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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 627 週間リポート・ヤクルトスワローズ

2020年03月18日 | 1976 年 



オレちっとも嬉しくないョ
1000奪三振も負け投手に大ぼやきの松岡
「三振より勝ち星が欲しいよ」と松岡投手は思わず呟いた。小雨模様の4月14日、本拠地・神宮球場での初ナイターとなった大洋戦の2回表に江尻選手を三振に仕留めてプロ入り通算1000奪三振(両リーグ52人目)を達成した。試合はヤクルトが1点を先行したが4回表に大洋が松原選手の適時打で同点に追いついた。雨の影響が出たのは5回表。ぬかるんだマウンドに踏み出した左足を滑らせた松岡が「途中で投げるのを止めると怪我をすると思ってそのまま投げた。ボール球にするつもりが投手の習性でストライクゾーンに投げてしまった」と悔やんだが後の祭り。その失投を見逃さなかったゲーリー選手に左翼席中段まで運ばれてしまいヤクルトは1点のビハインド。

ただ松岡は6回表を終えた時点で毎回の8奪三振と快調だった。ところが7回表になると突然の豪雨に見舞われコールドゲームに。「情けないったらありゃしない。何の為の記録だい。勝ち星に花を添える1000奪三振なら嬉しいが負けたら意味ないよ(松岡)」とブスッとした表情。プロ初奪三振は昭和44年4月13日の巨人戦の2回に王選手から。「緊張で当時の記憶は全く無い。その後に人並みの投手になってから三振を意識するようになった。王さんには5打席5四球もあれば4打席4三振もある。1000奪三振はいつかは達成できるだろう、程度で特に固執することはなかった。投手の評価は三振より勝ち星だと思う。だから負けちゃ意味はない」と悔しさを隠さない。

嬉しさも中くらいどころか陽気な松岡にしては珍しくボヤキ、ボヤキ、またボヤキだった。もしこの試合を勝っていたら通算96勝で史上67人目の通算100勝にまた一歩近づけたところだった。同じ年齢で本格派速球投手として何かと比較される堀内投手(巨人)、平松投手(大洋)はとっくに100勝をクリアしていて松岡は一歩遅れをとっているだけに悔しさ倍増だったのである。「ウチの打線が湿っている?だったらなおさら俺が相手打線を抑えなきゃダメだった。個人の勝負に勝ってチームで負けた。エースとして情けない(松岡)」と自分を責めるが、ヤクルトは初回のロジャー選手のソロ本塁打だけに抑えられたのだから松岡一人の責任ではない。



わしゃあビックリすたワイ
イの一番くじ引いてお国なまりも冴える佐藤球団社長
「わしゃ~ビックリすた」を連発するのはドラフト会議で一番クジを引き当てた佐藤球団社長。お国(岩手)訛りの東北弁を丸出しで会う人ごとに「ビックリすた」を繰り返すのは嬉しさの裏返しでもある。佐藤社長は予備抽選が五番目。つまり本抽選では残り8枚の中から見事に一番クジを引いた。「席を立つ時に五番以内のクジがまだ3枚残っているのは分かっていた。とにかくラッキーセブンじゃと決めていた(佐藤)」と振り返る。8枚の封筒は2列に並んでいた。右利きの佐藤社長は右から七番目の封筒を躊躇なく手にした。実は予備抽選で一番だった日ハムは本抽選で一度その当たりの封筒を手にしたが、思い直して隣の封筒を引いた。結果は十一番目だった。

「やはり斉戒沐浴。朝出てくる時にシャワーを浴びて頭のてっぺんからつま先まで清めてから来たのが良かったのかな(佐藤社長)」。過去9年間で最高は昭和43年の五番目。ヤクルトになってからはクジ引きは佐藤社長と松園オーナーが交互に務めてきたが、クジ運は決して良くはなく「ドラフトはいかん。選手の人権蹂躙も甚だしい(佐藤社長)」と人権派弁護士よろしくドラフト批判をしばしば展開していたが、この日ばかりは「ドラフトもいいねぇ」とは現金なもんだ。御年75歳の佐藤社長の趣味はゴルフで過去にホーインワンを四度経験しているが、一番クジはその時以上の興奮だという。「この当たりクジは封筒と共に球団の神棚に大事に供えたい(佐藤社長)」と。

ドラフト最大の目玉 " サッシー " こと酒井投手(長崎海星)指名が佐藤社長に課された使命だった。何しろ松園オーナーと同郷の長崎が生んだスター選手で松園オーナーから「何が何でも酒井君を頼むよ」と手を合わされていたが「頼むと言われてもクジですから…」と頭を抱えていた。それだけに指名後は「いや~良かった、良かった」と胸を撫で下していた。当初はドラフト会議に出席する予定だった松園オーナーだが所用で叶わなかった。松園オーナーが酒井指名の吉報を受けたのは関西出張帰りで新橋にあるヤクルト本社へ戻る車内無線。「ウチは優勝から見放されているから、そろそろ運が回って来ると信じていた。ドラフト万々歳だ(松園)」と笑顔また笑顔だった。



酒井家の一族に負けた首脳陣
税込み三千万円から手取り三千万円でやっとサッシー獲得
" サッシー " がついにヤクルトに入団した。12月8日、長崎の東急ホテルで松園オーナーも同席して盛大な入団発表を行なった。冒頭で「ついに」と表現したが一時は入団が越年する可能性すらあったのだ。入団発表会場の隅で感慨深げに見守る小山スカウト部長や内田スカウトの安堵した表情が交渉の難しさを物語っていた。契約金は手取り3000万円・年俸240万円。手取り3000万円といえば税込みで3800万円を越す。小山・内田スカウトが長崎の酒井家を訪ねたのは計5回で球団が当初提示したのは税込みで3000万円だった。酒井家は親族会議を開き「3000万は大金だが、イの一番指名なのだから手取りでなければ…」と態度を硬化させていた。

この時すでに12月8日に松園オーナー臨席のもと長崎で入団発表を行なうスケジュールが決まっておりスカウト達は焦っていた。だが酒井家の牙城は固く突破口すら見い出せぬままタイムリミットが刻一刻と迫って来た。発表前々日の6日の交渉も決裂した両スカウトは辞職も覚悟でヤクルト本社に掛け合って手取り3000万円を認めさせた。ところが今度は酒井の父親・義員さんが「心の整理がつかない」として冷却期間を申し入れた。「何だか自分の息子をセリにかけているみたいで…(義員さん)」と難航する交渉を見る世間の目を気にしたのだ。冷却期間の申し出に球団側も慌てたが、静かに待つしかなかった。

翌7日になって結局「お世話になりたい(義員さん)」と返事が出されて滑り込みセーフの入団発表となった。この間の交渉で憔悴しすっかりやつれきった小山・内田両スカウトと、入団発表会場のメインテーブルで郷里長崎が生んだスーパースター投手と握手をして満面の笑顔の松園オーナー。この好対照の表情に気がついた参列者は会場内に果たして何人いたであろうか。酒井の背番号はエースナンバーの『18』。来年の5月には " 酒井デー " を設けて長崎で公式戦を行なうとブチ上げた松園オーナー。担当記者の間では「来年はキャンプから酒井・酒井のオンパレードになりそうだなぁ」という声も起こったとか。何ともケタ外れな新人である。



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# 626 週間リポート・阪神タイガース

2020年03月11日 | 1976 年 



吉田監督の予言ピタリ的中
巨人に強い田淵がホームラン2本の固め打ち
ホームランの打ち方を忘れたのでは、と周囲をヤキモキさせていた田淵にやっと一発が出た。これでファンも首脳陣も一安心といったところだ。今季第1号は4月13日の対巨人1回戦の4回裏一死一塁の場面で堀内投手の内角速球を上手く腕を畳んで振り抜き左翼ポールに直撃させた。これは開幕から7試合目、26打席目だった。昨季は開幕の中日戦で3発と大爆発。それと比べると今季は明らかに遅かったがこの一発でエンジンがかかり、15日にも塩月投手から第2号を放ち王追撃の態勢は整った。思えばオープン戦で右ヒザを痛めたのがケチのつけ始めだった。コンディション不良のままシーズンイン。一発が出るまで本当に周囲はイライラしていた。

「私の予言通り巨人戦で打ちましたでっしゃろ。必ず打つと思うてましたワ」と吉田監督はニンマリ。巨人戦を控えた前日に吉田監督は予言していたのだ。単なる感ではない。田淵の過去7年間の第1号本塁打を振り返ると入団2年目の昭和45年、47年、48年と3シーズンに渡って巨人戦で放っている。そして今季が四度目で田淵は巨人戦と相性が良いデータが残っている。「特別意識はしていないですけどね。でも確かに巨人戦だと雑念が消えて試合に集中できる。2本出てやっと王さんに追いついた。まだまだシーズンは始まったばかりですよ」と出るものが出て田淵も首脳陣もホッと一息つけた。



なんと1億円をパーにして・・・
雨台風で2試合中止でV1逆転チャンス失う?
台風17号は全国各地に大きな被害を与えたが阪神も例外ではなかった。9月7・8・9日に予定されていた対巨人3連戦は初戦こそ行われ阪神が9対8で勝利し首位巨人に4.5ゲーム差に迫ったが残り2試合は大雨で中止に。続く大洋3連戦も1・2戦が中止となり5日間雨が降り続けた。約一週間も待ちぼうけで選手の追撃ムードの気勢がそがれるやら、テレビやラジオの放映権料や入場料、球場内での売上がパーになるやら球団にとって踏んだり蹴ったりの大損害だった。特にドル箱の巨人戦2試合の中止は痛かった。何しろ2日間で見込んでいた1億円が球団の懐から飛んで逃げてしまった。中止になった2試合は10月20日過ぎの最終日程に回されるので、ひょっとすると既に優勝チームが決まってしまった後の消化試合になっている可能性も高い。

「まったく憎っくき台風です。一番のかき入れ時にやって来るとはいい迷惑です。少々の雨なら決行したかったですけど、あの大雨じゃとても無理。こうなったら選手には残りの試合を頑張ってもらって来月の巨人戦が優勝を左右する試合にしてもらうしかない」と長田球団社長。被害はお金だけではない。巨人を追撃するチームの士気に水を差されて好調だった打線も試合勘が鈍り、投手陣も休み過ぎは登板間隔が空いてしまいかえってマイナス材料になるのではと心配された。だが一週間ぶりの試合となった後楽園球場での巨人3連戦は江本投手が打たれたが終盤に粘りをみせて引き分けに持ち込んだ。翌日は古沢投手が完投勝利。このままゲーム差を縮めたかったが3戦目を落として4.5ゲーム差のままで台風来襲前と変わらず。まったく迷惑な台風だった。



一味ちがうルーキー深沢投手
早くも合宿所入りし冬季練習で片鱗を披露
オフになっても甲子園球場では選手が大きな掛け声で動き回っている。山内コーチを中心に球場近くの合宿所「虎風荘」に住む若手が冬季練習を続けている。その中に見慣れない選手の姿があった。昨年のドラフト会議で5位に指名されたが入団せず、今年のドラフト前に1年遅れて入団した深沢投手(日本楽器)だ。12月1日に虎風荘に引っ越したばかり。最上階の509号室に入居したが当日は両親や友人が手伝いに駆けつけたがタンスなどを人力で5階まで運び上げるのにフーフー大汗をかいていた。

