青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

リアルタイム報告2

2017-11-19 15:11:10 | 雑記 報告

2017.11.18

インターネットニュースをチェックしていて、「黄昏泣き」という言葉があることを知りました。

先日、飛行機の中で、斜め隣の席の赤ちゃんが、突然泣き出した。文字通り火の付いたような叫び声。怒るわけにもいかないし、我慢するしかありません。まだ離陸前です。これで飛行が始まったら一体どうなるのだろうか? 延々と泣き続けられることを思うと、気が重くなります。

離陸直前に、僕のほうを見たので、微笑み返しました。すると、なんと泣き止んだのです。そしてその後の飛行中は、ほとんど泣かないでいてくれた。

赤ちゃんが突然泣き出す理由は、よく分かっていないのだそうです。はっきりしているのは、赤ちゃんは泣く、という事実。そして、そのうちに泣き止む、ということも。特に夕刻に突然泣き出すことが多いので「黄昏泣き」というのだそうです。

上記のニュースのコメントに、こんな解釈がありました。ある投稿者がおばあちゃんから聞いた話。
『昔々、人類は夜が怖かった、その太古の記憶を受け継いだ遺伝子が、赤ちゃんの時に現れる、、、夕方になると、夜が来るのを察知して、怖くなって泣き出す』

実に素敵な話ですね。

中国に来ると、小七に会うのが、最大の楽しみです。今9カ月。もちろん、泣いてばかりいます。でも、僕と会っている時は、おおむねニコニコしている。一番大変な時は、寝る前だそうです。

昨日、夜になってホテルにチェックインしようとしたら、予約も支払いもされていないと(その顛末は前回書きました)。「そんなバカな、友達がちゃんと払ってくれている。」しかし、相手にしてくれない。モニカに電話をしても出てくれません(この時間帯は一番大変な時らしい)。「その友達のところに行って、お金を持って来い」というので、仕方なく(モニカに激怒されることを承知で)歩いて10分足らずのアパートを訪ねました。

古アパートの9階(もりろんエレベーターなどは無い)。入り口の鉄格子を開ける暗証番号を忘れてしまった(いろんな番号を覚えられないのは、ほとんど病的段階)。それで、入り口近くのお店の人に頼んで、携帯電話でもう一度連絡してみることにしました。何回目かに繋がった。

まるで世界の終わりかとも思えるような取り乱した声で、「ウワァー!」「ギヤァ~!」「なんてこった!」「もうお終いだ!」「この馬鹿野郎めが!」とか怒鳴っていたようです。電話をかけてくれた人は、さぞびっくりしたことでしょう。「この男性は、友達と偽った悪い人物に違いない」と。たまたま近くにお巡りさんがいたので、警察署にしょっ引かれる羽目になってしまいました。

その間に、小七を背負って、ご主人共々ホテルに支払いに来てくれたのですが、やっと寝ついたばかりの小七にとっては、いい迷惑だったことでしょう。

毎晩が戦いなのだそうです。でも、もう少しの辛抱? 年を越せば、よちよち歩きが出来るようになり、喋れるようになるはずです。待ち遠しい。最初に何を話そうか? 「我是潤三Junzo、ルーベンレン(日本人)」かな?(もう何度も言っているけれど)。それとも日本語で?

僕は結婚歴がないし、もちろん子供も孫もいません。これまで「赤ちゃん」という存在を、身近に感じたことはなかったのです。

僕は来春70才になります。体調は非常に良くない(今も猛烈な頭痛と意識が無くなりそうな状態の許、文章を欠いている、何もかも4年前のドングリ噛み砕きが原因、笑)。毎日、「明日まで持つだろうか」と思いながら過ごしています。

小七とは、あと何年、何回会えるでしょうか? 小七が大きくなった時、彼女の意識の中で、僕はどのように位置づけられているのだろうか? むろん、記憶の片隅にも残っていないことでしょう。きっとモニカが「昔、ジュンゾウという日本人のおじいちゃんがいて、小七をとても可愛がっていたんだよ!」と、事あるごとに言ってくれることでしょう。その時小七は、何を感じるのでしょう?

人は、生まれてから(もしかすると生まれる前からも?)、毎日、毎時、いろんなことを感じ、考えながら、時を過ごしていきます。

でも、物心ついた頃には、(赤ちゃん時代に接していた)身近な人達、その頃の両親のことさえも、もちろん僕のことも、具体的には何一つ覚えていないはず。

三島由紀夫は、大人になっても生まれたばかりの時の光景を覚えていたそうです。産湯の盥の縁が金色に輝いていたと。水上勉は、真っ暗な泥沼のようなところで、おどろおどろしい叫び声を聞き続けていたと。女流作家の「(名前思いださない)」さんが、そう書いています。

僕の最も古い記憶は、母がお風呂で臨月のお腹をさすって、「もうすぐ弟が生まれるんだよ」と嬉しそうに言っていた記憶。3才の頃ですね。今は絶縁状態の弟(よって僕の身分は公式的には「天涯孤独」ということにしている、笑)ですが、そのときはきっと僕も嬉しかったのだと思います。

もう一つ、母の背中に負ぶさっての記憶、猛烈な声で泣き叫び続けている自分です。デパートの地下売り場に行った帰りだと思う。売り場に積んであったお菓子をひょいとつまんで持って帰って、母がそれを見つけた。それはもう怒るまいことか!文字通りの激怒。その怒り様が、本当に怖かったのだと思う。なぜか、お菓子をピックアップした(平たく言うと盗んだ、笑)時の様子まで覚えているのです。

あと、母の故郷の徳島に向かう船の中。台風に遭遇して、淡路の沼島に臨時寄港しました。その時の船室の窓から見た波のうねりの恐怖を、今でもはっきり覚えている。

実は、僕は子供の頃の記憶がほとんど有りません。中学に入ってから以降も(ごく断片的に)僅かな記憶しか思いだせない。僕の頭の構造がよほど貧弱なのか、、、、他の人はどうなのでしょうか?

