青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで My Sentimental Journey (第109回)

2011-10-12 20:44:23 | 雑記 報告

★この記事に関しては、私と青山さんの意見の相違で、また揉めたのです。
結果、私の意見を取り入れていただき、今まで実名を記載していた2人の名前を、■■と●●●●に変更しました。さらに、金額も×印にしてありますので、ご了承ください。
次回の記事に関しては、双方でよく話し合い、決めていきたいと思います。(あやこ)

あやこさんの意向で、
「登場人物の実名は避ける」
「お金の金額は示さない」
ということで、
■■と●●●●に変更されています。
僕(青山)としては納得できない点が多々あるのですが、“人権”の問題は、最大限慎重に対さねばならないということも確かです。
暫定的に、とりあえず、このような(不自然な)形でのアップとなってしまったことを、ご承知置き頂ければと思っています。(青山)


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アモイから来た■■(そのⅢ)



「藍天夢翺翔」
「ラン/ティェン/メン/アオ/シャン」
この響きが、たまらなく好きなのです。Tとは、それで、ずっとメールやり取りをしている、と言っても良いのかも知れません。

「夢 翅ひろげ 藍天を翔ける」「夢 翼をひろげて 藍天に翔(はばた)く」

「藍天」「夢」「翔」は説明不要、問題は「翺」の字ですね。左の旁は上に「自」真ん中は「二」が左右に2つでその間を「十」が突き抜けます。右は「羽」です。この文字自体の意味が分からなくても、前後の語との繋がりで、何となく把握出来ると思います。

発音は「アオ」ですが、日本語読みでは「コウ」「かける」、「翔」とほぼ同義で、重ねることでイメージを強調していると考えれば良いでしょう。手許にある辞典では、「翺」は「翼を広げて飛ぶ」、「翺翔」で「(鷹などが)空に輪を描いて飛ぶ」となっています。

「翔」と同義語ですから「藍天夢翺翔」は「夢 藍天を 翔ける」で良いのでしょうが、「翺」のイメージを取り入れたいと「夢 翅ひろげ 藍天を翔ける」(「夢 翼をひろげて 藍天に翔く」)としたわけです。

ただ、どこかまだるっこしくて、もう一つ爽快感・透明感が出ない。すっきりと「夢 藍天を 翔ける」とした方が良いかも知れない。しかし「翺」が持つ、大空高くを舞う“遥けきイメージ”が出ていないように思えます。ならば「夢 藍天を 舞う」のほうが良さそうなのだけれど、でも、こんどは、疾走感に欠けるような気がする。

やはり「藍天夢翺翔」「ランティエンメンアオシャン」でないと成りません。ともかく、この言葉に、たまらなく惹かれるのです。

この語は、いわばTのペンネーム(ハンドルネーム)な訳ですが、■■(それにしても変わった名です、最初は本名だとは思わなかったのだけれど、身分証明種にもちゃんと「■■」で示されています)がどこからか引用してきたのか、自分で作ったのかはともかく、それだけで彼女の今の気持ちの在り方が解るように想うのです。

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「お金のことは全く口に出さないんだよ、不思議だろ?」ジン君にそういうと、「後で纏めて要求するとか、日本に連れてってくれとか、そういうことじゃないですか?」と。それは当然あり得るでしょう。でもそれにしては、、、それだったら、もっと巧妙に、というか確実にその方向に向かわせるように仕掛けて来ると思うんだけれど、全然中途半端なんですね。

中国に支社を持つ日本企業支配人でアメリカ人と日本人のハーフ(日本の血は4分の1?)の知人は、「中国の女性は100%金目当てで日本人に近づいてくるのだから、絶対に気を許しちゃ駄目!」と口を酸っぱくして説教を垂れます(笑)。この上もなくハンサムで金持ちで若く独身の彼でさえそう断言するのですから、侮男貧乏老人の僕などにとっては、当たり前田のクラッカー。

昔、中国に留学した際も、中国をよく知る知人に、「女性に対しては、絶対にガードを堅くしておかないと、大変なことになっちゃうぞ、向こうは一族全員で狙いを付けてくるのだから」とアドバイスされ、頑なに守ってきたわけです。

●●●●とは、最初からきちんと結婚するつもりだったので、話は少し違ってきます。上記の知人への反論になるけれど、女性が収入目当てに男性と付き合う、ということは、(女性が安定した生活を望む)日本人同士の普通の結婚生活でも同じなのじゃないかと。

●●●●には、総額×万円を貢いでいる(笑)のですね。最初の2年間の本人の学費(学校で勉強することをこれほど喜んだ人間に初めて会った)、両親への仕送り、弟の学費の一部、お兄さんの離婚・再婚の費用、、、。月×元=約×万円(なぜかその当時収入はあったのです)でトータル約×万円。