「新人ですから荷物運びが大変な高い階でも仕方ありません。家財道具といっても両親が買ってくれたタンスが2つやコタツくらいで部屋の中はガラ~ンとしています(深沢)」と。さっそく翌日からチームに合流し冬季練習に参加した。社会人で活躍していただけあって体の使い方は流石で若手に混じっていると目立つ。深沢の参加を聞きつけた皆川投手コーチが甲子園球場に駆けつけた。皆川コーチは日本楽器の臨時コーチの経験があり深沢とも面識がある。「下手投げの良い投手の印象がある。あの頃より体も一回り大きくなった。期待できるよ(皆川)」とニッコリ。



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# 625 週間リポート・中日ドラゴンズ

2020年03月04日 | 1976 年 



奥さんもビックリの変身ぶり
逆療法で快調に打ちまくる三番・谷沢
三番に入った谷沢選手のバットが毎試合のように猛威を振るい続けている。開幕戦の大洋戦は無安打に終わり自宅に戻った谷沢はテレビを見て大笑いしていた。それを見た敏子夫人は谷沢の変化に驚いた。昨年までの谷沢は自宅でも表情は暗く、何かを思いつめているように夫人は感じていた。それが今年は別人かと思うほど底抜けに明るい。昨年はヒットを打てないと毎晩のように険しい表情で1時間も2時間も素振りを続ける谷沢の姿を見てきた。それが今年は自宅で素振りどころかバットすら握らない。「おかしい。人が変わったみたい(敏子夫人)」と体の不調を心配するのも無理はなかった。

その辺を本人に問うと「ハハハ、そうですねぇ。今までがちょっと深刻に考え過ぎていたんですよ。なすがまま、どうにでもなれという開き直りですかね」と笑い飛ばした。要は逆療法というか気分転換ってやつである。気分転換と言えば今季から背番号が『14』から『41』に変わったが、これも本人からの希望で「デッカイことは良いことだ」という軽い気持ちで申し出た。「僕も今年でプロ7年目。そろそろ何かタイトルを獲らないと忘れられてしまう」と。その気持ちが早いカウントから積極的に打ちにいき、チャンスに有効打を放っている。それが現在の好成績に繋がっているのだ。



先発もいけるぜ、セーブ王
1年ぶりの先発で見事プロ入り初完投の鈴木孝
先発投手陣が総崩れで鈴木孝投手を先発で使えという声が球団内外で日増しに強くなってきていた。そうした声に押されて鈴木の先発起用に消極的だった与那嶺監督も渋々大洋戦に鈴木を先発に起用した。公式戦では異例とも言える予告先発だった。これには図太い神経の鈴木もナーバスになった。昨年の5月5日の対巨人戦以来の先発で、過去3年間で先発した9試合の成績は1勝5敗と決して良い結果は残していない。登板一週間前の広島遠征中に近藤投手コーチに「万全の用意をしとけ」と言われ身震いしたそうだ。本人はきっと前夜は眠れないだろうと心配したが意外にもよく眠れたそうだ。

眠れなかったのは鈴木の故郷の関係者で先発当日の昼頃に母校の成東高の松戸監督から「新聞で先発を知ったのだが結果を恐れず全力でやるんだ」と電話で激励されると「ハイ、分かりました」と答えた。本人はプレッシャーを忘れようと努めているのに周囲は放っておいてはくれない。試合の模様は地元の千葉テレビが実況中継を行なった。実家では父親・武男さんがテレビにかじりついて一球一球を目を皿のようにして見つめていた。「ヤツもやっと一人前の投手の仲間入りが出来た(武男さん)」と喜んだが、母親・はつみさんは怖くてテレビを見ることは出来なかった。

終わってみれば大洋打線に7安打を許したが要所を締めてシピン選手の一発による1失点に抑えて完投勝ちを収めた。これが鈴木にとってプロ入り初の完投勝利で本人以上に味方が驚いた。「前半はちょっとセーブし過ぎかなと思ったけど、走者を出すと気合が入っていた。カーブやフォークの他に今まで投げてなかったスライダーを上手く使ったよ。味方が点を取った後はギアチェンジしたね、大したもんだよ。これは教えたってなかなか出来るもんじゃない」と女房役の木俣捕手も鈴木の潜在能力の高さにビックリ仰天。ただ鈴木の今後について近藤コーチは「あと2~3回テストをしてから考える」と慎重な構えを崩していない。



ナニ!来季は2000万円だと
夢はデッカイぞ新人王・田尾、一発更改でやる気モリモリ
契約更改がスタートして2日目、昼休みが終わる頃から球団事務所に続々と報道陣が詰めかけた。ちょうど来年の球団カレンダーを買いにやって来たファンは何事かと目をパチクリさせた。そこへ現れたのは田尾選手。多くの視線を浴びながら会議室に消えて行った。「30分くらいで終わるだろう」と報道陣は待っていたが、1時間を過ぎても契約更改交渉は終わらない。タバコをスパスパ吸ったり、ああだこうだと雑談をすること1時間30分後にようやく田尾が戻って来た。一斉にテレビカメラのライトが照らされた。「契約更改でテレビカメラがこんなに集まるのは球団初でしょうね」と球団職員も驚いていた。

「はぁ、、サインしました。最初から一発でサインするつもりでしたから…」でも何だか歯切れが悪い。50%アップの420万円(推定)を提示された田尾は粘りに粘った。事前に中日で新人王になった谷沢選手や藤波選手が100%アップした情報を得ていたので、自分も同じくらいのアップ率を望んでいた。「途中で席を立とうと思ったんですが…(田尾)」と保留も頭をよぎったそうだが、球団から1年目の年俸が谷沢や藤波より高く手取り額は田尾の方が上だと聞かされてサインしたのだという。「来年は年俸2000万円を目指して頑張ります。今や2000万円が一流プレーヤーの証ですから」とデッカイ夢を語って球団事務所を後にした。やっぱり田尾は並みの新人とは違います。



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# 624 週間リポート・広島東洋カープ

2020年02月26日 | 1976 年 



いったいどうしたというのだ
予想外の黒星続きにファンもウンザリ
4月12日現在、昨年初優勝したチャンピオンチームが開幕から6試合が経過しても未だ勝ち星なしの5敗1分けという体たらく。古葉監督は口を開けば「打てない…」を繰り返す。ヒットが繋がらないばかりか、たまに走者が出ても併殺。6試合で11併殺では古葉監督もお手上げだ。試合中にリードしたのは巨人3回戦の一度だけとあっては勝てないのも当然だ。6試合合計で得点は僅かに13点。昨季の首位打者・山本浩選手の打率は1割に満たない上に三番・ホプキンス選手が山本以上の不調で投手を除いた8人のレギュラーの内、5人が打率1割台では赤ヘル打線ならぬ赤貧打線だ。

10日の巨人戦の前には「新浦にウチは昨年4連勝したし、ヒットの出やすい人工芝だからチームに勢いをつけるにはもってこいだ」と首脳陣は余裕を見せていたが結果は新浦投手に散発4安打の完封負け。翌日も小林投手に完投勝利を許し3連戦3連敗を喫した。調子が悪いのは投手陣も同じ。昨季のチーム防御率はセ・リーグトップの2.99 だったが現在は4.94 でリーグ最低。総失点は33点で総得点(13)を大きく上回っている。とにかく先発した投手で2回まで無失点に抑えた投手がいないのでは話にならない。昨季18勝した池谷投手に至っては二度の先発で2試合とも2回終了時点で4失点では勝てるわけがない。

エース・外木場投手も2試合に先発して2試合とも4失点。相撲に例えれば負けてもともとの平幕力士が勢いだけで優勝した次の場所で、大関や横綱のように受けて立つような気取った相撲を取っても勝てないのと一緒と言うのがネット裏の多くの声だ。巨人に3連敗した後に古葉監督が発した「去年と違う野球をやっている」はまさにそうだ。投打共に絶不調で浮上の兆しは見えないがシーズンは始まったばかり。過去には開幕6連敗を喫しながら優勝した昭和35年の大洋の例もある。勝負はこれから、と言うカープナインの言葉を信じよう。



男は黙ってハムには行けん!
一方的なトレード通告にいささかオカンムリの佐伯
まさか、まさかの佐伯投手のトレード。古葉監督は常々「外木場と佐伯は絶対に出さない」と公言していただけに今回の日ハムとの交換トレードは佐伯にとってまさに青天の霹靂であっただろう。「日ハムへ行けと言われてもハイそうですかというわけにはいかんよ」と佐伯の怒りは治まらない。11月19日のトレード発表の当日にいきなり球団から聞かされたのも癇に障ったようだ。「球団がいらないと言うなら仕方ないけど事前に一言あってもいいでしょ?昨年の初優勝には微力ながら僕も貢献したんだから」と怒りの矛先は球団フロント陣に。

「人にはそれぞれ事情があるから黙って日ハムへ行くか分かりませんよ(佐伯)」これは大好きなカープから放出される事へのシッペ返しなのか。「事前にトレードの打診が無かったことで感情が高ぶってしまったのかも。でも佐伯はクレバーな男だから一連の発言は単に感情に流されてのものとは考えにくい。少しでも自分に有利な条件を引き出そうとしているのでは?(球団幹部)」という声もある。「まだ24歳だから野球をやめるわけにもいかない。ただね東京は地震が多いでしょ。何か起きてもカープは保証してくれないですからね(佐伯)」。なるほど、だから放出される前に貰うものは貰う腹づもりなのか。



期待裏切られて喜ぶ外木場
気前いいフロント?本人予想を下回る減俸にニヤニヤ
昨季は悲願の初優勝を果たしたことで契約更改では日本一となった阪急ナインがビックリ腰を抜かさんばかりの大盤振る舞いだったカープ。何と1千万プレーヤーがホプキンス選手、シェーン選手の両助っ人を含めて7人も飛び出す華やかさだった。MVPの山本浩選手は倍増の2千万円台にアップするなど、これまでのカープを知る人には考えもつかない気前の良さだった。もっとも当時の重松球団代表は「もし来年がダメだったら厳しく減俸します」と釘を刺すのも忘れていなかった。それだけに今季は3位に終わっただけに大荒れの契約更改になると予想されたが意外や意外の展開となった。

更改は若手から始まり1千万円プレーヤーの一番手は外木場投手。今季は四度の故障もあって登板回も激減し昨季の20勝から半減の10勝に。本人も「15%から20%のダウンは覚悟している。15%だったらサインするつもり」と話していた。結果は球団側の温情で13%ダウンの1千7百万円(推定)の提示。外木場は二つ返事で即サインした。「球団に感謝している。来年は怪我なくフルに働きたい。その為にも明日とは言わず今日からでも筋力強化の練習をするよ」と満足顔。果たして残りの不振だった1千万プレーヤー達が揃って球団の温情を受けられるかは疑問だが、少なからず光明を見出した気分であろう。



