青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-1

2010-09-27 14:46:02 | アメリカン・ポップスearly60’s



“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ③ 『ポール・アンカ/ニール・セダカ』



Paul Anka 29位 
1941.7.30 Canada 出身
ダイアナ/君は我がさだめ



Neil Sedaka74位 
1939.3.13 New York出身
カレンダーガール/悲しき慕情


【永い沈黙期間を経て、70年代中期に大復活】

あや子さんから、たび重なる苦情を頂いています。“長すぎる!”って。僕もそう思っているのですが、ポール・アンカとニール・セダカ、真打ちの登場です。このタイミングで縮小するのはどうかと、、、、。でも、思い切って手を抜くことにしましょう(このあと10日間、残り20人近くを毎日アップしなくてはならないことですし)。

あや子さんは、僕と世代的には左程違わないのですが、“狭間の歌手”たちのことは、ほとんど知らないみたいですね。エルヴィスを別とすれば、名前を知っているのはポール・アンカとニール・セダカ。飛んで、トム・ジョーンズやボブ・ディランとなります。上記2組は年齢的には同じなのですが、活躍時期がかなり異なります。どうやら、日本の、団塊の世代やその前後の生まれの人達にとっては、少年少女時代に“リアルタイム”で聴いていたであろう筈の“狭間の歌手”たちの歌声の記憶が、ポッカリ抜け落ちてしまっているのだと思われます。それらの人達にも記憶されているポール・アンカとニール・セダカは、“狭間の歌手”たちの中では、特別な存在と言えるのかも知れません。

それにしても、ポール・アンカとニール・セダカ、見事にセットですね。御大エルヴィスを加えて“御三家”だそうです。
この呼び名は、日本限定、RCAビクターの戦略なのだと思います。ポール・アンカが、ABCパラマウンツからRCAビクターに移ってきた1962年当時、すでにヒットメーカーとしての勢いは衰えかけていました。客観的に見れば、三人をセットで扱うのは、かなり無理があるのです。

(レコード会社の思惑を別とすれば)別段2人をセットにして考える必要はないわけです。確かに、ポール・アンカとニール・セダカは、活躍期が同時代で、実績も拮抗します。でもそれを言えば、それぞれの“相棒”は、前回紹介のボビー・ダーリンでも、ロイ・オービソンでも良かったわけだし、ディオンでも、ジーン・ピットニーでも、もちろんリッキー・ネルソンでも良いわけです。ジョニーだって、この時代のニールに比べて、左程実績が劣るわけではありません。その点、“スリーボビー”(ヴィントンは違いますよ!)は、しっくりきますね(ちなみに、エルヴィスを軸に置いての“御三家”となれば、エルヴィス、パット・ブーン、リッキー・ネルソン、というところが妥当なのではないでしょうか)。

デビューは、ポールのほうが一年余早く、年齢はニールのほうが2つ半上です。「ポップス黄金期」(便利な言葉だ!)に於ける実績も、ほぼ互角(ポールのほうがやや上?)。共に、ビートルズ出現よりもだいぶ以前に勢いが衰えかけていて、ポールは62年辺りから下り坂、ビートルズ登場の64年初頭時点では 、すでに完全にヒットチャートの世界から消えていました。ニールのほうは、62年の「悲しき慕情」で大きく盛り返したこともあって、細々とながら、66年初頭までチャートヒットを続けています。

もっとも、その辺りの状況は、“スリー・ボビー”をはじめとする、上に挙げた面々は似たりよったり。ポールとニールを、ことさらセットにする理由にはなりません。

ポール・アンカとニール・セダカは、歌の質が全く正反対です。ポールの歌は、素直とは言い難い、分かりにくいメロディーラインで、剛球の変化球というか癖だらけの荒れ球というか、、、。対してニールのほうは、実に素直で分かり易いメロディー、そしてストレート極まりない歌唱です。

生意気な悪ガキで、ステージ上で悪態をつくだけでなく、来日時には女を口説きまくり、いい女を紹介しないと明日のステージには上がらないと言って、興業主を困らせたという伝説をもつポール・アンカと、ステージ上では、直立不動、真面目一方の青年紳士ニール・セダカ。だいたい、顔のイメージからして正反対なのですね。

なのにセットで呼ばれるのです。例えば、ポール・アンカとリッキー・ネルソン、ニール・セダカとロイ・オービソンと並称しても、全然おかしくは無いはず。でも、決してそうはならないのです。ポール・アンカとニール・セダカでなくてはならない。実に不思議なのですが、同時に分かるような気もします。説明は不能なのだけれど、、、。

実は、2人をセットにして扱う、まがいなき理由が存在します。60年代前半、ビートルズ出現で軒並み駆逐された“狭間の歌手”達のうち、ポール・アンカとニール・セダカのただ2人だけが、70年代になって大復活を遂げているのです。2人をセットにして扱うのに、これほど大きな理由は、他にないでしょう。しかし、2人がセットで呼ばれだしたのは、その復活劇の10何年以上も前の、60年代初頭のこと。後の揃っての復活は2人をセットとして扱うのに相応しい出来事ですが、それ失くしても、2人はセットとして扱われてきたはずです。どこかに、目には見えぬ共通項があるのでしょう。
だからこそ、(70年代の復活という)似た道を歩む結果になったのでしょう。その10年も前から、(無意識的に)2人をセットとして捉えてきたリスナーたちの中には、予感があったのでしょうね。

60年代初頭、日本に於いてリアルタイムで受け入れられ続けてきた“狭間の歌手”は、以外に少ないような気がします。
リアルタイムで、日米互角のヒット曲を持つ歌手となると、(エルヴィスを別とすれば)この2人だけではないのでしょうか?一つのキーは、共にカントリー臭が無い、ということ。日本での人気の維持に於いて、意外に大きな意味を持っているような気がします。

