青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第102回)

2011-10-05 09:45:55 | その他の植物


東洋のレタス“麦菜”の謎 Ⅱ③


広西梧州2011.9.15-17(続き)








畑の外側、すなわち市街地に戻る車道の周辺にも、多数の苦麦菜が生えています。それらも、アキノノゲシそのものに比べれば、葉も茎もより大ぶりで、畑からの逸出由来であろうことが推測されます。





なぜかいつもパパイアとセットです。

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街に戻って、ホテルのすぐ横の市場を歩いてみました。様々な野菜の中に、苦麦菜も油麦菜も生菜もあります。









中段右のオバちゃんが買ったのは苦麦菜。




一束20円ほど、午後になるとほとんど売り切れています。



左はアブラナ類、右上が油麦菜、右下が生菜(レタス)。   中央上が生菜(レタス)、下は油麦菜(春菜)?




油麦菜(だったと思う)。                苦麦菜。




アブラナ類とタンポポ類(苦麦菜・油麦菜・生菜)。

 



右から、苦麦菜、苦麦菜、油麦菜、油麦菜、生菜、生菜。上左写真の左端はアブラナ類。

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梧州滞在中に、あやこさんから、ネットで調べたレタスの花と種子&アキノノゲシの花と種子の写真を送って頂きました。また、梧州の町の種子販売専門店で、苦麦菜・油麦菜・生菜(レタス)の種子を購入することが出来ました。その結果、以下のことが判明しました。大雑把に言って、次の様な図式になるのではないかと思われます。甜麦菜(苦味の少ない麦菜?)や春菜(限りなくレタスに近い?)についての詳細は不明です。

アキノノゲシ(⇔龍舌菜)⇔苦麦菜(⇔甜麦菜)⇔?⇔油麦菜(⇔春菜)⇔生菜(レタス)⇔アレチヂシャ(トゲヂシャ)

【種子の色と形について】
アキノノゲシLactuca indica          濃色 翼がある
苦麦菜                    濃色 翼がある
油麦菜                    濃色 翼はない
レタス(生菜)L. sativa            淡色 翼はない
アレチヂシャ(トゲヂシャ)L. serriola        淡色 翼はない




左から、苦麦菜、油麦菜、生菜(レタス)。

「中国植物志」で、レタスの一群と、アキノノゲシの一群を別属に分けた指標形質、種子本体の両側の広い翼の有無(従って全体としては、丸味を帯びて見えるか、細長く見えるかの違い)が、よく分かります。レタスと油麦菜では、形は互いに良く似ていますが、色の濃淡が顕著に異なります(油麦菜は苦麦菜同様の濃黒褐色)。







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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第101回)

2011-10-04 11:26:31 | その他の植物

東洋のレタス“麦菜”の謎 Ⅱ②


広西梧州2011.9.15-17


桂林-センツエン間は、ふだん夜行寝台列車を利用しているのですが、時期によってはチケットが入手しにくい事もあり、最近は長距離バスを利用しています。朝出発して夜に着く便や、列車同様夜出発して朝到着する夜行便もありますが、日程的に余裕がある時は、中間地点の梧州(広西と広東の境界近くにある大都市)で一泊することにしています。ここの常宿の「梧州大酒店」は、各階ごとにワイアレスの無線ケーブル(僕のパソコンでも利用可能な日本語での表示)が完備していて、中国一インターネットがスムーズに行えるため、何日か連泊することもあります。

でも、ただ室内に籠っているだけでは勿体ないので、この機会に“麦菜”の実態をチェックしておこうと、近くの畑へ探索に出かけることにしました。別に、梧州でなくとも、桂林でも広州でも最初に麦菜に出会った陽春でも良かったのですが(いずれも梧州から4~5時間の距離)。

歩いて1時間程の耕作地。畑のあちこちに塔(正確な漢字が出て来ないのでこの字を当てておきます)の立った麦菜が、場所によっては広い面積に固まって(あるいは一本だけがポツンポツンと)見られます。畑の作物の数分の一程度を、塔の立った麦菜が占めているように思えます。全て苦麦菜で、中でも甜麦菜と呼ばれるものの由。油麦菜は今はほとんどない(後で気付いたのですが、ごく若い芽生え始めたばかりの苗が幾らかあったようです)とのこと。花も種子も明らかにアキノノゲシと相同ですが、葉の印象はやや異なっていて、育種改良された栽培品であることが窺い知れます。





塔の立った苦麦菜の株の集合が目立ちます。



一株だけポツンと立っている株もあちこちに。どのような意味があるのでしょうか?



