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原発について

2007年08月07日 | ニュースから
地震時の柏崎刈羽原発、核燃料プールの水が作業員2人に(読売新聞) - goo ニュース


地震で大きなダメージを受けた柏崎原発で、またも“事件が発覚”した。
下請け業者の作業員が、核燃料プールから溢れた水をかぶったという。
大企業・東電の下請け企業。
おいそれと自社の作業員が被爆した、などと言い出せないことだろう。
東電は「隠すな」と言ったとしても、仕事を減らされたくない下請けにしてみれば、「いや、ウチの社員は大丈夫でしたから」と言いたいのが人情というもの。
公表が3週間後と遅れた理由について東電は、「協力(下請け)企業を通してのヒアリングに時間がかかった」と釈明している、とのことだが、これはウソでは無いのではないか。

このニュースを読んで、東海村の核融合事故(と言う表現でよいだろうか)の作業員を思い出した。
大量の放射線を浴び、急性の放射能症を引き起こして病院に担ぎ込まれた作業員。
最新の被爆治療が行える病院へと移送されたが、DNAを破壊された体は朽ち果てる一方で再生することなく、想像もできない苦痛の中で亡くなった。
体中の組織が破壊されたなか、唯一最後まで力強く動きつづけた心臓の筋肉組織の、鮮やかな赤が鮮烈だった(NHKスペシャルでドキュメンタリーとして放映された)。

思い出したことがもうひとつ。
映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」である。
この映画で初めて「原発ジプシー」なる言葉があり、人がいることを知った。
「原発ジプシー」とは、全国の原発を渡り歩いて、危険な作業に従事している人々のことを指す。
今もいるのだろうか?

今、改めて原発について思いを巡らせるべき時かもしれない。