虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

お~い、大丈夫か

2019年08月07日 | Weblog

共産党は「話し合い」が得意のようだけど、

話し合いは、韓国とはできないことがわかっている。

話し合いができれば、問題は大きくならないだろうに。

はれて話し合いができたとしても、約束反故にされる。

そんな相手が韓国だ。

 

 

何かの本だったか、知人の話だったか、忘れたが、

アメリカでは、「頭がいい」という表現は、日本と違って、いい大学を出ているとか、知識人だとか、博学であるとか、そういったことを意味しないという。

アメリカでは、お金を儲けることに長けているか、否かで、頭がいい、悪いという表現を使うと聞いた。

お金がなければ、頭が悪いとなるという。

貧乏人では、頭は悪いわけだ。

アメリカには兆単位の資産を持っているひとがたくさんいるが、そこまで持っていて、どうするんだろうと、思ってしまう。

一億、十億、百億、千億ではなく、兆。

日本人には、まるで縁のない話で、凄いとしか言いようがない。

なんとなく、歪んだ資本主義思想というか、システムというか、「おかげさまで」という感覚が根底にないことに、

長い歴史の中で、これまで積み上げて来ることができなかった過酷な、残酷な、厳しい環境を想像してしまう。

ボノボには、採った餌を、むやみではなく、採れなかった仲間に分ける「文化」というか「おもいやり」があるという。

人間より他者に「おもいやり」をもつ、野生は、意外と生きる環境は人間社会の歴史より快適だったかもしれない。

 

サンデーモーニングを見た。

最後の方だけだったが、ちょうど、名古屋の「表現の不自由」芸術祭が中止になったことについて、

一人のコメンテーターが発言していたけど、この人、意見の内容が馬鹿げている。

ホント、馬鹿げているし、精神は大丈夫かと思う。

チャイナに行って、共産党の有名人の顔を揶揄し、「芸術」と主張したらどうか。

あるいは北朝鮮に行って同じことをしてみたらいい。

両国とも、日本よりはるかに「表現の不自由」を感じるだろうに。

 

ホント、馬鹿げた番組だなと、思う。

 

 

コメント
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