面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

おお!

2006年09月24日 | 野球
今日はヤクルトが頑張って中日を撃破した。
その裏でタイガースは讀賣を粉砕。
またしてもゲーム差を4に縮めた。
ヤクルトもそうこなくては!
今シーズン、中日に分がイイところを、こういう時にキチンと発揮してほしい。
チキンを発揮してはいけない。
(このギャグもいけない)

押し戻され

2006年09月23日 | 野球
タイガースの試合が無い間に、中日が下位球団からキッチリ白星を稼いでしまった。
せっかく4差に縮めたゲーム差も、中日が2試合勝ったために0.5差ずつ広げられて、また5ゲーム差に。
じわじわ押し戻されたような気分である。

かえすがえす先日の横浜戦は惜しかった。
9回表まで3点リードしていたのだから、何とかせぇよ!と言いたくもなる。
今日はヤクルトが打たれて抑えられてで完敗。

だからこそ、直接対決ではしっかり勝っておかなくてはならない。
今年はそれが全くできなかったことが敗因である。
特にナゴヤドームで負け続けていては勝ち目はない。

とりあえず、次の甲子園での中日戦まで、勝ち続けるしかない。
週末の東京ドームはどうだ!?

やーの!チャチャチャッ!

2006年09月22日 | 野球
本日もタイガースは試合がない。
シーズンも終盤に差しかかってくると、日程がとびとびになったりする。

最近、矢野がお立ち台に上がる機会が多いが、コメントがかなりウケ狙いである。
桜ノ宮高校へ電車と自転車を駆使して通っていた生粋の大阪人であるので、笑いを取ろうとする素質は持っているので、当然といえば当然。
笑いのツボも心得ており、コメントにはボケの味付けが施してある。

そんな矢野を応援するとき、
「やーの!(チャッチャッチャッ:拍手)」
というコールが入るが、自分の頭の中では、いつになっても、この応援コールのリズムにフィットするのは、
「さーの!(チャッチャッチャッ)」
なのである。
そう、現スカウト部長の佐野仙好氏の現役時代のコールだ。
(ちょっとマニアックすぎるか!?)

昔の応援は、今のようにトランペット演奏による選手ごとの応援テーマなど無かったので、応援団の音頭に合わせて一斉に名前を連呼する場合が多かった。
それも、そんな大声援を受けるのは主力中の主力選手のみだったように思う。
その代表的なものが「掛布コール」であった。
スタンドの虎ファンが一斉に「かーけーふー!」と声をそろえると、球場全体が震えているような錯覚に襲われたものである。

佐野の場合、常時クリーンアップを打つわけでなく、3割30本100打点のどれ一つとっても毎年達成はおぼつかないような選手であったが、ここぞという場面での勝負強いバッティングでファンには人気が高く、それが「佐野コール」にも繋がっていたのではないか。
人気が高かったとはいえ、自分の周りには「佐野のファン!」と宣言している人間はいなかったのだが…。
「勝利打点」というルールが導入された年、彼がセ・リーグの初代勝利打点王に輝いて、いかにも佐野らしい、佐野にこそふさわしいタイトルであると妙に納得感が高かった。
その「勝利打点王」も2001年に廃止され(パ・リーグでは1989年より廃止)、実に地味なタイトルホルダーとして、球史に名をとどめている。

終盤にきてバッティングが昇り調子となっている矢野。
残り試合、更なる活躍を見せてくれれば、我々虎ファンのペナントレースは、いつまでも盛り上がり続けることができる。
打撃だけでなく、扇の要として守備でもチームを引っ張ってもらいたい。

7対3から

2006年09月21日 | 野球
逆転負けかよ!

と言っても今日はタイガースのことではなく、横浜のことである。
なんとなれば、中日相手に7回終了時に7対3とリードしながら、9回表に5点取られて逆転負け。
まあ、だからこそ横浜は最下位を走ってきたわけであるが、中日よりも先に7点取ってるのに9点取られて負ける、てな試合はやめてほしいものである。

土曜日の東京ドームまで試合が無く、タイガースが休んでいる間に、他のチームにはぜひとも頑張ってもらいたいところである。
次は金曜日に中日と対戦するヤクルトに頑張ってもらうしかない。
今年のヤクルトは中日相手に善戦しているので期待は持てるのだが…。
他力本願しか打つ手が無いのがなんともまどろっこしい。

