青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2010年夏、四川省/来金山&巴朗山の植物(1)

2011-04-16 21:07:13 | その他の植物



終日(36年間に亘り撮影した)フィルムの整理を行っているのですが、遅々として進みません。途中、野暮用が入ったりすると、一からやり直しになってしまい、能率が悪いことこの上ないのです。ノイローゼになってしまいそうです。

あや子版に関しては、(「ベニシジミ物語」後半を含む)相当数のシリーズを用意しているのですが、文章を書き足したり、足りないデータや写真を探し出したりしているため、すぐにでもアップ出来そうなのだけれど、ひとまず控えているものが大半、というのが現状です。そこで、数年前にあや子さんに送信してあった、例えば「中国はどこのある?」シリーズや「なぜかアメリカ」シリーズなどを穴埋めに紹介して行くつもりでいたのですが、どうやら、ワードに張り付けた原稿をそのままブログに紹介するのは、かなり難しい作業であるようなのです。

そんなわけで、ここ2~3日、アップが滞っています。僕自身、東京にいる限り、週に一度ほどしかネットを開くことが出来ないので、そのつど纏めて数回分の草稿を送っているのですが、あくまでフィルム(デジタルを含む)の整理が主体で、ブログはそれに際しての副産物として考えているため、そちらの方に時間をとられてしまったら、本末転倒、ということになってしまう。ということで、しばらくは写真(まずはデジタル)の整理に没頭しようと思っています。

「ベニシジミ物語」や、「アジサイ」「へツカリンドウ」「ヒグラシ」などのシリーズは、一段階つき次第再開することにし、とりあえずは、手元にある写真の紹介のみ(解説なし)で進めて行きます。(以前のシオガマギク属のとき同様に)キャプションは属名のみに留め、種名などは、後ほど追加して行く予定です。

撮影場所の「来金山」「巴朗山」は、便宜上山の名を付けていますが、実際は峠です。とも成都市の西100㎞付近に位置し、成都の西南の雅安からパンダの最初の発見地・宝興県を渓流に沿って真北に向かった源頭部の峠が「来金山」(標高4000~4400m前後、広義には、南西の二朗山の手前辺りに至る標高5000m前後の稜線を広く差します)。そこから一度北に下り、東進した四姑娘山(6250m)南方の峠が「巴朗山」(標高4300~4700m付近)です。ちなみに、しばしばあや子版で紹介している「西嶺雪山」は「巴朗山」のすぐ南、「東拉山」は広義の「来金山」の南部に位置する、共に標高5300mほどの一峰です。

●エンゴサク属 四川省来金山 2010.7.19(1-5のみ2010.7.30)























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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅣ-2

2011-04-11 10:45:29 | チョウ

★皆さんの地域の選挙結果、いかがでしたか?今日のあやこさんのブログより。


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Ⅲ 幾つかのチョウの分布パターンから・・・続き


C 日本産高等Zephyrus(ミドリシジミ類)



ジョウザンミドリシジミ♂  ジョウザンミドリシジミ♂  ジョウザンミドリシジミ♂


クロミドリシジミ♂     フジミドリシジミ♂     ウラクロシジミ♂


ミドリシジミ♂       ミドリシジミ♀       メスアカミドリシジミ♂




高等Zephyrusの模式分布図 
①ジョウザンミドリシジミ属Favonius

計10数種、うち日本に7種
周日本海型(一部中国西部まで)


高等Zephyrusの模式分布図
②メスアカミドリシジミ族Chrysozephyrus、③ミドリシジミ属Neozephyrus

計100種近く? うち日本に5種
ヒマラヤ-中国西部-台湾型(日本を含む)

高等Zephyrusの模式分布図 
④フジミドリシジミ属Shibataniozephyrus

2~3種
日本・台湾・中国中部型


高等Zephyrusの模式分布図 
⑤ウラクロシジミ属Iratume

1種
日本・台湾型

高等Zephyrusの模式分布図 
⑥エサキミドリシジミ属Esakiozephyrusほか
 
10属前後、数10種? 日本には分布せず
ヒマラヤ-中国西部-台湾型(日本に欠如)



高等Zephyrusの模式分布図 
⑦東アジア産以外の4属

周辺地域(非・東アジア)分布型


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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅣ-1

2011-04-10 21:23:53 | チョウ
生まれて初めて投票に行ってきました。



選挙投票が国民の義務であると言うのは、まやかしだと思っています。

拒否、というのも、選択肢の一つです。



今回は、やむにやまれず、投票に行きました。

Dr.に一票を入れて来ました。本物であること。僕と共通する考えを持っていること。

本物の条件は、立候補の主眼が我慾ではないことと、思考が一から自分自身の組み立てにより成り立っていること。



外食チェーンやそのまんまが、万が一にでも当選してしまったら、東京都民を即、止めます(日本国民であることも止めたいぐらい)。



NHKラジオで、地震後の情報(放射能)収集を続けているのですが、アナウンサーやリスナーの相変わらず薄っぺらな“平和志向”、日本人であることが、つくづく嫌になって来ます。



この人たちは、“平和”ということの「表裏」を、真剣に考えたことがあるのでしょうか?



“仲良く協力しあって”とか“人類みんな家族”とか“遠くから貴方達の事を思っています、頑張って”とか、言ったもの勝ちの、薄っぺらな言葉の垂れ流し、日本のどうしようもない暗黒部(心地よさそうな言葉の裏側に付随する、無意識のうちの異質・弱者の排除、思想の自主規制)を覗き見て、恐ろしくなる思いでいます。

                                                         青山潤三



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Ⅲ 幾つかのチョウの分布パターンから


A ツマキチョウの仲間


北米大陸を含めた全北区温帯域各地の、種・種群間関係の模式的一例

 
ヒイロクモマツマキチョウ  クモマツマキチョウ
杭州近郊 2005.4.13     西安近郊 1994.4.25




A.bieti   A.scolymus        A.midia
中国大陸西部産      中国大陸-日本列島産   北米大陸東部産
(2005.7.13 中国雲南省にて) (2005.4.26中国陝西省にて) (「Butterflies of the CAROLINAS」
J.C.Danielsからの複写引用)


B アカマダラ属Araschnia 4 種


東アジア産生物の、代表的な4つの分布域に当てはまります。


アカマダラ 春型 北海道    サカハチチョウ 春型 北海道  サカハチチョウ 夏型 兵庫




アカマダラモドキ    キマダラサカハチチョウ            キマダラサカハチチョウ
夏型 雲南       夏型 四川                  春型 杭州

         

日本・中国産アカマダラ属4種/どれとどれが同じ種か分かりますか?



①―⑥⑰⑱ キマダラサカハチチョウ
⑪⑭-⑯⑳ アカマダラモドキ
⑨⑩⑫⑲  サカハチチョウ
⑦⑧    アカマダラ



外観的に見分けるポイントは、前翅前縁中央の白班2個の並び方。


     
アカマダラ    キマダラサカハチチョウ   サカハチチョウ アカマダラモドキ
内側に斜めに傾く 上の班が内側にずれる    垂直       外側に傾く      



翅の模様の印象からは、互いにごく近縁な(一見した限りでは種の分離に疑問を持つ程の)
関係のように感じるが、体の基本形質を最も端的に表現する雄外部生殖器の構造を比較検証すると、4種間には極めて大きな、かつ極めて安定した差があることが分かる。そして、
4つの種の分布域は、東アジアにおける分布様式のひとつの代表例を示している。

詳しくは、拙書『中国のチョウ』(上図引用)を参照されたい。





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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅢ

2011-04-09 15:00:23 | チョウ


明日は統一地方選挙、県議会議員選挙投票日、皆さん投票に行きましょう。今日のあやこさんのブログより

★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

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Ⅰモンシロチョウの仲間の話から(その3)


ビルの谷間のキャベツ畑で


都心のモンシロチョウとスジグロチョウ

↑春のキャベツ畑で♀を探して飛びまわるモンシロチョウの♂
 

キャベツ畑の白いチョウ

今、東京の都心には、2種類の「白いチョウ」が見られます。そのひとつは、誰もが知っているモンシロチョウ。もうひとつは、モンシロチョウに似ているけれど、別の種類のスジグロチョウ。
 
モンシロチョウは、もともとはヨーロッパなどの外国に棲んでいたチョウで、それらの地域から日本へ、野菜、特にキャベツを導入し、栽培するようになったとき、一緒にやってきたのではないかと言われています。モンシロチョウの幼虫は、キャベツのほかに、ダイコン、アブラナ(菜の花)などの葉が好きです。そして、開けた明るい場所を好みます。

 一方、スジグロチョウはモンシロチョウよりずっと昔から、日本(とその周辺地域?)に棲んでいたチョウだと考えられています。モンシロチョウと違い、山の近くや林の中など、人間の生活があまり入り込んでいない、自然がよく残っているところでも暮らしています。
そして、どちらかと言うと、薄暗い環境が好きなのです。




↑線路脇の土手に咲くムラサキハナナ(ショカッサイ、ハナダイコン、オオアラセイトウなどの呼び名もある)の花を訪れたスジグロチョウ。谷間のような地形を作り出した鉄道路線が、スジグロチョウの本来の棲息環境を再現しているとも言えそうです。もちろんそれだけが復活の要因ではありません。1970年前後から、都心に急速に広がった、中国原産の帰化植物ムラサキハナナが、スジグロチョウの幼虫の食草に適していたことも、関連があると思われます。1981.4.12 東京都世田谷区。新代田-東松原間。





東京の町が発展する以前は、あちこちに丘や谷(谷戸)があり、森や林も、思いのほか豊富だったようです。そのような環境に、スジグロチョウも数多く棲息していたと思われます。
 しかし、東京に人口が集中するにつれて、郊外の丘や林は切り開かれ、耕作地になったり住宅地になったりしていきました。耕作地にはキャベツ畑や菜の花畑が広がり、単調な環境と化していったのです。
 このような場所は、開けた明るい空間が好きなモンシロチョウにとって、願ってもない環境だったのでしょう。明るい場所を好まないスジグロチョウは減り、かわりにモンシロチョウがどんどん増えて、より身近なチョウになっていきました。


戻ってきたスジグロチョウ 

ところが20世紀の後半になって、東京の町の様子が、大きく変わってきました。もちろん、一昔前も、民家などの人工物が数多く建っていましたが、土地の再開発のために、高層ビルが取って代わり、どんどん立ち並ぶようになっていったのです。
 林立する高層ビルは日陰を作り、ビルとビルの間は、谷間となります。まるで巨大な山や、深い渓谷の出現です。それだけではありません。町の中を縦横に走る道路や鉄道路線は、谷間を流れる川の役割をしているともいえそうです。
 空き地や畑のように、広く開けた空間が町から少なくなると、明るく開けた環境が好きなモンシロチョウは、暮らし難くなってきました。それに、畑には繰り返し農薬がまかれて、チョウの発生も押えられます。そんなとき、一度勢力を弱めたかに見えたスジグロチョウが、復活してきたのです。
現在、都心の高層ビル街の真っ只中で見かける白いチョウは、ほとんどがスジグロチョウのようです。しかし問題は単純ではありません。というのは、モンシロチョウが町から姿を消したわけではないからなのです。郊外の田畑や、開かれて間もない住宅地などには、まだまだモンシロチョウのほうが多く見られます。
 さらに、町の中でもクレオメの植えられた庭や、ビルに囲まれた小さなキャベツ畑などでは、両種が入り混じって飛んでいて、同じ花の蜜を仲良く吸っている場面にも出会います。
そのような場所で、両種は全く同じ空間で暮らしているのでしょうか? 吸蜜後の2種を追ってみることにしました。すると、モンシロチョウは、空地や日の当たる道路の真ん中を飛んで行きます。一方、スジグロチョウは、建物や樹木で出来た日陰に沿って飛んで行きます。一見、同じ所にいるように見えても、詳しく観察すると、それぞれが別の空間を利用し生活していることが分かります。







ビルの谷間のキャベツ畑で

モンシロチョウとスジグロチョウの違いは、利用する空間の違いだけではありません。利用空間の差は、行動様式にも反映され、顕著な差となって現われます。例えば、産卵様式ひとつをとってみても、2種の間に、明確な違いが認められます。
 6月下旬の数日間、東京都世田谷区のキャベツ畑の周辺で、モンシロチョウとスジグロチョウの産卵様式の違いを観察してみました。
 キャベツ畑の南側は車道、東側はスーパーの駐車場、西側は5階建てのマンション、北側は植え付け前の畑です。西側にマンションがあるため、午後になると西のほうから陽が翳ってきます。畑には、三列に並んだ合計108個のキャベツが植えられており、その横にはダイコンが数本残っていました。






調査を行ったのは、1992年6月27日と28日。108個のキャベツと、5本のダイコンに産み付けられた2種の卵を、かたっぱしからカウントしてみたのです。
 キャベツから見つかったモンシロチョウの卵の数は、全部で2519個、最も遅くまで陽の当たる、東の縁の一列に集中して生み付けられていました。
キャベツからはスジグロチョウの卵も見つかりましたが、数は全部で43個、モンシロチョウに比べれば遥かに少なく、そのほとんどが、キャベツの最も外側の、古くて大きな葉に産み付けられていました。
 傍にあった、収穫され残った5株のダイコンの葉には、スジグロチョウの99卵に対して、モンシロチョウは98卵が、産付されていました。モンシロチョウも、キャベツに比べてダイコンが嫌い、と言うわけではなさそうなのですが、スジグロチョウは、明らかにダイコンを好んでいることが分かります。
 ダイコンの葉の付いている地上部分は、陽の当たる部位と日陰の部位が、同じくらいあります。一方のキャベツは、全体的に陽が当たり易い形状です。スジグロチョウにしてみれば、
日当たりの良いキャベツの葉に日影を探すより、常に適度な日陰を作り出すダイコンの葉に産卵するほうが、能率が良いのでしょう。モンシロチョウにとっては、明るいところにありさえすれば、キャベツでもダイコンでも問題はないものと思われます。




 





食草による好き嫌いは?