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# 623 週間リポート・日本ハムファイターズ

2020年02月19日 | 1976 年 



オレたちの味方は84万人
観客動員独走!首位キラーの迫力も十分
9月12日のロッテ戦の試合前に行われた「第6回・少年ファイターズ会」の " 人工芝で遊ぼう " は大成功だった。午前11時半、ヨーイドンの合図と同時に後楽園球場の人工芝はアッという間にちびっ子に占領された。グローブとボールを持って来た子はキャッチボールを、何も持たずに来た子は人工芝の上を飛んだり跳ねたり大喜びだった。この日の参加者は少年ファイターズの会員とその保護者や友達など総勢1万8千人。中には墨田区から自転車に乗ってやって来た少年のように午前3時過ぎに球場に到着した子も少なからずいた。大盛況ぶりに球団関係者は「こんなに喜んでもらえるなら何回でもやりたいが、参加希望者が多すぎて二部制・三部制にしないと」と嬉しい悲鳴。

今や17万人を越えた少年ファイターズ会員。それに呼応するように日ハムの観客動員数は昨年の3倍増だ。この日のロッテ戦の観客は3万6千人、前日は3万5千人、前々日が1万6千人と3連戦で8万7千人を集め日ハムの観客動員数はセ・リーグの大洋を抜いて84万人に達した。「100万人は無理かも知れませんが来年には何とか達成したいです」と営業担当者は一足先にパ・リーグ制覇を成し遂げた事にホクホク顔だった。一方の現場もホクホク顔。首位のロッテを迎えての4連戦は4戦目を雨で流し3連戦となったが2勝1敗と勝ち越し、ロッテを首位から引きずり落とす上位いじめぶりを遺憾なく発揮した。

特に投手陣の踏ん張りが見事だった。10日は杉田投手がロッテのエース・村田投手と投げ合い被安打「3」に抑えたが山崎選手に2ラン本塁打を浴びて負けた。「フォークがすっぽ抜けてしまった(杉田)」と悔やんだが「杉田の悪い癖だった立ち上がりもだいぶ改善された。次は期待できる」と大沢監督も合格点を与えた。まさに後期の日ハムは首位キラー。首位チームに対して4勝3敗でロッテ戦の前にも南海を首位転落に追い込んだ。「ウチは弱い者いじめはしない(大沢監督)」とは人情家の親分らしい。多くのファンの声援を背に残りの試合も上位いじめに徹する覚悟だ。



オレ嬉しくたまらんョ
ドラフト・トレードいずれもグーで高笑いの大沢親分
「実にいい補強が出来たぜ」と大沢監督は自信いっぱいに断言した。11月19日のドラフト会議とトレードに関しての感想だ。ドラフト1位で指名したのはセンバツ優勝投手の黒田真二投手(崇徳高)。2位指名は社会人選手権準優勝投手の藤沢公也投手(日鉱佐賀関)。黒田は甲子園で一躍有名になったが藤沢はそれほど一般には知られていないが実力は折り紙付きで昭和44年にロッテ、46年にヤクルト、48年には近鉄がそれぞれ指名した過去がありプロの世界では知られた存在。3位指名は夏の甲子園大会で8打数8安打を記録した末次秀樹捕手(柳川商)、4位指名も東都大学リーグのスラッガー・大宮龍男捕手(駒大)でバッテリーを強化した。

5位指名は柿田登外野手(宇部商)、6位指名は下田充利投手(岡山東工)。下田について瓜生編成部長は「遠投105㍍の強肩、ズック靴で100㍍を12秒を切る走力。打率も5割超と投打どちらでも一流になれる素材」と絶賛する。「とにかくポジション関係なしに実力だけのランクを作り順番に指名した。彼らは上位24人に入っていた選手ばかり。ポジション的には偏った印象もないではないが満足できるドラフトだった」と大沢監督。1位の黒田は高校生では将来性がトップクラスの投手で2位の藤沢は社会人3羽ガラスの1人で即戦力とバランスも取れている。指名順が九番目にしては上々のドラフトだった。

次なる補強策はトレード。新実、皆川の新人王コンビに内田、鵜飼の4人を放出し、15勝は固いと言われる佐伯と火消し役の宮本の2投手と投手陣の強化と共に補強ポイントの一つだった内野手に久保の計3人を広島から獲得した。また佐伯の加入は副作用を生む可能性がある。それは日高を刺激することである。日高は高校時代は「広陵の佐伯」か「広島商の日高」かと広島県下で好投手の評価を二分した投手だったが、日ハム入団後に肩を怪我して現在は内野手に転向し二軍で奮闘中。佐伯の存在が好影響を与えるのを期待する。

広島から新実が欲しいと申し込まれた日ハムが「新実は出せないがウイリアムスで佐伯か外木場のどちらか欲しい」と新実以外のトレードを提案したが佐伯も外木場も出せないと答えてトレード話は頓挫した。その後、渡米先から帰国した古葉監督が改めて球団内で協議をして前述の4対3の複数交換トレードが成立した。昨年もドラフト会議後に近鉄から阪本、服部、永淵を獲得した交換トレードに続く大型トレードだった。「新実と皆川を出すのは痛いが、これで軸になる投手が高橋直、高橋一、野村、杉田、佐伯と5人揃った。来年が楽しみだよ」と大沢監督も手応えを感じている。



全面拒否
「くじ運の割に良い選手を指名できた」と今回のドラフト会議について御満悦だった瓜生編成部長だったが、1位指名の黒田投手(崇徳高)以下、3位指名の末次捕手(熊本工)らの入団拒否にあって頭を抱えている。「金銭的な条件面での難航なら交渉次第でいくらでも解決法はありますが、" プロ入りしない "・ " 日ハムには入団しない " とあっては交渉のしようがない。本当に頭が痛いですよ」と瓜生部長。ただし手をこまねいているわけにはいかない。「こうなったらじっくり腰を据えて、こちらの事情を説明して理解してもらうしかありません(瓜生)」と各担当スカウトたちは連日、広島・熊本・東京を行き来している。現状では年内の入団は難しそうだ。

一方、現役選手たちへの契約更改交渉も大きく変わった。これまでは選手が球団事務所に出向いて宮沢総務部長か三原球団社長と話し合い交渉して来季の契約を行なってきたが、今年から球団が選手宛てにあらかじめ来季の年俸を記入した契約書を郵送して選手がそれに納得すればサインをして返送するシステムに変更となった。ただしイエスかノーかの二択しかないのではなく、来季の年俸に不満があれば球団事務所に行き交渉するのも可能なのだが三原社長は「球団事務所まで来て話し合うといっても選手の方は『上げてくれ、下げないで』を言うだけ。そのために時間を割くのは無駄」と切り捨てた。



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# 622 週間リポート・南海ホークス

2020年02月12日 | 1976 年 



オレ様は「名消防士」さ
連日の好リリーフでまさに「神様・仏様・佐藤様」
開幕から佐藤投手が火消し役で大活躍している。チームを窮地から救っては「神様・仏様・佐藤様」とかつての鉄腕・稲尾のように崇められている。今季の南海には阪神から江夏投手が移籍し抑え役を務めているが、その江夏が目を丸くするほどのタフネスぶりを佐藤は発揮している。何しろ過去6年間怪我知らずで「毎日投げないと調子が狂う(佐藤)」と出番を催促するくらいだからまさに火消し役をやる為に生まれてきた投手なのだ。「南海投手陣でタイトル争いが出来るのは江夏くらいって思われたら悔しいからね。オレだって " リリーフの佐藤 " で売ってきたんだ。軽く見られたら男がすたるぜ」とキャンプから江夏をライバル視していた。

良い意味での対抗意識が佐藤には常にあり、江夏と張り合う覚悟でいる。4月4日の開幕戦(太平洋戦)でリードした9回の頭から起用された佐藤だったが、一死後に白選手に安打を許し代打に左打者の吉岡選手が起用されると江夏に交代させられた。この時の佐藤の悔しがりようといったらなかった。「ちくしょう!吉岡ごときに交代とはオレも落ちたもんだぜ。今に見ていろ必ずスカッと最後まで投げてやるからな、憶えてろ」と吐き捨てた。こうした台詞をベンチで堂々と言ってのけるのが佐藤の良さでもある。陰でコソコソ言う陰湿さが無いので首脳陣も批判とは受け取らずシコリも残らない。

この負けん気は翌5日に早速実を結ぶ。中山投手をリリーフして今季初セーブ。更に7日の近鉄戦ではピンチを迎えた江夏をリリーフしてセーブを記録して開幕戦の汚名を返上した。「あの近鉄戦のリリーフは久しぶりに熱くなったね。江夏は潔くオレにバトンタッチしてくれたし、試合後も素直に感謝してくれて嬉しかったね。リリーフ投手の最高の喜びはこれ。本当にジーンときたよ(佐藤)」と。佐藤にはひとつのジンクスがある。それは1年おきにタイトルを獲ってきた。1年目は新人王、3年目は勝率第1位、5年目はセーブ王、そして今季は7年目だからタイトルと縁のある年になりそうだ。

「投手の夢はもちろん最多勝・勝率・防御率の三冠だけどリリーフ専門のオレに最多勝は無縁。狙うとすれば残りの2つかセーブ王。一番欲しいのはセーブ王だね」リリーフ専門で1000万円プレーヤーになったことに佐藤は誇りを持っている。年俸を更にアップするにはどんどんセーブを稼がねばならない。今季の目標は60試合登板。それだけ投げれば結果は付いてくる筈。「本当は先発投手が完投すればオレが登板する必要はない。その方がチームにとっては喜ばしいだろう。でも現実は甘くない。投手個人もチームにも好不調の波は必ずある。先発陣が苦しい時こそオレの出番だ」と佐藤は力強く話す。



雨が降ったら何もでけんでは
なんとか室内練習場を。ノムさん深い悩み
日本列島に深いツメ痕を残した台風17号。各地の災害もさることながら混戦が続くパ・リーグ戦線に大きな影響を残した。南海も8日からの6日間で消化したのは僅か1試合。しかもエース・山内投手の乱調で痛い黒星を喫し優勝戦線から一歩後退となってしまった。「雨ですっかりコンディションを狂わされた。ウチが雨に弱いのは伝統や」と野村監督が自嘲するのには根拠がある。各球団の雨対策はほぼ解消されつつある。巨人は多摩川グラウンド脇に、ヤクルトは神宮に室内練習場を完備させた。在阪パ・リーグの阪急や近鉄も本拠地球場の隣に打撃練習には十分な広さの雨天練習場を作った。

片や南海は中モズの合宿所の隣に申し訳程度の室内練習場があるだけ。実際は室内練習場とは程遠く「あれはブルペンだろ。しかも1人が投げるのが精一杯の。打撃練習をしても打球がすぐネットに当たるから飛距離も分からずかえって調子を崩してしまう」と選手には不評だ。そこで球団は大阪球場内に雨天練習場を作る計画を何度も立てたが広さが十分に確保できず実現しなかった。雨が降る度に調子を狂わされて雨天中止の翌日の試合に勝てない理由の一つが室内練習場を持っていないせいでもある。ただでさえ打力に不安のある南海打線。中でも新井・相原・片平・定岡など経験の浅い若手は打ち込まないと好調を維持するのは難しい。