8連戦結果

2006年09月20日 | 野球
先週の広島からスタートした8連戦は、結局6勝2敗の“好成績”で終わった。

しかし!
たった2敗しかしていないのに、それがよりによって直接対決の中日に敗れたところがアホらしい。
下位チームにはとりこぼさずにきたのはいいが、肝心要の試合でとりこぼしているようでは、やはり優勝はおぼつかない。
というか、だいたい中日の優勝を後押ししているのがタイガースだから何をかいわんやである。

中日との最終決戦に向けて、下位チームからは一切のとりこぼしのないよう、更なる快進撃を続けるしかないタイガース。
どんな形ででも勝つことだけを目指して突き進んでいくことを祈るばかりである。

勝ちは勝ち

2006年09月19日 | 野球
ショボっ!
あまりにもショボい勝ち方である。

ノーアウト満塁で濱中登場。
サヨナラ勝ちは決まったような場面で、ピッチャーの投げた球は失投も失投、ど真ん中に変化球がふらーっと入ってきた。
ところが!この大失投を打ち損じて凡フライ。。

何やっとんねん!濱中!!
…と激怒した瞬間、フライを追っていたセンター青木とセカンド田中がお見合いするような状態になり、最後は青木が捕り損なってポロっ!
画面にはバンザイしながらホームインする関本。
一塁をまわった濱中に駆け寄るナイン。

この試合、誰がヒーローインタビューを受けるのかと見ていたら、お立ち台に立ったのは関本。
まあ、一時は同点となるホームランを含めて3安打の猛打賞、最後はサヨナラを呼ぶ先頭打者としてのヒットと決勝のホームインということで、一番貢献したといえばそういえる。
イマイチ冴えないインタビューであったが、まあよく勝てたものである。
やれやれ。。

今はとにかく目先の一勝を取っていくしかないので、どんな勝ちでも、勝ちは勝ち!

GOSPEL AWARDS 2006 by紫亭京太郎

2006年09月18日 | music
森ノ宮ピロティホールで「GOSPEL AWARDS 2006」が開催された。
今年で4回目であるが、昨年から見に行っている。

シネマコミュニケーター仲間の二人が出演しているということもあるのだが、最近はゴスペルのライブ自体が楽しいから、ということもある。
二人の所属するクワイア(ゴスペルを歌うグループをこう呼ぶ)は、昨年フレッシャー部門に初出場して最優秀賞を獲った実力派チーム。
今年はその余勢をかって(?)エキスパート部門で出場していた。

フレッシャー部門17クワイア、エキスパート部門9クワイア、ゲストクワイアのライブも含めると5時間を超す長丁場。
それでも各クワイアの個性溢れるパフォーマンスで、今回もやっぱり楽しい♪
また構成としても後へいくほど実力チームが登場してくるので、どんどん引き込まれていく感じになる。

ゴスペルのラフェスティバルには特徴があって、今回のようにいろんなクワイアがたくさん出場すると曲がかぶる。
ゴスペルとして歌われている曲が結構限られていて、またみんな練習する曲もだいたい決まっているので、そのような状態になるのだが、各クワイアごとに個性が異なるので、同じ曲でも全く違うものに聞こえたりする。
パンフレットを見て初めて、「あ、さっきのクワイアと同じ曲歌ってたんや!」と気付くこともあるくらい。

さすがに自分のようなトーシロもよく知っているような有名曲だと、かぶるのが分るのだが、先のパフォーマンスと比較するのもまた面白い。
(クワイアの皆さんとしてはイヤやろなぁ)
今回は大好きな曲である「SEASONS OF LOVE」を2つのクワイアが歌っていたが、改めてソリストの力によって大きく左右される曲だと感じた。
また、一方のクワイアは日本語訳詞で歌い始めたのも面白かった。

いつも思うのだが、落語と同じだ。
それこそ物語の決まっている古典落語は、同じネタを何人もの演者が演じている。
それでも演者によって全く趣きが異なる。
同じギャグでも笑えない演者がいたり、同じ場面でも違う動きやセリフで全く別の演出になったりする。
ストーリーもオチもわかっていても、やっぱり面白い。
そして面白くない場合は、それは演者の力不足なのである。

ゴスペルライブのもう一つ楽しいところは、観客にもやむなく出演できなかったクワイア関係者を含めてゴスペルをやっている人達が多くいて、一緒になって歌ったりして、うまいクワイアの演奏になると会場が一体化し、楽しいオーラが充満することである。

これも落語の舞台とよく似ている。
自分が演じる噺の世界に観客が入ってきてくれ、面白さを共感できたとき、幸せのオーラが会場全体を包み込む。
そして演者は、オーラからエネルギーをもらえるのである。