 モンシロチョウやスジグロチョウの食草は、アブラナ科。モンシロチョウが好むのは、キャベツを始め、アブラナの仲間(カブ・ハクサイ・コマツナほか)やダイコンなどの、栽培種(=アブラナ科の蔬菜)。一方のスジグロチョウは、ダイコンなどの蔬菜も食しますが、イヌガラシを始めとした野生植物が中心です。
 栽培種も野生種も、含まれている成分には、さほど差がないようです。その証拠に、スジグロチョウの幼虫にキャベツを与えて飼育しても、モンシロチョウの幼虫にイヌガラシを与えて飼育しても、同じように成長していきます。
 2種のチョウの食草に対する好き嫌いの原因は、食草そのものの姿や、食草の生えている環境条件に因っているものと思われます。キャベツのような蔬菜は、ふつう明るく開けた空間に栽培され、モンシロチョウの嗜好と一致しますし、イヌガラシのような在来種の多くは、路傍や建造物周辺の、やや暗い環境に成育し、スジグロチョウの嗜好と一致します。近い仲間のチョウでも、微妙な環境の違いを使い分け、同じ都心の一角に共存しているのです。



以上、『チョウが消えた!?』(6頁から37頁までの、主に山地性稀産種についてを原聖樹氏が、38頁から63頁までの、主に都市近郊の普通種についてを青山が執筆)から、モンシロチョウとスジグロチョウの話題に関する部分(P.48-59)を、『ビルの谷間のキャベツ畑で』の仮タイトルを付けて抜粋)。原文の文体を改め、語句を整え直してあります。児童書であり、因果関係の解明(というよりも“辻褄あわせ”)が要求されるこのような内容の作品は、正直言って、僕の好みではありません(書き写していて、気が重くなってきます)。

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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅡ

2011-04-08 09:26:26 | チョウ

昨夜も東北地方で震度6強の余震がありました。この余震はいつまで続くのでしょうか。早く平常な状態に戻ってほしいです。

★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

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Ⅰモンシロチョウの仲間の話から(その2)

エゾスジグロチョウという蝶~分類・学名・和名などについての基本認識



最初に学名が付けられたチョウ ヨーロッパのモンシロチョウ類3種


地球上の生物全てに、生物学的な分類体系の確立を念頭において、万国共通の名前をつけようとしたのは、リンネです。彼はヨーロッパの人ですから、最初に発表された1758年の論文には、ヨーロッパ全土でごく普通に見られる生物たちが選ばれました。

モンシロチョウも、オオモンシロチョウも、エゾスジグロチョウも、それらの一つというわけで、同じ1758年に、同じ学会誌に発表されています。

3種のうち、ヨーロッパにおいて最もポピュラーなのは、オオモンシロチョウです。日本語の和名に相当する現地名(Common Name)では、オオモンシロチョウが“キャベツ白蝶=Large WhiteまたはCabbage White”、モンシロチョウが“小さなキャベツ白蝶=Small WhiteまたはSmall Cabbage White”(注:アメリカでは、モンシロチョウが“Cabbage White”)、エゾスジグロチョウが“緑脈白蝶=Green-veined White”または“芥子白蝶=Mustard White”となります。
 

オオモンシロチョウ 中国雲南省


学名とは?

学名は、ラテン語です。学術的には、これが基本となりますが、一番最初に付けられた名前、と言うわけではありません。モンシロチョウ類3種のように、ポピュラーな種では、大抵の場合、それぞれの地域における一般名が、それ以前から存在しています。

学名は、属名Genus+種名Speciesで構成され、2名法と呼ばれます。姓と名みたいなもの、と思ってください。属の上には族Tribe(日本語の発音は属と同じ、植物の場合は連ともいう)、人間で言えば、さしずめ属が家族、族は一族でしょうか? その上には科、英語ではFamilyですが、上の例えでいくと、国民ということになりましょう。

さらに目Order、綱、、、、と続きます。その間には、亜目、亜科、亜族、亜属(どれも頭にSubがつく)などがあり、 節Section、亜節、系Series 、群Group、類、なども、臨機応変に使われます。さらに、種の下には、亜種Sub-species、変種Variatus、品種Form(後2つは、学術上は植物のみに適用)などがあります。

これらの分類群の単位は、属、種と違って、学名を構成する時に、使用されることはありません。

属や種をきちんと特定しておくことは、それぞれの生物を調べていくにあたっての出発点ともいえる、科学的に非常に大事な事柄なのですが、それに囚われてしまっては、困ります。分類群の特定は、あくまで取っ掛かりなのであって、結論ではないのです。

蝶のほとんど全て属名は、1758年にリンネが最初に発表した時には、Papirio (パピリオ)でまとめられていました。模式種はキアゲハ。ヨーロッパでは、最も派手で目立つチョウですから、いの一番に記載がなされたわけです。モンシロチョウ類3種も、同じPapilio属の種として同時に記載されました。

その後、属はどんどん細かく分割されるようになり、今はチョウだけでも膨大な数の属が記載されています。モンシロチョウ類3種も、キアゲハと分離されましたが、Papilioの模式種はキアゲハですから、別の属でなくてはいけません。そこで1801年に、オオモンシロチョウを模式種としたPieris(ピエリス)属が設置されました。


モンシロチョウの仲間は植物の一種?

学名の命名は、もちろん植物の場合も、同様に成されています。

ただし研究システムの違いから、命名に際しての法則などは、動物の場合とは別個に定められているのです。例えば、同じ対象に複数の名前を付けることや、同じ名前を別の対象に付けることは、動物の命名においても、植物の命名においても等しく禁止されているのですが、動物と植物の間においては、その限りではありません。

 
↑中国広西壮族自治区産アセビの花と葉(屋久島産とよく似ています)

そんなわけで、植物にもPierisという属があります。

ヨーロッパの人たちにとっては余り馴染みがないでしょうが、私たち日本人には身近な植物のひとつである、アセビ属です。蝶と樹木ということで、実質的な混乱の心配はほとんどないと言えども、ともにポピュラーな存在ゆえ、紛らわしいには違いありません。

さらに紛らわしいことに、日本産のアセビは、Pieris japonica、そして、エゾスジグロチョウの本州~九州産亜種は、Pieris napi niphonica(最後の語句が亜種名、付けても付けなくても学名として通用し、植物の場合は、亜種を意味するssp.を頭に付す)です。

これが、もし独立種(その可能性は充分あります)なら、日本本土産のエゾスジグロチョウは、アセビと更に紛らわしいPieris niphonicaになってしまいます。


分類に対しての姿勢、“守旧派”と“改革派”

学名に関する混乱の話題を、もうひとつ。

1801年に、モンシロチョウ属Pierisが設置されてから今に至るまで、モンシロチョウもエゾスジグロチョウも、疑いもなくPierisの一員とされ続けて来ました。ところが、20世紀も後半になって、その処遇に疑問を投げかける研究者が現われたのです。モンシロチョウやエゾスジグロチョウと、Pierisの模式種であるオオモンシロチョウとの間には、体の基本構造などに明確かつ安定した差異がある(重要な分類指標形質である雄の生殖器の構造が大きく異なり、後者の幼虫は青虫でなく毛虫、しかも集団で生活する、等々)として、両者は別属に分けられるべきである、という主張です。

その考えに基づけば、Pierisとして残るのは、オオモンシロチョウと、アフリカのアビシニア高地に隔離分布するスジグロオオモンシロチョウの2種のみ、モンシロチョウやエゾスジグロチョウを含む、ほかの大多数の種には、別の属名を与えねばなりません。

エゾスジグロチョウを模式種として設置されていた亜属Artogeiaを属に昇格させ、それに従う研究者も少なくありませんでした。提唱した学者が、ヨーロッパのチョウ分類界の大御所でしたし、なによりも納得の行く提唱でもあります。しかし、永い間慣れ親しんできたPierisの名が、モンシロチョウやエゾスジグロチョウに使えなくなるのは、判然としない思いが残ります。反対意見は、大きく分けて、次の2つ。

分類に対して保守的な人々は、基本構造や幼虫の生活様式が異なっても、チョウ自体の外観は違わないのだから、分けるのは反対、と考えます(モンシロチョウの仲間を集める人などは余りいないでしょうが、いわゆるコレクターはこの立場)。

もうひとつは、基本形質が異なり、属の分割が妥当であることは認めるとしても、モンシロチョウやエゾスジグロチョウの属名を、Pierisから他の名に移すことに関しては、チョウ自体が極めてポピュラーな存在であり、それらがPierisに属するとされてきた歴史の長さや一般への普及度を考えれば、いまさらの変更は、生物学の世界に留まらない範囲で混乱を引き起こす恐れがある。

そのような場合においてのみ適用される、命名規約上の原則に反した例外的処置もあるのだから、ここは変更するべきではないのでは、と言う意見です。

僕の見解は、上の2つとも異なります。実は、オオモンシロチョウの基本的な形態や生態は、モンシロチョウやエゾスジグロチョウのそれと変わらない、と考えるのです。

確かに、雄の生殖器の形状や、幼虫の姿は、モンシロチョウやエゾスジグロチョウを始めとした、他の(広義の)Pieris属の種との間に、(一般的に考えれば、当然属を分けて然るべき)大きな差があります。しかし、それは根本的な次元での違いなのではなく、2次的な変化なのではないかと。

一般には、雄交尾器は、翅の色や模様と違って、外部との関わりにおいて簡単に変化することはない、と考えられています(僕自身もその立場に立ちます)。

近い仲間同士の間には、大きな差異は生じません。明確な相違があれば、血縁の離れた、別属の種であることが多いのです。しかし、部位によっては、比較的形質の変化の速度が速いこともある。オオモンシロチョウの雄交尾器の形は、確かに他の(広義の)Pierisのそれと顕著に異なりますが、そこは変化のしやすい、かつよく目立つ部分。

それ以外の部位は共通しています。具体的なことは、拙書「中国のチョウ~海の向うの兄妹たち」に記していますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

“種”は極めて多元的で、あらゆる要素が作用しあって成り立っています。それを体系的に整理する分類という行為は、常に動的かつ謙虚な姿勢で、幅広い視野から見渡すことの出来る立脚点に立たねばなりません。簡単に結論を求めるものではないのです。



菜の花と対で名付けられたモンシロチョウ属3種の種名

属名についての薀蓄ばかり述べてきて、種名に触れるのを忘れていました。オオモンシロチョウはbrassicae、モンシロチョウはrapae、エゾスジグロチョウはnapi。いづれも“菜の花”の学名の一部です。アブラナの学名がBrassica rapa、セイヨウアブラナの学名がBrassica napus。ちなみにキャベツもBrassica属で、ダイコンはごく近縁のRaphanus属。

3種ともリンネが最初に刊行した1758年の論文に記載されているわけですが、オオモンシロチョウが属の模式種となっているのは(確かめてはいないので本当の理由は別にあるのかも)、アルファベット順に一番早い頁に来たことと、関係があるのかも知れません。

同様に、もしモンシロチョウとエゾスジグロチョウの属名にArtogeiaが充てられるとした場合にも、NのほうがRより先なので? 模式種はエゾスジグロチョウ。なかなか、正式に“モンシロチョウ属”とは、させてくれないのです。










日本と中国のモンシロチョウ類

と言うような訳で、ヨーロッパには3種のポピュラーなモンシロチョウ属の種がいるのですが、日本にも、やはり3つのポピュラーなこの属の種がいます。モンシロチョウ、スジグロチョウPieris melete、エゾスジグロチョウの3種。このほか、対馬に、タイワンモンシロチョウPieris canidiaが在来分布しています(最近、八重山諸島にも台湾から侵入定着)。

ちなみにオオモンシロチョウは、中国までは自然分布し、日本には分布していません。ところが最近になって、おそらくは輸入キャベツにくっついてきたのだと思われますが、北海道に侵入したのです。食草のナノハナやキャベツはいくらでもありますし、元々生活力旺盛なオオモンシロチョウのこと、瞬く間に定着してしまったようです。