その僅かな、極めて鮮明な思い出。やはり台風と母絡みです。 

第二室戸台風が神戸の近くを通過した翌日。実家の裏山のゼームス山山頂で、台風に乗って運ばれてきた南国からの迷蝶・メスアカムラサキの雄を採集しました(キアゲハを追飛、網に入れた瞬間も鮮明に覚えている)。走って山をかけ下り、自宅の門から庭に入って、洗濯ものを物干し棹に干していた(反抗期に入って普段は余り話しかけなくなっていた)母に報告した時の、晴れがましい気分、それはもう嬉しくて嬉しくて、その時の空気、光、周りの風景、母の表情、、、なんでこんなにも鮮明に覚えているのだろうと思うぐらい、記憶にしっかりと焼き付いているのです。

記憶というものは、怖かった時、嬉しかった時の瞬間が、最優先的に残されていくのでしょう。

ちなみに、昨年50年ぶりに、ジョニー・ティロットソンと会ったわけですが、50年前に2度来日した時の記憶は、ほとんど覚えていない。ファンクラブの人達と共に、追っかけ回したり、コンサートに足を運んだりしたはずなのだけれど、歌っている場面は全くと言って良いほど思いだせない。

実は、当時、ファンクラブの会員の中に片思いの女の子が7~8人!いて(今でも全員思いだせる)、なんとか仲良くなりたいと、必死だったのです。そのことばっかしに気を取られていたので、肝心のジョニーのことは、スルーしていたのです。結局、一人もモノに出来なかったわけで(笑)、だったらもっと真面目にジョニーの歌声を聴いていればよかったと、今になって後悔しています。

話が逸れてしまいました。

赤ちゃんの時の記憶。編集U氏(20代末)は、鮮明な記憶があるのは、3才の頃からだそうです。
僕の記憶力が特別に悪いわけではなさそう。三島由紀夫は例外(またはフェイク)でしょう。

もっとも、僕に関して言えば、赤ちゃんの頃どころか、前日の出来事や、感じていたこと、考えていたことも忘れてしまっている。やっぱり相当にバカなのかも知れません。

いずれにしろ、記憶というものは、すごくアンバランスなのですね。幼少の頃の記憶に関しては、怖い、嬉しい、というのが基準になっているようですが、成人してからの記憶(断片的で、かつ鮮明)は、時間とか事柄に関係なく再現されるように思います。

夢は、覚めた瞬間、全部忘れてしまいますね。(ダリの有名な絵のように)稀に消滅寸前の尻尾のような部分をチャッチ出来ることもありますが。

それよりも不思議なのは、忘れたはずの夢の内容を、随分と時が経ってから、突然、恐ろしいほど鮮明に思いだすこと。なんだか、これまでに過ごして来た現実の人生とは別に、夢の中の「もう一つの人生」も存在するのではないかと、思うことがあります。

赤ちゃんの頃を含めた全ての記憶は、脳のどこかにプールされているのでしょう。しかし、それを表に引き出すことは出来ない。確認できなければ記憶とは言えないわけですが、記憶していない膨大な量の記憶が潜んでいる、ということも出来ます。

そして、それは、夢の中に現れるのかも知れません。案外、夢の中に、自分の人生の本流が引き継がれている。

最近、時間の繋がりを考えることが多いのです。

うとうとしながら音楽を聴いている。CDに収められた2曲目の次に8曲目が流れる。全くスムーズに、何の違和感もなく、2曲目の次が8曲目。その間は眠っていて、全く記憶にない(現れない)のです。でも、きちんと2曲目が終わった後に、8曲目が続く。不思議としか言いようがない。

それと、うとうとしている時の、曲と曲の間の無音の時間を、とてつもなく長く感じることがある。まるで、自分の一生分の時間が、その中に収められているような気になったりします。

福生駅から東京駅まで、青梅特快で1時間。急いでいる時や、いらいらしている時は、滅茶苦茶長く感じる。でも座ってパソコンを打っていると、あっという間です。時間とは一体何なのでしょう?

僕は、あと何年生きられるのでしょうか? たぶん、年月に換算すれば、ほんの僅かだと思います。でも全く気にはしていません。

今現在よりも前、10年20年は、ついこの間のことだったような気がします。その間、何ら大した成果も挙げられずに過ごして来た、というのが実感です。

逆に後ろを見ると、10分の1の時間もない可能性があるわけです。(これまでを基準に)客観的に考えれば、ほとんど何にも出来ない。

もし1年後に僕が逝去したとします。第三者から見れば、僕の人生の70分の1なわけで、あいつもあっという間に逝ってしまったな、と言うだけです。

しかし、今現在の僕からすれば、いなくなってしまう(「死ぬ」という言葉を使うと、モニカが異常に嫌がるので、なるたけ使わないようにしている、笑)までの、例えば1年という時間は、無限なわけです。

数学上は、50年前から今までの僕の時間の50分の1ではあるのですが、僕自身にとっては、今後 の時間が1年であるにせよ5年であるにせよ10年であるにせよ、これまでの69年よりも短いわけではない。外から見た数字上の時間はそうでないけれど、僕の内部においては、瞬間瞬間が、これまでの69年分と等しいのだと思います。

振り返ればあっという間、でも先を見れば(たとえ僅かな時間でも)永遠。頑張りましょう!

全く脈絡は無いのですが、、、、、藤子F不二雄氏の漫画に、(内容は全く知らないのだけれど)とても好きなタイトルの作品があります。「未来の思い出」、、、。全てはその中に詰まっているような気がします。


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