あと共通しているのは、ソングライターとしての才能が、両者ともずば抜けていること。他の大半の“狭間の歌手”達も、それぞれにソングライトの才能に恵まれていますが、彼ら2人は、そのキャパシティーが非常に広いのです。ポール・アンカの「史上最大の作戦」のテーマソングや、「マイウエィ」の訳詞、ニール・セダカの「機動戦士Zガンダム」の主題歌。ポールにも日本に纏わる、少なからぬ作品がありますが、白眉は、ニール・セダカ作の“演歌”、前川清に送ったという「恋さぐり夢さぐり」です。Marierenさんのブログ「リッキー・ネルソンに恋して」に、「Neal Sedaka/Pops」「前川清/ど演歌」両バージョンの「You Mean Everything to Me/恋さぐり夢さぐり」がアップされています。ぜひ御一聴頂きたい。目からウロコが落ちます。

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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-2

2010-09-27 14:43:14 | アメリカン・ポップスearly60’s


★ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-1の続きです。

Paul Anka
57.07.15(Billboard Hot100初登場日付け)-63.12.28(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:34曲
同Top40ランク曲数:24曲
同Best10ランク曲数:08曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:56曲
4チャートのBest10ランク曲総数:17曲


Neil Sedaka
58.12.08(Billboard Hot100初登場日付け)-66.02.26(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:20曲
同Top40ランク曲数:13曲
同Best10ランク曲数:06曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:33曲
4チャートのBest10ランク曲総数:15曲



そんなわけで、こちらも20曲から10曲に減らすことになりました(そのうちチャンスがあれば、20曲に増やします)。My Bestとは題していますが、実質は有名曲を羅列しただけです。


【ポール・アンカ/マイ・ベスト10】

●Diana(ダイアナ)
1957年Pop 1位、R&B1位。何も解説はいらないでしょう。16才だそうです。年上の彼女は、幾つだったのでしょう?

●I Love You、Baby
1957年Pop 97位。2曲目がこのポジションでして。ブライアン・ハイランドBrian Hylandの「ビキニスタイルの御嬢さん」の場合(2曲目73位)と似ているのですね。半ば“ノベルティー・ソング”と取られていたのかも知れません。しかし、ハイランドも、アンカも、数曲後に見事返り咲きます。実力者なのです。ちなみに、坂本九のNo.1ヒット「スキヤキ」の次ぎは、「支那の夜」で、58位と、なかなかの頑張りをみせているのですが、3曲目以降は消えてしまい、そのまま浮上することは無かった。悲しいかな、実質的には、ノヴェルティー・ソングと受け取られていただろうことは否めません。

●You are My Destiny(君は我が運命)
1958年Pop 7位、R&B 14位。その返り咲きソングがこれ。ハイランドの2曲目の大ヒット(Let Me Belong To You)が、暗~い失恋ソングだったのと同様、ダイアナから一転しての、絶唱バラードです。演出過剰とも言えるこの唱法、ついていけない人も多い(僕もその一人)ことでしょうが、嵌まると抜けだせないのかも知れません。

●Let the Bells Keep Ringing
1958年Pop 16位。両面ヒットとなった片面の「Crazy Love」(Pop 15位)が、「君は我が運命」路線の、17歳にして大人のムードを漂わせた粘っこい絶唱バラードなのに対し、こちらは軽快なロックン・ロール(?)です。エネルギッシュで、いかにも若者らしいこの曲、僕は結構好きなのです。

●Lonely Boy
1959年 Pop1位。この後、59年から60年にかけて「Put Your Head on My Shoulder(あなたの肩に頬を埋めて)」Pop 2位、「It’s Time Cry」Pop 4位、「Puppy Love」Pop 2位、「My Home Town」と、彼の全盛期が続きます。

●My Home Town(マイ・ホーム・タウン)
1960年Pop 8位。僕は、日本でこの曲がヒットしていたことを、よく覚えているのです。上記した大半の曲と同様、アンカの自作曲。明るく、綺麗なメロディーの、どこか懐かしさを感じる曲です。

●Train of Love(恋の汽車ポッポ)
ニール・セダカに「恋の片道切符」あれば、ポール・アンカには「恋の汽車ぽっぽ」あり。こちらも日本独自のヒット曲。60年にリリースされたアルバムからのカッティング(だったと思う、不確かです)で、元々は、当時恋仲だったと言われるアネットに提供した曲らしいです。日本では森山加代子のヒット曲?

●Kissing On the Phone(電話でキッス)
1961年Pop 35位。日本でヒットした、と言えば、この曲も外すことは出来ないでしょう。「マイ・ホーム・タウン」以降も、この曲の辺りまで、「Summer’s Gone」(Pop 11位)、「Tonight My Love Tonight」(Pop 13位)、「Dance On Little Girl」(Pop 10位)をはじめとした、Top 40ヒットを放ち続けます。

●Love (Makes the World Go Round)
1962年Pop 26位。61年末から62年前半にリリースされた数曲は、どれも100位前後と奮いませんでしたが、62年の中頃からは再び盛り返し、63年前半にかけて、「Love Me Warm and Tender」(Pop 12位)、「A Steel Guitar and a Glass of Wine」(Pop 13位)、「Every Night」(Pop 46位)、「Eso Beso」(Pop 19位)、「Love」「Remember Diana」(Pop 39位)と、存在感を示します。日本でも、当時の電話リクエストで、この曲が毎日のようにかかっていて、ポール・アンカ健在、を印象づけたものです。しかし、63年後半に、Pop 90位前後に2曲をチャートインした後は、ぷっつりとヒットチャート界から、姿を消してしまうのです。入れ替わりに、British Invasionの到来です。