その後、両親の反対で(一番のネックは年齢)婚約は一応解消したのですが、その一年後(2005年春)僕の実家を売却した時に入ってきた収入を、いの一番に●●●●に報告。彼女が「半分寄こせ!」というのを、結局5分の1ほどの×万を渡しました。未だにそれが不満で、あの時、全部(せめて半分)私に寄こしてれば良かったのだ(青山がアメリカや中国を飛びまわって、交通費だけであっという間に無くなってしまったのだから)、×万あったら、センツエンか桂林にマンションが買えてたのに(その後に土地代が急騰、今では×万や×万円では手が出ない)。

傑作なのは、お母さんが言うに、「婚約を解消したのだから全額を貰ってはいけません、半額にしておきなさい」。また、土地売却の収入を、真っ先にDさんやKさんにも報告したと言うと、●●●●の怒ること怒ること、「なぜ他人に言うのか、黙って秘密にしておくものである」。もっとも、●●●●も親友の天風に報告した由、それをお母さんから、「他人に言っちゃダメじゃないの!」と叱られたという、、、、中国人は、何を考えているのでしょうか(笑)。

あと、●●●●語録で圧倒的に凄いのは、「私以外の中国人とは親しく話してはなりません、中国人は、全員、泥棒と思いなさい」。それは正にその通りだと思うけれど、でも、自分は何なんだと(笑)。

とにかく、中国人にとって「人の金も自分のもの」という思考経路は、当たり前。ハチャメチャなのです。

なんだかんだ言っても、僕と出会ったことで、●●●●は、望んでいた(一家揃っての)農民からの脱出が出来たわけです。いつもいつも僕をぼろくそに言うわけですけれど、感謝はしてくれているみたいなのです。

●●●●には早く結婚してほしいと願っているのですが、なかなかその気配はありません(結婚が決まれば半年以上前に僕に報告することになっている、なぜなら僕が結婚資金のカンパをしなくてはならないのだそうで、予算捻出の準備期間として)。以前は、遅くとも35歳までに、と言っていた年齢に、あと数カ月で達します。最近は「結婚よりも社長になるのが先」とのたまい、さらなる金儲け(衣類などの販売と生命保険勧誘、、、後者はアルバイトだそう)に励んでいるようです(しっかり貯金しているはず、今では僕よりずっと金持ちだと思う)。

失敗したのでは、と思う時もあります。もし、(集団就職先の企業を相次いでクビになり、結婚を前提で付き合っていた彼氏とも理不尽な理由~湖南省出身者というのがキーポイントなのだそうです~で別れざるを得なかったという、失意の只中にあったらしい25歳の時に)僕に出会わねば、今頃は都会での生活は諦め、田舎に帰って普通に結婚し、(本人が毛嫌いしているとはいえ)農村での平穏な生活を送っていたかも知れません。彼女にとっては、そのほうが幸せだったのではないかと。ある意味、申し訳ないという思いがあるのです。

話が逸れてしまいました。

僕は、「中国人総幼稚園児説」を提唱しています。一言で言えば、彼らはバカであると。中国人は、お金のことしか頭にありません。どうやって(大方は悪事を働いて)金を儲けるかで、頭がいっぱいです。知能は全て悪知恵に向い、他のことに関しては、まるっきり無知なのです。

それを全面的に認めた上で、なにか、それ以外の、説明の仕様のない“特性”を、中国人の中に感じる時があります。全てのことをお金中心に考える、と同時に、それとは対極にある“何か”。

中国人のお金への執着の仕方が余りに極端で、日本人には到底理解し得ないわけですが、同時に、その反対方向の“何か”も、日本人には理解出来ないような気がします。いわば、日本人にとっての、「紫外線」と「赤外線」の併存。

■■に話を戻しましょう。

ジン君の言うように、「後での計画を立てている」というのは、大有りでしょう。でも、それなら、もっと上手く立ち回るはず。お金の援助は、一度だけ口にした(メールでの打診が来た)ことがあるだけです。

家族が×万円の負債があるけれど、自分は一切関係なく、その責務はない、今の仕事に就いているのは、その返済とは無関係、という説明を受けていました(では、なぜ今の仕事を続けているか、そこのところが分からない、前にも言ったように何らかの形で家族との関わりがあるのだと思う、最近聞いた、伯父さんが恩施に来て自分を監視?している、という話も気になります)。