中国の各地にも3種がセットで見られます。こちらは、モンシロチョウ、エゾスジグロチョウ、タイワンモンシロチョウ(エゾスジグロチョウを中国固有の独立種、チュウゴクスジグロチョウPieris eritraとする見解も)。タイワンモンシロチョウは、アジアの南寄りの地方に広く繁栄し(ただし、北は中国北部や朝鮮半島まで分布)、中国の各地では都市周辺などにも多く見られます。ヨーロッパにおけるオオモンシロチョウの生態的地位を占めているように思われます(中国には、地域は限られてはいますが、オオモンシロチョウも在来分布)。



 

“〇〇の来た道”“氷河時代の生き残り”は、まやかしの言葉

ついでに、言っておかねばならない重要なことを一つ。よく、“〇〇の来た道”と言う表現がなされます。

しかし、北海道のオオモンシロチョウのような帰化生物の場合はともかく、在来の生物の由来は、そんなに単純ではありません。安易に“やって来た”と表現するのは、非常に問題があるのです(ちなみに、“氷河時代”という、せいぜい10万年前後の時間単位は、生物の種の形成の歴史にとっては、ごく最近のことです)。日本の在来分布種の多くは、“行った・来た”とは別次元の、種の成立に関わる何100万年という単位の、時間と空間と生命の鬩ぎあいを繰り返しつつ、今に至っているのです。これ以上突っ込むと、話がこんがらがってくるので止めますが、このあと僕の話す内容の全てに関わってきます。

“どこから来たか”という次元で捉えることは、頭の中から捨てて考えていただければ幸いです。

なお、日本のモンシロチョウは、一応在来種として扱いましたが、元々はそうではないかも知れません。オオモンシロチョウ同様、しかし遥かに古い時代に、蔬菜類に混じってやって来た可能性が高いのです。アメリカにモンシロチョウが侵入したのは、1860年代である、という調査が成されています。日本の場合は、それよりもずっと前の時代と考えられていますが、具体的な年代については分かっていませんし、そもそも、日本に在来分布せず古い時代に侵入帰化した、ということに対する確証もありません。


都市に繁栄する日本産の2種

日本産の3種は、いずれも北海道の北端から九州の南端近くまで広く分布しています。最も繁栄しているのは、最も後からやってきたと思われるモンシロチョウで、耕作地のキャベツやダイコンなどを主な食草とし、全国津々浦々、普通に見ることが出来ます。ただし、人里から遠く離れた山間部では、他の2種より個体数が少なくなることが普通です。

もうひとつ例外があります。大都市、ことに東京の都心などでは、モンシロチョウよりもスジグロチョウのほうが、勢力を誇っているのです。都心のビル街の周辺では、モンシロチョウの姿はあまり見かけず、そこで見られる白いチョウは、大抵がスジグロチョウです。

ビルの谷間の路地には、スジグロチョウの好むイヌガラシなどの野性アブラナ科が生えていますし、鉄道路線には、中国の深山から移入帰化した、ムラサキハナナが群落を作っています。都心にスジグロチョウ、近郊にモンシロチョウ、山際で再びスジグロチョウという構図です。

スジグロチョウは本来、山際の森林の周辺の、地形的に起伏に富み、日影と向陽地が入り組んだ環境に棲息しています。日本特有の植生環境である、雑木林およびその原型としての中間温帯林(重要な概念なのですが、話が複雑になってくるので、機会を改めて説明します)をバックボーンに、種形成された生物だと考えられます。都会の、ビルの谷間や、鉄道路線周辺は、いわば、彼らの“ふるさと”を再現した環境なのです。
と言っても、実際には多くの地域で、モンシロチョウとスジグロチョウが共生しています。
その現場で実態を比較観察すると、それぞれの種の持つ性格が、浮き彫りになってきます。

拙著『チョウが消えた』(あかね書房1993年、原聖樹氏との共著)に、世田谷区内のキャベツ畑で観察した、モンシロチョウとスジグロチョウの比較結果を紹介しています。畑の中のキャベツやダイコンの位置ごとに、生みつけられた卵の数をカウントしてみました。日陰が形成される場所や時間に伴って、あるいはキャベツやダイコンの葉の位置ごとに、産み付けられた卵の数が明確に異なってくるのです。興味のある方はご覧下さい。

→[その③で紹介]ビルの谷間のキャベツ畑で~モンシロチョウとスジグロチョウ(於・東京都世田谷区)







新神戸駅のプラットホーム周辺を舞う蝶は、スジグロではなくエゾスジグロ

話を戻します。古参のスジグロチョウ、新入りのモンシロチョウという構図に、ここに、もうひとつ、そのエゾスジグロチョウが絡んできます。スジグロチョウのように、日本だけに棲む“原始的”な種でも、モンシロチョウ(やオオモンシロチョウ)のように、最近になって世界中に分布を広げた、“成り上がり”的な種でもなく、以前から世界の広い範囲に分布し続けていた、真っ当な、というか、平均的な種。言わばピエリスの本家本元といってよいでしょう。

エゾスジグロチョウという長い名前から察しが付くとおり、日本においては、身近さで他の2種に明らかに劣りますし、蝦夷すなわち北海道を始めとする寒い地に棲むことが分かります。北海道では平地にも棲息していますが、本州では山のチョウとなり、九州などでは分布域が限られてきます。

しかし、実態はそんなに単純ではありません。例えば、先に東京の都心で繁栄するスジグロチョウの話をしましたが、京阪神圏では、市街地でスジグロチョウの姿を見ることは稀です。その反面、首都圏ではかなりの山奥に行かねば見ることの出来ないエゾスジグロチョウが、意外に身近な地に棲息していたりします。例えば、新神戸駅のプラットホーム周辺で見ることが出来るのは、スジグロチョウではなく、エゾスジグロチョウのほうです。

東京と関西では、両種とも(あるいはどちらか一方の)性格が異なるのかも知れません。それはともかくとして、北海道のエゾスジグロチョウと本州~九州のエゾスジグロチョウは、違う種なのでは、という見解もあります。そうなると、日本には3つの“スジグロチョウ”がいるということになりますが、余りに複雑にしてしまうと、以降の話がスムーズに進められなくなってしまう恐れがあるので、これ以上踏み込むのはやめておきましょう。

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは本当に別の種なのか?

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは、全く別の種、という論点で書き進めてきましたが、両種の関係は非常に複雑で、日本のチョウの中で、区別が最も困難なペアでもあります。実のところ、100%を正確には見分けられない。鱗粉の特殊化した発香鱗の形状に差があるとも言われますが、それも定かではありません。♂交尾器の形状も、傾向的な方向性は見てとれる(僕には大体見分けが付く)のですが、絶対的なものではありません。

では、同じ種なのか、と言うと、(具体的な理由については)詳しくは省略しますが、明らかにそれぞれが別の種として存在するのです。稀に交雑する(その子孫はどちらの種からも区別不可)ことはあっても、総体的には混じりあうことなく、それぞれが独立の集団として機能しています。
ちなみに、最も分かり易い区別点は、♂の香り。モンシロチョウはほぼ無臭、エゾスジグロチョウは弱い香りを発し、スジグロチョウは、ある種の香水やトイレの匂い消しにそっくりな、強い薫りを発します。

実は「人里の生物」こそ、本当の“生きた化石”

一番新しく日本にやってきた(モンシロチョウの場合はこの言葉を使っても大丈夫だと思う)モンシロチョウが、都市周辺で一番繁栄しているかといえば、必ずしもそうではなく、日本にしかいない可能性の強い(これだけポピュラーな生物なのに、朝鮮半島や中国に分布する集団との比較は、詳しくは成されていません)、ということは極めて古い時代に日本で種形成された可能性が強いスジグロチョウが、都市部で最も繁栄しているというわけです。

このような現象は、なにもスジグロチョウに限ってのことではありません。スジグロチョウの場合は、日本固有種といっても、後に述べるようにエゾスジグロチョウとの関係(ことに朝鮮半島など日本海対岸地域産)との関係が微妙なのですが、明らかな日本固有種の、ある意味では現在日本に棲む生物の中で最も原始的な種のひとつと言ってもよい、ヒカゲチョウ(別称ナミヒカゲ、日本産の二百数十種のチョウ類のうち、唯一海外に“兄妹”とも言える近縁種さえ存在しない)やサトキマダラヒカゲも、都心部で繁栄しています。

また、アゲハチョウの仲間では、広くヨーロッパから北米にかけて分布するキアゲハでも、アジアの南部から北上しつつあるといわれている(疑問あり)モンキアゲハやナガサキアゲハでもなく、東アジア固有の、それも他の同属各種から孤立した血縁関係にあると思われる、アゲハチョウ(別称ナミアゲハまたはアゲハ)が、都市的環境との結びつきが最も強いのです。

僕が“スジグロシロチョウ”と呼称しない理由

少し話がそれます。読者の皆様の中には、スジグロチョウ、エゾスジグロチョウではなく、スジグロシロチョウ、エゾスジグロシロチョウと呼ぶのが正しいのではないか?と疑問をお持ちの方が、いらっしゃるのではないでしょうか? 本を出版した時など、はっきりと「間違いだ」と指摘されることもあります。どうでもいいことのようにも思われますが、将来の日本の教育方針のあり方として、由々しき問題とも考えるので、僕の見解を述べておきます。

スジグロチョウ(筋黒蝶)の名は、モンシロチョウ(紋白蝶)、ツマキチョウ(端黄蝶)、ツマベニチョウ(端紅蝶)といった名とともに、20世紀の後半、おそらくは1970年代頃まで、ずっと使われ続けてきました。

学名と違って和名には命名権といったものがないので、どの名前を使わねばならないという規制もなく、理屈上は各自が自由に呼び名を付けてもよいのでしょうが、それでは意思の疎通が図れません。そこで、いわゆる“標準和名”というのが存在することになります。例えば、“ぺんぺん草”ではなく“ナズナ”が正しい名前、と言われたりしますが、“ぺんぺん草”の名が“正しくない”というわけではありません。もとより、身近な植物や昆虫に対しては、地域ごとに無数とも言えるほどの名前があって、それぞれが、どれも正しいのです。しかし、多くの日本人が共通の話題とするにするには、できれば統一された名前があったほうがいい。といって、学名のような必須手続きや、そのための管理機構などはないので、結果とし、最も一般に流布している名が、(ほぼ自動的に)標準和名となるわけです。

複数の名が存在するときに、どのようなものが選ばれるかは、一概には言えません。その折々の情勢次第、一言でいえば、力関係でしょう。はじめ“ダンダラチョウ”と呼ばれていたものが、新たに“ギフチョウ”と名付けられ、いつのまにか標準和名になってしまったことなどは、その好例です。岐阜県にしかいないわけではない(秋田県-山口県に分布)のに“岐阜蝶”はおかしいではないか、元からあった“ダンダラチョウ”でよいのではないか、と疑問を挟んだところで、定着して長い時間が経った今となっては、手遅れです。由来(最初の総合的な研究が、岐阜の研究者により岐阜でなされた)はともかく、岐阜とは無関係に“ギフチョウ”という固有名詞として人々に認知されてしまっているわけですから。

他にも、できることならば残しておきたかった、惜しい名前が数多くありますが、今となっては致し方がない。統一しきれずに、現在でも二つ以上の和名が並立している例は、植物では数多くあります。チョウの場合は、ほとんどが統一されてしまっていて、今だ2つの名が並立しているのは、ウラミスジシジミとダイセンシジミぐらいでしょう(説明的に過ぎる“裏三筋”よりも、僕の個人的好みでは“大山”、全国分布する種に山陰地方の“伯耆大山”を充てるのは、いくらなんでもという気がしますが、でも、その突拍子なさが楽しい)。

和名は学名のように、決定的な約束事がないわけですから、学名と違って、システィマティックには構成されていません。システィマティックに物事を進めて行くということは、いかにも合理的で、便利なように思われるのですが、それに囚われすぎると、破綻をきたしてしまうこともあるはずです。もとより生物という存在は、システィマティックな世界の対極 に位置付けられるといって好いでしょうから(そう思わない研究者も多いでしょうけれど)。

それはともかく、和名のもつ第一の意義は、対象を分かりやすく示すことのはず。辻褄は合わなくとも、あるいは統一がとれなくとも、その言葉の響きの持つ印象によって、対象の実像をより的確に伝えることが出来ればよいのです。

ところが、愛好家や研究者の中には、和名も学名同様に、厳密に定義し、システィマティックに整えていこう、と考える人が少なくありません。極端な例では、和名も学名の種小名を冠して呼ぶべき、という動きもあります。

モンシロチョウは“ラパエシロチョウ”、クロアゲハなら“ヘカベアゲハ”。。。。それがより科学的な姿勢であると。しかし一見合理的に見えても、決してそうではないのです。研究者によっては、モンシロチョウをrapae でない、クロアゲハをhecabe でないとすることも、充分にあり得るわけですから、支持される見解が代わるごとに、その都度和名も変えて行かねばならなくなります。

そのような例は極端としても、ほかの意見も似たようなものです。一番納得し難いのが、 語尾を統一しようとする動き。これまでもいろんな機会に反論を述べてきた、野性アジサイについての例で言えば、アジサイ属の種はすべからく語尾をアジサイで統一しよう、といった動きです。ゴトウヅルはツルアジサイ、ヤクシマコンテリギはヤクシマアジサイ。意味がよく分からないもの、ほかと違っているものを排除していこうとする方向性、それが日本の科学の世界、教育の世界の現状なのです。

