念ながら、こうしたときの反射神経というか、反応が鈍い。中国に大きな幻想を抱いている国会議員や外務省の「チャイナスクール」と呼ばれる官僚、新聞記者が多過ぎる。インターネットが普及し、これだけ情報の獲得が容易になった現在、日本も大きく変わるべきではないか。

安価な労働力より経済成長に不可欠なもの

経済は成長率だけでは理解できない。国民経済の活動を決定づけるものとして実体資本、人的資本、技術・知識などの生産投入要素のほか、制度資本(編集部注:教育や医療、金融、司法、行政などを指す。経済学者の故宇沢弘文が、社会的共通資本の一つとして提唱した)がある。

安価な労働力は、短期的には制度資本の不足を補う上で大きな効果を発揮する。だが制度資本の本質的な代替品には、永遠になり得ない。これこそが中国経済が将来あるいはすでに、必然的に直面するボトルネックであるのだ。

中国は必然的に内需型のサービス業に転換していく。だがサービス業の発展は、制度資本に依存する率がより高い。例えば言論の自由は、制度資本によって生み出される重要な要素の一つだ。メディアの言論が制限を受ける度合いが大きくなれば、都合の良い情報ばかりが報道され、都合の悪い情報が報道されることはなくなる。そうなった場合、私たちが受け取ることのできる情報の深さや広さの度合いは大幅に後退し、市場参加者が得る情報の真実性に大きな偏りを生じさせる結果となる。客観性が乏しくなれば、市場は混乱するばかりだ。

このように、無形の商品を取引対象とするサービス業が、言論の不自由な国家で発展することは困難なのである。かつて複数の国家にまたがった大規模研究において、新聞メディアの自由が最も進んだ国のサービス業が、最も発展しているとの結果もあった。

中国がもし金融サービス業のような、より高度な次元のサービス分野で発展しようと考えるのなら、対応する法律と情報提供の枠組みが必要不可欠だ。人々が司法に頼ることができず、正確な情報を入手する手段にも欠けているような社会では、高度なサービス業における取引意欲は低下することになる。金融サービス業発展の核心は、資産の流動性を高めるとともに、資金の使用効率を向上させ、創造的価値を生み出すことである。そこに制度資本が持つ長期的な価値が意味を成すのだ。

もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルだ。国家が基礎になって「資源の配分」を行う方法である。明治期の日本ならば、農民からの地租(租税)を基に財政を調え、工業に資金を再配分した。

戦後復興であれば、重化学工業への傾斜生産方式がそれである。終戦後、台湾大学に編入するまでの1年、私は京都帝国大学(現京都大学)に通っていた。校内は寒く、ストーブはなかった。燃料となる石炭は全て工業に回されていたのである。

私が12年間の台湾総統時代に実行したのも、国家による資源の配分だ。まず力を注いだのが、農業の発展である。そして農業分野で生まれた余剰資本と余剰労働力を投入して、中小工業を育成した。日本の発展が台湾にとって偉大な教師となったのだ。

経済成長については従来、米国式の新自由主義経済モデルである「ワシントンコンセンサス」と、権威主義的な市場経済の「北京コンセンサス」が比較されてきた。ワシントンコンセンサスは本来、国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが使った言葉だ。どのようにしてラテンアメリカ諸国の債務問題を解決するかについての論文において、使った用語だった。

ウィリアムソンはこの論文の中で、「税制改革、金利自由化、貿易自由化、国営企業の民営化、規制緩和」など、10項目に及ぶ経済政策を主張している。これらの主張からは、ワシントンコンセンサスが本質的に、新自由主義と呼ばれる経済政策のモデルだと分かる。東西冷戦を経て米国が世界で覇権を握る唯一の国家となると、新自由主義は米国型資本主義のイデオロギーとなって、経済のグローバル化を大きく推進する起爆剤となった。

一方、北京コンセンサスという概念は、中国経済の崛起とグローバリズムにほころびが見え始めた現象に基づき、米国のコンサルタント(編集部注:ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が立ち上げた地政学コンサルティング会社キッシンジャー・アソシエーツのジョシュア・クーパー・ラモ氏)によって提唱されたものだ。

基本原則としては「柔軟性と実用主義」「生活の質と所得分配の双方に配慮した発展目標」「国家の自主性」などが挙げられる。実用主義とは、鄧小平が言った「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫だ」という言葉に端的に表される考え方だ。国家の自主性とは、ワシントンコンセンサスが自由市場や財政規律化といった名目で、他国の内政に強制的に介入するようなやり方を用いたのとは異なり、国家は独立性を積極的に求めるべきだという主張だ。

ワシントンコンセンサスが一律適用と自由開放を強調したのに比べ、北京コンセンサスは独自性と政策のフレキシブル性を強調している。表面上、北京コンセンサスはワシントンコンセンサスより優れているように見える。だがその裏側にある、独裁政治の欺瞞性を見落としてはならない。