8月に帰省した(というか上海の両親の許に立ち寄った)際、メールの中に「実家の負債の件は無事解決した!」という報告がありました。「良かったね」とメールを返しておいたのですが、その数日後、「実は、トラブルが生じて、改めて大金が必要になってしまった、もし出来れば幾らかを借用出来ないか?」というメールが届きました。こちらは滞納家賃の捻出に途方に暮れている真っ最中、どう返事して良いものやら。

ところが、僕が返事をする前、前回のメールから5分と経たないうちに、前言取り消しのメール。

「青山さんに頼むべきことじゃなかったです、他の人に頼める見通しもついたので、心配しないで下さい(なにしろ、僕が超貧乏でいることを知っているわけですから)」。

僕の返信。「今は無理だけれど、時と場合によっては協力するよ、いついくら必要なのか、一応教えておいて下さい」。

「×元(×円強)を年内に、でも、幾らかは見通しが付いた、心配しないで下さい」。

再返信。「帰国後に考えて見ます、仕事の成り行き次第では、一部可能かも知れません」。

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最初に■■に出会ったのは、恩施で一文無しになって、Fさんに電話で送金の打診をしていた時。日本大好き(その後、好きな国は、アメリカ、フランスへと変遷しているのですが、笑)という彼女に食事を御馳走して貰って、「そんな仕事は辞めなさい、“愛のない〇〇〇”などやってはいけません」という説教を垂れたわけです。まあ、このような職業の人達にとっては、もっともお節介な説教であることは承知の上なのですけれど、言わずにはいられない。で、「シャングリラ連れてって」「次回にね」ということに。

数日後、康定に着いた時、誰か解らない人物からメールが。「一人旅、寂しいでしょうけれど頑張ってね!」。送り人の名が無いので、誰なのかは解りません。「貴方は誰ですか?」と聞く訳にも行かないし、当たり障りなく、返事をしておきました。僕が今一人旅をしているのを知っている中国人で、僕のメールアドレスを知っている人物となると、ごく限られます。タイミングからして、■■である可能性は強いのですが、彼女はパソコンを持っていないはず。

その後、本人と電話で話をする機会は、何度もあったのです(メールが当人かどうかは未確認のまま)。その都度、「今の仕事は辞めなさい」と相当強い口調で繰り返し言い続けて来ました。「辞めるなら、シャングリラに連れて行ってやる」とも。でも、「今はシャングリラに行きたくないし、時間も無い、(仕事に専念せねばならぬので)行けない」「次回恩施に来ても、時間がないので逢えない」。相当疎ましく思われていることは、間違いありません。メールを次々に寄こす「藍天夢翺翔」は、Tとは別人でしょう。

しかし、緊急帰国後も、老若男女が全く不明な「藍天夢翺翔」から、度々メールが届きます。その都度、適当に話を併せて
返信をしておいたのです。

ある時、ふと思いついて、電話番号を訊ねて見ることにしました。■■には2つの電話番号(仕事&プライベート?)があり、帰国後その双方に何度か電話をしたのですが、両方とも繋がりません。もしTなら、そのどちらかの番号を改め伝えてくれるはずです。

すぐに返信が来ました。記されていた番号は、どちらでもありません。まず■■ではなさそうです。「藍天夢翺翔」は、老若男女、どこの誰かは全く不明ということになってしまいました。電話をかけて「貴方は誰ですか?」と正すのも億劫です。

やがて、「你看不到の悲泣(戻って来ないので、悲哀に暮れている)」という大袈裟なメールがやってきた頃、中国再訪の機会が訪れました。7月5日、センツエンに着いてすぐ、あちこちに電話連絡を入れたので、その一環として、メールに示された「藍天夢翺翔」の電話番号にも連絡してみたのです。「藍天夢翺翔」は、やはりTでした。

「恩施には5日後に行く」と伝え、融水(九万大山)で“ヤナギバハナアジサイ”の調査を済ませたあと、そのまま(最初の予定では、湖南省を縦断し恩施に向う予定だったのですが、南北の交通事情が非常に悪く、それだけで3~4日を擁してしまいそうだったので、武漢回りの夜行列車で)北上、予定通り5日後に恩施到着。

恩施での目的は、もちろん今回の中国行の“第二の目的、マルバギンバイソウの探索”(当初は■■に案内を頼もうと考えていた)。でも、恩施では今回も資金欠、数日中に追加予算の見込みが立たねば、“マルバギンバイソウ探索”は、来年回しにするしかなさそうです。