ちなみに、野生アジサイのなかでも属が異なるとされている(したがって多くの人々は、それを野生アジサイの一員だとは認識していない)イワガラミに関しては、誰もアジサイの語尾を付けようとは提唱しない。しかし、本質的にはアジサイ属の各種と何ら変わることはなく、近い将来、アジサイ属に編入されてしまう可能性も少なくありません(今それぞれの生物に充てられている属の帰属は、学術上、絶対的なようで、実際の根拠は脆弱極まりない場合が多いのです)。きっと、そのときになれば、和名も変えようとするのでしょう。

魅力的な和名が、どんどん失われていきます。タレユエソウは(最初に発見された場所から)エヒメアヤメに、アカマンマは(他のタデ属の種と同じに、ということで)イヌタデに。

これらの例は、かなり早い時期に今の和名が定着してしまっていますから、今となっては古くからある名に戻すのは難しい。ただし、まだ生き残っている、例えば同じタデ属のママコノシリヌグイ、これを将来「〇〇タデ」とするとなれば、断固反対しなくてはなりません。
生物は多様であり、不可解であり、よって理解不能のユニークな名が付けられていてこそ、本懐だと思うのです。なし崩し的に統一へと向かう、異質を排除する、日本の(無意識的な)社会の方向性には、どうしても組みし得ないのです。

極論すれば、和名の決定条件は、力関係でしょう。しばしば高名な研究者の鶴の一声で決まってしまいます。あるいは、大手出版社の都合で決まったりもします。しかし、何よりも影響力があるのは、教科書です。これに採用されれば、絶対的。それ以外の表現は、全て“間違い”とされてしまうのです。

スジグロ“シロ”チョウも、どうやら教科書に載るようになって(そのきっかけは高名な研究者の提言ですが)、唯一絶対無二の名前となってしまいました。黒チョウではなく白チョウだから、これまでのようにスジグロチョウと呼ぶのは、間違いということらしいのです。

 でも、それを言うなら、ツマキチョウはツマキシロチョウでなくてはなりませんし、ツマベニチョウもツマベニシロチョウでなくてはなりません(冗談ではなく、いつかそうなってしまうかも)。やや趣旨が異なりますが、モンシロチョウもモンクロシロチョウでなくてはならない(さすがにそれはないでしょうが)。

それを言い出せばきりがない、ほとんどの和名を組み替えねばならなくなってしまいます。
それ以前の問題として、前にも言及した、研究者による種や属や科の帰属見解の相違あるいは変革、シロチョウの仲間とされていた種が、実はキチョウの仲間だった(有りえます)とした時など、その都度、和名を変えていかねばならなくなるのです。
たかが生物の呼び名のことなど、些細な問題かもしれません。しかし、単に名前がどうの、といった問題でもないのです。日本の文化の姿勢に関わる、日本人の、人間としてのあり方(例外を排除していくという無意識の方向性)に繋がる次元の問題だと思っています。

エゾスジグロシロチョウ、この舌をかみそうな和名を、僕は断じて使いません。

新神戸駅のプラットホーム周辺を舞う蝶は、スジグロではなくエゾスジグロ

話を戻します。古参のスジグロチョウ、新入りのモンシロチョウという構図に、ここに、もうひとつ、そのエゾスジグロチョウが絡んできます。スジグロチョウのように、日本だけに棲む“原始的”な種でも、モンシロチョウ(やオオモンシロチョウ)のように、最近になって世界中に分布を広げた、“成り上がり”的な種でもなく、以前から世界の広い範囲に分布し続けていた、真っ当な、というか、平均的な種。言わばピエリスの本家本元といってよいでしょう。

エゾスジグロチョウという長い名前から察しが付くとおり、日本においては、身近さで他の2種に明らかに劣りますし、蝦夷すなわち北海道を始めとする寒い地に棲むことが分かります。北海道では平地にも棲息していますが、本州では山のチョウとなり、九州などでは分布域が限られてきます。

しかし、実態はそんなに単純ではありません。例えば、先に東京の都心で繁栄するスジグロチョウの話をしましたが、京阪神圏では、市街地でスジグロチョウの姿を見ることは稀です。その反面、首都圏ではかなりの山奥に行かねば見ることの出来ないエゾスジグロチョウが、意外に身近な地に棲息していたりします。例えば、新神戸駅のプラットホーム周辺で見ることが出来るのは、スジグロチョウではなく、エゾスジグロチョウのほうです。東京と関西では、両種とも(あるいはどちらか一方の)性格が異なるのかも知れません。それはともかくとして、北海道のエゾスジグロチョウと本州~九州のエゾスジグロチョウは、違う種なのでは、という見解もあります。そうなると、日本には3つの“スジグロチョウ”がいるということになりますが、余りに複雑にしてしまうと、以降の話がスムーズに進められなくなってしまう恐れがあるので、これ以上踏み込むのはやめておきましょう。

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは本当に別の種なのか?

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは、全く別の種、という論点で書き進めてきましたが、両種の関係は非常に複雑で、日本のチョウの中で、区別が最も困難なペアでもあります。実のところ、100%を正確には見分けられない。鱗粉の特殊化した発香鱗の形状に差があるとも言われますが、それも定かではありません。♂交尾器の形状も、傾向的な方向性は見てとれる(僕には大体見分けが付く)のですが、絶対的なものではありません。では、同じ種なのか、と言うと、(具体的な理由については)詳しくは省略しますが、明らかにそれぞれが別の種として存在するのです。稀に交雑する(その子孫はどちらの種からも区別不可)ことはあっても、総体的には混じりあうことなく、それぞれが独立の集団として機能しています。

ちなみに、最も分かり易い区別点は、♂の香り。モンシロチョウはほぼ無臭、エゾスジグロチョウは弱い香りを発し、スジグロチョウは、ある種の香水やトイレの匂い消しにそっくりな、強い薫りを発します。




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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考える Ⅰ

2011-04-07 21:29:35 | チョウ


★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

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中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考える
Ⅰモンシロチョウの仲間の話から

中国とは何か? 日本とは何か?

とりあえず、政治、経済、宗教、歴史、など、人間社会とは一切無関係に考えて行きます。
中国人は中国という空間、日本人は日本という空間に成り立ち、それぞれを国土として暮らしているわけですから、そこが本来どのようなところなのか、と言うことを知ることは、日本と中国の、これからの関係のあり方を模索する上で、意味無きことではないと思うのです。

今回紹介して行く内容は、上記の目的に沿って、主題をあえて模式的にまとめ、大雑把に表現したものです。それぞれの題材について、一部、やや詳しく述べている箇所もありますが、原則として、細かい内容やデータは本文には組み込まず、クリックしていただいて別途説明するようにしてあります。より具体的な内容やデータについては、機会を改めて発表する予定でいますが、直接お問い合わせ頂ければ、可能な範囲でお答えいたします。


ユーラシア大陸の東西における、種間関係の模式例
まず、ユーラシア大陸の中での、生物の種間関係から見た、中国や日本の位置付け。あくまで模式的に、大雑把に基本パターンを考えて行きましょう。ヨーロッパや中国・日本を含む、ユーラシア大陸のほぼ全域に隈なく分布する(北米大陸にも)、エゾスジグロチョウ(モンシロチョウの仲間)をモデルケースに、話を進めて行きます。
エゾスジグロチョウは、モンシロチョウの仲間、もう少し詳しく言うと、モンシロチョウ属Pieris(ピエリス)の1種です。エゾスジグロチョウを素材とするからには、エゾスジグロチョウ自身のことを知っておかねばなりません。(以下省略・次の項目を参照して下さい) 
→エゾスジグロチョウという蝶~分類・学名・和名などについての基本認識。
→ビルの谷間のキャベツ畑で~モンシロチョウとスジグロチョウ(於・東京都世田谷区)。




左がモンシロチョウ、右はモンキチョウの仲間で、全く別のグループの蝶です。中国四川省にて。



エゾスジグロチョウの分布は、ヨーロッパから極東、さらに北米大陸に至る北半球温帯域のほぼ全体に亘っています。北米産の集団(詳細は別の機会に改めて述べる予定)には、東シベリアと北ヨーロッパ経由で連なります。ただし、分布を“帯”ではなく、北極海を取り囲む“面”として見れば、また違った解釈が出来るかも知れません(下のバージョンアップ版も参考して下さい)。
このような分布様式は、日本産の生物の何割かを占める、代表的な分布パターンの一つなのですが、日本においての分布状況は、大きく2つのグループに分けることが出来ます。
まず、人里周辺に生育する、いわゆる“普通種”。チョウで言えば、ベニシジミ、ルリシジミ、ツバメシジミ、ジャノメチョウ、コムラサキ、イチモンジチョウ、コミスジ、モンキチョウ、キアゲハ、ミヤマセセリなどが、そのメンバーです。
もうひとつは、日本で言うところの“高山蝶”。クモマツマキチョウ、ミヤマモンキチョウ、オオイチモンジほか、日本の高山蝶の多くが相当します。キベリタテハ、クジャクチョウなどの高山蝶に準じる種や、エゾヒメシロチョウ、アカマダラなど、日本では北海道にだけ見られる種の多くも、これに含まれます。 



上左から、ツバメシジミ、ベニシジミ、キベリタテハ(いずれも日本産)
下左から、クモマツマキチョウ、エゾヒメシロチョウ、オオイチモンジ(いずれも中国産)

エゾスジグロチョウは、どちらに区分するべきなのか微妙なところでしょうが、ほぼ全土に広く分布していることと、場所によっては人里近くでも見られることから、前者に区分してよいと思われます。
両者の相関については後ほど考えることにして、もう一度図をご覧下さい。高緯度地帯を東西に、種の広がりが見られます。その両端が、例えば、ヨーロッパや日本のエゾスジグロチョウなわけです(本当は、それほど簡単な問題ではないのですが、話の都合上そうしておきましょう)。
図の中央には、“世界の屋根”“第3の極地”などと呼ばれる、チベット高原を中心とした寒冷・乾燥気候の高標高地帯が広がります。その南縁は、ヒマラヤ山脈に沿った、湿潤で豊かな植生の中緯度地帯です。
世界の屋根の東側は、ヒマラヤ山脈東端に連なる、雲南・四川の山岳地帯。さらに中国本土を経て、日本列島(もう少し俯瞰的に見れば、日本海・東シナ海周縁の地域)に続きます。
同様に西側は、アフガニスタンやタジキスタンなどの中央アジア諸国の山岳地帯に連なり、 さらに中東諸国を経て、ヨーロッパ(俯瞰的に見れば、地中海・黒海周縁地域)に続きます。
これらの地域は、ヨーロッパから北回りで、西シベリア・東シベリアを経て極東に繋がる、植生や地形が比較的単調で一様な地域とは対照的に、それぞれに多様な、個性に富んだ環境を形成しています。より北方の地域では、一年は冬と夏(春夏秋が一度に到来)だけ、南の地域では一年中夏なのに対し、春夏秋冬の四季を伴うのです。
そしてこれらの地域を、上図のように単に東西に連なる帯の南側と考えるのではなく、下図のように北極を基点として広がる面の外縁と考えれば、それぞれの地域の集団が、内側の地域の集団に比べ、より古い時代に、様々な要因でもって個別に成立したものであることが想像できます。今に至るまで交流を続けている可能性のある内側の集団とは違って、現在では相互の交流に制約が生じ、従って隣り合った地域の集団が、順に連なるのではなく、複雑に入り組んで存在するのです。
 同じように四季を伴う多様な環境といっても、東と西では様相が異なります。東は、森林 をベースに、より湿潤な環境条件の下で生じた集団。日本のスジグロチョウも、その典型的一員です。
一方、西は、草原をベースに、より乾燥した環境条件下で生じた集団。ヨーロッパ東南部で、日本のスジグロチョウに応呼する存在としては、イワバモンシロチョウPieris ergane がいます。血縁は、エゾスジグロチョウにつながりますが、翅脈が黒くならない外観は、モンシロチョウに似ています。ポジションはスジグロチョウに似ていると言っても、外観や棲息環境は、スジグロチョウとは対極にある“いわばモンシロチョウのような。。。。”と言う洒落で、岩場等の乾燥地に棲息することと合わせ名付けられた和名です(命名者は日浦勇氏)。
ちなみに、ヨーロッパの東南部にはもう一種、モンシロチョウにそっくりのミナミモンシロチョウP.manniiもいて、こちらは正統的なモンシロチョウの姉妹種です。
 中国のモンシロチョウ属は多様です。先に紹介した主要3種(タイワンモンシロ・モンシロ・エゾスジグロ)のほかに、ことに四川・雲南を中心とした西南部で、何種もが複雑に混在しています(ミヤマスジグロチョウP.davidis、オオミヤマスジグロチョウP.dubernardi、オオスジグロチョウP.extensa etc.)。ちなみに、中国産のエゾスジグロチョウは、シロチョウ科分類の第一人者・九州大学の矢田修教授によれば、別種P.ertaeとされています。形態上の比較だけでなく、生態や生育環境も他の地域のエゾスジグロチョウとはかなり異なっている(中国南限から北緯20度前後のラオスやタイ北部まで分布)ことからも、その処置は指示されるのではないかと思われます。もっとも、中国国内に、複数の種が混在している可能性も、少なくはありませんが。
前に、日本産エゾスジグロチョウとスジグロチョウの、♂生殖器による区別は、ほぼ不可能、ただし傾向的な特徴により、僕には10中8・9区別できる、と言ったと思います。ところが、中国産(西部の四川省と東部の安徽省)のエゾスジグロチョウは、おそらくは同じ親 から、日本のエゾスジグロチョウ的な特徴を有す個体から、スジグロチョウ的な特徴を有す個体までが、全部現われるのです。
比喩的に言えば、日本ではエゾスジグロチョウとスジグロチョウが、あくまで別の種として存在するのに、中国では、同じ種(エゾスジグロチョウもしくは固有種チュウゴクスジグロチョウ)の中に、エゾスジグロチョウとスジグロチョウが一体となって存在するわけです。
中国のチョウと日本のチョウの比較を行っていると、二つの空間で、種の定義を個別に認識しなくてはならぬのではないか? いうことを、まま感じます。種とは絶対的なものではなく相対的な存在、という思いが、沸き起こってくるのです。