ワシントンコンセンサスについては自由放任市場と民主主義には関連性がないことが明らかになったし、北京コンセンサスも人権などの普遍的価値が経済発展に重要であるという基本的認識を欠いている。そして前述のように、日本と台湾の経済発展がたどってきた道は、この二つのどちらとも明らかに異なる。政府が強力な経済政策を主導することに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているようだが、それはこうした過去の経験が忘れられているせいではないか。

香港で起こったことは戦後台湾の「事件」と共通

混迷を極める香港問題をきちんと処理できるかどうか。これこそが中国共産党の習近平体制にとって最大の試金石になるだろう。裏を返せば、香港問題を思うように解決に導けたなら、中国は次に台湾に、そして沖縄に照準を合わせてくる。なぜか。それは理屈ではなく、中国が本質的に持つ覇権主義的な思想に基づくものだ。彼らのレゾンデートル(存在理由)ともいうべきものだ。

47年、台湾では二・二八事件が起きた。大陸から敗走してきた国民党の統治下で、治安は乱れ、汚職事件が度重なり、台湾人の不満が爆発した事件だ。庶民の声に対し、国民党は機銃掃射による虐殺で弾圧した。そして統治には強権が必要と考え、白色テロと呼ばれる知識人狩りや言論弾圧をより一層強化した。

現在の香港で起こっていることも、おそらく似ているのではないだろうか。戦後に台湾を統治した国民党の中華民国も、現在香港を統治している中華人民共和国も、歴史上脈々と続いてきた中華帝国体制の延長である。ここから見て取れるのは、中国はいまだに進歩と退歩を絶え間なく繰り返しているということだ。

完全に民主化された台湾においてさえ、国民党は現在でも中華帝国主義的な夢を諦められずにいる。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、中国について「アジア式の発展停滞」と論じたが、これは決して不合理とはいえない。

中国は自由、民主主義、法治を経験していない。その国が、たとえ英国統治下の制限された条件とはいえ、西洋式の民主社会を経験した香港を統治することはできない。今香港で起こっていることは、二・二八事件で露見した、台湾と中華民国の「文明の衝突」の再演にすぎない。

明言したいのは、言論の自由が完全に保障されない国家に民主主義は根付かない、ということだ。香港の事例を見るまでもなく、人民が自分の国をどうしたいかということは、自分たちで決めればよい。そして自国の将来の選択肢を決める上で重要なのが、十分な情報だ。言論が制限され、国家や党に恣意的にコントロールされた社会においては、人民が政治的選択をする際の情報量が絶対的に不足している。

「国家を経営する」ということを考えた場合、中国のような独裁体制の方が効率が良いと捉える向きがあるそうだが、私はその意見には同意できない。あくまでも国の主人は人民であって、権力者は仕事をするために有権者から権力を借りているにすぎない。

台湾が、中国の影響力の大きい中華圏にありながら、決定的に中国と異なっているのは、この民主化の経験があるからだ。

日本の若者たちが「かわいそう」な理由

総統を退任後、心臓病の治療で日本へ行きたいと言ったら、外務省は上を下への大騒ぎになった。また、慶應義塾大学で講演するためにビザを申請したときも同様だ。あのとき私は「日本政府の肝っ玉はネズミより小さい」と言って怒ったのを覚えている。

 国会議員や外務省の官僚、あるいはマスコミにもチャイナスクールのような人たちがいる。なぜ日本人の中に、これほどまでに中国におもねる人が多いのだろうか。おそらくあの戦争で、日本が中国に対して迷惑を掛けたことを償わなければいけないという、一種の贖罪の意識が座標軸にあるのではないか。

ただ、こうした贖罪意識と、国家の政治や外交とは全く別のものであるべきだ。いつまでも中国に対する負い目を感じる必要はない。最近は、日本の外交もようやく言うべきことを言い、ペコペコ頭を下げなくなってきた。これは、日本人が自信を取り戻しつつある表れではないかと感じている。

リーダーに限らず、いまの日本人に知っておいてもらいたいことがある。日本の若い人たちがかわいそうなのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることだ。日本は世界各国から批判されていると思い込み、自信を失ってしまっている。

台中の日本人学校で講演をしたことがある。99年の大地震で台中日本人学校の校舎が倒壊し、私はすぐにでも何とかしてあげたいと考え、土地を見つけて校舎を建て直した。その後、この日本人学校に招待され、生徒たちを前に日本の統治時代の台湾はどうだったかといったような話をしたのだ。その内容は具体的には、こんなことだった。

児玉源太郎・第4代台湾総督の民政長官だった後藤新平は、わずか8年7カ月で台湾を「1世紀も違う」ほどの近代的な社会につくり上げ、今日の繁栄の基礎を築いた。台湾を近代化し、経済を発展させるために後藤が最初にやったことは、仕事のできない日本人の官吏1080人を首にして日本に送り返すことだった。よほどの覚悟と決心がないとできないことだ。

その一方で各方面から有能な専門家を台湾に集めた。その中には新渡戸稲造や、台湾でいまだに神様のように尊敬されているダム技師の八田與一をはじめ、数多くの能力のある日本人がいた。彼らが台湾のために働いたおかげで、現在の台湾があるのだ。