塔立ち株も、まだ若々しい葉を付けた集団から、枯れた葉を纏った集団まで様々です。





ところどころに苗床のような場所もあるようです。





塔立ち株の葉の様子は様々ですが、全縁で、先に近い部分まで幅広く、確かに“ウサギの耳”を思わせます。







頭花は、大きさもイメージもアキノノゲシそっくりです。








舌状花は(ほとんど白と言っても良い)ごく薄い黄色。雌蕊(with雄蕊)が鮮やかな濃黄色のため、離れた所からは、全体が卵黄色に見えます。















種子の色や形もアキノノゲシと全く同じで、左右に広い翼を持ちます。綿毛を見ると、広い意味でのタンポポの仲間(キク科タンポポ連)であることが、よく分かります。



熱帯の蝶、シロオビアゲハにウラナミシロチョウ。日本本土におけるアキノノゲシと蝶(例えばクロアゲハやモンキチョウ)の組み合わせとは大分異なります。














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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第100回)

2011-10-03 11:30:49 | その他の植物

東洋のレタス“麦菜”の謎 Ⅱ①




≪何度か繰り返し紹介する画像ですが、初出時に油麦菜と苦麦菜の順序が逆になっていたので、この機会に訂正しておきます≫
語:左から生菜(レタス)・苦麦菜・油麦菜 深圳のスーパーにて購入。
正:左から生菜(レタス)・油麦菜・苦麦菜 深圳のスーパーにて購入。



広西桂林2011.8.24


ここのところ一年のうち半分程は、ホテルを転々としつつ中国に滞在しているわけですが、日本人に出会う機会は非常に少ないのです。
2年前は“日本人バックパッカー御用達”とも言える成都の「シムズ」にいることが多かったので、日本人の若者や熟年諸氏も随分と見かけたのですが、シムさん一家がそこを離れてから成都での常宿を変えたため、また日本人に出会うことが少なくなってしまいました。

欧米人は、どこに行ってもそこそこ出会うのです。でも日本人は、いないところには全くいない。「欧米人はよく見かけるけれど、日本人はほとんど見かけない。来る時は、大人数が一度にやってくる」とは、雲南奥地の現地人の言。

桂林のユースでは、比較的日本人に会う機会が多いようです。今年も累計数週間滞在していましたが、数人の日本人の方に出会っています。僕と同年代の赤坂ご夫婦。定年前にして退職、ご主人は日本の大学で、奥さんは中国河北省の大学に交換留学生として、学び直しているとのこと。夏休みで2人揃っての中国旅行です。

食事に行きませんか? とのお誘いを受けたので、スーリンを案内役に、“重慶火鍋”を食べに行きました。スーリン、たぶんご夫妻に御馳走して頂けるのだろうとの目論みで(実際、御馳走して頂いた)、どんどん注文して行きます。僕は冷や汗ものです。

でも、こんな機嫌の良いスーリンも珍しい。奥さんのほうが、50歳台後半になってから中国語の勉強を始めたということに、いたく感激しているようなのです。たどたどしい中国語を喋るのですが、6カ月でそれだけ話せるのは大したものと、褒めること褒めること。返す刀で、24年経っても一向に中国語が上達しない僕を、ぼろくそに貶します(毎度のことなので僕としては“柳に風”ですが)。一年目には僕を追い越してしまうのは間違いない、と(それにしてもスーリン、その体型はなんとかならんもんか、、、、、運動不足が如実に表れているぞ、、、、、「パパは何だかわからない(山科けいすけ)」の「ママ」の存在を思い浮かべてしまいます)。





「火鍋」、いやもう、美味しかったのなんの。肉がたっぷり、野菜もたっぷり、、、(自分のお金で食べるチャンスなど、日本では100%無理でしょう)。最後に青菜を頼もう、ということになりました。そうだ、麦菜を食べなくては。この麦菜(たぶん油麦菜)が、なんともまた、美味だったのです。




←こちらは別の店で(一週間後)。




7年前、広東省の陽春で「苦麦菜」に出会って以来、“麦菜”の実態探索を中国でのテーマの一つにしているのだけれど、僕が中国語が出来ないこと、真面目にリサーチを行っていないことが原因で、一向に先が見えて来ません。

ということで、桂林の「火鍋」以降、少し真面目に取り組まなくてはと、この一ヶ月、情報の整理を試みているのですが、結局何が何だか分からなくなってしまい、泥沼に足を踏み入れた状態です。そこで、書きかけた草稿を全てボツにして、思いついたままの断片を、(前後の繋がりは無視して)箇条書きに記して行くことにします。




湖北恩施(左はたぶん油麦菜、右から2個目は「莴笋」)   雲南河口(左は生菜、右はたぶん油麦菜)
 



センツェン(左写真左が油麦菜、右写真は苦麦菜)












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朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第99回)

2011-10-02 12:52:05 | 広西 桂林 南嶺ほか


[前回のあやこ版に関しての付記]