参考までに、下図の後に、世界のモンシロチョウ属の種(や顕著な亜種など)をリストアップしておきました。資料を全くチェックせずに、とりあえず分かるものだけを、うろ覚えで書き記しましたので、その旨ご了解下さい。学名はあえて示さず、和名のないものは適当にでっち上げて記しました。近い将来、改めて正式なリストを作成したいと考えております。
→Pieris(ピエリス)属のリスト





上図のバージョンアップ版 
空色部=典型エゾスジグロチョウ単独分布域、
紫色部=エゾスジグロチョウ近縁(複数)種分布域       J.Aoyama 2008/02/10



                                        






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沖縄はどこにある?

2011-04-06 21:35:37 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他





大和と琉球の狭間で~屋久島はどこにある(第5回)《番外編》

ホンコンや台湾からの帰路(往路も)、機内でくつろぎたいのですが、いつもせわしなくイライラした想いでいます。これまでにも何度か書いたことがあるように、台北中正国際空港と東京成田国際空港のちょうど中間地点で、屋久島の隣の三島列島黒島の上空を通るからです。

台湾(やホンコン)方面からの帰路の時は、中正空港を離陸して(あるいは台湾北部を縦断して)すぐに尖閣列島の上空に差し掛かります。尖閣列島は、通常、機の真下に俯瞰することが出来ますが、南西諸島本体の与那国島や西表島は、遥か南に位置するため、よほどの条件に恵まれない限り確認することが出来ません。

尖閣列島を過ぎると、どの島影も見えなくなってしまいます。島影が全く見えない飛行は、ほぼ一時間に亘って続きます。南西諸島は、九州と台湾の間を一直線で結んでいるのではなくて、東側に張り出した緩やかなカーブを描いているため、沖縄や奄美の島々は、(通常150㎞ほど)東に遠ざかって、八重山諸島同様に望み見ることが出来ないのです。従って、その間はゆっくりと寛いでいれば良いのですが、いつ次の島影が現れるかと思うと、どうにも落ち着きません。

しばらくすると食事の時間。その頃になると、落ち着きのなさは頂点に達します。南西諸島の北部で空路と列島が接近し、やがてトカラ北部の島々(諏訪瀬島、中之島、臥蛇島、口之島etc.)が、突然右手に姿を現すからです。俯瞰での展望は、地図で見るのと変わらないわけですから、いまさらどうってことはない、と言ってしまえばそれまで、でも、やはり実際に自分の目で“島を確認する”という行為は、(洋上の船のデッキからにしろ、上空の航空機の窓越しにしろ)理屈抜きでワクワクするものがあるのです。

ともかく、島影が全く見えないで飛び続けた1時間の後に、何の前触れもなく小さな島々が突然現れます。タイミング良くチェックするのは、並大抵ではありません。トカラ列島口之島~三島列島黒島間の距離は90㎞。時速700㎞近くで飛行しているので、僅か10分そこそこの“観察”チャンスです。その間、口永良部島の向こうに、巨大な陸塊が墨絵のように見える屋久島も見逃すわけには行きません。ということで、あっという間の出来事。(たいてい真上を通ることになる黒島本体は充分には観察出来ませんが)特徴のある形の硫黄島・竹島を見下ろし、佐多岬の先端をかすめ通って、そこでやっと一息、成田までの残り1時間余は、リラックスタイムとなります。

さて、「中間地点」ということで言えば、九州と台湾の中間に位置するのが沖縄本島。距離的には幾分九州に近いのですが、緯度の上ではむしろ台湾寄り、というのは、先にもふれたように、南西諸島は南北に連なっていると言っても、実際は緩やかに湾曲していて(極端に表現すれば逆L字)、沖縄本島から先は西に強く傾いているからです(緯度上の九州-台湾の中間は、奄美大島付近)。

ということで、那覇市は鹿児島市と台北市のちょうど中間地点にあたります。そのことを、本土の人々(ソトナンチュー)はもとより、沖縄の人々(ウチナンチュウ)は、どれほど自覚しているでしょうか? 思うに、意識の外に置かれているのではないかと。
南(南西)へ宮古・八重山諸島が全て載った“まともな”地図というのは、(ことに最近は)滅多に見当たりません。私たち日本国民にも、沖縄県の人々にも、南西諸島全体を等しく俯瞰的に見る機会は、ほとんど与えられていない、と言っても過言ではないかも知れないのです。

全体が載っていないのには訳があります。沖縄本島と先島諸島(最も手前は宮古島)間が、それ以北の島々の間隔と比べて、遥かに遠く離れているからです。全てをそのまま載せるとなれば、そのために全体の縮尺を小さくしなくてはなりません。地図中を、陸地のない空白部分が大きく占めるのは、意味がないし勿体ない、ということなのでしょう。多くの地図では、沖縄本島~先島諸島間の空白地帯(海の部分)を枠や線で区切って、本島のすぐ左に宮古島以西の島々が示されているわけです。

何も無い“無駄”な空間や時間や物質を示すのは、意味もないし勿体ない、、、本当にそうなのでしょうか? それらの“無駄”を排除することのほうが、ずっと勿体ないのではないでしょうか? 何も無いように感じる、空間や時間や物質の中にこそ、様々な(ただし自分で掘り起こさねばならない)情報が埋まっているのではないでしょうか?

僕のライフワークは蝉の鳴き声の録音分析ですが、テープレコーダーやMDの扱いには、ほとほと困り果てて来ました。昔は良かったのです。機能はシンプルで、自分の意思で、自由に操作が出来た。然るに、リニューアルを重ねるに従って、(自分で操作しなくとも済む)“便利な”機能が、これでもか、と付随してくる。その反面、従来のシンプルな操作はどんどんやり辛くなります。

セミの鳴き声様式を構造的に理解するには、一フレーズを鳴き終えて、次のフレーズが始まるまでの間の、無声の“空白”部分
の全体の中での位置付けが、非常に重要な意味を担ってきます。しかし、機能が便利になるに連れて、親切にもその部分の録音が(いちいち解除設定を施さない限り)自動的に停止されるようになってしまった。それに気が付かずに録音し続けて、せっかくの録音が台なしになってしまったという痛い目に、何度も会って来たのです。

様々な現象は、何の意味も無さそうな時間や空間や事柄が、セットになって始めて意味を持ってくると、僕は信じています。でも、多くの人々にとっては、それは“無駄”な存在でしかないのでしょう。本当に勿体ないのは、自分で判断することの出来る、基本的な情報を与えられない、という事だと思うのですが。

地図の話に戻りましょう。沖縄県の地図には、それぞれの島嶼が一枚の地図中に、そのままの位置で示されていることは、まずもってありません。実際の位置に従い、右端に本島周辺、左端に先島諸島を配したならば、地図の中間部分の大半が、海だけになって、この上もなく無駄。ということで、本島周辺の島々と先島諸島の島々が、隣り合って示されることになるのです。

人々の島嶼間の移動は、(至近距離を除けば)おおむね船でなく飛行機を利用しているように思われます。飛行機移動では、県内各島間の距離感覚は把握し得ません。県外、となると、東京などの大都市以外に向かうことは、それほど多くないでしょう。ましてや鹿児島県の島嶼部に行く機会など、皆無と言って良いかも知れない。県内の遠くの島々が、あたかも“すぐ近くに”位置するごとく地図上に示されているのに対し、北に隣接して続く奄美やトカラの島々は、載っていないことのほうが多く、その北に続く屋久・種子・三島に至っては、まずもって同じ地図中には示されていません。沖縄が、どのような位置関係で本土に対しているか、その繋がりが感覚的に認識出来ないのです。宮古や八重山は県内、奄美や屋久種子は県外、仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、でも、自分たち(ウチナンチュー)と他者(ソトナンチュー)の正確な位置的相関性を知る権利を、むざむざ捨て去っているかのような状況は、限りなく勿体ないことのように思えるのです。

穿った見方をすれば、“沖縄県(琉球)”として(強引に)沖縄本島と先島諸島を収斂し、同時に以北の“大和(奄美を除く)”と(無理やり)切り離すことによって、“ウチナンチュー”としてのアイデンティティー意識を形成することに、深層的な形で一役を買っているのではないかと。

話をもう一つ先に進めましょう。九州から与那国島までの南西諸島全体が正確な位置関係で載っている地図も、たまには有ります。しかし、それらの地図の場合も、与那国島の目と鼻の先に位置する台湾は、示されていないことがほとんど。台湾全体を載せなくとも、位置関係が分かるように島の一角を示すだけでも意味があると思うのですが、、、、。

僅かに数㎝のスペースを確保すれば良いだけですから、(本島~先島間の空間省略の要因と異なり)スペースの問題ではないはずです。おそらく意識的に記していない。台湾は日本(沖縄県)ではないわけですから、載せる必要はない、日本地図の中に他国が載っていたら紛らわしいだけ、ということなのでしょう。近隣諸国に対しての日本の(沖縄の)位置関係を自ら確認することは、沖縄の人々をはじめとした日本人にとって、大きな意味があると思うのです。その機会も、みすみす逃してしまっている。繰り返し言いますが、勿体ないこと、このうえも有りません。

いずれにしろ、本土の人々も、沖縄の人々も、「沖縄県」という共通認識に基づいて、宮古島も石垣島も西表島も、久米島や慶良間諸島や伊平屋島と同じ沖縄の離島の一つとして捉えているのだろうと思われます。僕に言わせればとんでもないことで、八重山は沖縄とは全く別の存在です(生物地理学的に見て、八重山は沖縄ではありません、また、沖縄は必ずしも南方に繋がるわけではなく、北方との関連を根深く有しています、僕の生涯のテーマであり、これからも取り組んでいく予定ですが、とりあえずは平凡社新書「自然遺産の森・屋久島~大和と琉球と大陸の狭間で」を読んで頂ければと思っています)。

その宮古や八重山が紛いもなく沖縄の一部と認識されている事実がある一方、生物地理学的には明らかに沖縄の一部であるべき奄美は、少なくとも沖縄の人々にとっては、意識の外に置かれているのだと思われます(奄美の人々の思いはその限りではない)。“宮古は隣の島”“奄美は全く別の地方”と。でも実際は、両島とも沖縄本島からほぼ等距離に位置している(那覇市~宮古市、那覇市~奄美市とも、約300㎞)のです。

しかも、那覇市から沖縄本島北端まで優に100㎞、更に沖永良部、徳之島、奄美大島と大きな島が連続し、奄美市名瀬は、奄美大島の北端近くに位置しています。ということは、那覇~名瀬間の約3分の2は、陸地伝いに続いているのです。一方、那覇市は沖縄本島の南端近く、同じ県内とは言え、“隣り”の宮古島との間には、一つの島も存在しません。那覇~宮古間300㎞の99%が海なのです(しかも途中には海深1000mを超す「慶良間ギャップ」が存在する)。

奄美大島~屋久島間は、沖縄本島~宮古島間より距離が短く、なおかつ途中にトカラの13の島々(一般に12とされ、口之島と屋久島の間の平瀬は数えないらしいのですが、ここは灯台もある、重要な陸地です)が、飛び石のように連なります。

世界は、ほとんどの地域が、隣り合って連なっています。九州北端からは壱岐、壱岐からは対馬、対馬からは朝鮮半島が望めますし、九州南端からは、三島列島、種子島、屋久島、トカラの島々、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島、沖縄本島と、島から島へ、島影を辿ることが出来ます。宮古島からは、多良間島、石垣島、西表島、与那国島と順繰りに辿り、与那国島からは台湾北部が望めます。さらに台湾の南部から、緑島、蘭興、パブヤン・バタン諸島を経て、フィリッピンやスンダランドやワラセアやニューギニア、さらにはオーストラリアやインドシナ半島まで、順繰りに次の島影を遠望しつつ進んでいくことが出来るのです。いわば地球全体が可視距離に連なっているわけですが、陸島としては、ほとんど唯一カ所、沖縄本島~宮古島間が可視出来ない。このことは、相当に大きな意味を持つと思うのです。

