Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 500 実力派5人衆 ①

2017年10月11日 | 1985 年 



派手さは無くても存在感は主砲級。意外性の男が初めての優勝にトラ・トラ・トラ
「三冠・バース大明神」「掛布 300号」等々、21年ぶりの優勝に向けて突っ走る阪神を扱うスポーツ紙の大見出し。存在が地味な佐野選手が本塁打を打っても、ましてや1~2安打くらい打ってもスポーツ紙の扱いは小さい。佐野選手は存在感が無いのか?冗談じゃない、この数字を見てほしい。6月25日現在、187打数・59安打・打率.316 ・11本塁打と堂々の打撃ベスト10入りしている。阪神にとって佐野仙好という選手は必要不可欠な選手なのだ。吉田監督以下、阪神の歴代監督が口を揃えて「彼が抜けたらやっていけない」と言っていた。監督ばかりではない。6月14日の大洋戦で左前腕部に死球を受け苦痛に顔を歪めるシーンがテレビ中継に映されるのを見た知人やファンが球団事務所や何と佐野選手の自宅にまで怪我の状態の問い合わせが殺到したのだ。

「僕の事なんか記事にしなくていいですよ」どんなに派手な活躍をしようと自分から前に出ようとはしない。昭和49年のプロ入り以来、コツコツと一歩づつ地道に努力を重ねてきた生き様が多くのファンの胸を打つ。控え目な人柄だがやる時はやり、時に大きな仕事をやってのける。5月20日の巨人戦、0対5と劣勢に立たされていた7回に代打に起用された佐野選手が槙原投手から満塁本塁打を放って反撃に出た。試合は真弓選手の決勝2ランで阪神が大逆転勝利した。佐野選手の一撃があってこその勝利だったが本人は「ちょっと目立たせてもらいました」と相変わらず控え目。これも浮かれる事なく決して自分を見失わない性格のなす技であろう。また親分肌で若手の面倒見もいい佐野選手はチーム内の人望も厚く佐野選手を慕う選手は多く " 佐野一派 " という言葉がある程だ。

今年の7月には2人目の子供が生まれる予定だ。「最初が男の子だったから次は女の子がいいな。でも授かりものだからどちらでも嬉しい」と第二子の誕生を心待ちにしている。長男の啓教くんは5歳になって最近はパパの仕事も分かるようになってきた。「阪神が勝ってテレビでヒーローインタビューがあると『パパかな』なんてはしゃいでいます」と英子夫人は言う。「僕もこの世界に入って12年目。入団する前年(昭和48年)はあと1勝で優勝という機会を逃した。今年はそれ以来の優勝するチャンスだと思っています。今までは他球団の選手がビールをかけ合うのを見ているだけでしたが今年こそ俺達が、と思ってバッターボックスに立っていますよ」と熱く語る。父親としての責任に裏打ちされたいぶし銀の好打で夢のセ・リーグ制覇へ突き進む "トラ・トラ・トラ" が発せられた。



近藤野球で蘇った "分相応" の野球。でも盗塁だけは "分不相応" の44個を狙う
5月10日のヤクルト戦で加藤博選手は今季初アーチを放った。報道陣に配布されたコメントには「俺が本塁打を放つなんて信じられない。マグレですよ」とプロ16年目で14本目となる本塁打に自分でも驚いてみせた。本塁打をほぼ1年に1本の割合でしか打てないのを恥じる事なく喜べる。加藤選手は背伸びする事なく、まさに分相応の野球人生を送っている。昭和45年に当時の西鉄ライオンズに入団。昭和51年に阪神に移籍し打率.311 をマークした昭和55年までの下積み生活は10年に及んだ。なかなか陽の目を見ず、もがき苦しんだ野球人生の中で体得したのが「分相応」の哲学なのである。

その姿勢をネクストバッターズサークルの中での行動で見る事が出来る。➊ 松ヤ二の染み込んだ雑巾をサークル内のバックネットに一番近い所に敷く。➋ 敷いた雑巾の中央にバットをヘッド部分をセンター方向に向けて置く。➌ その脇に滑り止めスプレーを噴出口をセンター方向に向けて置く。➍ 最後に素振り用のリングを雑巾の右端に置く。この一連の動きを加藤選手は「雑巾はダイヤモンドのつもり。バットのヘッドとスプレーの噴出口の向きはセンター返しを意味しています。そしてリングは一塁ベースを表しています。つまり大きいのは狙わずセンター返しに徹して一塁に出塁する事を目指す、のを心がけています」と説明した。分相応に徹する事で厳しい世界を生き抜いてきたのだ。

" 分相応 " の考えは母親によって培われたものに他ならない。母・砂子さん(65歳)今でもクリーニングの外交をしているが加藤選手が中学生の頃、母親が自転車の荷台に洗濯物箱を積んで得意先を回っているのを見た加藤少年は「そんなに荷物が多いのならバイクを買えばいいじゃないか。自転車より楽だよ」と言ったら砂子さんは「いいかい博一、バイクならお母さんは楽できるかもしれない。でもねエンジンの音でお客さんの呼ぶ声がかき消されてしまう。自転車で走り回っていてこそ人の声が聞こえて注文も増えるかもしれない。お母さんにはバイクより自転車が似合っているのだよ」と優しく諭したそうだ。子は親の背中を見て育つ、加藤少年にとって母親の言葉が心に響いた。

「屋鋪、高木、加藤の3人には自分のタイミングで盗塁できるようノーサインでいく。仮に失敗しても文句は言わない。つまらぬ文句を言って彼らの意欲を削いでしまう方がチームにとってマイナスだから」と近藤監督は明言している。「ブレイザー監督時代を思い出すね。牽制球で何度か刺されたけどブレイザー監督は『チャレンジ精神を失くしてはダメだ』と言って許してくれた。近藤監督も似ているね(加藤)」と語る。各選手の個性、特性を生かす近藤監督の方針が " 分相応 " 精神を揺り動かす。キャンプ前に今季の盗塁数の目標を問われると「歳の数(33)くらい」と言っていたが今は「背番号(44)くらい」と " 分不相応 " な数字に上方修正した。「久しぶりに自分を上手く使ってくれそうな監督と巡り会った気がする(加藤)」今季の加藤選手から目が離せない。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« # 499 開幕 ③ | トップ | # 501 実力派5人衆 ② »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
佐野さんと加藤博一 (th)
2017-10-15 21:30:51
佐野さんこの間ネットで見たら見事に禿げ上がっていて驚いた!加藤博一は監督によって成績が左右するタイプで、ブレイザーや近藤貞雄の時は好成績残すも、それ以外は芳しくなかった。
近藤監督になったとき合同自主トレに新監督が姿を見せナインにこういったそうだ。「闘志を出せ。闘志を出したものから試合に使うから…」それを聞いた加藤は「この監督は自分に合う監督だな。」と思ったそうだ。きっとブレイザー監督の時のイメージが蘇ったんだろう。
返信する

コメントを投稿

1985 年 」カテゴリの最新記事