青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

沖縄はどこにある?

2011-04-06 21:35:37 | 屋久島 奄美 沖縄 八重山 その他





大和と琉球の狭間で~屋久島はどこにある(第5回)《番外編》

ホンコンや台湾からの帰路(往路も)、機内でくつろぎたいのですが、いつもせわしなくイライラした想いでいます。これまでにも何度か書いたことがあるように、台北中正国際空港と東京成田国際空港のちょうど中間地点で、屋久島の隣の三島列島黒島の上空を通るからです。

台湾(やホンコン)方面からの帰路の時は、中正空港を離陸して(あるいは台湾北部を縦断して)すぐに尖閣列島の上空に差し掛かります。尖閣列島は、通常、機の真下に俯瞰することが出来ますが、南西諸島本体の与那国島や西表島は、遥か南に位置するため、よほどの条件に恵まれない限り確認することが出来ません。

尖閣列島を過ぎると、どの島影も見えなくなってしまいます。島影が全く見えない飛行は、ほぼ一時間に亘って続きます。南西諸島は、九州と台湾の間を一直線で結んでいるのではなくて、東側に張り出した緩やかなカーブを描いているため、沖縄や奄美の島々は、(通常150㎞ほど)東に遠ざかって、八重山諸島同様に望み見ることが出来ないのです。従って、その間はゆっくりと寛いでいれば良いのですが、いつ次の島影が現れるかと思うと、どうにも落ち着きません。

しばらくすると食事の時間。その頃になると、落ち着きのなさは頂点に達します。南西諸島の北部で空路と列島が接近し、やがてトカラ北部の島々(諏訪瀬島、中之島、臥蛇島、口之島etc.)が、突然右手に姿を現すからです。俯瞰での展望は、地図で見るのと変わらないわけですから、いまさらどうってことはない、と言ってしまえばそれまで、でも、やはり実際に自分の目で“島を確認する”という行為は、(洋上の船のデッキからにしろ、上空の航空機の窓越しにしろ)理屈抜きでワクワクするものがあるのです。

ともかく、島影が全く見えないで飛び続けた1時間の後に、何の前触れもなく小さな島々が突然現れます。タイミング良くチェックするのは、並大抵ではありません。トカラ列島口之島~三島列島黒島間の距離は90㎞。時速700㎞近くで飛行しているので、僅か10分そこそこの“観察”チャンスです。その間、口永良部島の向こうに、巨大な陸塊が墨絵のように見える屋久島も見逃すわけには行きません。ということで、あっという間の出来事。(たいてい真上を通ることになる黒島本体は充分には観察出来ませんが)特徴のある形の硫黄島・竹島を見下ろし、佐多岬の先端をかすめ通って、そこでやっと一息、成田までの残り1時間余は、リラックスタイムとなります。

さて、「中間地点」ということで言えば、九州と台湾の中間に位置するのが沖縄本島。距離的には幾分九州に近いのですが、緯度の上ではむしろ台湾寄り、というのは、先にもふれたように、南西諸島は南北に連なっていると言っても、実際は緩やかに湾曲していて(極端に表現すれば逆L字)、沖縄本島から先は西に強く傾いているからです(緯度上の九州-台湾の中間は、奄美大島付近)。

ということで、那覇市は鹿児島市と台北市のちょうど中間地点にあたります。そのことを、本土の人々(ソトナンチュー)はもとより、沖縄の人々(ウチナンチュウ)は、どれほど自覚しているでしょうか? 思うに、意識の外に置かれているのではないかと。
南(南西)へ宮古・八重山諸島が全て載った“まともな”地図というのは、(ことに最近は)滅多に見当たりません。私たち日本国民にも、沖縄県の人々にも、南西諸島全体を等しく俯瞰的に見る機会は、ほとんど与えられていない、と言っても過言ではないかも知れないのです。

全体が載っていないのには訳があります。沖縄本島と先島諸島(最も手前は宮古島)間が、それ以北の島々の間隔と比べて、遥かに遠く離れているからです。全てをそのまま載せるとなれば、そのために全体の縮尺を小さくしなくてはなりません。地図中を、陸地のない空白部分が大きく占めるのは、意味がないし勿体ない、ということなのでしょう。多くの地図では、沖縄本島~先島諸島間の空白地帯(海の部分)を枠や線で区切って、本島のすぐ左に宮古島以西の島々が示されているわけです。

何も無い“無駄”な空間や時間や物質を示すのは、意味もないし勿体ない、、、本当にそうなのでしょうか? それらの“無駄”を排除することのほうが、ずっと勿体ないのではないでしょうか? 何も無いように感じる、空間や時間や物質の中にこそ、様々な(ただし自分で掘り起こさねばならない)情報が埋まっているのではないでしょうか?