たぶん、自分の中でベストなパフォーマンスが出せ、観客との一体感を感じたとき、舞台上のクワイア達は最高の幸福感を得ていることだろう。
ライブ会場でそれを感じたとき、また高座に上がりたいという思いがフツフツと湧きあがってくる。
来年に向けて、いっちょ動いてみるかな。

※本日はたけとら氏の許可を得て、紫亭京太郎が書きました

一矢報いて…

2006年09月18日 | 野球
憲伸、山本昌と、2日続けて零封されて迎えたナゴヤドーム最終戦。
今シーズン、ナゴヤで10戦全敗て、プロとして恥かしすぎる。
まあこんなことでは“連覇”を叫ぶことは、おこがましすぎると言うものだ。
さすがにディフェンディング・チャンピオンらしく(?)最後の最後にようやく一矢報いることはでき、息の根が止まりかけたチームも、かすかに呼吸音が聞こえてきた。

しかし今日の試合は、安藤の気迫と、それに応えたアニキの意地に尽きる。
試合後のインタビューで、安藤の投球を見ていて、これに応えなければ男じゃないと意気に感じ、しっかりとプレーにつなげたアニキの意地。

また、アニキのツーランの呼び水となった、シーツの“戦う姿勢”も評価したい。
顔面近くに来たボールにのけぞって四球を選んだシーツは、いつもの紳士的な姿勢が嘘のような怒りの表情を見せ、マウンドに突進するのではないかと思うほどの迫力で、投手の朝倉を罵りながら一塁へと向かった。
(声は聞こえなかったが多分罵ってるのだろう)
これに気圧されたか、外角にやや甘く入ったところをアニキがキッチリとらえて、レフトスタンドへと叩き込んだのである。

この3人の気迫を、他の選手はどう感じたのだろう。
今日も赤星は、セーフティバントの素振りはほとんど見られなかった…。

所用でここまでしかテレビ中継を見ていなかったのだが、最終回の藤川は、中日の5番打者森野に対して、頭付近へクソボールを投げ込んだとのこと。
いいことである。
当ててもいいから、インコースへ投げ込んでおかなければ、相手打者に対して威圧感を保てない。
この投球がすっぽ抜けではなく、矢野のリードならいいのだが。

矢野のリードは、とにかく外角低めへの要求が多い。
少なくとも、当ててもいいからインコースへどんどん攻めろ!というリードは見られない。
とくにピンチや弱気になったとき、チーム状況が悪くなったときほど、その傾向が強くなる。
また、ちょっとレベルの低い投手のときもそうだ。
打たれても一番害の無いコースであり、矢野の心理も理解できる。

しかしそれは、結局は「言い訳のリード」ではないか?
打たれてもいい当たりのでる確率が一番低い外角低めを要求していれば、そこをねらったのに甘く入ったボールを打たれたなら、それは投手の責任として認識されるのだから。
そんなことを考えてのリードとは思いたくないが、そういう風に取れるリードというのが不満である。
矢野は球界でも屈指の好捕手であるだけに、その点だけが物足りなく、残念である。

翻って、その「言い訳のリード」が、讀賣戦での井川のイ・スンヨプへの投球につながっている気がしてならない。
いつも判で押したように外角から真ん中よりの低めの球をすくい上げられて一発を食らっている。
イはかつてインコースの膝元がからっきし打てなかったが、日本に来て3年経ち、讀賣に来た今年はその弱点も克服している。
従って、インコースに甘い球を放れば、スタンドまで持っていかれる可能性は高い。
しかしイが怖いのは、この一発があるという点である。
ランナーで出しても怖くはない。
だったら、ぶつけてもいいからインコースの厳しいところを攻めたうえで、アウトコースへ投じることは、イ攻略の王道ではないか。
顔面のあたりに1、2球放ってのけぞらせておけば、アウトコースへの踏み込みが甘くなるというのは人間のサガである。
それが、インコースへの厳しい投球が来ないので、イはいつも思い切って踏み込んで外角球をしっかり弾き返すことができる。
一人の打者に年に5発もくらうなど、エースの投球ではない。

井川のコントロールミスも多いが、矢野にもっと内角をエグるリードがあれば、今期の讀賣に負け越すなどという恥辱的な展開には、ならなかったはず。
来年に向けての課題であり、この点を反面教師として、浅井には学んでもらいたいものである。
浅井はちゃんと勉強しているのだろうか。