「打ち込みをさせたい選手が沢山いるのにこんな状態ではな…(野村監督)」先発メンバーの半数以上が打ち込みを必要としながら練習場が無い。野村監督の悩みが深刻なのもこのあたりに原因がある。1試合の勝ち負けがペナントレースの結果を大きく左右する団子状態の現在、野村監督ならずとも万全の態勢で試合に臨みたいのは当然である。「ここにきてこんな事で頭を痛めるなんて情けない。でも無い袖は振れない。どこか打ち込みが出来る場所を探さなくては」と額に皺を寄せる野村監督であった。



わてらの町の英雄ノムさんだ
野村監督故郷に帰り引っ張りダコのモテモテぶり
テレビ局がシーズンオフの企画として野村監督の里帰り番組を制作した。今は両親も亡くし生まれ育った実家もない京都府竹野郡網野町だが故郷はやはり格別だった。愛車のコンチネンタルで町を一望できる高台を訪れると「ここは30年ほど前に遠足で来たなぁ。当時は終戦間際でね、満足な弁当も無くて腹をすかしていたを思い出すよ」とポツリポツリ語った。続いて海岸へ移動すると「夏に遠泳をした。懐かしいな」と今は冬の海で白い波が岩に砕ける荒々しい風景を前に当時の様子が昨日の事のように蘇っているようだった。

このあと創立101年目を迎えた網野小学校へ向かった。当時と変わらない校門脇の椎の木や二宮金次郎の石像に懐かしさもひとしお。職員室に入ると4年生時の担任だった川戸先生(現教頭)と対面した。「当時は軍隊帰りの先生によく殴られました(野村)」と昔を蒸し返して大笑い。その後、教室に向かう途中に在校生たちに捉まって立ち往生する場面も。更には川戸先生に「講演をやってくれないか?」と予定外のお願いをされた。人前で喋るのが苦手なノムさんだが恩師の頼みを無下に断るわけにもいかず渋々承諾。

冷や汗をタラタラ流しながら講演を終えたノムさんに川戸先生が「創立記念の原稿も頼む」と追い打ち。これ以上は勘弁してくださいと丁重にお断りし学校を後にしたノムさんに一難去ってまた一難。町へ戻ると今度は顔見知りから「どうしたんや?」と次々と声をかけられた。なにしろノムさんは町の英雄であり名誉町民であるから仕方ない。しかもこれらの人達から夕食の招待が続々と。こちらも川戸先生同様に断りきれず " はしご訪問 " するはめに。普段より多忙となった里帰りだったが「やっぱり故郷はええなぁ」のノムさんだった。



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# 621 週間リポート・ロッテオリオンズ

2020年02月05日 | 1976 年 



三井「オレ、豪雨大歓迎」
コールドゲームに助けられノーヒットノーラン
4月14日の対近鉄戦(後楽園)で三井投手は5回を無安打・3四球・無失点の好投を見せた。ロッテ打線は2回裏に江藤選手が左翼席へ先制アーチ。3回裏にもラフィーバー選手の適時打で2点をリードし三井が6回表の先頭打者の石渡選手に1球目を投じたところで豪雨に見舞われ試合は中断。結局、中村球審がコールドゲームを宣告して試合終了。これによりパ・リーグでは史上6人目となる参考記録としてのノーヒットノーランを達成した。「そりゃあ最後まで投げたかったですよ。調子そのものは8日の太平洋戦の方が良かったけど、変化球は今日の方がキレていた。参考記録とはいえレコードブックに自分の名前が残るのだから雨が降ってくれて助かりました。エへへ」

「今日の三井なら9回まで投げても1点くらいしか取られなかったろう。まだ若いんやから今後もバンバン完投してくれないと困る」と普段は小言が多いカネやんもこの日ばかりは目尻を下げた。しかしカネやんも胸の内は複雑であろう。思えば5ヶ月前の昨年の暮れ、三井と巨人の高橋一投手プラス柳田選手との1対2の交換トレードが内定して三井は「憧れの巨人のユニフォームを着られるなんて人生最高の幸福」と感激したのだが、その後に紆余曲折あってそのトレードは御破算になってしまった。当時の三井以上にショックだったのがカネやんで欲しかった高橋一投手はその後に日ハムに獲られてしまい「アカン、来年のウチは最下位や」と嘆いたが今現在の三井の2勝がなかったら本当に最下位に沈んでいたかも。



物いえば口びる寒し秋の風 !?
ハム喰えずライオンに喰われカネやんガックリ
台風17号の影響で甲子園の伝統の一戦などセ・リーグの3試合が全て中止となったがパ・リーグの3試合は行われた。後期25勝19敗で同率首位に並ぶロッテと南海。半ゲーム差で追う阪急の3強による争いは激しい。9月10日の日ハム対ロッテ8回戦(後楽園)で村田投手(ロッテ)がプロ入り9年目で初の20勝をマークし単独首位に。「ワシは素晴らしいファミリーを持ってホンマ男冥利に尽きるで(金田監督)」とハムをパクリと喰ったカネやんだったが喜びは長くは続かなかった。翌11日の試合は村田に次ぐ12勝の八木沢投手がいきなり初回に小田選手に3ラン本塁打を浴びて敗戦。一日にして首位陥落したカネやんは怒り心頭だった。

そのカネやんの怒りに油を注いだのが12日に先発予定だった三井投手。試合当日の朝に下痢による腹痛を訴えて先発を成田投手に変更。試合に勝てていれば大した問題にもならなかったが急きょ先発投手に代わった成田は4回迄は無失点に抑えていたが、5回に千藤選手に左中間に決勝適時打を許し2対5で3連敗を喫した。しかも下痢の原因が前夜の食事の食べ過ぎと聞いたカネやんの血圧は更に上昇し「日頃から体調管理は注意せい、と口を酸っぱくして言っていたのに…。よりによって大事な試合前に食べ過ぎで腹痛になるとは情けないで」と怒りを通り越して呆れ顔。

「ロク(八木沢)のやつ、試合開始30分前にクーラーの効いた選手サロンでサンドイッチを食べていたんだと。汗をかいたままクーラーで体を冷やしたらアカン。そもそも30分後にマウンドへ上がるのにメシを喰ってる投手がいるか !?」と金田監督の怒りの矛先は2人の投手に向けられた。それでも何とか気を取り直して「ジプシー生活を強いられているロッテの選手達はたまに東京に戻ると女房や子供の世話に大忙しなんや。その点を大目に見てやらんと選手が気の毒や。まぁ次の仙台での試合で仕切り直しや(金田)」と15日からの太平洋戦のダブルヘッダーに向けて気持ちを切り替えた。

ダブルヘッダー第1試合の太平洋は7連敗中、一方のロッテはエース・村田が先発とあって連敗を止められると楽観的だったが、村田は太平洋打線の餌食となり先発全員安打を許し4失点でKO。ロッテ打線は新人の古賀投手に散発4安打で完封されてしまった。続く第2試合は八木沢・三井の " 日ハム戦因縁の2人 " が奮起して完封リレーで勝利した。この日は南海と阪急が共に勝利した為、ロッテは3位のまま。「ウチは体力的にも精神的にも限界にきているんや。選手もここで踏ん張らないとズルズルいってしまうと頭では分かっているが体が動かないんや…」とカネやん。まさに物いえば口びる寒し秋の風だ。



ええ~トメはいらんかやあ
カネやん弟の留広売り込みに連日の大忙し
ドラフト会議には姿を見せなかったカネやん。「ワシが行くとクジを引かされる。クジはもうこりごりなんや」と苦笑いするのも尤もで、昭和48年のドラフト会議では予備抽選で見事「一番目」を引き当てて意気揚々と本抽選に臨むと今度は何と「十二番目」を引いて会場を大爆笑させた苦い経験があるのだ。金田監督の代わりに土屋コーチが引いたクジの結果は「八番目」。何とも中途半端な順番だったが東都大学リーグのエース・森繁和投手(駒沢大)を指名したとの連絡を受けた金田監督は「まさにラッキーエイトや。これで来シーズンのローテーション問題は解決する」とご機嫌だった。

一方でなかなか解決しないのがカネやんの弟・金田留広投手の処遇だ。これまで巨人や中日に売り込んだが色よい返事は貰えず宙ぶらりん状態。ゴルフ場で顔を会わせたヤクルトの松園オーナーに浅野投手プラス益川投手との交換トレードを申し込むと松園オーナーは「広岡君に伝えておく」と返事。期待して待っていたが「釣り合わない(広岡)」とにべもなく断られた。「ワシの為にもトメの為にも出来ればヨソの球団でプレーするのが良いと思っている。トレードはホンマに難しいわ」と顔に皺を刻み付けていた。

11月23日には甲子園球場で阪神・巨人のOB戦が行われてカネやんも出場した。試合前に広岡監督を見つけると「もう一度、考え直してくれ。トメはまだまだ働ける。環境が変われば10勝できる。ワシが保証する。ヤクルトにとっても悪い話ではないで。何なら浅野や益川以外の選手でも構わないので頼む」と猛プッシュしたが、「もう来季の編成は終わっているので(広岡)」と再度断られた。巨人の柴田選手に次ぐオフの主役になった金田留広の売り込みにカネやんは今日も東奔西走のお忙し氏ぶりだ。



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# 620 週間リポート・太平洋クラブライオンズ

2020年01月29日 | 1976 年 



プロを何とわきまえているんだ!
" 乱投 " 東尾に晒し者のキツ~イお仕置き
エースの東尾投手が今にも泣きだしそうな顔でベンチから逃げ出してきたのは9月11日の対近鉄戦終了後だった。東尾はこの試合に先発したが近鉄打線の餌食となり13安打・7失点で敗戦投手となった。ただの敗戦なら大の男が泣きベソをかくはずもない。およそエースと呼ぶには相応しくない投球に堪忍袋の緒が切れた首脳陣が東尾を晒し者にしたのだった。3回に2失点、5回に1失点したが味方打線も2点を返して1点差で終盤へ。ここで踏ん張るのがエースなのだが6回にも1失点し形勢は更に不利に。普段なら投手交代しても不思議ではない試合展開だがベンチは動かない。7回も続投したが長短4安打を浴び3失点し万事休す。

今季の東尾は好不調の波が激しくベンチはイライラしていた。「今年はいつもあんなピッチングばかり。我慢にも限度があろうというもんじゃないか。ああなれば10点取られようが交代させない」と江田投手コーチ。東尾が晒し者にされたのは歴然であった。東尾自身も最後は虚ろな表情で放心状態だった。この続投強行は当然ネット裏の話題となった。青木一三球団代表は「続投の真意を担当コーチから直接聞いていないが」と前置きした上で「今年の投球内容がエースの名に値しないのは確かだ」とエース失格の烙印を押した。鬼頭監督も「東尾の扱いは江田コーチに任せているが、あんな投球ではエースは勿論、先発投手としても落第だ」と手厳しい。

これが直属の上司となる江田コーチは「全くエースとしての自覚がない。こんなピッチングをされてはこれから先、彼を使う自信がない。マウンド上だけでなく私生活を含めてプロ野球選手としての自覚を取り戻さないと今後はリリーフあるいは中継ぎで起用するしかなくなる」と更に厳しい。東尾に対する積もりに積もった怒りが一気に爆発した感じだ。こうした周囲の声に東尾は「周りにあれこれ言われるのは僕がだらしない投球をしたから。今シーズンは本当に納得のいく投球が出来ていない。自分でも情けなくなる。シーズンは残り少ないけど精一杯頑張りたいです」と普段の奔放な東尾とは別人のようだ。



