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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 396 色々ありました ヤクルトスワローズ編

2015年10月14日 | 1983 年 
昨季は最下位に沈んだヤクルトだったが荒木の入団、井本らトレードによる戦力補強などで今季は大きな期待が寄せられ開幕したもののシーズンが終わって見ればまたしても最下位。来季こそ…飛躍の年に出来るだろうか?


絞首刑宣言…全ての面で昨季を下回ってしまった投手陣。武上監督に散々酷評されたが特に秀逸だったのが5月31日の大洋戦で井本、松岡、島原の3投手が揃って3失点づつの体たらくで敗戦。頭に血が昇った武上監督が「揃いも揃って情けない。3人まとめて絞首刑だ!」と。だがシーズンが終わっても3人の首は繋がったままでどうやら刑の執行は無い模様。外野席からは「刑が執行されるのは監督の方じゃないの?」との声がチラホラ。

二転三転した骨折騒動…低迷の後を低迷が追いかけてきたシーズンだったが一度だけ勝率を5割に戻す機会があった。6月25日からの大洋戦に勝てば借金が「1」となり連勝すれば5割だった。勢い込んだ武上監督は「ここが勝負」と尾花投手を中3日で先発起用した。ところが尾花は打球を右膝に受けて途中退場の憂き目に。病院で診察を受けた結果は骨折で本人も周りも真っ青に。念には念をで別の病院で再検査すると今度は単なる打撲と言われ一安心した。しかし痛みがなかなか引かなかったので慶応大学附属病院で精密検査を受けた。すると骨には異常はなかったが新たに半月板の損傷が判明し手術を受けた。エースの怪我はあっちへ、こっちへと揺れ動き結局は後味の悪い幕切れとなった。

石ころ事件…体力の限界を理由に今季限りで19年間の選手生活にピリオドを打った大杉選手。ひょうきんな人柄を物語るエピソードを置き土産に引退した。4月27日の広島戦の1打席目で今季第1号を放った後の2打席目に入ろうとした時、達川捕手がマウンドの津田投手に向かって「怖がらんでエエよ。石ころだと思って投げてこい」と檄を飛ばした。それを聞いた大杉は「何を小癪な」と怒りを込めてバットを一閃すると打球は左翼スタンドへ突き刺さった。ベースを一周してホームインするや達川の頭をポカリ。「スンマセン…津田を励ますつもりで…」と達川は頭をポリポリ。

トンネルを抜けると…試合後のファン攻勢、特にギャルによるそれは時として身の危険を感じる程に激しい。荒木投手が入団した今季は更に激しさを増すであろうと考えた球団側が思いついたのがトンネルだった。何と球場内出口からクラブハウス駐車場まで地下通路を掘ったのだ。相馬球団代表によれば「以前から計画していた」との事だが荒木の存在が実行させたのは想像に難くない。直ぐに「荒木トンネル」と命名されたが肝心の活用する回数がチームの低迷と比例するように減って、シーズン半ばには無用の長物となってしまった。負けが増えて荒木の出番も無くなると群がるファンも激減しトンネルを使わずとも楽に移動出来たのである。

隣り組の助け合い…同じマンションの上下同士なのが角選手と渡辺選手。チームが遠征の時などは角夫人の恵理さんと渡辺夫人の晃子さんはお互いの部屋を行ったり来たりしてお喋りをして過ごしている。4月30日の試合で角がイレギュラーした打球をまともに受けて右頭頂部陥没骨折の大怪我を負った。恵理夫人は入院先の慶応大学病院に付きっきりで看病しなければならなくなった。実家が遠い恵理夫人を助けたのが晃子夫人で二歳になる沙也香ちゃんを預り面倒を見たのだ。「あの時は本当に涙が出るほど嬉しかった」と恵理夫人。渡辺家の支援はそれだけに留まらずグラウンドでは渡辺が角の抜けた三塁の穴を埋めたのである。

助っ人の専属運転手…若松選手が横浜スタジアムへ球場入りする時は必ず寄り道をしていた。浮いた話?いえいえ、そうではなくマルカーノとブリッグスの両外人を車に同乗させる為に遠回りしていたのだ。「外人専用のお抱え運転手という訳よ。いやぁ気を使ったね」と若松運転手。無事故・無違反・無遅刻は運転技術の巧みさがなせる業。ところでこの貢献は年俸査定の対象となるか否かは定かではない。

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