「ゲド戦記」

2006年09月17日 | 映画
王子であるアレンは父親である国王を刺し、魔法で鍛えられた剣を奪って逐電する。
逃走の途中、砂漠で獰猛な“犬”に襲われて危機一髪のところを、最も偉大な魔法使い「大賢者」であるハイタカ(ゲド)に救われ、彼の旅の供をすることになる。
ハイタカは、世界の均衡が崩れてきていることを憂慮し、その原因を探る旅の途中であった。
山を越え、土地を捨てた農民の廃墟の間を抜け、二人がたどりついたのはホート・タウン。
多くの人々が暮らすこの街は、店先ではまがい物が売られ、たくさんの若者が麻薬に溺れ、更には奴隷の売買まで行われていて、退廃を極めていた。
探索を進めるために二人は、郊外に暮らすハイタカの昔なじみ・テナーの元に身を寄せる。
そこには、親に虐待されて捨てられた過去を持つ少女・テルーが一緒に暮らしていた。
テルーは、心に闇を抱き、時折り自暴自棄に陥るアレンを嫌悪する。
やがてハイタカは、クモという魔法使いが生死両界を分ける扉を開いたことが、世界の均衡を崩し、災いを巻き起こしていることを探り出した…。

可も無く不可も無し。
「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ“世界三大ファンタジー”と称される原作のアニメ化であるが、どうにも消化不良気味な気配が漂う。
たとえば、アレンが国王である父親を刺すが、なぜそこまで追い詰められたのかは想像または推測するしかなく、また父国王も亡くなったのかどうなのか分らない。
全体的に内面の描写が稀薄で、話の深みに乏しい。
何かデジャヴに陥ったような感覚だったが、「レディ・ジョーカー」を観終わったときに似ている。

原作者が「これはあなたの物語です」、つまり自分が書いた「ゲド戦記」とは全く別物だと監督に言ったそうだが、おそらく原作の持つ深みを表現することなく、また独自の解釈やエピソードを盛り込むことで、純粋な意味での「ゲド戦記」では無くなっているのだろう。
これでは、「ゲド戦記」の原作がどんなものなのか、疑似体験ができない。
“世界三大ファンタジー”の他の2作のように、数部に分けた構成としてじっくりを描いてほしかった。

ジブリ作品は、自分の中では「千と千尋の神隠し」が“最後”となったまま。
次回作品に期待…していいのだろうか。

ゲド戦記
2006年/日本  監督:宮崎吾朗
声の出演:岡田准一、手嶌葵、田中裕子、香川照之、菅原文太

ミラクル

2006年09月17日 | 野球
それにしても今日のナゴヤドーム。
41歳でのノーヒッター達成は、史上最年長記録。
これはこれで球史に残る偉業であり、称えられるべきものである。

先にも書いたが、優勝するチームというのは、シーズンのうちのどこかに“ミラクルな試合”がある。
いや、“ミラクルな試合”を作れるというのは、優勝するだけの力があるチームという証明になるということかもしれない。
去年はタイガースの中村豊が演じた“ミラクルな試合”を、今年は同じナゴヤで山本昌にかまされるとは。
これで運も尽きたと言えよう。

明日、“ミラクルな試合”をやり返すことができたなら、シーズンを通してのミラクルが見えてくるだろうが、何もミラクルを目指したプレーをする必要は無いのである。
中日の選手達は、フツウにプレーをしているだけなのである。
中押しとなった得点も、やや左中間寄りのセンター前への打球を放った福留が、一瞬のスキを逃さずに突き、ツーベースとしたことがきっかけとなっている。
「一つでも先の塁へ!」と、フツウにプレーをしているだけだ。

かたやタイガースの選手達。
ここまで「フツウのプレー」をしてきただろうか。
分りやすいのは、最後の打者となった赤星。
あと一人で大記録達成というシーン。
なぜセーフティバントを試みないのか?
サード森野はこの試合、唯一のランナーを許すこととなったエラーをやっている。
その前へバントを転がせば、ヒットにしてはならないと焦りが生じて、“何か”が起きる可能性は限りなく高い。
あれだけの足を持ちながら、セーフティバントによる内野安打を狙うシーンが、年間を通してあまりにも少なすぎる。
貪欲に塁を狙う姿勢に欠けていると言わざるをえない。

これまで「フツウのプレー」をやってこなかったことの集大成が今日の不名誉であろう。
常日頃から「フツウのプレー」をやってこなかったツケが、最後の最後でミラクルを必要とする結果に結びついているだけのことである。
このオフ、やるべきことは多い。