●Goodnight, My Love
1969年Pop 27位、R&B 2位。そして、丸6年後、この曲で復活? その後74年初頭までの4年間に、50~80位台の小ヒット6曲をチャートに送り込みます。

≪おまけ≫●(You're) Having My Baby
本当の大復活は、74年Pop 1位、R&B 5位の、この曲から。80年代初頭にかけて、同年と翌年のTop 10ヒット3曲を含む計12曲を、Popチャートに送り込み、“第2の全盛期”を迎えます。


【ニール・セダカ/マイ・ベスト10】

○The Diary(恋の日記)
1958 年Pop 14位。デヴューは57年。4枚目に発表(RCAビクターからの初リリース)したこの曲で、一気にブレイクします。

○I Go Up
1959年Pop 42位。この曲が素晴らしいのですね。見事なロックン・ロール。この当時のPop 42位というチャートポジションには、なぜか“オールデイズ”の名曲が揃っています。59年のニールのこの曲しかり、60年のジョニー・ティロットソンJohnny Tillotsonの「Why Do I Love You So(こんなに愛して)」しかり、61年のジーン・ピットニーGene Pitneyの「Every Breath I Take」しかり。

○Stairway to Heaven(星へのきざはし)
1959年Pop 9位。ニールの“ポップス黄金期”時代のヒット曲は、アップテンポの、つい一緒に歌いだしたくなってしまうような楽しい曲が多いのですが、この「星へのきざはし」と、続く「君こそすべてYou Mean Everything to Me(60年Pop 17位)」は、美しいバラード調の佳曲。

○On Way Ticket to the Blues(恋の片道切符)
以下に示すように、ニール・セダカの米ヒット曲は、日本でも軒並みヒットしているのですが、日本での最大のヒット曲となると、この曲を置いてないでしょう。アメリカでは「おお!キャロル」のB面で、ノンヒット。大半のヒット曲が、ニール本人と幼馴染のハワード・グリーンフィールドとの共作なのに、この曲は珍しく別人の作というのも面白いですね。

○Oh! Carol(おお!キャロル)
1959年Pop 9位。
○Calendar Girl(カレンダー・ガール)
1961年Pop 4位。
○Little Devil(小さな悪魔)
1961年Pop 11位。
○Happy Birthday Sweet Sixteen(素敵な16才)
1961年Pop 6位。
○King of Clowns (悲しきクラウン)
1962年Pop 45位。
時間(真夜中の3時に書いています)もスペースもありません。おそらく、団塊の世代周辺の人々なら、誰でも聞き覚えがあるだろう、ニール・セダカのお馴染みのヒット曲のオンパレード、まとめて紹介しておきます。米ヒット曲が、リアルタイムでそのまま日本でも大ヒットしていたのです。

○Breaking Up is Hard to Do(悲しき慕情)
1962年Pop 1位。日本での知名度は、上記5曲に劣るかも知れません。でも、本国アメリカではこの曲が最大のヒット。62年度の、グラミー賞ロック部門にノミネートされています。76年に、スローバージョンのリメイク版が再び大ヒット(Pop 8位、AC 1位)。他に、黒人ACシンガー、レニー・ウエルチLenny Welchのカバーヒットなどもあります。オリジナルバージョンは、バックに配された、“カマカマ・ダンドゥヴィ・ドゥ・ダン・ダン”というハミングが、もう最高!実は、最初の録音時には、この掛け声は入っていなかったのだとか。何か足りないのでは?と気が付いて、急遽“カマカマ”を加えた、という経緯があったそうです。そういえば、一つ前の「悲しきクラウン」は、当時のニールとしては低いチャートポジション(45位)なのですが、一連の楽しい曲の中では、珍しく“間の手”が入っていないからなのかも知れません。“カマカマ”一声分が、44位分のランクを押し上げた、というわけです。

○The World Through a Tear
1965年Pop 76位。62年のNo.1ヒット「悲しき慕情」のあとも、63年にかけて「可愛いあの娘Next Door to an Angel」(Pop 5位)、「不思議の国のアリスAlice in Wonderland(Pop 17位)、「Let’s Go Steady Again」(Pop 26位)、「The Dreamer」(Pop 47位)、「Bad Girl」(Pop 33位)とヒット曲を放ち続けますが、ビートルズ登場の64年に入って、急速に勢いが衰え、65年にかけて、この曲の他に、Pop 80位台の小ヒット3曲を放った後、ニールの名は、ヒットチャートから完全に消えてしまいます。と言って(他の“狭間の歌手”達の場合もそうですが)、歌そのもののグレードが落ちたわけでは決してありません。時代の要求が、別の方向に向いていただけなのです。この「The World Through a Tear」と全く時を同じくしてチャートインした曲に、Johnny Tillotsonの「Heartaches By the Number」(Pop 35位 AC 4位)、Vic Danaの「Moonlight and Roses」(Pop 51位 AC 5位)、Connie Francisの「Roundabout」(Pop 81位 AC 10位)、
少し前に、Bobby Vintonの「L-O-N-E-L-Y」(Pop 22位 AC 7位)、少し後に、Gene Pitneyの「Princess in Rags」(Pop 37位)といった曲があり、チャートポジションの高低に関わりなく、それぞれの歌手の中で、僕の最も好きな曲なのです。自分のスタイルを守って、なおかつ新しさを取り入れようとする、試行錯誤が、結果として良い作品を生み出すことに繋がっているのでは、と思っているのですが。

≪おまけ≫○Laughter in the Rain(雨に微笑みを)
66年の一月にPop89位にランクされた「The Answer to My Player」から、一曲のチャートヒットもないまま、丸10年経った1975年、突如この「Laughter in the Rain」が、PopとACでNo.1に輝きます。同年末には、もうひとつのNo.1ヒット「Bad Blood」をPopチャートに送り込んだほか、80年代前半にかけて、PopとACのチャートに10数曲を送り込み、ポール・アンカと共に、第2の全盛期を迎えるのです。

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My Sentimental Journey(34)

2010-09-27 14:37:27 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑦

収穫を終え、下山します。



たぶん豚の餌だと思うけれど。一部は人の食糧かも。



下の家も旅館をやっているのですね。



栽培している花を採っちゃダメだよ!




