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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#329 十大秘話 ⑦ 三冠王

2014年07月02日 | 1983 年 
一つの時代の終焉、それは新しい時代の到来でもある。長嶋の引退声明が行われた日に王は、はなむけのアベック本塁打を放った。それは既にほぼ確定していた自らの三冠王への祝砲でもあった。本塁打数で田淵(阪神)に終盤までリードを許し、敬遠の四球に悩まされながら最後まで望みを捨てずに闘志を掻き立てて2年連続三冠王の偉業を達成した。 【 昭和49年11月4日号より 】


この号は「長嶋茂雄引退記念特集号」だったが、もう一つの特集が「世界初の偉業・2年連続三冠王の王貞治」だった。その王を支えたのは飽くなき闘争心だ。「今年はもう諦めろ。無理をして故障でもしたら来年に差し支えるぞ」周囲の人達に言われると寧ろギアをチェンジして猛然とスパートをかけて遂に三冠を手にした最後の1ヶ月間の王こそ野球人として真の姿である。後に王自身が語ったところでは2年連続の三冠王を意識したのは10月になってからだったという。

10月に入っても三冠部門で王はいずれもトップから引き離されていた。特に本塁打はトップの田淵が好調で2本差を縮める事がどうしても出来ずにいた。打率は上下するが本塁打と打点は下がらない為、数字以上に差が大きく感じられた。10月2日からの対阪神4連戦、田淵が豪快な一発を放ち嬉しさを隠す事なく小躍りしてベースを一周する姿を目にした王の闘争心に火が点いた。10月5日のダブルヘッター第1試合、1本差に追い上げられた田淵は3回に関本投手から再び2本差とする44号3ランを左翼席上段に叩きこんだ。

10月中旬、王の下唇の左下に小さなオデキが出来た。それは見る見る大きくなってやがてカサブタとなった。ナインから「お灸でもすえられたか?」と冷やかされたが神経の疲労からくるモノである事は明らかだった。昭和37年から12年間も守り続けてきた本塁打王のタイトルが遂に他人の手に渡ろうとしている。田淵の嬉々として目の前を通り過ぎた姿を思い浮かべて「絶対にタイトルは渡さない!」と改めて自分に言い聞かせた。

この頃から王の顔つきが変わっていった。普段はロッカールームで明るく振舞っていたが、日に日に口数が減り黙り込む事が多くなった。頬は窪み眼だけが異様にギラつくようになった。「勝負事は相手に戦う意欲を無くさせた方の勝ち。良かれ悪しかれこの2週間で全てが決まる、と自分を追い込み生活の全てを野球だけに集中した。あんな気持ちで日々を過ごしたのはプロに入って初めてだった」と述懐する。結果は田淵を最後に追い抜き2年連続の三冠王を達成した。しかしチームは10連覇を逃し中日が2度目の優勝を手にした。長嶋は現役を引退し、川上監督はその座を長嶋に禅譲し勇退。確実に一つの時代の終焉だった。

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