豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2012年03月03日 08時54分13秒 | 日記
( Vol 112 ) 東日本大震災後の復興は なぜ 進まないのか?

“~ない” “~たい”という 思考からではないか 
失いたくない
危険にあいたくない
死にたくない
長生きしたい

現代社会 すべて 喪失しない方向で 動こうとしている
そのことが 対応できないことになっているのではないか

自然を見てみると どうだろうか
人間によって 地上に生きている 生き物たちは 脅かされ 失っている

しかし 自然に生きる生き物たちは 子孫繁栄機能を 駆使している
避難したり 地中深く 子孫の種を 隠したり 人間が 造った構造物が なくなったら 子孫再生の行動に出る

失われても 失われても 受け継がれ 生き返る 再生 再興 を図っている
それが 自然の営み

人間だけが すべてを思うようにできると 錯覚 過信 しているところに 
生きることを ムズカシクしている

“ない” “たい” から “ある” に 思考の転換が 必要ではないか
現実を 場を 受け入れる

絶対に失わないことができるか それはできない
必ず 失うことはある

生き 死ぬ というように 発生から喪失が 自然の営みとしてある
それを 受け止める ことから はじめることではないだろうか

復興においても 完璧なものを 造ろうとすれば 時間がかかる 費用もかかる
どこかで 妥協して 早い復興をすることが そこに住む者への 配慮ではないか
また そこに住みたいという者も リスクを負う という意識を持つことも 必要ではないだろうか

住むのは ヒト 長く住む環境とは なにか
絶対に被災しない環境が 住みやすい環境か 

必ずしも そうだと 言えない

ヒトが 長く ココロ安らかに 住める環境
ある程度の 危険 リスクは ともなっても 
ヒトは 心地よい 環境を 望む

今回のような 巨大な津波は そう頻繁には来ない
過去の事実からしても 長い時間がかかっている
その時間の間だけ 安全であれば いいのではないだろうか

築いたものは なくなる
という考えに立つことが 早い復興につながると思う

まず 求められる対策は 守るではなく 避難
どう 避難するか
すべてのヒトを 避難させることはムズカシイ
しかし ある程度は できる
その対策を 図ること

将来まで 現代のヒトが どこまで 責任を持つのか
過去のヒトは どうであったか

将来 永劫まで 責任を 持ってはいない
近い将来まで 責任を 持っていたのではないだろうか

だからこそ 被災の歴史 記憶を 後世に 残したのではないだろうか

これからも 先輩 先人達の残した生き方を 見習い 
ムヤミに 将来への責任を 大きくすることをしないことではないだろうか

危険度を 意識しながら 生きる
危険を受け入れて 生きる

どこにいても どこに住んでも 危険度はある
危険のないところはない

そう考えると 危険度を 容認した 生き方 復興の仕方 を 考えることではないか

まず 地元 住むヒトが 意識を変えなければならない
そこに住みたいのか 住みたくないのか
そこから はじまる

そこに住みたいのならば 危険も 受け入れる

現に崖を 背に暮らしているヒトは 沢山いる

危険 リスク を 受け入れて 生きている
危険を ゼロ に することは ムズカシイ

大事なのは 生きること
一番気持ちが休まる 落ち着くのは
今まで住んでいたところに 住む ことではないだろうか

今回のことで 元のところに住みたくないと思うヒトは 少ないはずである

関東大震災のとき 被災して残ったヒトが 大半
元のところに住めないと 移住したヒトは 少ない

多くのヒトが 元の所に 住みたいと 願っている

まず 元の場所に 住めること
生活基盤を 造ること

最小限の対応から はじめる
完璧な対応は 今でなくてもいい
ゆっくり 考えて 対応すればいい

街 町 再生で ヒトは生きる力を 得るのではないだろうか

津波対策は 後でもできる

今回のような 強大な津波は 頻繁に来るわけでない
次に見舞われるまで 時間はある

被災したという事実 出来事は 生きている限り 忘れることはできない
ただ 時間と共に 事実を 素直に受け入れることになる
そのとき 考え方も変わってくる

まず 住む環境を 住める環境を 構築

原発の事故の問題は 対応策さえ分からない 
今日 すぐには 解決できない

避難 は 余儀なくされる

ビキニ環礁での水爆実験の跡は どうなったか
チェルノブイリの原発の事故後の跡は どうなったか

なんら 対応もできず
住民は 帰還すらできないで いる
これが 現代社会の力

早く 原発事故被災者への 集団避難地域の確保をして
生活基盤を つくる 対応が必要ではないだろうか

“ない” “たい” から “ある“ への 意識 思考への 転換によって
現状を 打開していくことではないだろうか

いまも ヒト は 生きている 生きて 生きなくてはならない
生きることを 否定することは なかなかできない

みな と同じように 生きる 生きることのできる環境を 造ることが急務

危険は つきもの
危険を 受け入れて 生きる
ある程度 危険を 受け入れ
危険を 共有 共存 した 認識をする
 

すべて“ある” から はじまる

過去の内容一覧 (以下のことに関しては最下段の「記事一覧」を参照ください)
Vol 111 なぜ 隠蔽が 横行するのか
Vol 110 トップを走ろうとするモノほど 知識をどん欲に吸収する
Vol 109 悟ること それは 一瞬のこと 
Vol 108 生活保護の受給者が 200万人を超えた これは何を物語るのか?
Vol 107 宗教の持つ 二面性
Vol 106 周囲のことを気にしない 自己中心的行動は なにもたらしたか?
Vol 105 日本は 腐ってしまったか?
Vol 104 公務員改革は どのようにしたらよいか
Vol 103 欲望は つきるところを 知らない
Vol 102 話す言葉の中に 隠されたメッセージがある
VOl 101 エコな生活 健康管理を その4!
Vol 100 子育てには 情報 と 観察 を
Vol 99 無難な 人材採用は 企業改革できるか
Vol 98 子育ては 家族ゲーム
Vol 97 なぜ 事故は 起きるのか?
Vol 96 個人情報保護法は 何をもたらしたのか
Vol 95 強大な力は 欲望を助長するのか?
Vol 94 なぜ わがままが 横行するのか
Vol 93 エコな生活 健康的な生活 その3
Vol 92 現代社会は 不安定な土台の上の 家
Vol 91 ニュース は 平易な言葉で 表現しているか?
Vol 90 自分の身は 自分で守る その気持ちを持てるか?
Vol 89 ネマワシは 必要か

 
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