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お知らせ

2010-09-26 16:09:10 | 自然、中国、花、蝶、
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の②シリーズです。
ElvisとBeatlesの狭間で~は明日更新します。

お知らせ
My Sentimental Journey(32)





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





お知らせ

これまでに何度もお伝えしてきたのですが、このブログは趣味でやっているわけでは決してありません(「ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代」を除く)。あくまで仕事として作成を続けています。より良い情報を提供することにより、支援者を募ること、それが最大かつ唯一の目的です。ブログを提供することにより、その読者の方から(提供作品や資料とのバーターの形で)支援金を提供して頂く。

しかし、もう半年以上も前から宣言を続けてきているにもかかわらず、一人として、反応がありません。これまでに、「ネイチャークラブ」への入会を頂いた方や、何らかの形で援助を頂いた方はともかく、それ以外のブログの定期読者の方は、何らかの形で「購読料」(金額については読者の方々の自主判断)に相当する支援を頂きたい、と繰り替えし訴え続けてきたのですが、だれ一人として全く反応が無いのです。定期読者は、200人近くあるようなのです。「ネイチャークラブ会員」や、別の形で援助して下さったかたも、その中に入っているでしょうが、絶対数はずっと少ないわけですから、大多数はそれ以外の読者のはずです。

そのような状況から、インターネット送信可能地点の確保も不可能となりつつあり、断腸の思いをもって、ブログを閉じざるを得なくなってしまいました。

最後に、ということで、明日から終了日(10月6日) までの10日間、フル態勢で更新を続けて行こうと考えています。「中国野生植物図鑑」「My Sentimental Journey」と共に、「中国蝶類生態図鑑」「中国旅行情報」「ElvisとBeatlesのはざまで」を、ほぼ毎日更新して行く予定でいます。(本日アップと報告していた、「ElvisとBeatlesのはざまで」は、明日からの掲載となります)

「青山潤三ネイチャークラブ」会員諸氏、および何らかの形で支援を頂いている方々には、誠に申し訳ない思いでいっぱいです。近く、別の形で報告をさせていただきたいと考えています。

2010/09/26    青山潤三・花岡文子




























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My Sentimental Journey(33)

2010-09-26 16:05:29 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑥

トウモロコシ。



ツユクサの一種。



ノジギクの一種。



これは何の花だっけ?





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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(11)

2010-09-25 09:30:07 | チョウ



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★今日は下記の②シリーズです。


生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(11)
My Sentimental Journey(32)





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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(11)

No.007小型ヒョウモンの一種Clossiana gong【4】

タテハチョウ科Nympharidae/ヒョウモンチョウ亜科Argynninae/ヒョウモンチョウ族Argynnini/カラフトヒョウモン属Clossiana
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日
















この6枚の写真は全て同一ペア。ヒョウモンチョウの仲間は、大型種、小型種に関わらず、交尾中に近づくと、敏感に飛び立って、かなりの距離を移動します。(おおむね交尾中はじっとしている)他の仲間と比べて、ヒョウモンチョウの仲間の交尾中の撮影はなかなか難しいのです。




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My Sentimental Journey(31)

2010-09-25 09:27:14 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑤

チョウがいたよ!



葉の裏に何かが張り付いています。



ストロボを発光して写すと。



キコモンセセリの仲間。




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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(13)(14)

2010-09-24 13:09:32 | その他の植物
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の②シリーズです。
中国の花/中国野生植物図鑑は、22日と今日の2日分、載せています。


図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(13)(14)
My Sentimental Journey(31)


★ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代は、26日(日)に延期します。


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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(13)

No.003シオガマギク属の各種Pedicularis spp.【7】

ゴマノハグサ科Scrophulariaceae(またはハマウツボ科Orobanchaceae)/シオガマギク連(仮称)/シオガマギク属Pedicularis
中国各地(主に四川・雲南)West Chaina/1989~2010


32 2010.8.01 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



33 2010.8.01 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



34 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



35 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



36 2010.7.24 四川省Sichuan雅拉雪山Mt.Yala Xue Alt.4400m



37 2010.6.07 四川省Sichuan高尓寺山Mt.Gao-Er-Si Alt.3700m



38 2010.6.07 四川省Sichuan高尓寺山Mt.Gao-Er-Si Alt.3700m



39 2010.6.07 四川省Sichuan高尓寺山Mt.Gao-Er-Si Alt.3700m




2005.6.19 雲南省Yunnan 碧塔海Bi-Ta-Hai Alt.3600m
図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(14)

No.003シオガマギク属の各種Pedicularis spp.【8】

ゴマノハグサ科Scrophulariaceae(またはハマウツボ科Orobanchaceae)/シオガマギク連(仮称)/シオガマギク属Pedicularis
中国各地(主に四川・雲南)West Chaina/1989~2010


40 2009.6.14 雲南省Yunnan白芒雪山Mt.Bai-Ma Alt.4300m



41 2009.6.14 雲南省Yunnan白芒雪山Mt.Bai-Ma Alt.4300m



42 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



43 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



44 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



45 2010.7.31 四川省Sichuan巴朗山唖口Mt.Ba-Lang Alt.4700m



46 2005.7.06 四川省Sichuan雪宝頂唖口Mt.Xue-Bao Alt.4200m



47 2009.7.03 四川省Sichuanミニャゴンカ Mt.Gon-ka Alt.3000m






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My Sentimental Journey(31)