恩施のバスターミナルに■■が迎えに来てくれるものと思っていたのですが、姿が無いので電話をしたところ、仕事が忙しくて今日は行けない、明日の午前中に、という返事。翌日、本来ならば、時間を惜しんで“ギンバイソウ”の探索に向いたい所なのですが、資金もないことだし、今日はTが来るのを待っていようと、終日部屋にいたのだけれど、いつまで経っても現れません(仕事場を訪ねて老板にただしたら、体調を崩してここのところ休んでいる、との答え)。夕方近くになって、やっと現れました。食事に行こうと誘ったのですが、これから仕事があると、そそくさに出て行ってしまいました(仕事を辞めなさい、との忠告が、よほど迷惑で疎ましいのでしょう)。

翌日は■■には逢わずに、早朝のバスで重慶に。せっかく恩施まで来ていながら、“ギンバイソウの探索”をパスして通り過ぎてしまうのは、勿体ないことこの上もないのですが、“第一の目的”であった“ヤナギバハナアジサイ”の発見は、首尾よく実現出来たことですし、ここは無理をせずに、(交通費が残っているうちに)次の目的地、四川・雲南に転身したほうが賢明でしょう。

すると、また「藍天夢翺翔」からのメールが届きだしたわけです。

7月0日に届いたメールは、不思議な内容。
「我现在在福建,最近遇到了超级倒霉的事.所以来散散心」
(とんでもない災難に会ったので、気晴らしのためアモイに戻っています)

「とんでもない災難」というのは何なのか、訊ねても曖昧な答えしか返って来ません(もしかすると、僕に出会って“仕事を辞めろ”と諭されたことが、「災難」であったとも取れそうな、、、)。

何が目的なのか、何を考えているのか、良く分からないのです。

でも“藍天夢翺翔”だけは、解る気がする。

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今、ふと思いました。現在の境遇から逃げたいのかも知れない。

“逃げる”といえば、数年前、不思議な出会いがありました。

梅里雪山とメコン河を挟んで対峙する白馬雪山に、徳欽からバスで往復しようとした時のことです。峠頂(といっても、4000m超の稜線が20㎞以上続く)でバスを乗り捨て、撮影を終えて下りのバスを捕まえようとしたのですが、乗車を拒否されてしまいました(運転手によって気持ちよく乗せてくれることもあれば、無慈悲に拒否されることもある)。あとはヒッチしか方法がありません。夕方になると滅多に車も通らなくなってしまうし、日が暮れれば極寒の世界です。歩いて戻る訳にも行きません。必死で車を止めるしかないのです。

4000m超の山道には不相応な、黒塗りの車がやってきました。運転手と後ろの席に40~50代と思しき品の良い女性。止まってはくれたのですが、「乗せられません」ときっぱりと断られてしまいました。ここで乗り損ねれば、夜になってしまうかも知れません。必死で食い下がります。日本人のカメラマンであることを説明(夫人は片言の英語を喋る)し、何度か断られたのち、どうにか便乗を了承してくれました。

「乗せられない」といった理由は、今、“逃亡中”だから。自分は、広東省の娼婦で、訳があって、この後チベットの某都市に逃げる途中なのだそうです。運転手は自分の部下で、送り届けたあと広東に帰る、今現在自分の連絡先は未定なので、もし機会があれば、広東の運転手氏宛てに連絡してほしいとも。

途中、お菓子や果物を頂きました。その食べ粕をビニール袋に納めるのを見た夫人は、運転手氏に中国語で、「見なさい、日本人はゴミを捨てずに自分で持ち帰ります、私達も見習わねばなりません」と。

中国という国、中国人、、、。まだまだ、理解不能な(理不尽さと懐の深さが一体になったごとき)様々な側面があるのだと、改めて思ったのです。

再度、■■Tの話に戻ります。

「借金は家族にはあるけれど、自分には返済の責務は無い」と言います。ならばなぜ、このような仕事をきっぱりと辞めないのか。この仕事が“好き”ということもあり得るでしょう。でも、見知らぬ不特的多数の人々を、一日に何人も相手にしなくてはならないのは辛いに違いありません。“辛い”と言っていたのは、本心だと思う。

結局、家族(一族)がらみの、いわば人質のような形で今の職に就かざるを得ないのかも知れません。伯父さん(?)がやってきて監視されている、というのも、そういうことなのかも知れない。

返済の責務は無いけれども、仕事は完遂しなくてはならない。稼いだお金(一日20人、一人×元だと、×元の収入、日本円で×円余、中国の物価に照らし合わせれば、×円近い“日当”ということになります)は自由に使えるわけ
ですから、僕よりもずっとお金持ちみたいです。急に必要になった×元も、なんとかなりそう、というくらいですから、少なくともお金に困っている、ということではなさそう。

漠然と、今の境遇から逃げたいと、、、、。でもどうにもならない。

そう考えれば、「藍天夢翺翔」も、より現実味を帯びた言葉として、意味を持ってくるのです。























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