僕のライフワークは蝉の鳴き声の録音分析ですが、テープレコーダーやMDの扱いには、ほとほと困り果てて来ました。昔は良かったのです。機能はシンプルで、自分の意思で、自由に操作が出来た。然るに、リニューアルを重ねるに従って、(自分で操作しなくとも済む)“便利な”機能が、これでもか、と付随してくる。その反面、従来のシンプルな操作はどんどんやり辛くなります。

セミの鳴き声様式を構造的に理解するには、一フレーズを鳴き終えて、次のフレーズが始まるまでの間の、無声の“空白”部分
の全体の中での位置付けが、非常に重要な意味を担ってきます。しかし、機能が便利になるに連れて、親切にもその部分の録音が(いちいち解除設定を施さない限り)自動的に停止されるようになってしまった。それに気が付かずに録音し続けて、せっかくの録音が台なしになってしまったという痛い目に、何度も会って来たのです。

様々な現象は、何の意味も無さそうな時間や空間や事柄が、セットになって始めて意味を持ってくると、僕は信じています。でも、多くの人々にとっては、それは“無駄”な存在でしかないのでしょう。本当に勿体ないのは、自分で判断することの出来る、基本的な情報を与えられない、という事だと思うのですが。

地図の話に戻りましょう。沖縄県の地図には、それぞれの島嶼が一枚の地図中に、そのままの位置で示されていることは、まずもってありません。実際の位置に従い、右端に本島周辺、左端に先島諸島を配したならば、地図の中間部分の大半が、海だけになって、この上もなく無駄。ということで、本島周辺の島々と先島諸島の島々が、隣り合って示されることになるのです。

人々の島嶼間の移動は、(至近距離を除けば)おおむね船でなく飛行機を利用しているように思われます。飛行機移動では、県内各島間の距離感覚は把握し得ません。県外、となると、東京などの大都市以外に向かうことは、それほど多くないでしょう。ましてや鹿児島県の島嶼部に行く機会など、皆無と言って良いかも知れない。県内の遠くの島々が、あたかも“すぐ近くに”位置するごとく地図上に示されているのに対し、北に隣接して続く奄美やトカラの島々は、載っていないことのほうが多く、その北に続く屋久・種子・三島に至っては、まずもって同じ地図中には示されていません。沖縄が、どのような位置関係で本土に対しているか、その繋がりが感覚的に認識出来ないのです。宮古や八重山は県内、奄美や屋久種子は県外、仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、でも、自分たち(ウチナンチュー)と他者(ソトナンチュー)の正確な位置的相関性を知る権利を、むざむざ捨て去っているかのような状況は、限りなく勿体ないことのように思えるのです。

穿った見方をすれば、“沖縄県(琉球)”として(強引に)沖縄本島と先島諸島を収斂し、同時に以北の“大和(奄美を除く)”と(無理やり)切り離すことによって、“ウチナンチュー”としてのアイデンティティー意識を形成することに、深層的な形で一役を買っているのではないかと。

話をもう一つ先に進めましょう。九州から与那国島までの南西諸島全体が正確な位置関係で載っている地図も、たまには有ります。しかし、それらの地図の場合も、与那国島の目と鼻の先に位置する台湾は、示されていないことがほとんど。台湾全体を載せなくとも、位置関係が分かるように島の一角を示すだけでも意味があると思うのですが、、、、。

僅かに数㎝のスペースを確保すれば良いだけですから、(本島~先島間の空間省略の要因と異なり)スペースの問題ではないはずです。おそらく意識的に記していない。台湾は日本(沖縄県)ではないわけですから、載せる必要はない、日本地図の中に他国が載っていたら紛らわしいだけ、ということなのでしょう。近隣諸国に対しての日本の(沖縄の)位置関係を自ら確認することは、沖縄の人々をはじめとした日本人にとって、大きな意味があると思うのです。その機会も、みすみす逃してしまっている。繰り返し言いますが、勿体ないこと、このうえも有りません。