2010-09-24 13:06:10 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ④

オジサンが背負っているのは、木の皮みたいですね。



どうやらトウモロコシ畑のようです。



見下ろした民家。



豚の解体作業をしているオジサンたちが見えます。



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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(10)

2010-09-23 14:08:41 | チョウ
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の③シリーズです。
My Sentimental Journeyは、昨日と今日の2日分、載せています。


生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(10)
日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ① ~⑤
My Sentimental Journey(29)(30)


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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(10)

No.007小型ヒョウモンの一種Clossiana gong【3】

タテハチョウ科Nympharidae/ヒョウモンチョウ亜科Argynninae/ヒョウモンチョウ族Argynnini/カラフトヒョウモン属Clossiana
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日





























陽が照り続けると、活発に行動をはじめ、花の蜜を吸いに飛びまわります。写真⑦⑧は、大型ヒョウモンの一種、ウラギンスジヒョウモンと。





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日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ① ~⑤

2010-09-23 14:03:11 | 野生アジサイ
★この記事はジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」に、2008年12月掲載した記事です。

日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ①

画像は、エゾアジサイ 秋田県秋田駒ケ岳(笹森山)。



秋田県と岩手県の境にある秋田駒ケ岳1637mに、イワテシオガマ(関東地方山地産のハンカイシオガマともども、屋久島固有種ヤクシマシオガマの、隔離分布する姉妹種と目される)の探索に行った時の撮影です(2001.8.5)。

烏帽子岳1477mへの縦走の途上、朝から降っていた雨が本降りになったので、笹森山1544mから乳頭温泉郷に直接下ることにしました。雨に煙るチシマザサの中に、白いノリウツギと、鮮青のエゾアジサイが、交互に出現、いずれも、丈が低く、花序が大きくて、出会うたびにハッと驚いてしまいます。なかでも、エゾアジサイの深い青は、抜群のインパクトです。高緯度・高標高ほど、色が濃くて鮮やかなのです。

日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ②
   
画像は、エゾアジサイ 岩手県早池峰(小田越附近)



 早池峰山1914mでの撮影目的は、もちろん名高き蛇紋岩固有植物たち。6月にヒメコザクラ、7月にハヤチネウスユキソウ、8月にナンブトウウチソウ、、、。蛇紋岩の岩が累積する山体の上半部での1日がかりの撮影が終わり、山を下ります。薬師岳との鞍部・小田越えに近づくと、それまでの見晴らしの良い景観とは一変して、深い樹林の中に分け入ります。固有植物たちに代わって、オサバグサやエゾアジサイなど、日本の冷温帯林の代表的メンバーたちが出現。魅力はひけをとりません。

実は、この写真、掲載しようかどうか、最後まで迷った、、、。というのは、あまりにきれいな花だから。実際の色は、吸い込まれてしまうような、深く鮮やかな青なのです。苦心してスキャンし、かなり近いところまで再現できたとは思うけれど、それでもまだまだ不満です。なんとも歯がゆい思いなのです。


日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ③

画像は、エゾアジサイ 山形県飯豊山(飯豊山荘附近)。



とにもかくにも、エゾアジサイの青色は、ポジフィルムのデジタルスキャンでは、正確な色の再現が極めて難しいのです。この写真も、実際より少し淡すぎる気もしますが、この地域の個体群のイメージは、概ね表現されていると思います。
やはり、2001年夏(7.19)の撮影。

飯豊山(北俣岳2025m)への登山口、飯豊温泉の国民宿舎の近くの路傍の、モミ・ツガ原生林の裾に、大きな花序のエゾアジサイが群生していました。着いた時は、すでに夕刻だったので、写真はほんの少ししか写せなかったのですけれど。

今回の目的は、飯豊山の稜線に生える、ヒメサユリとイイデリンドウです。尾根の登り口にテントを張り、翌朝まだ暗いうちから、アプローチが長いことで有名な、山上に至る尾根に取りつきます。

夜明けと共に、ヒグラシの合唱、やがて一時間ほどして、辺りがすっかり明るくなると、今度はエゾハルゼミの合唱です。出現期や棲息環境が微妙に異なることから、同時に鳴き声を聴くチャンスは滅多にないのですが、こうやって続けて聞いてみると、鳴き声の形式が、意外によく似ていることが分かります。両者は、思いのほか近縁な関係にあるのです。

山上での撮影に手間取り、下山時には日が暮れかけていました。途中からは、ヘッドランプで急坂の登山路を照らしながらの下降です。大きなガレ場に差し掛かったとき、斜面に咲くエゾアジサイに出会いました。茎が地を這い、大きく鮮やかな花の群れが、白い砂上一面を埋め尽くしています。それはもう、筆舌に尽くし難い素晴らしさなのだけれども、いかんせん、日はとっぷりと暮れています。写真撮影は無理。後ろ髪を引かれる思いで、後にしたのです。いつかまた、この究極のエゾアジサイを写しに、再訪したいと考えています。


日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ④

画像は、エゾアジサイ 長野県白馬鑓ヶ岳(白馬鑓温泉)。



エゾアジサイは、北海道南部・東北地方から、新潟県辺りにかけては、透明な青色の装飾花・正常花からなる花序と、薄く大きく幅広く、濃緑色の葉を備えた、典型的な個体群が見られます。

しかし、北陸地方や信州の内陸部に入ってくると、ヤマアジサイとの関係が微妙になってきます。北アルプス北部の白馬岳東面は、日本海へ直接流れ出る姫川の水系、この辺りまでは、典型的なエゾアジサイのようです。日本一標高の高い(2100m余、北八ヶ岳の本沢温泉と日本一の座を競っている)温泉として知られる、白馬鑓温泉(温泉といっても、山の中に簡素な露天風呂があるだけ)からの下山途中に出合った写真の個体も、典型的なエゾアジサイ。この辺りが、典型エゾアジサイの南限のように思われます。