ウワサの二人がやっぱり
シーズン中から内定?の基と関本が新天地へ
師走の声が聞こえだすとにわかにトレード戦線に2人の名前が挙がり始めた。先ず基選手。シーズン中から首脳陣と折り合いが悪く自らトレードを志願し、公然とセ・リーグ球団に行きたいと発言し球団から訓戒処分を受けた経緯もあり移籍は決定的と見られていた。日ハム、ヤクルト、大洋、中日から引き合いがありその中から中日の左腕・竹田投手プラス新人王・藤波選手との1対2の交換トレードが両球団で合意した。藤波選手が移籍を不本意として拒否しているが近日中にも正式に発表される見込みだ。もう1人が関本投手。加藤初投手と交換トレードで入団したが、巨人で活躍した加藤投手とは対照的に僅か1勝に終わった。

期待された関本だったが前期の終わり頃に肩が痛みだし針治療など行ったが効果なく、後期は丸々シーズンを棒に振った。トレードに関してエキスパートであると自認する青木球団代表だが「このトレードは失敗だった」と認め、責任を取ってシーズン終了後に代表職を辞し専務に降格する一幕もあった。現在の関本は秋季練習にも参加できる程に回復して球威も徐々に戻ってきた。肩さえ治れば2ケタ勝利は堅い関本だけに同一リーグへの放出は避けたい球団は大洋の山下律投手プラス高垣投手との交換トレードを模索している。関本をセ・リーグ向きの投手だと判断する大洋もこのトレードに前向きである。

このトレード話はシーズン中から囁かれていたが表面化したのはドラフト会議後である。太平洋は狙っていた即戦力投手を指名できず来季の投手編成に苦慮していた。そこへこのトレード話が再燃し一気に進んだ。安定感のある山下と抑え役も出来る高垣は魅力的。山下は肘を痛めているという情報もあるが短いイニングなら大丈夫と考えている。今回のトレード話が実現すれば10年間住み慣れた古巣を去る事になる基は「世話になった友人・知人と別れるのは寂しいがライオンンズに未練は無い」と言い切り、関本は「力になれず1年で去るのは申し訳ないと言うしかない」と殊勝そのもの。2人の新天地での活躍を願う。



甘ったれるんじゃないよ藤波
プロ3年目の男に袖にされ大ムクレの基と球団首脳
「一体オレはどうなるんだ。こんなアホみたいな話はあるか!」と気色ばむのは基選手。11月中旬に中日の藤波選手プラス竹田投手との交換トレードが成立し今頃は晴れて希望したセ・リーグの選手になっていた筈だった。ところが中日の交換要員の1人である藤波が「クラウンへは行きたくない」と駄々をこねて任意引退も辞さない構えで、このままではこのトレードは御破算になりかねない。「大体、給料はいらないから出さないでくれとか楽しく野球をやりたいとかプロ野球選手が言う台詞か?そんなんやったら最初からプロ入りすんなって事よ!」と基がいくら熱く言っても藤波にはカエルの面に何とやら。

新天地で頑張ろうと意気込んでいた基や中日の竹田。中日・クラウンの両球団に迷惑をかけた藤波の手前勝手さは球界の秩序を乱すものとして厳しく処断されるべきであろう。それはそれとして今回のゴタゴタはクラウンにとって単なる不手際では済まない問題となっている。「この話がストップしている間にウチが狙っていた選手のトレードが進行してしまい遅れをとってしまった。その上さらに今回のトレードが御破算になったら泣きっ面に蜂だよ(某コーチ)」「このトレードはもう駄目だね。基は戦力になるから残留でも構わないけど竹田投手のトレードと藤波選手の任意引退は中日側に要求してもいいんじゃないかな(球団職員)」など騒動は収まりそうもない。

プロ入り僅か3年目の藤波にコケにされて来季を心配するライオンズファンにちょっと明るいニュースを。今年のドラフト会議で1位に指名した立花選手。地元福岡・柳川商のスラッガーで将来を嘱望される逸材だが、当初は「名前がクルクル変わるような球団は嫌(立花)」と拒否の姿勢の姿勢を崩さずノンプロの松下電器入りが濃厚で入団は絶望的ではないかと言われていたが風向きが変わってきた。そこには父親・義行さんの存在が。「いずれプロ入りしたいのであれば早い方がいい」と助言。「2~3年先には必ずクリーンアップを打てる素質を持っている。選手を見る私の目に狂いはない」と豪語する青木専務直々の口説き文句が功を奏したようだ。



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# 619 週間リポート・近鉄バファローズ

2020年01月22日 | 1976 年 



あと3勝、いや4勝せなあ
2年連続20勝と通算200勝へ意欲的な鈴木
エース・鈴木投手が快調に白星を重ねている。目下6連勝中の17勝。2年連続20勝が目前であるが17勝目の対太平洋戦は冷や汗ものだった。打線の援護で7点のリードを貰って気が抜けたのか後半に崩れて5失点し、完投目前の9回に柳田投手の救援でどうにか白星を手にした。普段は立て板に水の鈴木もこの日は「あんな無様な投球をしてたら20勝なんて無理。球にキレがなかったしコントロールもバラバラ。打線の援護が無かったらとっくにマウンドを降りていた。情けないわな」とボソボソ声で反省しきり。このところ投球内容が良かっただけにショックも大きい。「柳田に迷惑をかけた。彼にはいつか借りを返さなくちゃね」と柳田に気を遣う。

鈴木は入団2年目の昭和42年に21勝をマークして以来、翌年以降も23・24・21・21勝と5年連続で20勝投手になった。だが昭和47年から急激に勝てなくなった。特に昭和48年は11勝とエースの称号に相応しくない成績で限界説まで囁かれた。それまでの力投型から多彩な変化球を駆使する技巧派への転向に成功し、昭和50年には22勝を上げ4年ぶりに20勝投手に返り咲いた。それだけに今季は2年連続の20勝投手を目標にしている。「昨年の成績が本物かどうか懐疑的な周りの目を意識している。何としても達成したい」と執念を燃やしている。20勝の壁を越えれば今季中にも通算200勝に手が届く。

今季21勝目が通算200勝となり個人的には大きな目標達成となるが、チームのことを考えると心が痛む。現在のパ・リーグ後期のペナントレースは首位争いが混沌としていて目が離せない。ロッテ、阪急、南海が横一線で並び日替わりで首位が入れ替わる。エースとしてその争いに加われない悔しさが鈴木にはあるのだ。「後期のスタートで勝てなかったのが本当に悔やまれる。僕自身あの時に今のようなペースで勝てていればウチも首位争いに加わっていた筈だ。あの時の足踏みが無ければ…」とエースとしての責任を痛感している。全ては後の祭りだが個人記録の20勝と通算200勝の目標は残っている。「あと3つ、いや4つ勝つだけです。例え消化試合と言われても力の限り投げ続けたい」と語気を強めた。



自信あるのはフロントだけ?
ファンも小首かしげる地味なドラフト指名
「6番目のクジ順にしてはまあまあの選手が指名できたと思っています」と中島スカウト部長は満足そうに話すが、ここ最近のドラフトは地味な選手の指名が続いている。かつては甲子園のアイドル・太田幸司や春のセンバツ優勝投手の仲根正広などを指名して話題となった近鉄だが、一昨年は福井(松下電器)、昨年が中野(東海大二)、そして今年も久保(柳川商)と1位指名にしては地味だ。フロント陣は「ネームバリューよりも実力派を狙った」と言うがファンにしてみればそう楽観はしていられない。「福井の時だって球団は自信満々だったのにまるで使い物にならんでしょ。中野なんて今どこで何をしているのやら」と呆れ顔。そこでフロント陣が自信を持って?指名した6人を紹介すると
 
   ①久保康生(18)投手 柳川商
   ②石原修治(18)遊撃 我孫子
   ③応武篤良(18)捕手 崇 徳
   ④渡辺麿央(20)投手 日鉱佐賀関
   ⑤山本和範(19)投手 戸畑商
   ⑥市川和正(18)捕手 国 府

なんとも地味な顔ぶれである。しかも1位に指名された久保は近鉄に対して好印象を持っていない。「巨人か広島に行きたかった。近鉄?好きも嫌いもありません。ここが好き、ここが嫌いという判断材料が無い。興味が無いんです(久保)」と何とも素っ気ない。また久保の父・義行さんも「こんなことを言ったら失礼ですけどセ・リーグの球団に指名されたら万々歳だったんですけどね」と落胆を隠さない。だが久保はプロ一本に絞り進学や就職の準備をしていなかったので近鉄入りはほぼ確実だ。

一方で中島スカウト部長が今回のドラフトで最も期待しているのが2位指名の石原だ。中央球界では無名の千葉県我孫子高で走攻守三拍子揃った大型遊撃手。この選手の話になると中島スカウトは「素晴らしい選手ですよ。直ぐに一軍で活躍できる逸材です」と目を細める。この石原も入団はほぼ間違いない。だが3位指名の応武と5位指名の山本は進学を希望している為に交渉は難航が予想される。ただし今現在は各選手とも指名の挨拶程度で本格的な交渉には至っていないので今後の条件提示など具体的な交渉が始まると情勢は変わる可能性は残っている。11月下旬には中島部長らスカウト陣が東奔西走に明け暮れるようになる。



トレード話はもうお断り
古傷治し来季に汚名返上を期す神部
「古傷を徹底的に治してすっきりしたよ。もう再発する心配はないよ」と神部投手は大分・別府にある帯刀マッサージ治療院で10日間による施術を終えて帰阪した。神部といえば腰痛や肘痛を思い浮かべるほど怪我に悩まされている。好投手と評価されながら肝心なところで怪我で満足な投球が出来ない悲運に泣かされてきた。そんな神部にトレード話が幾つも寄せられた。「治療は勿論だけどトレードの話題を聞かされるのが嫌で大阪を離れたんだ」と九州行きの理由を語った。神部は西本監督の信頼厚く2年連続で開幕投手を任された。しかし結果はいずれも無残なKO。

「トレード話が出るのは成績を残していないからでしょう。勝てていればそんな話も来なくなると思います。モノは考えようでトレード話はあるのは他球団は自分を評価してくれている証拠でもあると前向きに考えていきたい。でもやっぱり来季は好成績を残してトレード話は封印したいですね」と、治療の効果に意を強くしている神部。来季の目標を問われると「リーグ優勝をして日本シリーズに出ること。個人的には防御率2点台、15勝を目指します」と明言した。期待されながらその期待に応えられなかった今季の神部。来季こそその真価が問われる時である。



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# 618 週間リポート・阪急ブレーブス

2020年01月15日 | 1976 年 



我が辞書に敗戦の文字は無い
前期制覇決定? パ・リーグの灯を消す独走
とにかく凄い開幕ダッシュだった。先ずは開幕戦をエース・山田投手が完封勝利。翌日は足立投手が味方の守備の乱れで負けたが、その後は『阪急の辞書に敗戦の文字は無い』とばかり勝つわ勝つわ。4月4日の近鉄3回戦から13日の南海1回戦まで先発投手がオール完投で勝利し、「もうパ・リーグの灯は消えた」と他球団のファンはお手上げ状態。開幕前は山口投手が右膝挫傷、加藤選手が右足首捻挫と投打の主力に故障者が出て連覇に赤信号が点滅していたのがウソのような快進撃。特に山口を欠いた投手陣は山田、足立、戸田らが踏ん張り、またロッテ2回戦では白石投手、同3回戦では大石投手が「嬉しい誤算(上田監督)」の完投勝利を収めた。