ちなみに、沖縄本島那覇~奄美大島名瀬と、ほぼ等しい距離を北に延ばせば、種子島西之表。反対方向に、那覇~宮古と、ほぼ等距離を西に延ばせば、与那国島・台湾間の国境線。また那覇の北、約100㎞の地点がヤンバルの森(僕にとっての沖縄本島とはこの一帯です)。北の屋久島と南の西表島、豊かな自然の森を代表する2つの島の、ちょうど中間地点に、もう一つの自然の森“やんばる”が位置しているわけです(それぞれ450㎞ほどの間隔)。那覇起点で計算すれば、屋久島の位置の反対側に、日本西端の与那国島。ちなみに、屋久島~鹿児島市間、与那国島~台北市間は、ほぼ等距離です。

そんな恵まれたロケーションに、沖縄本島や那覇市は位置しているのです。でも、(東京へのアクセスが意外に便利なのとは対照的に)本土の大都市以外へのアクセスは、意外と不便なのです。

特に、沖縄~台湾間の唯一の航路であった豪華客船“飛龍Ⅱ”が、一昨年廃航路となったのは、残念としか言いようがありません。夜8時に那覇を出港、朝宮古に寄港し、昼前に石垣に寄港、そして夕方には台湾の基隆に入港、快適で、実に便利な船便だったのです。西表島や与那国島には寄ってくれないこと、帰路は石垣・宮古もパスしてしまうことなど、就航中は不満もあったのですが、
廃航後の今となっては、それも贅沢な望み、当時の有難さが身にしみて感じられるのです。

一方、那覇から奄美の島々を経て鹿児島へ向かう便は、今も健在で、途中の港で乗り降り自由、という便利さです。名瀬から乗り換えて、十島村村営の「フェリーとしま」で、トカラの島々を経て鹿児島港に至ることも可能です。願うべくは、屋久島や種子島や三島の島々に寄港してくれれば有難いのですが、現状では望み薄(トカラ~屋久には不定期航路の「ななしまⅡ」、三島~鹿児島には定期航路の「フェリーみしま」があります)。那覇~鹿児島の航路は、やはり数年前に一社が撤退していて、不満を言う以前に、まずは存続してくれることのほうを心配しなくてはならないでしょう。

いつか、状況が整えば、(鹿児島港や那覇港に戻ることなく)九州~台湾間の南西諸島を順繰りに辿っての完全制覇を目論んでいるのですけれど、逆にどんどん状況は悪くなるばかり、というのが現状なのです。

それはともかく、那覇は、近い将来、アジアの拠点と成るべき都市だと思っています。約600㎞の地点に鹿児島と台北。ほかに、空路1時間台で到達可能な1000㎞未満の地には、上海、台湾高雄、九州福岡、福建アモイ、、、。約1500㎞地点(空路2時間少々)には、南西にホンコン、北にソウル、南にマニラ、東に小笠原、、、そして東北に東京。2000㎞では、北西から北東にかけて、北京、ウラジオストック、札幌。西に四川成都&雲南昆明。さらに足を延ばして、南東にグアム、南西にバンコク、シンガポール、、、。いわばアジアの東のドン詰まりとも言える東京と違って、那覇は絶好のロケーションに恵まれているのです。今のところ、その有利さを生かし切れていない。

沖縄のひとびとには、日本の南の端であるという現状に見切りをつけて、アジア全体を視野に入れた、アグレッシブな方向性を選択することを、切に望みたいですね。



[付記]
以前にも述べたことがあるのですが、地図出版の大手、昭文社の各国世界地図が、数年前に全て廃刊と成ってしまいました。そのうちに項を改めて記述して行くつもりですが、加速度的に、日本からまともな地図が消えてしまっている。これは、大変な問題なのです(アメリカや台湾では、正確で基本的でシンプルな地図が一般にも普及していて、地図を読むことで、自己の判断での行動や旅行が可能なのですが、余計な情報だけに飾られて、基本的でシンプルで正確な情報が、どんどん失われていく、日本の地図作りの現状は、自分の考えで行動することが出来なくなってしまった日本の社会を如実に表しているようで、恐ろしくなってきます)。
翼くん(千明さんの元カレではなく、地図製作会社に勤務するあや子さんの御子息)には、頑張って貰わねばなりませんね。






↑飛龍Ⅱは、夜8時沖縄那覇出港、朝8時頃宮古島、お昼前に石垣島に寄港、夕方には、台湾基隆港に入港します。月に数便、台湾南部の高雄に向かう便もあり、帰路は、石垣、宮古港には寄らず、直接那覇港に向かいます。お昼前、石垣島を出港した頃から、沢山のカツオドリが看板をかすめて行きつ戻りつ、、、、、。どうやら、船と一緒に台湾まで飛んで行くのでしょう。





↑午後1時39分 与那国島沖を追加。






↑午後3時55分。台湾の島影が近づいて来ました。






↑【二宮書店「高等地図帳」(改訂版)1967年1月刊行】より
中学校の参考書としての地図です。現在では考えられない、基本に則った、シンプルで正確な、素晴らしい地図です。
この地図に示されている地域が、僕の主要フィールドでもあります。





↑上図の拡大。ちなみに、現在ではこの地図の発行は不可能(なぜなら、「台湾(中華民国)」が国名となっているから)。






↑同じ地図帳から。南西諸島の全体図の端っこに、台湾も示されています。









↑3枚とも、岩波書店【日本の自然8南の島々】1996より
上の図では、大陸棚の張り出しが、中の図では、中琉球(奄美・沖縄)の北への連なりが、下の図では、左縁に、朝鮮半島から中国大陸、台湾、フィリッピン(ルソン~ミンダナオ)を経て、左下端に、セレベスの一部とハルマヘラの一部が示されていて、西北太平洋の全体像が良く解ります。





↑青山原図(部分)
「フェリーみしま」は三島村が、「フェリーとしま」は十島村が、それぞれ鹿児島港起点で運航する定期便。
「ななしまⅡ」は、十島村が運航する不定期便。屋久島には向かいますが、三島村へは、例外的なチャーターと成ります。












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朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey(第21回)

2011-04-05 22:08:19 | 雑記 報告
読者の皆様へ

訳あって、週に一度とか10日に一度とかぐらいの割合でしか、ネットを見ることが出来ません。今日、たまたまネットを開いたら、(以前に纏めて送信してあった)「あや子版」の草稿が、全て掲載し終えたところでした。まだ充分に余裕があると思っていたので、続きの草稿の送信準備をしていません。ということで、手元に控えのあった、以前記述して未発表の草稿を、応急的に送信することにしました。

この「ブナ・クリ・シイの話」には、写真を全く用意していなかったので、写真なしでアップするつもりでいたのですが、やはり全く偶然、随分昔に作成した(あや子さんへ個人的に送信したように記憶しています)「中国はどこにある?」という表題作の図版の一部がパソコン内に紛れ込んでいて、その中にZephyrusに関する図表があるのを発見しました。それで、こちらも併せてそのまま紹介しておくことにします。

「続・ベニシジミ物語」の続きは、明日または明後日あたりから再開する予定です。

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朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey(第21回)
《番外編》
ブナ橅・クリ栗・シイ椎のはなし

全く前触れなしに、突然、ブナやシイの話が書きたくなりました。「大和と琉球と大陸の狭間で」にも「ElvisとBeatlesの狭間で」にも入らない話題は「朝と夜の狭間で」に放り込んでしまうことにしたので、この話もそこで紹介していくことにしましょう。まあ考えてみれば、「大和と琉球と大陸~」に直結する話ではあるのですけれど、少し違った流れで進めて行きたい思いもあって、、、、。“20meets60”関係の話題を期待してくれている読者(そんな人はいないか、笑)には申し訳ないです。もっとも、この話題も、友子さんや千明さんの話にジョイントさせることも可能(ヒント:森鴎外「羽鳥千尋」)なのだけれど、それはまたの機会に(ちなみに夏目漱石「三四郎」にも“椎”が出て来ます)。

ブナ、クリ、シイ。ブナ科の樹木のトリオですね。日本という空間は、この3つの植物に集約されている、と言っても過言ではありません。日本人にとって、とても大事な存在。なのにパソコンで漢字が出てこない!橅や、後に出てくる檪は、手書き作業を経て、やっと打ち出すことが出来ました。一回り大きく書いたのは、字が複雑で読めなくなるから。

ブナ科は“どんぐり”の成る木です。クリもドングリの一つですが、別格でドンがとれたクリ。というより、クリに後からドンがくっついたのでしょうね(ドンとはどういう意味なのでしょう、、、あや子さん知ってたら教えて下さい)。ブナ科植物で、あるいは一般的知名度から言って、よりメジャーなのは、ナラ楢とカシ樫かも知れません。僕自身としても、ゼフィルス(ミドリシジミの仲間)の食草がより多く含まれる、ナラ類やカシ類のQercus属のほうがより身近なのですけれど、ここは、ブナ、クリ、シイを主役にしました。

理由の一つは、ブナ属もクリ属もシイ属も、日本には1種か2種しか野生しないのに対して、ナラ類やカシ類の所属するQercus属(日本語ではコナラ属)には、多数の種が国内に分布していて、その話を進めて行くだけで紙面が尽きてしまいそうだからです。

ブナFugu crenata・クリCastanea crenata・シイCastanopsis cuspidataは、それ自体が種の名前なのに対し、ナラ・カシという名の種は有りません。Qercus属のうち、落葉の種がナラ類で、常緑の種がカシ類。ナラ類の中には、カシワ柏やクヌギ檪といった、メジャーどころも含まれます。

日本産の落葉Quercusすなわちナラ類が、コナラ、ミズナラ、ナラガシワ、カシワ、アベマキ、クヌギ(ヨーロッパのオークやコルクガシ、アメリカのホワイトオークやレッドオークなどもこの仲間)、常緑Quercusすなわちカシ類が、アラカシ、アカガシ、ツクバネガシ、シラカシ、ハナガガシ、ウラジロガシ、オキナワウラジロガシ、イチイガシ、常緑だけれど系統分類上はナラ類に入るのがウバメガシ。こうやって種名を並べていると、どうしてもZephyrus(ミドリシジミ類)の話をしたくなってくるのですけれど、グッと我慢して、話を先に進めて行くことにします。

ナラ類のうち、ミズナラの生育地が、いわゆるブナ帯≒夏緑広葉樹林帯≒冷温帯(略して温帯と言われることが多い)で、カシ類の生育地が、いわゆるシイ・カシ帯≒常緑広葉樹林帯≒暖温帯(略して暖帯と言われることが多い)、上記の、ブナ・クリ・シイでは、ブナが前者に属し、シイが後者に属しているわけす。日本の北半分(および西日本の山岳地帯)は前者、南半分(および東日本の沿海地帯)は後者、と考えると分かりやすいかも知れません(なお、日本産のブナ科には、もう一つシリブカガシ属があって、マテバシイとシリブカガシの2種がこれに含まれ、名で分かるように、シイ・カシ帯≒暖帯林の常緑樹です)。

では、著者の住む東京郊外の青梅などは、どちらに所属するのか。これがなかなか難しい。結論を先に言うと、“中間帯(中間温帯)”と呼ばれている地域に所属するらしいのです。日本の人口密集地域の、多くの地域が、この“中間温帯”≒“クリ帯”に入ります。上記、落葉Qercus属の大多数の種(コナラ、クヌギ、カシワetc.)の生育地も、おおむね“中間温帯林”といって良いでしょう。

“中間温帯林”(≒クリ帯)の概念は、実に曖昧です。しかし、日本の風土や生物相の抜本(“成り立ち”と言っても良いでしょうか)を考えるに当たっては、避けては通れない概念でもあります。避けては通れないことは分かっているのですが、説明するのは実に厄介、出来るなら避けて通りたい。なぜ、曖昧で厄介なのか、例えば、冷温帯のブナやミズナラ、暖温帯のシイやカシ類は、年々面積が縮小されていくとはいえ、北や南の山中には、それなりの面積の極相林(≒原生林≒天然林)が残っています。対して、“中間温帯林”というのは、概念だけで、いわば実態がないのです。極相林自体が存在しない。“極相でないことが極相”という、アナクロジカルな話になってきます。その上、人間の活動・開発地の中心域と完全に重なっているわけで、様々な検証を行うことも難しい(この帯の主役のクリ自体、在来野生の実態が曖昧です)。

ということで、“中間温帯林”の話は後回しにして、とりあえずは避けて通ることにしましょう(ずるい!)