日本および近隣地域の野生アジサイ Ⅲ ⑤

画像は、ヤマアジサイまたはエゾアジサイ 長野県北アルプス常念岳(一ノ沢)。



しかし、北アルプス周辺域でも、中部以南の梓川(信濃川)流域になると、少々様相が異なってきます。エゾアジサイとも、ヤマアジサイとも、判断がつかぬ個体が出現し始めるのです。

この写真(予告編の5に同じ)は、ある年の夏、常念一の沢を遡行して、常念乗越2450mに、高山蝶を撮影に行ったときの副産物です(1986.8.6)。この常念一ノ沢コースは、山麓から歩いて北アルプスの高山帯に至る登山路としては、最も楽なコースの一つだと思います。行程の前半は沢沿いの道、後半は急坂。常念小屋のすぐ手前で、高山帯に出ます。

登山口からしばらく進んだあたり、樹林の中の湿った岩肌沿いに、純白の花を満載した背の高いノリウツギと、濃い青色の正常花が鮮やかなヤマアジサイが、並んで咲いていました。装飾花は白(うっすら青味を帯びている?)。葉は、典型的エゾアジサイに比べて、やや明るく細長いような気がします。ヤマアジサイなのか、エゾアジサイなのか、意見が別れるところです。
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My Sentimental Journey(29)(30)

2010-09-23 13:54:25 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ②

3日続けて同じメニュー。でも僕には特別に卵が2つ。



立ったまま朝ご飯。



動き回っていないと落ち着かない性分なんだろうなぁ。



妹分がやってきた。




東拉紀行 2010.8.9 ③

ただ一人の妹分なのです。



得意のポーズ!



25歳のお姉さんと、三姉妹の真ん中と一緒に、山に草刈りに。



50mほど離れたところの家の横から山に入ります。




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中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ(5)

2010-09-22 14:15:36 | セミ
8月25日より「青山潤三の世界・あや子版」を全面リニューアルしましたが、本日9月14日から、スケジュールを一部変更させて頂きます。このあとしばらくは、以下のスケジュールで掲載して行く予定ですが、10月中旬頃(正確な時期は不確定)を目処に、改めてスケジュールの変更を行う可能性がありますので、ご了解下さい(なお、「屋久島はどこにある?」のシリーズは、附添する写真や地図が手元に無いため、文章だけの紹介では、味気ないように思います。帰国後それらをピックアップして文章と共に掲載が可能になるまでは、一時休載させていただこうと考えています)。

【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は青山さんがお留守ですので、下記の1シリーズだけお届けします。

中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ(5)


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中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ(5)

★この記事はジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」に、2008年8月に掲載した記事です。



☆中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミの特集、①~⑮まであります。

中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ②-1


①で行った記述は、数年前に書いた未発表記事を基にしていますが、いくつかの間違い、というよりも、追加訂正すべき部分があります。

(1)『朝鮮半島産のミンミンゼミの鳴き声について』
現地での野生個体については、未確認です(韓国には未だ行ったことがない)。以前、韓国で市販されていたセミの鳴き声のカセットテープの音源を分析し、「中国産と同様の“絞り出す”ような不安定な声のまま、東日本産と同じように単位音を10数回繰り返し鳴き続ける」と記述したのですが、誤認の可能性もあり、(実際に幾つかのパターンをもつ可能性が残されているとしても)再チェックする必要があります(現在テープは手元に無い)。

税所康正氏のH.P.『セミの家』の鳴き声紹介音源を聴いたところによると、韓国産ミンミンゼミの鳴き声様式は、日本産の本奏に当たる、尻下がりの「ミーン、ミンミンミン、ミー」の部分を欠き、日本産や四川産で前奏と定義した、最初の尻上がりの「ミンミンミンミン、、、」 (ただし20音前後の日本産などに比べて短く7~8音)のみを繰り返します。一音節ごとに、末尾を尻下がりの「ミー」
で終えます。

実は、この後に紹介して行く、今回の報告の主題であるところの、雲南省北部山地産のミンミンゼミ属の鳴き声様式が、韓国産と極めて共通し、短い前奏の部分(ただし、その前に別の“前奏”が存在する)を、そのまま本奏として繰り返し続けて行くのです(1音節ごとの末尾の「ミー」は、韓国産のように、弱々しくは終えず、一度強く盛り上がった後、下げて終える)。

日本産の本奏に当たる部分を欠き、短い前奏をそのまま繰り返し続ける様相は、どこか不安定さを感じさせます。その点では、はじめの記述どおりと言えるかも知れません。なお、税所氏の録音源は、一鳴きの末尾までは紹介されていず、よく聴き取れば、最後のほうの数音節は、押しつぶされて搾り出すような声に聞こえます。そのように不安定に続くとすれば、四川産と共通することになります。なお、韓国産が、雲南産同様に、鳴きはじめに別の前奏を有するか否かは、不明です。

いずれにしろ、日本産と韓国産は、鳴き声の構造をはじめ、外観上も多くの点で、明確で安定した相違点があります。ネットで検索したところによると、韓国内のどの報文(非常に多数ある)においても、韓国産ミンミンゼミを、日本産と同一種の別亜種扱いのOncotympana maculaticollis fuscataとはせず、独立種O.fuscataとしています。はじめは、お決まりの半日思想を基にした処遇、と苦笑いせざるを得ませんでしたが、(偶然の帰趨であったとはしても)実質的には決してそういうことではなく、(種を分けるか否か、その分類群名が妥当かどうか、はともかく)明確に独立した分類群であることは、間違いなさそうです。

