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#243 監督交代 ・ 近鉄編

2012年11月07日 | 1981 年 



西本監督を「勇退」という名の退団へと追い込んだ。昨年末、2年連続で日本シリーズに進出するも遂に日本一の夢を断たれた後、西本監督は球団にトレードによる補強を申し入れていたが受け入れられず、ロッテを自由契約となった白仁天外野手を獲得しただけだった。さらにパ・リーグ連覇の立役者のマニエルを契約のこじれからアッサリと放出。ならば代わりの助っ人として「右の大砲を」と注文したが、やって来たのは左打者というお粗末。トレードは無し、助っ人は使い物にならないでは天下の名将といえどもどうにもならない。「俺も長いことやり過ぎたよ、潮時かな」 20年間の監督生活にピリオドを打つ事になったのは自分の構想とまるで違う事をする球団に愛想を尽かしたからではないかとの声がもっぱらだ。

4日前に西本前監督が勇退会見を行なった電鉄本社8階の会見場に佐伯オーナー、上山オーナー代行、山崎球団代表らと共に会見に臨んだ関口新監督。「西本さんが8年間教えてくれ、残してくれた土台を皆で立て直していきたい」就任第一声は西本前監督の遺産を継承する事の宣言だった。新監督が決定するまでには紆余曲折を経た。球団はシーズン半ばには西本監督の辞意を察知し、慰留の道を探る一方で後任探しに着手し始めた。吉田義男氏、野村克也氏などの候補の中から最初に接触したのは広岡達朗氏だった。交渉は進展せず9月に入ると球団内では内部昇格案に落ち着いた。内部からとなると関口打撃コーチと仰木守備コーチの2人が候補となり、仰木コーチは時機尚早ではないかという意見もあり関口コーチが後任監督に決定した。本社・球団をあげて西本野球を継承して猛牛軍団を再建しようという声の表れだった。


しかし西本監督勇退後の人選は既に決まっていた筈だった。誰もが後任は山本一義外野コーチだと思っていた。広島商から法大を経て広島カープ入り、3年目からレギュラーとなりクリーンアップを任される。ベストナイン2回、オールスター戦出場5回、昭和47年には主将、昭和49年に選手兼打撃コーチ就任、広島カープ球団創設初優勝の昭和50年に引退、翌年から一軍打撃コーチに専任するなど幹部候補生として古葉監督の有力後継者と目されていた。その山本を西本監督が直々に広島カープ・松田オーナーに頭を下げて近鉄に来てもらった経緯から見ても西本監督の後任は山本以外は有り得ない筈だったのに、何故山本ではなかったのか?そこにはロッテの監督人事が複雑に絡み合っていたのだ。




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