ちなみに、屋久島には、“中間温帯林”に当たる植生環境は存在せず(*注1)、冷温帯林と暖温帯林(沿海部は亜熱帯林)だけ。しかも、屋久島の冷温帯林(≒ブナ帯林)には主役のブナを欠き、暖温帯林(≒シイ・カシ帯林)にも主役となるべきカシ類の多くの種を欠いています。相当にひねくれているのです。

【注1】実は、“中間温帯林”を構成すべき種(その多くはエンデミックな分類群)が、“根源的な環境条件下に”在来自生している、というのが、(誰も触れることのない)屋久島の究極のアイデンティなのですが、その話はまたの機会に(“またの機会”が多すぎるって?)。

ブナ・クリ・シイに話題を戻しましょう。

ブナ(ブナ属のブナとイヌブナ)・クリ(クリ属のクリ)・シイ(クリガシ属のシイ=通常スダジイ、ツブラジイ、オキナワジイの3変種に分けられる)が、コナラ属の各種と異なることのひとつは、生でドングリを食すことが出来る、という点(シリブカガシ属の2種、マテバシイとシリブカガシも生食可)。コナラ属各種のドングリも食することが出来ますが、タンニンが多く含まれるため、水さらしを施してからでなくてはならないのです。

●ブナ属Fugus:ブナF.crenata/イヌブナF.japonica
●クリガシ属Castanopsis:シイC.sativa(スダジイvar.sieboldii/イタジイvar.cuspidata/オキナワジイvar.lutchuensis)
●シリブカガシ属Lithocarpus:マテバシイL.edulis/シリブカガシL.glabra
●クリ属Castanea:クリC.crenata/[アマグリC.mollissima]/[マロンC.sativa]

昔(と言ってもつい数10年前頃まで?)は、ブナの実や、シイの実は、山国や南国の子供達にとって格好の、天然の“おやつ”だったようです。嗜好品が溢れる現在では、見向きもされなくなってしまったのでしょうが。

ブナ属は、日本にはブナとイヌブナの2種が分布しています。世界自然遺産・白神山地をはじめとした北日本の冷温帯上部に、大規模な極相林を形作るのは、おおむねブナのほう。北日本の植物というイメージが強いのですが、北海道西部の渡島半島を分布東北限とし、石狩低地より東の山地には分布していません。また、西日本の山地帯にも少なからず分布していて、例えば広島県北部などの中国地方の脊梁山地などには、大規模な純林が見られます。分布西南限は、鹿児島県の高隅山。冷温帯とブナ帯は、ほぼ相同なのですが、日本における冷温帯の南端・屋久島の山上部には、ブナが生育していません。屋久島の高地は、“ブナを欠く”ブナ帯林の南限なわけです(同時に、熱帯山岳雲霧林の北限、という解釈も成り立ちます)。

イヌブナも、大局的にはブナとほぼ同じ地域に分布していますが、より標高の低い山地が分布の中心で、ブナのように大規模な群落は形成しません。東京の高尾山の山頂付近には、イヌブナが多く見られ、神戸の六甲山の山頂付近では、ブナとイヌブナの混交林を見ることが出来ます。

ともに日本の固有種。ただし、世界の北半球冷温帯域には、ブナやイヌブナに近縁な10種前後の同属種が知られています。ヨーロッパのF.sylvatica、北アメリカ(東部のアパラチア山脈)のF.grandifolia、日本に近いところでは、韓国(朝鮮半島本体には分布しない)の鬱凌島(ウルルン島)山上部に自生するタケシマブナF.multinervis(“竹島”の名は韓国では鬱凌島を指します)や、台湾の山岳地帯のハヤタブナF.hayatae、等々。

中国大陸にも、ブナに良く似たF.lucidaや、イヌブナに良く似たF.englerianaなど数種が分布していて、そのことから、ブナやイヌブナを食樹とする日本固有の1属1種のゼフィルス、フジミドリシジミの近縁種が台湾や中国大陸にも分布しているのでは?と予測され、実際に台湾と中国のブナ林から、近年になって相次いで発見されたのです(以前にも触れたように、中国での発見には、僕も係わっています~僕が棲息を予言した貴州省梵浄山で発見された)。

ちなみに、梵浄山より更に南に位置する、広西壮族自治区桂林北郊の花坪原始森林の一峰にもブナ林が見られ(おそらく台湾と共に世界のブナ林の南限?)、「あや子版」の前身でもある「青山潤三ネイチャークラブ」の第一回の画像がその写真です。

ミドリシジミZephyrusの話を少ししておきましょう(やっぱり、そこに行っちゃいますね!出来るだけセーブしなくちゃ、、、、、今でこそ、ヒグラシだとか、ツクツクボウシだとか、アジサイだとか、リンドウだとか言っているけれど、元はと言えば、僕のアイデンティティは、ミドリシジミ=ゼフィルスに集約されるのではないかと思うのです、、、、Bert Kaempfertの音楽にZephyrusをふりかけると、青山潤三が出来上がります)。

日本産の大半の種(別系統で肉食性およびモクセイ科食3種を除く20余種中15種前後)の幼虫がブナ科コナラ属の葉を摂食し、蝶の種ごとに対応する植物の種と、活動時間帯や行動様式が決まっています。例外は、フジミドリシジミがブナ科ブナ属、ウラクロシジミがマンサク科マンサク属、ミドリシジミがカバノキ科ハンノキ属、メスアカミドリシジミがバラ科サクラ属、やや原始的な種のオナガシジミがクルミ科クルミ属です。興味深いのは、カバノキ科はブナ科と極めて類縁が近いこと(“カシューナッツ”はカバノキ科ハシバミ属、野生のハシバミの実も、とても美味しい!)。マンサク科やバラ科も、従来の見解ではブナ科に比較的近
縁とされていたようですが、最近のDNA分析によれば、かなり遠縁という結果が示されています。蝶の食樹の方向性から、幾許かの懐疑を挟んで検討し直しても良いのではないかと思っています。ちなみに、ウラクロシジミの食樹マンサクは、台湾には自生しません。なのに蝶が分布しているのは、同じマンサク科の照葉樹、イスノキを食しているからです。落葉で黄色い花の咲く温帯性のマンサクと、常緑で赤い花の咲く暖地性(屋久島や沖縄の山地には非常に多い)のイスノキは、外観は大きく異なるのですが、系統関係は以外に近いのかも知れません。

暖温帯林の主役がシイです。日本産はシイ一種のみですが、一般には、スダジイ(コジイ)とツブラジイ(イタジイ)に分けられ、両者は、かなりはっきりとした特徴を持っています。ともに広域に分布し、大局的には分布域が重なり、局所的には明確に分離している、と言うことが出来そうです。スダジイ、ツブラジイに、オキナワジイを加えた3つの変種は、デリケートな関係の上に成り立っているらしく、例えば、種子島や屋久島では、この3者が入り混じっているのでは?という見解もあります。余りに普遍的な植物ゆえ、その正確な実態が解明されていない例の一つと言えるでしょう。

今年の正月、沖縄伊平屋島の最高峰・賀陽山の山頂から山麓までを、役場の方々と探索し歩きました。登山道のない山腹で、巨大なシイ(オキナワジイ?イタジイ?)の木に、何本も出会いました。「子供の頃は、おやつにと、シイの実を拾い集めたものです」と、役場の課長さん。今の子供たちにも、ぜひとも、“椎の実拾い”を復活させて貰いたいものです。

最後に、“中間温帯林”のクリCastanea crenataについて。甘栗とか天津栗とかの名で呼ばれ、屋台の焼き栗屋で赤い袋に入れて売られている、小粒で皮離れの良い最も身近な“栗”は、日本産のクリとは別の種の、中国大陸産アマグリC.mollissimaです。また、ケーキなどのマロングラッセでおなじみの、ヨーロッパのマロンC.sativaも、やはり日本のクリとは別の種。クリも甘栗もマロンも、重要な栽培植物である故、実際に広く見られる栽培のものと、野生のものとの区別がつきにくくなっているようです。

狭義のクリは、日本の(ほぼ)固有種(朝鮮半島南部にも分布)とされていますが、クリ属の分布の中心は中国大陸と思われ、中国の街角では、甘栗のほかにも、様々な大きさや形や性質の“栗”が売られています。その中には、日本のクリや、ヨーロッパのマロンに似た風味のものも見出され、いつも“食べ比べ”をしているのです(それぞれに美味しい!)。

いつか、ブナの実やシイの実も、炒って“食べ比べ”をしてみたいものです。

追記:
北国の秋のブナの紅葉、南国の春のシイの開花樹冠、クリやドングリの実、ブナ科各種の葉や幹、それにZephyrusたち、、、などの写真を載せたいのですが、写真の整理を終えるまで時間がかかります(大半がポジフィルム時代の撮影)。とりあえずは文章だけの紹介とし、写真が出て来次第、追加して行こうと思っています。









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続・ベニシジミ物語 21【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-04 12:54:38 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑪「アジサイ」

そもそも今回の百花嶺行きは、“謎のアジサイ”の探索が主目的だったのです。それについての詳しいことは割愛します(改めて特集予定)。いきさつをごく簡単に。

日本の野生アジサイは、栽培されている“アジサイ”の原種ガクアジサイと同じ種に含められるヤマアジサイが主体ですが、中国では、ガクアジサイやヤマアジサイに近い野生種の確実な分布状況は分かっていません。おそらく、中国にはほとんど分布していないものと思われます。中国の各地で見られる野生アジサイのアスペラ(オオアジサイ)類は、外観はヤマアジサイやガクアジサイに類似しますが、基本形態的には大きく異なっていて、全く別のグループ。一方、ヤマアジサイやガクアジサイに次いで園芸のアジサイに近い類縁関係にある、ガクウツギやカラコンテリギのグループは、長江より南の地域に、場所によっては比較的普通に見られます。雲南の西部にみられるユンナンアジサイもその一員です。

さて、雲南省の野生植物の図録の中に、高黎貢山で採集され、新たに新種記載された、Hydrangea taroensisという種を見つけました。この辺りに普通に見られるユンナンアジサイに似ているのですが、添附されている図や記述によると、どうやら、ガクアジサイやヤマアジサイに固有の形質を共有しているようにも見受けられます。日本本土では、ヤマアジサイ・ガクアジサイの一群と、ガクウツギ・カラコンテリギの一群は、比較的明瞭に区別が付く(ただし両者の雑種もするので注意が必要)のですが、中国大陸の後者の一群(ことにユンナンアジサイ)は、両者の形質を共有しているのではないか?と考え始めていたところなのです。でも、H.taroensisが、ガクアジサイ・ヤマアジサイ的な形質をより顕著に示しているとなれば、改めて考え直さねばなりません。

というわけで、taroensis記載者の所属する昆明植物園を訪ねて見ることにしました。原記載標本を見、出来れば記載者当人から情報を得よう、というわけです。結果は肩透かし。記載者は学生で、卒業してしまっているので本人には会えず、代わりに同僚に会って話を聞きました。その学生はアジサイのことは余り詳しくなく、記載は彼女の卒論の一部、というのです。でも収穫は結構ありました。中国では北京の博物館に次いで2番目に大きい(中国西部の標本所蔵は№1)という標本館に3日間泊まり込んで、万単位の野生アジサイ標本の何割かをチェック(撮影も)し、いろいろな情報を得ることが出来たのです。一言で言えば、ヤマアジサイ・ガクアジサイ系の種は、ほとんど見つからなかった(唯一、広西壮族自治区のH.gwanxiensisを除く)ということ。H.taroensisの原記載標本は見つけられず、もう一種、雲南西部からヒマラヤ東部に分布するという、ヤマアジサイ・ガクアジサイ系と思われるH.stylosaの標本も、確実なものを確認出来ませんでした。

植物園の方々には、随分親切にして頂き、先に記した記載者の同僚の方は、10日ほど前の植物調査紀行の際H.taroensisに似た花をサンプリングしてきたので差し上げます、というのです。頂いた標本はtaroensisといえばそのようにも見えるし、でも先入観なしに見れば、ユンナンアジサイそのもの、と考えるのが妥当なところです。採集地を教えて頂き、宿泊施設などへのアクセスもとって頂いたので、その採集地の「百花嶺」へ行ってみることにしたわけです。

最初に記したように、「百花嶺」の宿泊所で見せて貰った写真には、確かに野生アジサイの写真が混じっていました。標高2300m付近、花の盛期は一ヶ月以上前の5月下旬頃、ということです。どう見ても普通のユンナンアジサイだと思うのだけれど、とりあえず行ってみるしかありません。それでまず標高2300m付近の山中へ向かい、何株かをチェック(むろん普通のユンナンアジサイ)し、途中の草地に引き返してベニシジミ2種の撮影、夕刻、林道に出て宿舎に戻ろうとしたところ、その辺りにも多数のユンナンアジサイが群生していました。H.taroensisが、もしヤマアジサイ・ガクアジサイ系ならば、開花期は7月頃で今が盛りのはず、見られるのはとっくに花期を終えたユンナンアジサイばかりです。結局H.taroennsisは幻のままですが、記載地は高黎貢山といってもずっと北の方、H.stylosa共々その辺りには分布しているのかも知れません。いつの日か、改めてアタックしようと考えています。