(2)『対馬産も、それに似た傾向を持つと予測される』 
朝鮮半島産と日本産が、明確かつ安定的な別分類群であるとなれば、対馬産の存在は、思いのほか重要な意義を持ってきます。曖昧に終わらすべきではないではない、興味深い課題として検証していかねばなりません。

(3)『西日本産は単位音数が東日本産に比べ少なめの傾向があり、九州などでは山地性の種となる』
はじめは、「西日本産、ことに九州産は、東日本産より、一鳴きの音節数が少ないのではないか」という、九州大学の末永氏の指摘から、調査を始めたものです。東京などの10回余(青山のカウント方式は、税所のそれより一音分少ない)に対し、奈良や姫路では(末永や青山がチェックした限りにおいて)7~8回で、確かに少なめ。青山が永く在住した鎌倉産は9-10回の個体が平均的、10回を超えることの多い東京とは、微妙なれど安定した差をもつように思えます。しかし、西に目を向けても、岐阜城、神戸布引、松山城などでのカウント結果は、いずれも10回を越しています。

僕の改めての結論は、個体ごとの、あるいは集団間の安定差は、いくらかはあるとしても、基本的には大した問題では無いように思えます。細部にこだわっていては、本質を見失なってしまう恐れがあります。自分から問題提起を行ったのに、事実上の終結宣言は、少々無責任なようにも思うのですが、ミンミンゼミの、本奏の単位音数は、他の重要形質ともども、日本国内においては、原則として安定している(前奏部分と、本奏の繰り返し部分とが明確に分かれ、本奏の単位音は極端に少なくも多くもなく、かつ最後までスムーズになき続ける)、と見たほうが妥当なように思えます。無論、税所氏が指摘するように、極めて複雑な問題を内包している可能性は、大いにあるのですが、そのことは、改めて別次元で考えたほうが、賢明でしょう。いずれにしても、税所氏が提唱している、音節数カウントの、共同調査の集積結果を、もうしばらく待つことにしましょう。


中国(および台湾・南西諸島)の蝉 ミンミンゼミ②-2


 ただ、上記のように言い切ってしまうには、気になることが2つ。分布南限に近い、九州白髪山の渓谷でのカウントは、間違いなく5~6回で安定していました。末永氏や税所氏によっても、他の九州の山岳でも、その傾向は指摘されています。税所氏の仮説にあるように、東西ではなく、高低で音数差が生じるのか、九州という分布の周辺域(遺存的集団の存在?)に問題点があるのか、定かではないのですが、何か重要な意味が隠されているような気もします。
 

もう一つ気にこと。逆に一鳴きの単位音数が多い、極端な例です。これまでにカウントした中では、どの産地の個体も10数回(多くても20回ほど)で安定しているのですが、唯一の例外、40回を超す単位音をチェックしたことがあります。全身グリーンの“ミカドミンミン”の出現頻度が顕著なことで知られる、甲府武田神社での観察。その個体も典型的ミカドミンミン。おそらくは、まったく偶然(夕刻、鳴き止む直前の、最後のチェック)だとは思いますが、場所が場所だけに、なにやら気にはなります(ちなみに甲府駅前の普通のタイプは、鳴き声も普通に10数回)。

(4)『発生期の7~8月に訪れたことのある、雲南省などでは、まだ一度も出会っていない』
これについては、新たに雲南省北部山地で観察を行い得ました。以下、追加報告していきます。


画像はミンミンゼミの一亜種 四川省都江堰市青城山 91.8.1




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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(9)

2010-09-21 15:26:33 | チョウ



8月25日より「青山潤三の世界・あや子版」を全面リニューアルしましたが、本日9月14日から、スケジュールを一部変更させて頂きます。このあとしばらくは、以下のスケジュールで掲載して行く予定ですが、10月中旬頃(正確な時期は不確定)を目処に、改めてスケジュールの変更を行う可能性がありますので、ご了解下さい(なお、「屋久島はどこにある?」のシリーズは、附添する写真や地図が手元に無いため、文章だけの紹介では、味気ないように思います。帰国後それらをピックアップして文章と共に掲載が可能になるまでは、一時休載させていただこうと考えています)。

【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★今日は下記の3シリーズをお届けします。

生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(9)
ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代(10)
My Sentimental Journey(28)



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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(9)

No.007小型ヒョウモンの一種Clossiana gong【2】

タテハチョウ科Nympharidae/ヒョウモンチョウ亜科Argynninae/ヒョウモンチョウ族Argynnini/カラフトヒョウモン属Clossiana
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日





























雨天時や朝夕は、草原のあちこちの、草の茎や葉、花序などに、時には何頭かが身を寄せ合って、翅を閉じて静止しています。このような時は、指で突ついたりしても、全く反応しません(落っこちてしまう)①~⑤。雨が上がったり、少し明るくなってきたりすると、翅を全開しますが、やはりしばらくは飛び立つ気配がありません⑥~⑨。

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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(9)-1

2010-09-21 15:18:11 | アメリカン・ポップスearly60’s
★文章が長いので、“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ② 『ボビー・ダーリン/ロイ・オービソン』①~③まで、分けて載せます。


“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ② 『ボビー・ダーリン/ロイ・オービソン』①


Bobby Darin 55位 
1936.5.14 New York出身
マックザナイフ/初恋の並木道


Roy Orbison 68位 
1936.4.23 Texas出身
オンリーザロンリー/恋のむせび泣き


【共に1936年生まれの、本格派“ティーン・ポップス”歌手】

前回のリッキーとエヴァリー、ちょっと頑張りすぎてしまいました。この後、まだ22人分を書かねばならぬのです。それも、週3回(日曜は不定期)だから、2日に1回近い割合。ハードすぎます。それでなくとも、僕には彼らについての知識は、大して持ちあわせていない。手元にはCDも僅かしか無ければ、書籍などの資料も皆無。You-Tubeは開けないし、、、。うろ覚えの知識に、ネットで可能な限りのデータを収集して、誤魔化し誤魔化し書いていくしかありません。それも、興味のある歌手の場合はともかく、余り良く知らない歌手(正直、全員大好きなのです、でも、こと“歌”そのものに対しては、好みの傾向とそうでない傾向があるので)の場合は、なんとも書きようがない。