とりわけ大石は完封のおまけ付き。完封は勿論、完投も広島時代の昭和49年5月の対ヤクルト戦以来で「まさか大石までやってくれるとは」と梶本投手コーチも驚いた。開幕から8試合で7勝1敗、この間の防御率は0.97 と驚異的。セ・リーグトップの中日投手陣の防御率は2.57 だから如何に阪急投手陣の奮闘ぶりが分かる。加えて援護する打撃陣も凄い。開幕の近鉄戦は初回に3点を上げると2回にはパ・リーグ新記録となる9連打・8得点。その後も打つわ打つわでぶっちぎりの独走も頷ける。この状況に上田監督も満面のえびす顔かと思えばそうではない。「いずれこの反動が来る。その時に備えて勝てる時に勝っておく。周りから勝ち過ぎと文句を言われてもね(上田監督)」と。



それはないですぜ、カネやん
ロッテとのトレード全面拒否で長池の残留決まる
ロッテ側から譲渡の申し込みがあった長池選手について渓間球団代表は「いくら欲しいと言われてもハイそうですか、と簡単に出せる訳がありません。彼ほどの功労者は大事にしないといけない。放出は有りえない」と長池譲渡の意思がない事を明言した。長池の周囲が騒々しくなったのはそもそも金田監督(ロッテ)の発言が原因である。「阪急には長池の他にも高井というDHに適した選手がいる。どちらかがベンチの控えでは勿体ない。是非とも長池をウチに譲って欲しい。見返り?村田・三井・弘田・有藤以外やったらOK(金田)」とぶち上げた。

過日のパ・リーグ理事会終了後においてロッテの西垣球団代表が渓間球団代表に直接長池譲渡を申し入れた。阪急としてもウィークポイントだった三塁手を中日から島谷選手を戸田投手と大石投手の2人を見返りにトレードで獲得した直後で投手陣が手薄になり、長池の件は一考の余地があるとして検討を始めた。ところが金田監督の発言通りにはいかなかった。前述の4選手以外の選手を阪急側が要求してもロッテ側は拒否。ロッテ側が挙げた選手を阪急側は必要としない。何度かの交渉の末、両者は合意に至らずこのトレード話は御破算となった。確かに今季の長池は精彩を欠いたがその原因はキャンプでの故障(右足ふくらはぎの肉離れ)で、怪我さえ治れば従来の強打者ぶりを発揮できると考えた球団側は譲渡に応じられないとの結論に至った。


長池の経歴はMVPが2回、本塁打王が3回、打点王も3回など華々しい。それをたった1年くらい成績を落としたからといって釣り合いの取れないクラスの選手とトレードしたとあっては球団の見識を疑われてしまう。「ウチはそんな冷淡な球団ではない(渓間代表)」と。渦中の長池本人も「トレードされるならユニフォームを脱ぐ」と言い切り態度を硬化させていたが、渓間代表の言葉に安堵の表情を浮かべた。「こんな騒動になったのも元はと言えば自分の体調管理が出来なかった事が原因。来季はトレード話が出ないようにしっかり調整し結果を残したい」と長池は復活を誓った。



狙うは球団初の2000万円
栄光のV2達成で果たして加藤、福本が大台に乗るか?
いよいよ契約更改の季節が来た。 " 悲願の打倒巨人 " でV2を成し遂げた阪急ナインの胸算用は皆が皆、大幅アップ。何と言っても注目は球団初の2000万円プレーヤー誕生が成るかである。現在No,1高給取りは加藤秀の1680万円。加藤は今季も打率3割越えで打点王。28本塁打は自己最多で貢献度はピカイチ。また福本は7年連続盗塁王。昨季は打率.259 と不振だったが今季は打率.282 まで上げた。2人とも大台は確実視されているが球団側は意外にも強気である。「日本一の報酬は日本シリーズの分配金できちんと出している。来季の年俸と日本一はあくまでも別物。連続日本一でも青天井で上がる訳ではないです」と山下常務はピシャリ。


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# 617 ニュー・ジャイアンツを担う ➋

2020年01月08日 | 1976 年 



常時出場を願うファンの声にもクールな男・淡口憲治。川上監督の持論「今の高校生は2~3年は二軍で鍛えないと使えない」を覆す例が淡口だった


昔の人に好かれる " 黙々 " 努力型
1㍍73㌢・76㌔、プロ野球選手としては小柄な部類の淡口だが高卒1年目の春季キャンプでいきなり二軍から一軍へ昇格し、オープン戦にも出場した。川上監督に淡口を推薦したのは白石二軍監督。「足腰は既に完成している。パワーもある。まるで哲っちゃん(川上監督)が入団して来た時とそっくりだ。性格も真面目で浮ついた所はまるでなく二軍に置いておく理由はない。レベルの高い一軍で勉強させた方がチームの為にもなる。近い将来レギュラーになれる選手だ」と太鼓判を押した。がっちりした体躯、いかにも芯の強そうな面構えは川上監督好みの選手というより昔気質のオジサンに好かれるタイプだった。

中学時代のあだ名は「オッサン」。頼られ信頼される要素を当時から持っていたのだろう。淡口の経歴は神戸で生まれ育ち本山第一小学校5年生の時に少年野球チームに参加。6年生の時に神戸市の東灘大会でエースとしてベスト8まで勝ち進んだ。中学では1年生から一塁手のレギュラー。2年生からはエースで東灘大会で準優勝。その頃から将来は阪神の選手になる事を夢見ていて「村山さんの大ファンでした。甲子園にはよく巨人戦を見に行って巨人の選手を野次ってました(笑)特に国松さんを野次ってましたね、代打で出てきてよく打っていたので憎らしい存在でした(笑)」

昭和43年に三田学園に進学。報徳や育英など強豪校がいるこの地区は練習も凄まじい。当然ポジション争いも熾烈だが1年生から補欠ながら14人のベンチ入り選手に選ばれた。上級生には今は同僚の山本功や羽田(近鉄)がいた。1年生時のポジションは遊撃、三塁。2年生で外野のレギュラーとなった。打撃では三番を任され第42回・43回選抜大会に連続出場し共にベスト8だった。甲子園では通算3割3分台を記録し一躍プロ注目の選手に。昭和45年のドラフト会議で巨人が3位で指名した。「阪神が第一希望でした。5位以下だったら法政大学に進学するつもりでしたが3位指名だったのでプロ入りを決断しました(淡口)」


アガって死人のようだった初舞台
さて巨人入りしてからだが昭和46年には5試合に出場した。「プロデビューは川崎球場の大洋戦でした。相手投手は平松さん。代打だったんですが川上監督からは自分のバッティングをしてこい、と言われました。でも緊張で足はガクガク、心臓はバクバク。打席に向かって歩くのも一苦労でした。結果は平松さんのカミソリシュートを引っかけてショートゴロ。ベンチに戻ると先輩から顔色が真っ白だと言われました」。だが淡口の巨人入りは絶好のタイミングだった。川上巨人は後半を迎えて次代を担う若手選手の発掘が重要課題だった。王・長嶋が健在なうちに次期クリーンアップ候補を探していた。

昭和47年のキャンプでは川上監督直々にカーブ打ちを伝授された。川上監督は淡口に「俺も初めはカーブが打てなかった。先ずはカーブの曲りの軌跡を見ることから始めなさい」と教えた。そして普段の練習方法にも触れて「全てを自分中心でやること。相手に合わせるのではなく自分から動くように。主導権を握れば自ずと結果は出る」との教えは今も淡口の支えとなっている。初本塁打は昭和47年6月の大洋戦(後楽園)で坂井投手から放った。「ベースを一周してベンチに戻った時、三塁とホームベースは踏んだけど一・二塁ベースを踏んだ記憶がなくて焦ったのを憶えています(淡口)」と初々しい一撃だった。

現在の淡口はまだ明日のクリーンアップ候補のままでレギュラーを獲得していない。現在のままでは不十分である。先ずは苦手の左腕投手を克服しなければならない。「去年の秋季キャンプで左投手も打たせて欲しいと国松さんに申し出たんですけど、左も右も打ち方は同じ。先ず自分の型をしっかりと作る事に徹しろと言われました。そこで今はフォーム固めをしています。毎試合出場してファンの皆さんの声援に応える為にも必ず左投手を克服します」と淡口は話す。私生活では食事を摂る際には必ずサラダを追加するなど健康面も気遣う。愛車はコスモ。このあたりもクールさが現れているが、一歩一歩着実に階段を昇っていくことは間違いないだろう。



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# 616 ニュー・ジャイアンツを担う ➊

2020年01月01日 | 1976 年 



一見やさ男の奥にある巨人イチの心臓男、小林繁・・1㍍77㌢、体重62㌔ 決して大きく見えない。背広を着ればむしろ華奢に見える。そんな男が優勝へ邁進する長島巨人投手陣の大黒柱である。目下16勝と堂々たるエースだが何故か巨人ナインの中で目立たない。小林繁とはどんな男なのだろうか?

カモの田淵に打たれるなんて
小林は9月15日の対阪神20回戦(甲子園)に先発した。小林はもともと阪神戦は相性が悪く苦手にしていて阪神戦は先発ローテーションを飛ばされていた。しかし9月13日からの甲子園3連戦に長島監督は堀内、加藤、小林の先発を決めていた。悪くても2勝1敗。あわよくば3タテを目論んでいたが堀内、加藤が揃ってKOされて小林が最後の砦となった。エースに昇りつめた小林だがライバル阪神戦に必要とされなかった悔しさを胸にマウンドへ上がった。しかし結果は単調な投球に陥り、田淵に3ランを浴びて負けた。試合後に取材を受けた小林は「一番のカモと思っていたのに打たれた」と発言。阪神のスターで大先輩の田淵をカモ呼ばわりした事に記者達は驚いた。しかしこの発言は田淵を卑下したものではない。小林の投球スタイルは大振りする打者は御しやすいカモである。田淵はまさに『大振りする打者なのに・・』を思わず省略してしまった為に「カモ」と言ってしまったのだ。そう、小林は意外と短気なのである。

裏日本育ち、小林の負けん気
小林は「自分の取り柄は人一倍の負けん気」と言ってはばからない。負けん気が無ければ裏日本の町に生まれ、由良育英高という中央球界で無名の高校からノンプロの大丸を経て、決して有望視されていたとは言い難いドラフト6位で指名された巨人軍のエースに昇りつめることは出来なかったであろう。「僕の投球スタイルは全て自己流です。誰からも教わっていません」と言い切る。普通は憧れの選手とか自分の体型と似た先輩を参考にするものだ。しかし小林にはそれが無い。だから変則投法と言われても「今の投げ方が一番しっくりしている」と反論する。巨人イチの強心臓男はさすがに自尊心も高い。

