夜の帝王からドエライ怪物へと変身
8月16日、ナゴヤ球場での中日戦に登板した2年目の北別府投手(広島)。カウント2-1と追い込んだ大島選手に投じた決め球のフォークボールを完璧に捉えられ左中間スタンドに叩き込まれた。2日前、大島選手は西京極球場での阪神戦では山本和投手から2打席連続本塁打を放った。代打起用ばかりだった大島選手にとって20本の大台に乗せたのはプロ入り9年目で初めてだ。北別府投手から放った一発で3打席連発となった。これで後半戦に入り16試合で8本塁打。2試合に1本という量産ペースだ。打率も3割5分台へ上昇し、首位打者さえ窺える好位置につけている。今や押しも押されぬドラゴンズの中心選手である。
開幕前は話題を独占していたデービス選手が不在の今、ホットコーナーを守る大島選手がファンの声援を独り占めしている。「首位打者?とんでもないですよ。レギュラーになったのが今シーズンが初めて。打席での余裕もなくて1打席ごと夢中でやっているだけですよ」と大活躍にも控え目な大島選手だ。確かに今の自分を冷静に考えてみるだけの余裕はないだろうが、相手の広島カープナインは「中日にドエライ怪物がいた」と口あんぐり。 " 遊びに夢中な夜から働く夜へ " 一大転換となった大島選手。そこに野球一本に集中して打ちまくる大変身の原因があるようだ。
変身の転機となった森本の存在
昨シーズンまでの大島選手は野球よりお酒や車を愛する遊び人で有名だった。名古屋市内のマンションで気ままな独り暮らし。夜ともなれば栄地区のネオン街に繰り出した。誘われれば麻雀もやる。長髪で派手な服装に身を包み、どこか大洋のシピン選手に似たニヒルな男だ。それが今シーズンはピタリと止まってしまった。「一晩ゲームに出ると体重が3kg ぐらい減っちゃう。野球以外のことをする暇がないんです、悲しいことに(苦笑)」と大島選手は言う。
阪急から移籍して来た森本選手と三塁のレギュラーをめぐる争いを繰り広げていたが、森本選手の怪我をきっかけに大島選手の急成長が始まった。大島選手といえば一発長打が売り物で中日ファンは劣勢を挽回する起死回生の一発を放つ意外性に痺れた。だが歓喜するファンとは対照的に首脳陣は派手な一発より好機の場面で堅実な適時打を求めた。その首脳陣が欲する堅実さを今シーズンの大島選手は応えるようになった反面で一発がパタリと止まってしまいファンからは失望の声も聞かれるようになった。だが杉山コーチは「いずれホームランを打ち出す時は来る。ファンの人たちは待っていて欲しい」と太鼓判を押す。
兄の急死も拍車
今年の5月10日、神戸に住む兄・隆さんが急死した。大島選手はその日の試合に涙をこらえて出場した。試合後に兄のもとに駆けつけた大島選手は「今まで俺は何をしていたんだ…。両親や家の事を全部兄貴に任せて気楽に生きてきた。これからは俺が全て引き受ける。兄貴ゴメン」と亡き兄の前で誓った。その日を境に大島選手は変わった。人間はどんなことが人生を変えるきっかけになるか分からない。ただ、それを掴むか掴まないかはその人間の心がけひとつである。
オールスター戦に監督推薦で出場が決まった時、大島選手は「エエッ、僕が選ばれるなんて…まさか」と思わず叫んだ。全セの長嶋監督も若い大島選手が大きく成長しているのを感じ取ったひとりである。「努力していれば見る人はちゃんと見てくれるんだ」と再認識したという。大分の中津工高では無名の投手だったが当時の本多スカウトがその長打力を秘めた打撃センスに惚れてドラフト3位に指名され入団した。それから3年間はスカウトから二軍の指導者になっていた本多氏に鍛えられ、水原茂監督の抜擢で一軍に昇格したがレギュラーへの道は険しく実力よりも人気が先行していた。
プロ3年目の若手ながら派手な一発を放つなど中日ファン、特にヤング層の人気は高かった。しかし最近の人気はむしろヤングより玄人筋のファンに移行し始めている。いくら本塁打を放っても怖い表情を崩さない。もうヤング層には手が届かないほど大島選手は大きく脱皮してしまった。その意味では苦節9年目にして初めて人気・実力が伯仲した主力選手に堂々と仲間入りできたわけでもある。今の姿勢を崩さないかぎり大島選手は更に上昇し続けることだろう。