いずれにしろ、本土の人々も、沖縄の人々も、「沖縄県」という共通認識に基づいて、宮古島も石垣島も西表島も、久米島や慶良間諸島や伊平屋島と同じ沖縄の離島の一つとして捉えているのだろうと思われます。僕に言わせればとんでもないことで、八重山は沖縄とは全く別の存在です(生物地理学的に見て、八重山は沖縄ではありません、また、沖縄は必ずしも南方に繋がるわけではなく、北方との関連を根深く有しています、僕の生涯のテーマであり、これからも取り組んでいく予定ですが、とりあえずは平凡社新書「自然遺産の森・屋久島~大和と琉球と大陸の狭間で」を読んで頂ければと思っています)。

その宮古や八重山が紛いもなく沖縄の一部と認識されている事実がある一方、生物地理学的には明らかに沖縄の一部であるべき奄美は、少なくとも沖縄の人々にとっては、意識の外に置かれているのだと思われます(奄美の人々の思いはその限りではない)。“宮古は隣の島”“奄美は全く別の地方”と。でも実際は、両島とも沖縄本島からほぼ等距離に位置している(那覇市~宮古市、那覇市~奄美市とも、約300㎞)のです。

しかも、那覇市から沖縄本島北端まで優に100㎞、更に沖永良部、徳之島、奄美大島と大きな島が連続し、奄美市名瀬は、奄美大島の北端近くに位置しています。ということは、那覇~名瀬間の約3分の2は、陸地伝いに続いているのです。一方、那覇市は沖縄本島の南端近く、同じ県内とは言え、“隣り”の宮古島との間には、一つの島も存在しません。那覇~宮古間300㎞の99%が海なのです(しかも途中には海深1000mを超す「慶良間ギャップ」が存在する)。

奄美大島~屋久島間は、沖縄本島~宮古島間より距離が短く、なおかつ途中にトカラの13の島々(一般に12とされ、口之島と屋久島の間の平瀬は数えないらしいのですが、ここは灯台もある、重要な陸地です)が、飛び石のように連なります。

世界は、ほとんどの地域が、隣り合って連なっています。九州北端からは壱岐、壱岐からは対馬、対馬からは朝鮮半島が望めますし、九州南端からは、三島列島、種子島、屋久島、トカラの島々、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島、沖縄本島と、島から島へ、島影を辿ることが出来ます。宮古島からは、多良間島、石垣島、西表島、与那国島と順繰りに辿り、与那国島からは台湾北部が望めます。さらに台湾の南部から、緑島、蘭興、パブヤン・バタン諸島を経て、フィリッピンやスンダランドやワラセアやニューギニア、さらにはオーストラリアやインドシナ半島まで、順繰りに次の島影を遠望しつつ進んでいくことが出来るのです。いわば地球全体が可視距離に連なっているわけですが、陸島としては、ほとんど唯一カ所、沖縄本島~宮古島間が可視出来ない。このことは、相当に大きな意味を持つと思うのです。

ちなみに、沖縄本島那覇~奄美大島名瀬と、ほぼ等しい距離を北に延ばせば、種子島西之表。反対方向に、那覇~宮古と、ほぼ等距離を西に延ばせば、与那国島・台湾間の国境線。また那覇の北、約100㎞の地点がヤンバルの森(僕にとっての沖縄本島とはこの一帯です)。北の屋久島と南の西表島、豊かな自然の森を代表する2つの島の、ちょうど中間地点に、もう一つの自然の森“やんばる”が位置しているわけです(それぞれ450㎞ほどの間隔)。那覇起点で計算すれば、屋久島の位置の反対側に、日本西端の与那国島。ちなみに、屋久島~鹿児島市間、与那国島~台北市間は、ほぼ等距離です。

そんな恵まれたロケーションに、沖縄本島や那覇市は位置しているのです。でも、(東京へのアクセスが意外に便利なのとは対照的に)本土の大都市以外へのアクセスは、意外と不便なのです。

特に、沖縄~台湾間の唯一の航路であった豪華客船“飛龍Ⅱ”が、一昨年廃航路となったのは、残念としか言いようがありません。夜8時に那覇を出港、朝宮古に寄港し、昼前に石垣に寄港、そして夕方には台湾の基隆に入港、快適で、実に便利な船便だったのです。西表島や与那国島には寄ってくれないこと、帰路は石垣・宮古もパスしてしまうことなど、就航中は不満もあったのですが、
廃航後の今となっては、それも贅沢な望み、当時の有難さが身にしみて感じられるのです。