だが負けん気も自尊心も限界がある。自分の能力を正しく評価する必要がある。「入団した時、藤田コーチ(当時)にお前は自分では速いと思っているようだがそのスピードじゃプロでは通用しないよ、と言われて大ショックでした。でもすぐに変化球に磨きをかけなければと気持ちを切り替えました(小林)」と当時を振り返るが、こんなクレバーなところも小林の長所でもある。「ノンプロ時代の変化球はカーブ、シュートくらい。今はスライダー、シンカー、ナックル、フォークと増えました」と胸を張る。縦の変化も加えたことで投球の幅が増して勝ち星につながった。「今年勝てているのはバックが点をたくさん取ってくれたお蔭。相手は打たなくてはと力んで大振りしてくれる」と自己分析をする。


目指す20勝を狙うが故の焦り
投手として大成する過程での負けん気は結構なのだが、試合中にそれが頭をもたげると良い結果が出るばかりではない。夏場にちょっとしたスランプに陥った。「僕みたいな痩せている選手は相手にスタミナがないと思われるのを嫌う。それで敢えて力勝負を挑む事がある。力で捻じ伏せてやろうとムキになって一本調子になって打ち込まれてしまったと反省している」と。現在16勝であと6試合くらい先発する機会がありそう。「こんなチャンスは滅多にないので20勝を狙いたい」と意欲を見せるが焦りは禁物。つい抑えようと本来の投球パターンを忘れて自滅してしまう投手は多い。「タイトルや数字は狙うものではない。ベストを尽くした結果に転がり込んでものなのだ」と語った王選手の言葉を小林に贈りたい。


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# 615 問題男の去就 ➋

2019年12月25日 | 1976 年 



あのミスタータイガース・田淵はもうマスクを被れない?
「来年の田淵は正捕手の座を奪われるだろうし、また田淵が捕手にこだわるとチームは分裂するかもしれない」これが阪神担当記者の声である。まさかミスタータイガースがそこまで追い込まれていようとは思わなかった。しかし周辺を取材すると意外と根拠のある話であるのだ。外から見たら不動の四番で守りの要の捕手として君臨する田淵も内部での評価はガラリと変わる。「ブチにマスクを被らせ続けるのならもう投げる気が失せてしまう」と話す投手がいたり、「田淵を捕手から外さない限り阪神の優勝は遠ざかる」とまで言うコーチがいるのである。遂には「田淵はプロとして通用する捕手ではなくなった」と決めつけるフロント陣までいる。

「サインを出しても投手と呼吸が全く合わない。しかもそのサインが走者ばかりではなく相手ベンチから丸見えなんだよ。盗塁が見え見えの場面でも腰を落としたままでフリーパス状態では投手がかわいそう」との声が球団内から漏れて来る。捕手・田淵への不信感を決定的にしたのが7月31日の甲子園での巨人戦だ。吉田選手が打ち上げた一塁側ベンチ前のファールフライを一歩も動かず一塁手のブリーデン選手に任せたが捕球できなかった。命拾いした吉田は本塁打を放ち巨人が勝利した。この時はさすがの虎キチも「田淵の怠慢プレーで負けた」と怒り心頭だった。辻作戦コーチは「捕手失格だ」と吐き捨てた。

この試合を機に田淵と他の選手との間にあったモヤモヤした感情が一気に噴出し表面化した。更に田淵の起用に関して吉田監督とコーチ陣の間にも溝が出来てしまった。吉田監督は就任1年目の昨季が終わると看板選手の一人であった江夏投手を放出した。江夏のトレードに関しては球団内にも賛否両論があったが吉田監督の英断で決行されたのだが、今季の江夏の成績を見れば吉田監督の判断は間違っていなかったと見る向きが多く球団内で吉田監督の影響力は増した。その吉田監督は田淵を重用してきた。投手交代の際は投手コーチより田淵の意見を重視していた。田淵が捕手として結果を出していれば異論は抑えられたが昨今の田淵のプレーは素人の目にさえおかしいと映るものが頻発されるようになった。

そうした理由からか来季の阪神は田淵の他に太平洋から移籍した片岡選手と3年目の笹本選手で正捕手の座を争う事になる。仮に田淵が争いに敗れればコンバートを強いられる。現実問題としてあの動きで使えるのはせいぜい一塁手ぐらい。今季の一塁はブリーデン選手が守っていたが来季の契約は未定で田淵の状況次第で解雇も有りうる。ただ問題は捕手失格の烙印を押された田淵がコンバートに納得するかだ。何しろ年俸三千二百万円の押しも押されぬ大スター選手だ。プライドを傷つけられておとなしく従うかは疑問だ。「厄介なのは四番・捕手という重責に対しての高年俸であって、その重責に負けたとなれば大幅ダウンは間違いなく田淵がどいう態度を取るか未知数だね(担当記者)」と。

そもそも片岡や笹本で田淵の代役が務まるのか、ブリーデンを解雇して打線が小型化しないのか、そうしたプラスマイナスについて球団内でも意見が分かれる。首脳陣の間の意思疎通の問題解消など田淵がミスタータイガースといわれるだけあってそう簡単に進展するコンバート話ではない。「田淵の打撃を生かすには思い切って一塁にコンバートする方が選手生命も伸びて本人の為にもなる。怠慢プレーではなく今の田淵は内臓疾患による体調不良のせいで捕手の重労働には耐えられないのだ」と消息通は言う。「ミスタータイガースの称号は掛布選手に譲って気楽にプレーする年齢になったと思えばいい(担当記者)」と。優勝を逃すと色々な雑音が飛び交うのが野球界の常である。



猫の手も借りたい時なのに…かつてのエース・木樽は今?
木樽投手といえばロッテのエースというより球界を代表するエースだった。それが今や1勝も出来ずに二軍で調整を続けている。現在のロッテ投手陣は猫の手も借りたい状態だが今後の見通しは決して明るくない。木樽はロッテ在籍11年、堀内投手(巨人)と同期で昭和40年11月の第1回ドラフト会議で指名された好投手である。昭和45年には21勝10敗で最多勝、ロッテを10年ぶりにリーグ優勝に導きMVPに輝いた。翌年も24勝8敗と2年連続20勝投手となり押しも押されぬ球界を代表するエースとして君臨した。昭和22年生まれだからまだ29歳で決して老け込む歳ではない。

ここ数年の不振の原因は言うまでもなく持病の腰痛である。「僕の腰痛はもう完全には治らないかもしれない。一番つらいのはこの痛みを他の人に分かってもらえないこと」と木樽は寂しそうに言う。しかし復活を諦めた訳ではない。「ヤツを何としても今一度マウンドに立たせてやりたい」と話す醍醐二軍監督の下で再起を目指して懸命の調整を続けている。今季のロッテは首位争いを演じ8月の時点で2位の南海に2ゲーム差をつけて首位にいた。しかし疲労が溜まった投手陣が底を尽きかけていた。そこで金田監督が苦肉の策として木樽を先発投手に起用した。騙し騙しやってきた腰が悲鳴を上げ、今季は開幕から満足な投球を出来ずにいた木樽。しかしかつてのエースとしてのプライドが敵前逃亡を許さなかった。

「これは大博打や!チームにもタル(木樽)にとっても命運を決める大博打や」と金田監督。8月14日、平和台球場での対太平洋7回戦に先発した木樽は打者3人・被安打2・四球1・3失点と1回持たず僅か14球を投げただけで降板した。いつもの通り金田監督は怒り沸騰で「ワシもタルも博打に負けた。もうタルは一軍で使えん」と二軍落ちを告げた。翌朝、木樽は荷物を纏めて帰京。以降、真夏の炎天下での二軍通いが始まった。今季の成績は14試合・0勝2敗・防御率5.50 に終わった。投球回数35回2/3で被安打45と滅多打ちだった。右打者の内角をえぐるシュートも外角へ鋭く逃げるスライダーも影をひそめた。昨季も5勝14敗で年俸も激減し復活を目指したが成らなかった。

持病の腰痛は木樽の投球を蘇らせてくれなかった。長いイニングは厳しいと判断した金田監督は木樽を救援の切り札で起用しようと考えた。監督自ら投球フォームの改造に乗り出したりもしたが実らなかった。ランニングをしても完走できず、投球練習も50球がせいぜいと歯がゆい思いをし続けた。「精神的に苦しい筈なのに練習時間も皆と同じで自分の練習が終われば若手へのアドバイスも欠かさない。むろん練習を休んだことはない。見ているこちらが辛くなるよ」と醍醐二軍監督は同情的だ。前田投手コーチも「今年の木樽はキャンプから出遅れて二軍での調整も不十分なまま一軍に上がった。もう少し二軍で調整してからの方が良かったのでは」と。

一軍が本拠地球場を持たないジプシーなら二軍も同じくジプシー。普段は東京証券の鶴瀬グラウンドを使わせてもらっているが、使えない時は日ハムや大洋の多摩川グラウンドを拝借してのジプシー練習が続く。そんな厳しい状況でも木樽は再起を目指している。腰痛さえ治れば10勝する力は持っている。それだけに今オフにはトレード要員として他球団から狙われるのは間違いない。「中日の近藤コーチがロッテ時代から木樽の面倒をよくみていた関係から中日あたりがトレードを申し込むのではないか。本人にとってもこのあたりで心機一転ユニフォームを変えてみるのも良いのでは」とロッテ担当記者は言う。契約更改では25%以上の減俸提示も有りうるだけに本人の気持ち次第で移籍する可能性はある。



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# 614 問題男の去就 ➊

2019年12月18日 | 1976 年 



シーズン終幕近くなると気の早い人は来季への青写真を描き始める。消息通といわれる人達の間で今ひそかに話題となっている情報を集めてみると・・消息通だけが知っている不気味な大物の去就、シーズンオフに話題必至の怪情報である

何もしないと言われる関根巨人二軍が優勝した時?
長嶋巨人V1の声が高い。これはチーム全体が一丸になってのものだ。だから来季も現体制維持は固い筈なのに、関根二軍監督だけは辞任するのではないかという噂が出るのは何故だろう。二軍も一軍同様に優勝しようというのに。その理由は先ず契約切れ。関根二軍監督は第1次長嶋内閣のヘッドコーチとして一昨年の秋に2年契約で巨人に入団した。長嶋監督の懐刀として期待されたがチームは球団初の最下位に沈み、当時の関根ヘッドは責任を取り辞任を申し入れた。だが球団側が慰留して二軍監督に配置換えとなった。その2年契約が切れるが関根二軍監督は自らの去就について明言していない。担当記者によると昨年一度辞表を出した経緯もあり契約更新はないとの見方が多勢だ。

もともと関根氏は長嶋監督のヘッドコーチ招聘にも難色を示していた。夫人が川崎市で喫茶店を経営しており、経済的にも不安はなく自由に発言し活動できる解説者の仕事に満足していた。批判も受けやすいヘッドコーチ就任に家族も反対していたが長嶋監督たっての要請に現場に戻る決断をしたのだ。それだけにユニフォームに対する執着は少ない。辞表を提出したのも最下位になった責任を取るのも理由の一つだろうが、コーチ業が性に合っていないと考えたとしても不思議ではない。監督やコーチの去就は本人の意思と契約期間だけで決まるのではない。球団側が強力に慰留すれば留任するケースは少なくない。

