面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

四番打者の引退

2008年10月02日 | 野球
忘れない…清原伝説終幕 最後は豪快三振締め(スポーツニッポン) - goo ニュース


あれは確か、まだ清原が20歳そこそこの頃。
既に西武ライオンズの四番打者として活躍していた彼が、日本シリーズに臨んでのインタビューに応えて曰く、
「相手投手の決め球を打ち砕くことが、四番としての自分の仕事。」
若くして真の四番打者としての心構えが身についていることに、鳥肌が立つほどの感動を覚えた。

高卒新人にして31本ものホームランを放ち、新人王を獲得したときには、王のホームラン記録を抜けるのは清原しかいない!と確信し、その将来に大いに期待した。
ところがその後の彼は、王のように毎年40本、50本とホームランを量産するでもなく、ましてや本塁打王のタイトルを獲ることさえなかった。
本塁打王だけでなく、首位打者や打点王といった打者としての勲章たるタイトルには一切無縁の彼に、調子こいて毎晩遊び過ぎとちゃうんか!?と憤りを覚えたものだった。
しっかり精進すればホームランも量産でき、世界記録を狙えるはず!
王を抜くのは清原しかいてないのに、自覚が無さすぎとちゃうんかい!と、本人には誠に大きなお世話ながら勝手に落胆し、これまた勝手に“清原の挑戦”を諦めた。
(本人には全く関係の無いことであるが、野球ファンとはそうしたものということで、ご容赦願いたい)

しかし、そんな清原もついに引退の時を迎えることになり、はたと思いついた。
清原は、個人の記録には全く頓着せず、ただただチームの勝利のために打ち続けてきたのではないだろうか。
自分のホームラン数を稼ぐために一発を狙う、というような発想は、彼には無かったのかもしれない。
徹底した「フォア・ザ・チーム」の発想で打席に立ち、決して「ここで一発稼いどいたれ!」と大振りすることなく、必要に応じて走者を進めるバッティングをし、確実な加点のためにヒット狙いに徹していた。
相手投手が最も得意とする投球を打つというバッティングは、甘い球を逃さずホームランを狙うという打撃とは対極のものであり、自分の記録大事という発想からは決して生まれない。
対戦する投手、特に相手チームのエースの決め球をヒットすることで相手に大きなダメージを与え、他のメンバーの打撃をアシストするというその姿勢は、理想の四番打者のイメージそのものである。

彼の打撃成績自体は悪くない。
現に2000本安打も達成し、500本ものホームランをぶっ放している。
並みいる大先輩達や同僚後輩の四番打者と比べて、遜色が無いどころか、ハイレベルな成績を残しているのだ。
しかし、バッターとして最も評価され、賞賛される打撃タイトルである「本塁打王」「打点王」「首位打者」のいずれも、獲ることはなかった。
歴代1位のサヨナラ安打数という記録こそが、彼の歩んできた道を最もよく表している。

タイトルを“獲れなかった”のではなく、“獲らなかった”。
そして、その年の一位という打撃タイトルには目もくれず、ひたすらチームの勝利に貢献することのみに、こだわり続けた野球生活だったのではないか。
そんな四番打者を擁した西武ライオンズが、黄金時代を築くことができたのも当然である。
そんな思いに至ったとき、自分の浅はかさを恥じると共に、またも鳥肌が立つほどの感動を覚えた。
…本人に確認したわけではないので、ある種の妄想的私見ではあるが。

そんなことを考えながら見た、清原引退試合のダイジェストは感動的だった。
イチローに金本もかけつけての花束贈呈のみならず、長渕剛が生演奏で「とんぼ」を贈るなど、演出過多っちゅうもんやで!と、少し斜に構えていたが、どうしてどうして。
「とんぼ」をスタンドのファンが合唱するシーンなど、今思い出しても涙が出そうになるほど。
ぶっちゃけた話、妙にカリスマとして君臨する長渕が嫌いで、「とんぼ」も特段どうという思いも無かったが、清原のテーマソングとして、ものすごくいいイメージの歌になって脳裏に焼き付いてしまった。
本当の四番打者の引退セレモニーとして、見応え充分であった。

試合前のセレモニーだったが、ホークスの王監督から花束を受け取った際、
「来世生まれ変わったら必ず同じチームで一緒にやろう。そこでホームラン競争をしよう!」
と声をかけられたとか。
王監督だからこその言葉ではあるが、そのシーンを聞いただけでも泣きそうになるのに、言われた清原はいかばかりであったか。
こんな感動的な言葉を贈れる王さんは、本当に大人物である。

改めて、真の四番打者として生きてきた彼の足跡を称えたい。
そして、たくさんの感動をありがとう。