青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

アパートの裏山- Nature of Misty Hill青梅市霞丘陵の自然(and 狭山丘陵“緑の森”)2021.7.12

2021-07-12 21:07:21 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然


★7月11日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。



僕は、バカで悪人です。それを証明しましょう。

今朝起きたら、快晴でした。雨の予報だったのだけれど、、、。ほぼひと月、蝶の撮影種の追加が為されず、54種でストップしたままです。よし、今日は一種は増やそう!と出かけることにしました。“金輪際行きたくない” 川(多摩川)向こうの丘陵に行きます。前回は時間が遅かったのでチョウはいなかったけれど、かなり良い環境です。オオムラサキの訪れそうなクヌギも沢山生えているし。まあ、二種や三種は追加出来るでしょう。

でも、多摩川の橋を渡って秋川街道に差し掛かって、“二度と通りたくない”という想いが正しかったことを、改めて思い知らされました。

道の両脇に人の通るスペースが全くない。膨大な数の車がビュンビュン通る。それはもう筆舌を絶するほど怖いですね。怖いのは僕だけじゃなく、ドライバーも怖いでしょう。普通に運転していても跳ね飛ばしてしまいかねない。

人の通行が禁止されているわけではなくても、(常識として)人は通っちゃいかんのです。でも、峠の上(ハイキングコース)に行く必要がある。どうすれば良いか。簡単です。車に乗れば良いわけです。

でも、公共の交通機関は全くありません(注:タクシー利用という手がありますが経済的な事情から僕には不可能な選択肢)。麓には青梅側も五日市側も、様々なバスのルートが張り巡らされている。しかし、行政を跨ぐ峠越えのバスは一本もないのです。これだけの交通量の多い主要道路なのに公共のバスが通っていない。おかしい、と思うのですが、なに、みんな、自家用車を使うから問題ないのです

自分さえよければいい。全員がそう思っているわけで、ということは、「自分さえよければいい、とは思っていない人」は「自分勝手な人」ということになります。

僕は「自分さえよければ良い」とは思っていません。筋金入りの「自然保護・環境保全論者」です(半分ジョーク、半分本気)。エセ、ではなく本物です(笑)。「車」の多用は、環境保全の最大の敵だと思っています。出来る限り「車」の利用を少なくする。簡単です。公共交通機関を充実し、原則それを利用する。どうしても必要な場合は、個人ではなく、家族とか企業単位とかで保有すれば良い。

この考えは、「間違っている」わけです。その理由は「皆がそう考えていない」から。

アメリカの「銃社会」は無くなりませんね。みんな「銃は必要」と思っている。日本の車社会も無くならない。みんな必要と思っているので。

実質(公共交通機関ではない)車しか通らない道を車に乗らずに歩いている、これは「悪い」ことなんですね。一方、「車」によって地球の環境が破壊されていくことは、決して悪い事ではない、、、のでしょう。

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イギリスで「(600人)マスクなしスポーツ観戦運動」というニュース。

日本もそのうち(なし崩し的に)追従するのだと思います。全てを有耶無耶にして。

以前「マスクなしピクニック」運動が、「自分勝手な社会的迷惑行動」と見做されていましたね。それを鑑みれば、日本における「マスクなし」集団は、あっては成らぬことだと思いますが、大衆が「空気」に従って認めたことは、同じことであっても「善」になります。

昨年1月、新型ウイルスの人‐人感染確認報道があった同じ日、同じ湖北省で「世界最大淡水魚の絶滅認定が為された」というニュースがありました。僕は、こっちのほうが、遥かに重大ニュースだと思っていたし、今もそう思っています。

僕はバカなので、バカの一つ覚えで何度でも繰り返し言います(「マスク」に対する懐疑はそれ以前から言い続けている)。

コロナはただの風邪。そして「ただの風邪」は、とんでもなく恐ろしい病気。「ただの風邪」から、様々な脅威が引き起こされる。これまでにもそうだったし、今後もずっと、、、。「コロナ」に終わりはない(というか、そもそも遥か昔から始まっている)。

冷静に対さなくてはならない。怖いのは「パンデミック」ではなく「パニック」。様々な“バイアス”で社会が混乱していくこと(医療破壊などを含む)だと思います。

皆、自分だけは、リスクを蒙ることを避けたいのですね。「あらゆるリスクを避ける」ということは、不可能な事です(様々な矛盾に面します)。でも人々はそれを選択する。日本人の性(さが)なのかも知れません。

社会全体が「空気」(実は巨大なスピリチャル、集団的洗脳による幻想)に乗って、どういう方向かはともかく、ぐるりと回って「有耶無耶」に着地するのでしょう。

実際、僕の知人の何人かは、最初からそれを言ってましたね。いや、かなりの数の日本人は、本心では
同じように思っていると思いますよ(コロナが始まった当初から)。“終わりは有耶無耶”と。

「どうせそこに落ち着くので僕らは傍観して流れに身を任せときゃいい」。その通りでしょうね。

でも僕は、傍観出来ない。その結果生み出される「排除」「差別」「ヘイト」「同調圧力」への(実質上の)肯定「空気」には、徹底して抵抗すべきと思っています。

文明・科学に対する無条件信仰の加速、、、、、「リスク完全排除」思想に潜む、とんでもない怖さを覚えるからです。

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まあ以上はバカのひとつ覚え、ということで、無視されれば仕方ないです。

今日は快晴です(午後雷)。朝からお昼過ぎにかけて、夏の雑木林の蝶の観察には最高の環境と思われる、川向こうの尾根を歩きました。

蝶が一匹も(大袈裟ではなく)いない!!

オオムラサキどころか、あらゆる蝶の姿を見ないのです(5時間の探索で、ボロボロのコジャノメと、羽化直後と思われるスジグロチョウの各一頭に、それぞれ街に下る手前で出会っただけ)。カナブンもカブトもクワガタもスズメバチもいない、、、、。

いや、原因は(半分)分かっています。

今年の(自然界の)季節は、例年より2~3週間早いペースで進んでいます(昨日出会った人は「3週間ほど早い」と言っていました、僕もそう思います)。それを当て嵌めると、今は7月末か8月上旬になるのですね。その季節は、日本の多くの地域で(寒冷地などを除き)大半の蝶が姿を消します。蝶の種数が多い6月から7月中旬にかけての季節は、とっくに過ぎ去っているわけです。

もっとも、なぜ季節が早く進んでいるのかは分かりません。それと(それにどう関係があるかはともかく)一部の種が姿を現さないまま、出現期を終えているように思えます。出会った蝶の観察者(10人ほど)の全て
の方が言うに、「今年はウラナミアカシジミが全く見れなかった」と。僕がウラナミアカシジミに出会えなかった原因は、僕の経験不足に拠るものと思っていたのですが、あながちそうでもないようです。

オオムラサキは、結局きちんと姿を現してくれるのでしょうか?

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二回目に通った「二度と通りたくない道」。9:45























蝶の全くいない森。10:18~11:53











茸。10:48~12:53



雷が鳴ってきたのでバスで帰ります。13:15






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