ブログに関して、僕(青山)とあやこさんの意見が合わないというのは、今に始まったことではないのです。

僕が自由に書き進めている内容のものに関しては、(ちょっとマズいのでは?と思うような内容の項も含めて)意外にスムーズに載せてくれます。そのことに関しては、あやこさんに非常に感謝しているし、読者の方にも申し訳ないという思いがあります。

ところが、あやこさんや読者の方々へのサービスのつもりで書いた項に限って、クレームが付いてしまう(笑)。あやこさんに、僕自身のコメントとして『今後も(読者の存在は無視して?)自分の書きたいように書き進めて行きます』といったコメントを入れられてしまうものですから、(そんなことは考えてもいない僕としては)相当にショックを受けているのです。それで、たまには、あやこさんや読者の方々に喜んで貰えるような内容の記事も書かねばと、僕なりに努力しているつもりなのです。

そんなわけで、今回の「梧州」「融水」は、思いのほか気にいった町だったので、いつか余裕が出来た時に、あやこさんやトクちゃんや読者の方々を伴って中国旅行をする機会があった時には、ぜひとも訪問地に加えたい、よって前もって、どんな所なのか、あやこさんに調べておいてもらい、感想をコメントして貰おう、と思ったのです。

ただ観光案内のサイトをリンクさせただけでは、面白くないというのが僕の意見で、削除したり復活させたりと、右往左往しているわけです。でも、せっかく載せたサイトのリンクを、今回削除してしまったのは、勿体ないですね(僕もまだチェックしてなかったので残念です)。

結局、今回復活させたものでは、(★印のあやこさんのコメントを除くと)僕自身の記述がほとんどとなってしまいました。ただし『梧州市(ごしゅうし)は中華人民共和国広西チワン族自治区に位置する~』『融水ミャオ族自治県(ゆうすい-ミャオぞく-じちけん)は~』の部分は、あやこさんがどこかのサイトから引っ張ってきたもののようです。この記述に関しては、僕は大いに不満があるので、そのことについてコメントをしておきます。

随分前にも、同じことを書いた記憶があるのですが、改めて。

『梧州』『融水』の仮名に、なぜ“ごしゅう”“ゆうすい”とふるのでしょうか?
一方では、『壮族』は“チワン族”、『苗族』は“ミャオ族”と記述されている。
これが不思議でなりません。

以前に問題提起したのは『重慶』での例だったので、それに沿って述べて行きます。
当時、日本の某人気ガイドブック(「地球の歩き方」です)では、『重慶』の表記に、“じゅうけい”とだけ読み仮名をふっていました(今は“じゅうけい”“チョンチン”を併記しているようです)。
これ、全く意味がないと思うのです。だって、中国人に“じゅうけい”と言っても全く分からないわけですし、日本人読者に対して『重慶』を“じゅうけい”と表記する意味も、全くありません。

例えば、中国で発売されている日本のガイドブックに、『東京』の読みに“Donjin”とのみ併記されているようなもので、そのガイドブックを頼りに日本にやってきた旅行者に、「ドンジン駅にはどう行けば良いのですか?」と訊ねられても、我々日本人には、さっぱり分からないのと同じことです。

編集長氏に直接訊ねてみたことがあります。なぜそんな意味のない表記をするのか? と。答えは次の通り。

①日本人の読者に対しての表記であり、読者の中には、「重慶」を“じゅうけい”と読めない人もいるだろうから、一応念の為、日本語読みを表記している。

②中国語の発音は難しい。現地で“チョンチン”と言っても通じないことが多い。であるから、わざわざ読みを振る必要はない。

③中国人も、日本はズーベン、東京はドンジンと、日本の地名を日本語の読みで発音しない。なにも我々だけが、向こうに合わせることは無い。向こうが東京をトウキョウと呼ばないのなら、こちらも重慶をチョンチンと呼ぶ必要はない。

僕の反論。

①に関しては、日本人が勝手に「重慶」を“じゅうけい”と読んでいるだけで、何も“じゅうけい”である必要はありません。“おもけい”だって“かさねけい”だって良いのです。

②は確かにその通りではあるのだけれど、重慶をジュウケイと言っている限り、永久に中国人には通じません。発音(ことにピンイン)が間違っていても、繰り返し(調子を変えるなりして)“チョンチン”と発音していれば、いつかは相手に通じるはずですし、そのうち自らも正しい発音が分ってきます。

③これが最大の問題点です。僕だって中国は大嫌いです。でも、仲良く出来るものなら仲良くしたい。そのためには、お互いに努力して行かねばなりません。向こうがこうしているから、こちらも同じようにする、というのでは、最初から喧嘩をしているようなものです。

はっきり言って、中国人(中国という国家)の意識は、子供のレベル(いわば巨大な北朝鮮!)です。「自分たちが全て、ほかの国家のことなどどうでも良い、なにもかも自分たちの考えに合わせて貰おう」と。でも、それに合わせて同じように対応するというのは、子供同士の喧嘩と同じです。客観的に見て、日本人のほうが大人のはず。ここは、「貴方達が意識を改めないで自分たちの読みにこだわって表記を続けても、私達は現地の読み方を尊重して記述を行って行きます」と大人の態度で対して行くべきではないでしょうか?

