面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「ゲド戦記」

2006年09月17日 | 映画
王子であるアレンは父親である国王を刺し、魔法で鍛えられた剣を奪って逐電する。
逃走の途中、砂漠で獰猛な“犬”に襲われて危機一髪のところを、最も偉大な魔法使い「大賢者」であるハイタカ(ゲド)に救われ、彼の旅の供をすることになる。
ハイタカは、世界の均衡が崩れてきていることを憂慮し、その原因を探る旅の途中であった。
山を越え、土地を捨てた農民の廃墟の間を抜け、二人がたどりついたのはホート・タウン。
多くの人々が暮らすこの街は、店先ではまがい物が売られ、たくさんの若者が麻薬に溺れ、更には奴隷の売買まで行われていて、退廃を極めていた。
探索を進めるために二人は、郊外に暮らすハイタカの昔なじみ・テナーの元に身を寄せる。
そこには、親に虐待されて捨てられた過去を持つ少女・テルーが一緒に暮らしていた。
テルーは、心に闇を抱き、時折り自暴自棄に陥るアレンを嫌悪する。
やがてハイタカは、クモという魔法使いが生死両界を分ける扉を開いたことが、世界の均衡を崩し、災いを巻き起こしていることを探り出した…。

可も無く不可も無し。
「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ“世界三大ファンタジー”と称される原作のアニメ化であるが、どうにも消化不良気味な気配が漂う。
たとえば、アレンが国王である父親を刺すが、なぜそこまで追い詰められたのかは想像または推測するしかなく、また父国王も亡くなったのかどうなのか分らない。
全体的に内面の描写が稀薄で、話の深みに乏しい。
何かデジャヴに陥ったような感覚だったが、「レディ・ジョーカー」を観終わったときに似ている。

原作者が「これはあなたの物語です」、つまり自分が書いた「ゲド戦記」とは全く別物だと監督に言ったそうだが、おそらく原作の持つ深みを表現することなく、また独自の解釈やエピソードを盛り込むことで、純粋な意味での「ゲド戦記」では無くなっているのだろう。
これでは、「ゲド戦記」の原作がどんなものなのか、疑似体験ができない。
“世界三大ファンタジー”の他の2作のように、数部に分けた構成としてじっくりを描いてほしかった。

ジブリ作品は、自分の中では「千と千尋の神隠し」が“最後”となったまま。
次回作品に期待…していいのだろうか。

ゲド戦記
2006年/日本  監督:宮崎吾朗
声の出演:岡田准一、手嶌葵、田中裕子、香川照之、菅原文太

ミラクル

2006年09月17日 | 野球
それにしても今日のナゴヤドーム。
41歳でのノーヒッター達成は、史上最年長記録。
これはこれで球史に残る偉業であり、称えられるべきものである。

先にも書いたが、優勝するチームというのは、シーズンのうちのどこかに“ミラクルな試合”がある。
いや、“ミラクルな試合”を作れるというのは、優勝するだけの力があるチームという証明になるということかもしれない。
去年はタイガースの中村豊が演じた“ミラクルな試合”を、今年は同じナゴヤで山本昌にかまされるとは。
これで運も尽きたと言えよう。

明日、“ミラクルな試合”をやり返すことができたなら、シーズンを通してのミラクルが見えてくるだろうが、何もミラクルを目指したプレーをする必要は無いのである。
中日の選手達は、フツウにプレーをしているだけなのである。
中押しとなった得点も、やや左中間寄りのセンター前への打球を放った福留が、一瞬のスキを逃さずに突き、ツーベースとしたことがきっかけとなっている。
「一つでも先の塁へ!」と、フツウにプレーをしているだけだ。

かたやタイガースの選手達。
ここまで「フツウのプレー」をしてきただろうか。
分りやすいのは、最後の打者となった赤星。
あと一人で大記録達成というシーン。
なぜセーフティバントを試みないのか?
サード森野はこの試合、唯一のランナーを許すこととなったエラーをやっている。
その前へバントを転がせば、ヒットにしてはならないと焦りが生じて、“何か”が起きる可能性は限りなく高い。
あれだけの足を持ちながら、セーフティバントによる内野安打を狙うシーンが、年間を通してあまりにも少なすぎる。
貪欲に塁を狙う姿勢に欠けていると言わざるをえない。

これまで「フツウのプレー」をやってこなかったことの集大成が今日の不名誉であろう。
常日頃から「フツウのプレー」をやってこなかったツケが、最後の最後でミラクルを必要とする結果に結びついているだけのことである。
このオフ、やるべきことは多い。