一方、那覇から奄美の島々を経て鹿児島へ向かう便は、今も健在で、途中の港で乗り降り自由、という便利さです。名瀬から乗り換えて、十島村村営の「フェリーとしま」で、トカラの島々を経て鹿児島港に至ることも可能です。願うべくは、屋久島や種子島や三島の島々に寄港してくれれば有難いのですが、現状では望み薄(トカラ~屋久には不定期航路の「ななしまⅡ」、三島~鹿児島には定期航路の「フェリーみしま」があります)。那覇~鹿児島の航路は、やはり数年前に一社が撤退していて、不満を言う以前に、まずは存続してくれることのほうを心配しなくてはならないでしょう。

いつか、状況が整えば、(鹿児島港や那覇港に戻ることなく)九州~台湾間の南西諸島を順繰りに辿っての完全制覇を目論んでいるのですけれど、逆にどんどん状況は悪くなるばかり、というのが現状なのです。

それはともかく、那覇は、近い将来、アジアの拠点と成るべき都市だと思っています。約600㎞の地点に鹿児島と台北。ほかに、空路1時間台で到達可能な1000㎞未満の地には、上海、台湾高雄、九州福岡、福建アモイ、、、。約1500㎞地点(空路2時間少々)には、南西にホンコン、北にソウル、南にマニラ、東に小笠原、、、そして東北に東京。2000㎞では、北西から北東にかけて、北京、ウラジオストック、札幌。西に四川成都&雲南昆明。さらに足を延ばして、南東にグアム、南西にバンコク、シンガポール、、、。いわばアジアの東のドン詰まりとも言える東京と違って、那覇は絶好のロケーションに恵まれているのです。今のところ、その有利さを生かし切れていない。

沖縄のひとびとには、日本の南の端であるという現状に見切りをつけて、アジア全体を視野に入れた、アグレッシブな方向性を選択することを、切に望みたいですね。



[付記]
以前にも述べたことがあるのですが、地図出版の大手、昭文社の各国世界地図が、数年前に全て廃刊と成ってしまいました。そのうちに項を改めて記述して行くつもりですが、加速度的に、日本からまともな地図が消えてしまっている。これは、大変な問題なのです(アメリカや台湾では、正確で基本的でシンプルな地図が一般にも普及していて、地図を読むことで、自己の判断での行動や旅行が可能なのですが、余計な情報だけに飾られて、基本的でシンプルで正確な情報が、どんどん失われていく、日本の地図作りの現状は、自分の考えで行動することが出来なくなってしまった日本の社会を如実に表しているようで、恐ろしくなってきます)。
翼くん(千明さんの元カレではなく、地図製作会社に勤務するあや子さんの御子息)には、頑張って貰わねばなりませんね。






↑飛龍Ⅱは、夜8時沖縄那覇出港、朝8時頃宮古島、お昼前に石垣島に寄港、夕方には、台湾基隆港に入港します。月に数便、台湾南部の高雄に向かう便もあり、帰路は、石垣、宮古港には寄らず、直接那覇港に向かいます。お昼前、石垣島を出港した頃から、沢山のカツオドリが看板をかすめて行きつ戻りつ、、、、、。どうやら、船と一緒に台湾まで飛んで行くのでしょう。





↑午後1時39分 与那国島沖を追加。






↑午後3時55分。台湾の島影が近づいて来ました。






↑【二宮書店「高等地図帳」(改訂版)1967年1月刊行】より
中学校の参考書としての地図です。現在では考えられない、基本に則った、シンプルで正確な、素晴らしい地図です。
この地図に示されている地域が、僕の主要フィールドでもあります。





↑上図の拡大。ちなみに、現在ではこの地図の発行は不可能(なぜなら、「台湾(中華民国)」が国名となっているから)。






↑同じ地図帳から。南西諸島の全体図の端っこに、台湾も示されています。









↑3枚とも、岩波書店【日本の自然8南の島々】1996より
上の図では、大陸棚の張り出しが、中の図では、中琉球(奄美・沖縄)の北への連なりが、下の図では、左縁に、朝鮮半島から中国大陸、台湾、フィリッピン(ルソン~ミンダナオ)を経て、左下端に、セレベスの一部とハルマヘラの一部が示されていて、西北太平洋の全体像が良く解ります。





↑青山原図(部分)
「フェリーみしま」は三島村が、「フェリーとしま」は十島村が、それぞれ鹿児島港起点で運航する定期便。
「ななしまⅡ」は、十島村が運航する不定期便。屋久島には向かいますが、三島村へは、例外的なチャーターと成ります。












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