球団側が慰留する理由として後任問題がある。次の二軍監督を任すことが出来る人物に当てはあるのか?「今の巨人に二軍監督候補はいません。滝コーチでは無理。宮田コーチや中村コーチも力不足。内部からだと黒江コーチくらいか。だが黒江コーチを二軍に回したら一軍のコーチが手薄になってしまう。黒江コーチの後釜に土井選手をコーチ専任にという声もあるが本人は現役に拘っていて無理。今更、武宮寮長や中尾スカウト部長の現場復帰も有り得ない」と担当記者は言う。つまり内部昇格の線は難しく球団として関根氏に辞められると困るのが実情だ。しかし球団内に関根氏の指導力に疑問を持つ勢力が存在しているのも事実。

現在の二軍はイースタンリーグで優勝目前。西本投手、篠塚選手、中畑選手、二宮選手らが着実に成長し来季の一軍入りを虎視眈々と狙っている。彼らの成長は関根監督の手腕と言えるが不思議と評価されていない。「優勝と選手の成長を関根監督の手腕と結びつけるのはどうかな。二軍は昨季も2位でほぼ同じメンバーで戦ったのだから勝って当たり前じゃないの。選手の成長だって伸びる奴は放っておいても上手くなるもんさ。関根監督はとにかく動かない。全てをコーチや選手任せ。自主性を重んじると言えば聞こえがいいが、若い選手にはある程度の押しつけも必要だと思うんだけどね」と巨人OBの評論家は言う。巨人生え抜きの外様に対する冷めた意見とも言えるが同じ事はヘッド時代も言われていた。

そこで問題となるのは関根氏を三顧の礼で迎えた長嶋監督の意向である。監督就任1年目に球団初の最下位となった代償でコーチの人事権を剥奪されたが今季は優勝目前で、このままいけば発言権も強くなると予想される。仮に長嶋監督が関根氏の続投を望めば球団側も無下に拒否できないであろう。二軍の戦力は年々強化され関根氏の " 波風立てぬ " 温厚主義の下、和気あいあい&のびのび野球で勝利を重ね結果を出した。その何もしない関根野球の効用を長嶋監督が評価し続投を球団側に要請するかが焦点である。後任に人材がいない巨人、少なくともミスは犯していない関根氏。こうして見ると噂となっている退団話も今後は紆余曲折の展開となりそうである。



ヤクルトの実力者、武上の現体制協力度は?
広岡監督と並ぶもう一人の実力者である武上コーチ。広岡監督とは水と油の関係であると球界内では大方の見方であるが、今のヤクルトでは一致協力してチームを支えている。何が武上コーチを変えたのだろうか?変身の兆しが見られたのは第2次荒川内閣発足の頃からである。武上コーチは現役の頃から歯に衣着せぬ言動が目立ち、おとなしい選手が多いヤクルトでは異色の存在であった。 " 突貫小僧・ケンカ四郎 " のニックネームはグラウンド上だけの事ではなく、思った事は例え相手が監督だろうとズケズケと言葉にした。三原監督の時代に干されかけた時もあったが武上の言動は変わらず結局、三原監督も武上を手懐けるのを諦めた。

通算1000本安打にあと23安打としながら引退を余儀なくされた頃から武上の振る舞いに変化が現れ始めた。親分肌の武上に他の選手が追随するのは特に問題は無かったが、現役を引退してコーチという管理職になり立場が変わるとそうはいかない。チームとして組織のトップは監督であり、コーチ・選手が監督の意に従わなければチームは空中分解してしまう。「広岡監督とは性格が正反対だったが野球観は不思議と一致していた」と担当記者は話す。また別の記者は「荒川監督式の江戸っ子野球には反発していたが粘っこい妥協を許さない広岡の野球理論には昔から傾倒していた。広岡監督とは性格は水と油だが自分にはない広岡監督の理念・信念を学ぼうとしたのでは」と推論する。

荒川監督時代、コーチ会議の座長は広岡ヘッドコーチだったが生え抜きの丸山・武上両コーチが積極的に発言していて、当時から広岡ヘッドとはウマが合うようになった。立場が人を変えた。だが周囲はそうは見ていなかった。荒川監督が成績不振で休養となり、広岡ヘッドが監督代行となると " 静の広岡 " と " 動の武上 " はいずれは対立するだろうと思われていた。しかしその心配は杞憂に終わった。「広岡さんは武上コーチの一本気な性格を買っているんだ。似たもの夫婦より正反対の夫婦の方が上手くやっているみたいなもの(担当記者)」。好むと好まざるを問わず武上がコーチ業に全力投球をしているうちに武上自身が大人になったと考えるのが最も的確な結論であろう。

もっともその裏には球団内部というよりヤクルト本社筋の広岡監督への信頼が大きくものをいっているのも見逃せない。荒川前監督が僅か5連敗しただけで更迭されたのはまるで一時的な雇われマダムの様な扱いだったが、広岡政権はヘッドコーチとして入団した時からの既成事実だったからである。佐藤球団社長が逃げ回る広岡氏を千葉のゴルフ場まで追いかけて口説くなど三顧の礼を尽くして迎え入れた経緯からして広岡監督誕生は既定路線だった。そのあたりの政治力学を武上も感じ取った筈である。近い将来、いずれ武上にも政権を任される時がやって来るであろう。自分に欠けているものを広岡監督から吸収し勉強しようとする姿勢は想像に難くない。

広岡監督同様、武上コーチの能力を高く評価している松園オーナー。「武上にはまだまだ修行させないと。広岡君にはチームの優勝とは別に後継者も育てて欲しい(松園オーナー)」と周囲に話している。球団にもヤクルト本社にも全く信用されていなかった荒川前監督とは違って投手陣を再生させた広岡監督の手腕は今や絶大な信頼を得ている。「勝負の世界に妥協は絶対にダメ。どちらかが生き残り、殺されるかなんだから。考えているのはチームが勝つ事のみ(武上)」と言う台詞は広岡監督と全く同じである。誰よりも早くグラウンドへ来て一番最後に引き上げる粘っこさも広岡監督ばりである。今年も悲願の初優勝は成らずBクラスに低迷したがムードは決して悪くない。



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# 613 移籍男のドラマ ②

2019年12月11日 | 1976 年 



初勝利を2人だけで祝った気持ち
太平洋クラブライオンズへ新天地を求めた関本・玉井の両投手。2人は投壊状態の長嶋巨人を横目に見事に揃って完投勝利を挙げた。開幕直後は打線が湿り得点力が落ちていたので頼みの綱は投手陣だった。その投手陣を救ったのが関本・玉井だった。巨人では一本立ち出来ずにいたがパ・リーグにやって来て変貌を遂げた。あるスポーツ紙は2人を二人三脚と表現したが、確かに2人は仲間という中途半端な間柄ではない。ちょっぴり古い言い方だが " お神酒徳利のよう " という表現がピッタリだ。球場入りも一緒なら帰りも一緒。そもそも住んでいるマションが同じなのだ。福岡市の南部にあるマンション前に車を乗りつけると「じゃあまた明日」と肩を叩いて別れる。

2人は同じ階の向かい合った部屋に住んでいる。「普段からお互いの家を行ったり来たりしているんですよ。主人たちを見ているとまるで双子の兄弟みたいな感じです」と笑いながら打ち明けるのは関本久子夫人。これほど2人を親密にさせたのはやはり巨人を追われたという共通の境遇だろう。久子さんは玉川大学英米文学科卒の姉さん女房なのだが関本という男はどこへ行ってもワンマンぶりを発揮しているらしく、久子さんもそうした亭主関白ぶりを寧ろ頼もしがっている風さえある。「いやぁ関本家の仲の良いこと。僕らもあやかりたいので、しばしば女房と一緒にお宅にお邪魔するんです」と玉井。

太平洋移籍を機に永すぎた春にピリオドを打って玲子夫人と新婚家庭を築いた玉井だが、玲子夫人より関本と一緒にいる時間の方が長いかもしれない。なにしろ職場である球場への行き帰りだけでなく、「買い物や市内見物もお互いの家族は一緒(玲子夫人)」なのだ。関本と玉井は同じ26歳。僅かに4ヶ月だけ関本が兄貴で性格的にも陽気でグイグイいくタイプなので、イニシアティブは関本が握っているが関本によれば「玉井はおとなしい?そんなことないよ。お互いにワーワー好きなこと言い合っている。俺たちくらいウマが合うコンビはちょっと珍しいんじゃないかな」と言う。

トレードの時もそうだった。太平洋の中村オーナーはトレードに出す加藤初投手の見返りに要求したのが先ず関本で、その時はまだ玉井の名前は挙がっていなかった。2人目には張本とのトレードで日ハムに移籍した富田の名前も挙がったが合意には至らず、何度かの交渉の末に玉井で合意した。言葉は悪いが玉井はいわば刺身のツマ程度の存在だった。その添え物だった玉井が関本やエースの東尾よりも先にチーム初白星をかっさらった。平和台球場での対ロッテ1回戦、玉井は外角ギリギリへ直球、切れ味鋭いスライダー、ストンと落ちるフォークボールを織り交ぜた投球でロッテ打線を封じた。

誰も予想していなかった玉井の快投に青木球団代表はやおら胸を張って「な、玉井はエエ投手やろ。私の目に狂いはなかった」と自画自賛した。そしてそんな玉井の快投を一番喜んだのが関本だった。一足早く着替えを済ませた関本はロッカールームの前でマスコミのインタビューを受ける玉井の姿を、あの大きなギョロっとした目を潤ませて見つめていた。「奴はタフなんだ。今日の調子なら延長戦になっても投げ抜いただろう。これで玉井もローテーション入りは確実だね(関本)」と本人以上に喜び、取材を終えた玉井と共に2人で球場を後にした。番記者から祝杯を上げようと誘われた玉井だったが断り、自宅で関本家と" 水入らず " の祝勝会を開いたそうだ。

一方の関本の初勝利はそれから3日後の対近鉄ダブルヘッダー第2試合(日生球場)。昨季は0勝4敗と勝ち星から遠ざかっていただけに勝利の瞬間に関本は喜びを爆発させた。高々と両手を上げて三塁側のファンの声援に応えた後、まだ足りなかったのか自軍のベンチに向かって最敬礼を二度三度と繰り返した。何しろ一昨年の10月10日の対大洋戦以来の勝利だったのだから無理もない。平和台では玉井を迎える身だった関本が今度は玉井に迎えてもらう番となった。玉井が握手をしようと手を差し出したら関本はその手を払いのけて玉井に抱きついた。「やったよ。やっと勝てたよ。バンザ~イ、バンザ~イ」と大はしゃぎだった。

「おめでとう。よかったなぁ…」と言ったきり玉井は関本の激情に押し流されるままになっていた。玉井にしろ関本にしろ今季初勝利で「たった1勝」ではあるが2人にとっては実に大きな意味を持っていた。玄界灘を渡り博多までやって来た。特に関本は問題児の烙印を押されていただけにチームに貢献できた勝利は自分にも周りにも大きかった。投手難に頭を悩ます長嶋巨人から追われた2人にとってこの勝利は古巣に対する強烈な恩返しとなった。自主トレ、キャンプ、オープン戦と2人はお互いを励まし合ってきた。「2人で15勝以上」と勝ち星を語る時も2人がかりだ。折しも古巣の巨人は投手陣が総崩れ。悔やんでも時すでに遅しだ。



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