ちなみに、外国の地名の表記は、「朝日新聞」は“現地語読み”、「読売新聞」は“日本語読み”(今はそうではないかも知れません)だったと思います。僕は朝日新聞関係の仕事が多かったので、「朝日」に書いているので読んで下さい、と言ったら、「このアカ野郎が!うちは朝日は読んでいない」と言われることが、一度ならずありました。

今さっき、広東省東部の河源市という所から、センツェン(“Shen Zhen”、漢字は“深+「土ヘンに川」”、僕のパソコンでは筆記不可なので、しかたなく片仮名表記しているだけ、それで以前は“シンセン”と表記していましたが、どうせなら現地読みでと、最近は“センツェン”“シェンツェン”“センゼン”などと表記しています)に戻ってきたところ。開業したばかりの地下鉄(+モノレール)の新路線に乗って、ユースH.に戻って来ました。新しい路線(5路線)は、以前からの路線の10倍程の距離と駅数があります。ここが中国なのか?と目を疑うほど、近代的な地下鉄なのですが、気になることが一つ。旧路線車内の路線案内表示板が中国語と英語の併記でなされている(のみならず車内放送も英語との併設)のに対し、新路線のそれは、痒い所に手が届くばかりに様々な情報を盛り込んだ案内であるにも関わらず、英語での表記は一切なし。

どうも、ここ数年、「もはや中国が世界一の大国、今後アメリカなど他の国の慣例は無視しよう」という、中国国民の自意識が感じとれます。以前から、センツェンでも英語が通じることがあったので、今はもっと通じるようになっていても良いのですが、逆に通じにくくなっているような気もします(香港では8割方通じるので、そのギャップは著しい)。「ここは中国なのだから、中国語を話せ、外国語を喋るなら、コミュニュケートは拒否する」、そんな雰囲気を、以前以上に感じます。いつの間にか、国民の意識が、(国家から下された“刷り込み”によって無意識のうちに)そのような方向に向かっているのではないかと。

なんだか、凄く恐ろしいことではないかと思うのです。そして、日本(の殊に若者の意識)も同じような方向に向かいつつある、、、、。

話が脱線してしまいました。ということで、「梧州」は“ウーヅォー(ヅォーの発音は非常に難しい)”、「融水」は“ロンシュイ(ロンの発音は非常に難しい)”と記述したいものです(「壮族」を“チワン族”、「苗族」を“ミャオ族”と表記しているのだから、なおさら)。もっとも、穿った見方をするなら、漢語の読みには合わせないけれど、少数民族語の読みは尊重して合わせる、ということなのでしょうか? 気持ちは良く分かります(笑、僕だってそうしたい!)が、それこそ大人げないです。

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①② 最初に泊まったのは、超豪華な『金碧花園(健康別荘)酒点』。町の中(バスターミナルから徒歩15分)の広大な敷地内に、多数のコテージがあります。写真は僕の泊まった棟と、敷地内を走る無料バス。一泊150元(日本円約1800円)。





③ 『洗濯物シリーズ』。今回は僕のパンツ。中国で買ったもので、2つセットで250円~400円と、日本の100円ショップよりやや高めですが、履き心地は抜群です。



④⑤ 向いの日本料理店『千鶴日本料理鉄板焼』で食事をしていました。スタッフ全員、日本語はまるっきり喋れません(“エラーシェ-マシェ-”だけ、笑)。でも態度は最高、中国人らしからぬ丁寧さです。それに清潔さも文句なし。僕のお気にいりは、サンマ定食 21元(約250円)。






⑥ ガーデンホテルはちょっと贅沢すぎると思い、やや安めのホテルに移動。と言っても一応高級ホテルの『河源市城車大酒店』(一泊75元=約900円、バスターミナルから徒歩5分)。自室の窓から。



⑦⑧ 窓の向いは教会。その隣に豪華ホテル(一泊320元=約4000円だそうです)。






⑨⑩ 夜の河源市内。日本の県庁所在地に当たる、いわゆる“地級市”。一時間以上歩いても、市街地は途絶えることはなく延々と続きます。三脚なし、広角レンズ無し、ピントが合わせられない、といった悪条件の中での撮影です。







今日10月1日は、中国の国慶節で、友子さんの50回目の誕生日、元気で過ごされていることを願っています。







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