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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#214 夢の球宴史 ①

2012年04月11日 | 1981 年 


昭和46年7月17日(土曜日)の西宮球場。マウンドへ登った江夏の肩とヒジは開幕当初から不調だった。ここまで6勝9敗の成績以上に気が滅入っていたのは、黒い霧事件に巻き込まれたせいであった。シロと認定されたのに1週間の謹慎処分を科せられた怒りは1年やそこいらでは治まらなかった。江夏の周辺は雰囲気も悪く本人もオールスター戦出場の喜びも半減で、半ば投げやりな気持ちで臨んでいた。

1回裏、先頭の有藤(ロッテ)に4球投げてみて奇妙な感覚を得た。甘いコースへ2球ほど行ったが有藤はファールするのが精一杯。「ん?軽く投げているのに振り遅れとる」5球目は自分でも惚れ惚れするような直球がインコース低目へ、有藤のバットは空を切った。二番・基(西鉄)も5球で空振り三振、三番・長池(阪急)は4球で三振に仕留めた。「今日の直球はソコソコ速いんかな」ベンチへ引き揚げる江夏はまだ無欲のままだった。2回裏、四番・江藤(ロッテ)は空振り三振で4者連続。まだ江夏の気持ちは無欲のまま。続く土井(近鉄)を3球三振で仕留めて気持ちに変化が現れる。「パの打者連中がエライ神経質になっとるわ。萎縮した相手なら楽に三振が取れる。狙わな損じゃ」と三振奪取王の意地とプライドが頭をもたげてきた。

江夏の読み通り六番・東田(西鉄)は両腕が縮こまってバットが出ず見逃し三振。記録の期待にざわめくスタンドからは1球ごとに「ストライク!」の大シュプレヒコール。バットを持つ手が増々自由を失っていく。七番・阪本(阪急)、八番・岡村(阪急)ともに空振り三振で8者連続。次打者はオールスター戦初出場の加藤(阪急)。さすがに荷が重過ぎると考えた全パ・濃人監督はベテラン選手を代打に起用しようとしたが張本(東映)やアルトマン(ロッテ)は「左だから…」と辞退。ならば右打者と野村(南海)や池辺(ロッテ)の顔を見ても尻込みして視線を合わせる事はなく代打起用を諦め結局そのまま加藤が打席に立つ事に。

この時点で大記録は達成されたも当然と言えたが加藤も少々抵抗した。1-1からの3球目、かろうじてバットに当て、打球は力なくバックネット方向へ。「ブチ、捕るな」江夏がそう叫んだとされているが本人は「あれは『追うな』と言ったんだよ」と後に語ってはいるがテレ隠しだろう。仕切り直しの41球目は渾身のストレートで加藤のバットは空を切った。前年の5者連続を加えると14者連続となり第3戦でも先頭打者が三振だったので、計15者連続奪三振を達成した。ちなみに前年の球宴では3回で8三振を奪っている。しかも四番が捕邪飛だった以外は全て三振。それも皆空振り三振だった。「もし」は禁句だが補邪飛が三振だったなら打者19人連続奪三振のとんでもない記録になった。この間の7回をパーフェクトに抑えていたのも記録で、通算19イニング連続無失点も他を寄せ付けない。


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