というわけで、①日本に帰国後、CDや資料を収集、もっと勉強してから再開する。②予定の順序通りにではなく、ある程度良く知っていて書く材料が揃っている歌手から、順に紹介して行く。③書く材料があろうが無かろうが、ともかく予定の順番に沿って進行。①~③のどれで行くか、考えたのです。結論は③。それも、無責任に進めて行く、という条件付き。よく知らない歌手については、写真の紹介だけでも良いくらいのつもりで、とにかく何でもいいので、思い付いたことを書いて見る。

第2回は、ボビー・ダーリンBobby Darinとロイ・オービソンRoy Orbisonです。第一回目の、リック・ネルソンRickNelsonとエヴァリー・ブラザースThe Everly Burathersに負けない大物です。書きたいことも、書かねばならないことも、山ほどあります。でも、悲しいかな、CDも資料も、手元にほとんどない。相当に、独断と偏見に満ちた内用で進めていきます。

この二人、共通点は数多くあります。同じ1936年生まれ。1956年にレコードデビューし、数年間は不遇だったこと。
ソングライターとしても素晴らしい実績を残していること。心臓の病気で亡くなること。等々。

でも、リアルタイムではなく、現在の、一般的(といっても、オールデイズやアメリカンポップス好きの人達から見た)人気は、対照的だと思う。統計的な分析をしたわけではなく、あくまで“空気”です。誤解を恐れずに言えば、Bobby Darinは、見事に人気が無い(24人中、最下位に近いかも?)。そして、Roy Orbisonの評価は、たぶん24人中のNo.1でしょう。客観的に見れば、リアルタイムでの実績&実力に於いて、評価されるべきところは、5分5分だと思っているのです。音楽、という分野全体からの評価なら、Darinのほうが上かも知れません。何しろ、フランク・シナトラの後継者です。でも、オールデイズ愛好家からの評価は、不当に低い(逆に、唯一「Dream Lover」のみは、過剰とも思えるほどの評価を受けているのですが)。

数年前(2004年)、Bobby Darinの伝記映画「Beyond the See(海の彼方に)~夢見るように歌えば」が封切られました。かなりの話題になったと思うので、ご覧になった方も多いでしょう(実は僕はまだ見ていない、ごめんなさい)。監督・主演のKevin Spaceyが、アテレコではなしに自分でDarinの歌を歌う、という力演だったそうです。運が悪かったのは、Ray Charlesの伝記映画「レイ/Ray」とぶつかってしまったこと。アカデミー賞の様々な部門が、全部「Rey」のほうに行ってしまい、「海の彼方に」は、一つも受賞出来なかった、Kevin Spaceyが、あれだけ熱演しているのだから、一つぐらいは上げてもいいのにと、コラムニストの中野翠さんが嘆いていました。なんだか、現在のDarinの評価に対する不当性を、示しているようにも思うのです。

ちなみに、Bobby Darin本人もアカデミー助演男優賞にノミネートされた(Gregory Peck主演「ニューマンという男」1963年)と言うほどの演技力の持ち主。

彼はRay Charlesに心酔していて(Rayにレスペクトするアルバムもある)、白人版Ray Charlesを目指していたように思われます。その「Ray」が対抗馬となって、受賞を逃がしてしまったわけで、Darinも草葉の陰で苦笑いしていることでしょう。賞と言えば、音楽のほうはグラミー賞ですが、“狭間の歌手24人衆”の中で受賞経験者はBobby Darin(1959年の「Mack the Knife」で「新人賞」と「最優秀楽曲賞」)ただ一人(注:時代が異なるので一応除外したが、Roy Orbisonも、1980年に、Emmylow Harrisとのデュエット曲「That Loving You Feeling Again」、没後の91年に「Oh, Pretty Woman」で受賞)。大体、ノミネート自体の経験者が、ほとんどなく、Some Cookeが度々ノミネートされている以外には、2回ノミネートは、Bobby Darinのほか、Neal SedakaとJohnny Tillotson(大したものだと思います)とBrenda Leeだけではなかったかと記憶しています。Bobby Darinはもう一回、62年の「What'd I Say」で、何とR&B部門にノミネートされている。この曲は、僅か2年前にRay Charles(彼のオリジナル)で大ヒットしたばかり、それを、ほとんどそのままコピーした形なのに、それでいてPop24位まで上昇し、グラミー賞のR&B部門にノミネートされるのですから、実力のほどが窺い知れます。


アメリカンポップスやオールデイズの愛好家に人気がない、といえば、Brenda Leeも、そうかも知れません。性別、年齢、早世長命を別とすれば、この2人、非常に共通点があるように思えます。活躍時期や実績も似ていますが、何よりも歌のティスト(taste)が似てる。そしてキャパシティーの幅が広いのです。

いわゆるポップ・ミュージックは、4つの要素から成っているのではないか、と思うのです(とりあえず「ロック」的要素については別に考えます)。①Pops(誰かが言っていましたが、Popsと語尾に“S”が付けば、現在ではオールデイズに集約される、いわゆる“ティーン・ポップス”などを指し、一方、“S”無しのPopだと、大人の音楽、今語ろうとしている分類で言えば、むしろ次のジャズ的な要素の音楽を指すと)。②ジャズ・ヴォーカル(必ずしも“イコール”ではありませんが、チャートの上では、多くがAdult Contemporaryのカテゴリーに入るようです、大御所はFrank Sinatra)。③R&B。④C&W。

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