こういう話をしたら講演後、中学生の生徒代表が、「今日のお話を聞いて、自信が出ました。今までは街を歩くときに、なんだか肩身が狭い思いをしていましたが、明日からは胸を張って歩きます」とうれしそうに言ってくれた。私もうれしくなって、「がんばりなさい」と励ましたことを覚えている。

終戦後の日本人が価値観を百八十度変えてしまったことを、私はいつも非常に残念に思っている。若い日本人は、一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。そのためには、リーダーたる人物が若い人たちにもっと自信をつけてあげなければならない。日本人はもっと自信を持ち、日本人としてのアイデンティティーを持つ必要がある。そうして初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるはずだ。

OEM型産業は発展したが経済の自主性は損なわれた

台湾社会がはらんでいる最大の危機のかたちは、民主化以来の二十数年、ほとんど変わっていない。すなわち、中国との統一か、さもなければ台湾独立かという、「友でなければ敵」といった極端に対立する主義が国を二分していることだ。「青(国民党)か緑(民進党)か」という状況の中で、物事の是非を考える分別は消え、理性を求める余裕が失われている。

この二つの極端な主義は、平和的な政権交代が実現した2000年以降、よりいっそう顕著になったように感じる。これは社会の調和や団結に負の遺産をもたらしこそすれ、決して台湾社会のプラスにはならない。私はそう警鐘を鳴らしてきた。

当時から私が指摘していたのは、台湾社会を分裂させているのは貧富の格差ではなく、種族でもなく、宗教でもなく、アイデンティティーの分裂こそが原因であった。このアイデンティティーの分裂は、台湾の歴史と深い関係を有している。台湾が、長期にわたって外来政権あるいは独裁政権による統治を受けてきた結果の歴史的産物であるからだ。

台湾は80年代末期以降、困難の中から民主化を実現し、国家のアイデンティティーを確立し、エスニックグループの対立を解消させた──ように見えた。だが台湾が経済発展の鍵として採用したOEM型産業によって、経済の真の自主性を欠く結果となった。国際的なブランドは分裂し、価格競争に勝ち残るために中国へと移り、国内の産業空洞化が急速に進んだ。

今の台湾社会では中国がもたらした利益と損失の対立が、さらに深刻になっている。これはまさに場所の悲哀であり、台湾が長期にわたって正常な国家になれずにいる悲哀だ。

結果的に今の台湾の民主政治は奇怪な「投票箱文化」と相なっている。国民は選挙のときにしか選択する権利を行使することができない。また小選挙区制度のため小党の生存空間は封殺され、選択の幅はさらに狭まり、二極化に拍車が掛かっている。私は2000年に民進党が政権を取ってから、民進党を時にバックアップし、時には路線修正させるために第三党となる台湾団結聯盟をつくりもした。だが徐々に力は発揮できなくなり、結局、有権者は単純な「青か緑か」という構図に収斂している。

こうしたゆがんだ構図を目の当たりにして、私は「自由としての開発」(編集部注:ノーベル経済学賞の受賞者であるアマルティア・セン氏の著書『自由と経済開発』の原題)を強く意識せざるを得ない。すなわち政治的自由と経済的能力、社会の流動性、責任の透明化、安全といった要素は、手段と目標として全て不可分であるということだ。そして成熟した健全な政治経済社会体系では、あらゆる局面で必要とされる。

現在の台湾においては、政治と経済に関する重大な社会問題が山積している。これらは、台湾において「主権在民」の精神がいまだに根付いていないために、国民が政府の一連の失政をうまく阻止できず、起こっている問題だ。言い換えれば、これまでの台湾の民主化発展の趨勢は「勝者が全てを掌握する」モデルであった。これについて、過去の独裁政権の残滓や社会条件を加味した考察がなされて来なかったことを反省しなければならない。

台湾がこれから、政治においても経済においても負け組になるような国難を避けるためには、どうするべきか。もう一度体制を改革し、「コンセンサス型民主主義」(編集部注:比例代表制や多党制を特徴とする民主主義)に移行する必要があると私は考えている。コンセンサス型民主主義は、権力の分担により、傷ついた社会の分裂を補修し、対立を解消するのに適した民主体制だといわれる。であるならば、いまだにアイデンティティーによって社会が分裂した台湾においては、この体制が有効な解決手段の一つとなるのではないか。民主制度は台湾の究極的な価値であるという前提の下、民主主義制度の選択を考慮する必要があると考えている。

私はこれまで「民主改革を成し遂げ、民主国家となった台湾は、もはや民族国家へと後戻りするべきではない」と主張してきた。台湾の国民が持つ共通の意識はあくまで民主主義であり、民族主義ではないのだ。英国の経済学者エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーは、「ある経済体が、政治的独立と国家のアイデンティティーを失ったなら、発展はあり得ない」と指摘している。台湾はこれからどのようにして、民主政治体制を通して社会の分裂を食い止められるだろうか。

 

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