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#244 監督交代 ・ ロッテ編

2012年11月14日 | 1981 年 


「こんなはずじゃなかった…」松井静郎球団社長は思ったに違いない。東京・西新宿のロッテ本社で重光オーナー臨席の下、シーズン報告会が行なわれる事になっていた。プレーオフに敗れ日本シリーズ進出はならなかったが2年連続前期優勝、山内監督の契約もあと1年残っていて報告会は形式的なもので終わるはずだった。プレーオフ敗退後の会見で山内監督は「この悔しさを忘れず来年こそは前後期を制してプレーオフ無しの完全優勝を目指す。その為にもトレードを積極的にやる。特に投手力の充実を図りたい」と意欲を見せていた。それが何故?

報告会当日のスポーツニッポン紙が『山内監督きょうオーナーに辞表提出』と書いた。スポニチは山内が評論家時代に所属しており同紙の社長とは公私に渡って親交があり記事の信憑性は高かった。山内は午前10時に新宿の本社で先ず諸田常務取締役と会い「身を引きたい」と辞意を伝えた。将来のロッテの為になればと何度も待遇や施設の改善案を進言してきたが一向に改善される気配が無かった事に堪忍袋の緒が切れたのだ。午前11時過ぎ本社12階の応接室で重光オーナー、松井球団社長、西垣球団代表、山本取締役と山内が顔を揃えて報告会が始まった。辞意を伝えた事は当然オーナーの耳に入っているはずなのにオーナーはおくびにも出さず来季に向けての構想を語っていた。「オーナーに伝わっていないのか?」山内はこれまでの疑問が解ける思いがした。

山内は過去何度もコーチの待遇や施設の改善要求を球団幹部に直訴していて、その度に「オーナーに伝える」との返事をもらっていた。他球団と比べて安いコーチの年俸、一緒に戦ってきたコーチが他球団へ引き抜かれても「ウチのコーチの給料じゃ気の毒で止める事は出来んよ。プロにとっての評価とはお金だからね」と寂しく語っていた。施設に関しても同じだ。二軍の選手達が口を揃えて「1日でも早く合宿所を出たい」と言うのは一軍に上がりたいと言う意味ではない。プロ野球球団の寮と言うにはあまりにも貧相な建物で6畳一間に2人、身体の大きな野球選手が布団を並べると部屋に余裕は無い。「一向に改善されないのは今までの要求をオーナーに伝えた球団幹部が誰一人いなかったからか?監督とはその程度の存在なのか・・」

当初、球団は山内の意思はそれほど強いものとは考えていなかった。辞意を表明してから1週間は後任探しに動いていない。3年前の監督就任要請の際に世話になった山内の後援者に「翻意するように山内を説得して欲しい」と頼んでいた。その後援者から「翻意は難しい」との返事を得て動き出したが、球界関係者に候補者のリストを依頼すれば4~5人程度はすぐに見つかるとまだ悠長に構えていた。だが現実は厳しかった。ロッテの内情が予想以上に球界に知れ渡ってしまった為に、候補者の誰もが「ロッテじゃねぇ・・」と尻込みしてしまうのだ。事ここに至って初めて球団は慌てた。最後の砦と考えていた張本氏にも断られて有藤の選手兼任監督案まで検討をせざるを得ないほど切羽詰った。

ドラフト会議は刻々と迫って来る。それでなくても毎年のように入団を拒否される事が多い球団にとって更なるイメージダウンは計り知れない。ひいてはパ・リーグ全体のイメージダウンに繋がりかねず、リーグの問題として対処しなければならない局面に追い込まれていた。在野の候補者にことごとく断られた以上、他球団のユニフォームを着ている人物をあてがうしかない。どこかに適任者はいないか?近鉄が名乗り出た。かつて近鉄は長期低迷を続けリーグのお荷物となっていた時期があった。その状況を打破する為に他の5球団に「パ・リーグ全体の問題」として協力を求め、当時阪急の監督だった西本幸雄をオーナー同士の話し合いで譲ってもらい助けられた事があった。今回は自分たちが助ける番だと立ち上がったのだ。

「ロッテの監督になってくれないか」近鉄の山本一義コーチは自軍の山崎代表にライバル球団の監督になるよう要請されたのだから驚いたであろう。山本は西本前監督がその人となりに惚れ込み、三顧の礼を尽くして近鉄に来てもらった程の男だ。本来なら近鉄でその手腕を発揮してもらいたいと考えるのが当然だ。しかし今は自分の所だけ善ければ良いという状況ではない。パ・リーグ6球団が共存共栄する事でリーグ、球界は発展して行くのだ。山本にとってロッテは想定外の球団だったろう。要請を断って広島へ戻ればいずれは広島カープの監督の座に収まる男だ。何も火中の栗をわざわざ拾う必要もない。山本の心を動かしたのは「男には一生に一度、身体全体で賭ける時が必ず来る。今度がその機会ではないのか。頑張ってみろ」という西本の言葉だった。

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