↑ユンナンアジサイHydrangea davidii。装飾花は長持ちするので、花期を終えても長い間花が咲いているように見えます。上写真中央や左を見て下さい、花序柄を欠く(花序の基部に一対の葉がある)のが分かります。これがガクウツギ・カラコンテリギ群の特徴の一つです(ガクアジサイ・ヤマアジサイ群では通常花序柄がある=花序の基部に葉を生じない)。






↑ユンナンアジサイの葉。裏面には通常軟毛を生じますが、毛の多い少ないは変異に飛んでいて、中にはほぼ無毛の平滑な個体も見られます。上の個体は、葉縁にも顕著な繊毛が生じ、下の個体は、葉端が尾状に伸長し、縁の切れ込みが明瞭で、ヤクシマコンテリギを思わせます。





↑右がユンナンアジサイ、左がジョウザン(Dichroa febrifugaあるいはD.yunnanensis)。ジョウザンは、装飾花を欠くことや、果実が液果になることなどから、アジサイ属とは別のジョウザン属とされていますが、実際にはガクアジサイ・ヤマアジサイの一群に極めて近縁で、両群の雑種も容易に形成されるという報告もあります。










↑ジョウザンの液果。このあと紫色に熟します。液果になることと、雄蕊が細長いことを除けば、子房が中下位である(子房の状部が余り外に露出しない)ことなど、ガクアジサイ・ヤマアジサイの一群と共通しています。









↑こちらはユンナンアジサイの果実。子房上位(子房の上部が大きく外面に露出する)という、ガクウツギ・カラコンテリギの一群の典型的特徴を示します。ジョウザン同様に紫色を帯び、やや液果的なイメージがあるのは、興味深く思われます。






↑(ここからは付録:別の場所での撮影)中国南西部で普遍的に見られる野生アジサイは、大きく分けて4つのグループから成り、大抵の地域で、セットになって生えています。①ガクウツギ・カラコンテリギ群のカラコンテリギ(広西壮族自治区周辺地域)とユンナンアジサイ(雲南省周辺地域)。②ジョウザン属の種。①と②は、栽培されているアジサイに比較的近縁な一群です。③ミヤマアジサイHydrangea heteromalla。ノリウツギの一群とされます。上の写真は果実。通常、花序が円錐状となり、雄蕊花柱がほとんどくっついて伸長(先端近くで分かれる)するノリウツギと異なり、花序は総状で、雄蕊花柱は基部で離れて伸長するなど、ガクアジサイ・ヤマアジサイの一群と共通する特徴も示しています。標高2000m以下に多い①②④と違って、より標高の高い地域(標高3000m前後)に多く見られます。④アスペラ(オオアジサイ)H.asperaの一群。日本には分布せず(四国や九州に稀産するヤハズアジサイがこの一群に含まれるかも知れません)、逆に中国では多数の近縁種が広い地域に繁栄しています。装飾花は色鮮やかで、一見したところでは、栽培のアジサイに最もよく似ていますが、小花序の基部ごとに小さな苞葉が多数派生し(同一群に含められることもあるタマアジサイは、開花前の花序全体が大型の苞葉に球状に包まれる)、子房は上面が平坦な杯状となることなど、ガクアジサイやガクウツギを含む真正野生アジサイとは、類縁的にはかなり離れて位置付けられるものと思われます。ほかに、ゴトウヅル(ツルアジサイ)の一群、イワガラミの一群(通常アジサイ属とは別のSchzophragma属とされますが、基本構造はアジサイ属と共通し、DNAの解析によればノリウツギの一群に近縁ではないかと考えられています)も、数は少ないですが各地で見かけます。








↑百花嶺探索の翌々日(2007.7.8)、場所を移して、大理から麗江に向かいました。途中、標高3000m余の急峻な山腹で見かけたミヤマアジサイHydrangea heteromalla(前の写真は、この株の一部で、前年枝に残った果実です)。標高3000m以上の地で見かける野生アジサイは、大抵がこの種(または近縁種)と考えて良いでしょう。





↑葉の裏面は、びっしりと白い軟毛で覆われています。





↑こちらは、四川省康定から折多山(峠)へ向かう途中の、標高3000m余の渓流沿いで撮影(2010.7.25)した個体。葉は平滑で、裏面にはほとんど毛を生じません。どちらが真のミヤマアジサイH. heteromallaなのでしょうか?





↑どうせだから、ついでにアスペラ=オオアジサイH.asperaの写真も紹介しておきます(二朗山中腹、標高2500m付近、2009.7.27)。カラコンテリギやユンナンアジサイの花期は4~5月ですが、オオアジサイ(便宜上に僕が付けた和名)とミヤマアジサイ(これも便宜上の和名)は、盛夏の7月頃が開花盛期です。暫定的にH.asperaとして纏めておきましたが、この一群には多数の種があり、二朗山に於いても標高2000m付近で2つの種が入れ替わっているように思われます(そのうちに特集予定)。





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続・ベニシジミ物語 20【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-03 11:11:13 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑩「ヒグラシ」

突然ヒグラシの鳴き声。まだお昼過ぎですが、深い原生林の真っただ中、鳴いていても不思議ではありません。でも、昼間に鳴くヒグラシは、通常、一か所で鳴き続けることはしません。考えられる一つは、鳴きながら広い林内を回遊して、相当の時間が経ってから同じ場所に戻ってくるという可能性。もう一つは、鳴くのを止めて、次の鳴き出しまで近くでずっと待機しているという可能性。これまでの観察によれば、前者の可能性のほうが強いように思われます(前後者の複合様式の可能性もあり)。さっき鳴いていたはずの幹の辺りを隈なく探しても、姿は見当たらない。となると、次に鳴き出すまで待つしかありません。今日のこの後のスケジュールは、終日ヒグラシの録音、と決めました。








↑ギランイヌビワのように花嚢が幹から直接生じるFicusイチジク属(クワ科)の種。確かこの幹のどこかに止まっていたはずです。







↑困ったことに、録音テープ(MD)を一つしか持って来ていない。回しっぱなしだからすぐに足りなくなってしまいます。そこで、往復10㎞余の道を宿舎まで走って、予備のMDを取りに向かうことに。もちろんその間は録音機は回しっぱなしです(たぶん誰も通らないでしょう)。





↑戻って来ました。約1時間の間に、MDには1回鳴き声が入っていました。クワガタ(間違えるとクワガタマニアに怒られそうなので種名はパス)を写したり、、、、





↑Ficusの花嚢を写したりして時間をつぶし、次に鳴くのを待ちます。









↑やがて遠くから鳴き声が聞こえはじめ、それがだんだん大きくなってきたと思う間もなく、突然、目の前の幹に、いや全く魔法のように、ヒグラシの姿が。慌ててシャッターを切ります。数枚シャッターを切ったところで気がつくと、確かに止まっていたはずの場所から、いつの間にか姿を消しています。一瞬の間。まるで手品だとしか思えません。





↑録音だけでなく、形態もチェックしておかねばなりません。しかし捕まえるとなると撮影よりさらに困難、何度も“手品のような到来”チャンスを逃した後、午後6時ジャスト、捕獲成功!

鳴き声や形態の分析については、MDのチェックなどを行った後、改めて報告することにします。

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続・ベニシジミ物語 19【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-02 09:03:16 | チョウ




雲南高黎貢山百花嶺⑨「大瀑布と露天温泉」










↑大瀑布への道。










↑滝までの立派な道が出来ると、滝の神秘的な魅力は無くなってしまう、という人がいます。まさにその通りだと思う。屋久島の千尋滝にしろ大川滝にしろ、滝そのものは昔と変わっていなくとも、ツアーバスが次々訪れるようになってしまった今では、神秘性は消え失せてしまったのも同然です。奄美大島のマテリアの滝も、沖縄本島の比地大滝も、西表島のカンピレ滝も、最初に訪れた頃に比べると、道は格段に整備され歩きやすくはなったのだけれど、最初に訪れた時の感動は無くなってしまった。その点、未整備の道を数時間歩かねば辿りつけぬ、屋久島蛇ノ口滝は、まだまだ神秘性は薄れていません。雲南の辺境の地にあるこの大瀑布は、まだまだ安心だと思うのですが、何でもありの中国のことですから、どうなるかは分かりません。






↑カワトンボの仲間は、結構撮影が難しい。目で見た金属緑色の再現が上手く出来ないのです。近づくとすぐに飛び立ってしまいますから、思いのほか時間を食ってしまいます。






↑ベニシジミの仲間もいました。アオミドリフチベニシジミ、フカミドリフチベニシジミ、キンイロフチベニシジミのいずれの種なのかは不明。







↑滝の下流の岩肌にバナナ。自生なのか、栽培逸出個体なのか。











↑帰路は行きと違うルートをとりました。温泉に行ってみようと。でもこんな辺鄙なところに温泉などあるのでしょうか?えっ?これが温泉?水溜りの下から硫黄のようなものが噴出しています。来たからには入らないわけにはいかないでしょう。で、裸になって足を突っ込んだら火傷をしそうに、ほとんど沸騰しています。むろん入浴は断念するしかありません。






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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 19

2011-04-02 08:59:28 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他



(第19回)モッチョム岳絶頂



標高944m。汗びっしょり。涼しい風。ジャケット2枚を脱いでTシャツ1枚に。カメラ2台と交換レンズなどは、普段はジャケットのポッケに納めています。










海と反対側の割石岳1410m。






原(ハロオ)の集落を真下に、高平・麦生(ムギオ)から尾の間(オノアイダ)・小島にかけての、屋久島南岸一帯が俯瞰出来ます。






















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続・ベニシジミ物語 18【2007.7.5 雲南百花嶺】

2011-04-01 13:53:32 | チョウ



雲南高黎貢山百花嶺⑧「植物Ⅱ」


まずは愚痴から。日本(東京)に帰ってくれば、じっくりと植物名の同定が出来る、と思っていたのです。国外にいる時は、インターネットでの検索だけが頼りだったのに対し、図鑑などの文献での照合が出来ます。でも考えが甘かった。図鑑類の大半は、二束三文で古本屋に売りっぱらってしまっていて、手元にはほとんど残っていません。そして度々報告してきたように、クレジットカードも携帯電話も持っていない僕には、日本に戻ってくると、自分のパソコンでのインターネット通信が叶わなくなってしまう(日本という国は何とセコイのでしょうか)。ということで、国外(や沖縄)にいる時以上に同定が困難になってしまい、結局うろ覚えの知識に頼るしかなく、正確な同定は後ほど、、、、という次第なのです。







↑全体のイメージはショウガ科に見えるのだけれど、花が違います。ヤブミョウガ(ツユクサ科)の近縁種、ということで、どうでしょうか。やはり滝壺の近くでの撮影。









↑これはもう、ツユクサ属(ツユクサ科)で間違いなし。草丈が極めて高く、1m以上あります。滝壺脇にて撮影(下写真の右側に、滝の飛沫が2条見えます)。






↑こちらはより日本のツユクサに似ていますが、茎頂に総苞と上部の葉(?)が集まって、特異な印象を醸し出しています。






↑コンロンカ属の一種(アカネ科)。屋久島で撮影を始め出した頃、最も感銘を受けたのが、渓流に咲くコンロンカの純白の花(正確には花は黄色で白いのは上部の葉)。ツマベニチョウが吸蜜に訪れる様は、南国の自然をたっぷりと感じたものです。でもその後、中国の南部やインドシナ半島をうろつくようになると、あちこちで見かけることになります。道端に貧相に生えていたりすると、ちょっとガッカリした気分にもなる。でも、今もとても好きな花なのには違いありません。





↑ノボタン属の一種(ノボタン科)。熱帯アジアの花を代表するのがノボタンの仲間でしょう。花の種類が少ない場所や季節でも、この仲間の花だけは必ず見かけます。何よりも鮮やかな花色が、








↑ゼンテイカ属(ワスレグサ科)の一種。ニッコウキスゲやノカンゾウの仲間です。ベニシジミ2種の飛び交う、中腹林内の草地に咲いていました。









↑ネジバナ(ラン科)。ランには興味がない、と書いたけれど、ネジバナとかシランとかシュンランとか、身近に見られる花は大好きです。日本のものとはどこが違うのかな?捩じる向きは同じだと思います。ベニシジミ2種が舞う草原にて。






↑ベニシジミ2種の舞う草原での写真をもう一枚。葉っぱはサトイモ科でしょうね。写っているのは、表面張力で卵型になった、ただの水適です。


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2006.11.6 屋久島モッチョム岳 アズキヒメリンドウ 18

2011-04-01 13:50:23 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他




(第18回)山頂の植物 ②



アデク(フトモモ科)の実。フトモモ科には果物のグアバなども所属します。九州南端付近が分布北限の熱帯性植物です。









ウバメガシ(ブナ科)。屋久島では、海岸と山頂に見られます。




オニカンアオイ(ウマノスズクサ科)。巨大な葉と巨大な花を付ける屋久島固有種。以前春に登った時には花が咲いていましたが、この季節にはまだ見ることが出来ませんでした。








リンドウ科のツルリンドウ(ヤクシマツルリンドウ)。山上部のハゴロモツルリンドウ(ハナヤマツルリンドウ)との関係についての考察は、またの機会に。












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