青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

コロナウイルス(with熱中症/香港デモ)について考える (3)

2021-01-05 21:28:05 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


 
繰り返します(老人は同じ事を何度も言う)。
 
マスクは、「自己保身」「取得権の保守」「異質排除」「付和雷同」「無意識強要同調空気」の象徴で、かつ「民主主義」の象徴でもあります。諸悪の根源、かもしれません。そしてワクチンが人類を滅ぼす、と予言しておきましょう(笑)。
 
日本に於ける死者数は、一日平均3000~4000人、月10万人~15万人(←寒い季節)。もちろん老人主体で、たぶん肺炎(気管系疾患を含む)は死因最上位のひとつでしょう(おそらくは僕もそれでおさらばする可能性大です)。
 
そして肺炎の多くは、何らかのウイルスが関与しています(そのあたりの実態や解釈の仕方が現在の混乱の要因の一つのように思えます)。昔も今もこれからも。
 
「コロナ問題」の発端が、中国武漢というのは、象徴的です。
 
武漢は、人口数千万の大都市です。「新型コロナ」が無くったって、毎年冬には何万人もの人が亡くなっています(その多くは「旧型コロナ」に関わるウイルス性肺炎でしょう)。毎年春節前の病院は、しっちゃかめっちゃかです(死体がそこらに転がっていたりする)。中国人は、ただでさえパニックになりやすいことですし、一年前の騒動による混乱の度合いは、想像して余りあります。
 
2019年夏の香港デモ。香港の若者は正義、民主主義は正義、マスクは正義の象徴。香港の町中がマスクに覆われました。そこから半年後、憎っくき中国で、「コロナ」発生。そして、再びマスクが主役。
 
よく出来ています。




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コロナウイルス(with熱中症/香港デモ)について考える (2)

2021-01-05 21:26:20 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


 
広津柳浪「雨」については、2013年6月のブログに書きました。「柳浪」、、、素敵な号です。“柳と浪”は、彼の作品の中に漂う、“鬱々とした中の仄かな温かさ”の表象でもあります。
 
斎藤緑雨。別号は「正直正太夫」と「江東みどり」。「緑」が好きな人みたいですね。、、、透き通るように優しく鋭い彼の“ショート・アフォリズム”に、“緑の雨”はぴったりです。
 
東京は、一週間連続ほぼ快晴です。毎日傘を持ち歩いているのですが(たぶん持って来なかったときに雨降るんでしょうね、笑)。
 
ここ数年のことだと思います。天気予報が、当たらなくなった。否、「予報」の役割を果たさなくなった。ネガティブな方向にアナウンスすることを、(結果として)大衆が要求しているからです。災害を通知できなかったとき(ポジティブな報道が外れたとき)へのバッシング。「予測が当たらない」という批判は甘んじて受ける。しかし「実態を当てることが出来なかった」ということに対する責任を負うことだけは、絶対に回避せねばならない。
 
世の中全てが、(ある意味日本がリーダーシップをとって)「責任逃れ社会の構築」に向けて、ひた走っているように思えます。
 



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コロナウイルス(with熱中症/香港デモ)について考える (1)

2021-01-05 21:24:40 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


 
やっと、「中国の野生植物」全100巻DVDの、第一巻「シャクナゲⅠ」(原版写真2500枚、テキスト385頁収納)が出来上がって、テキストの英訳(モニカに中国語訳して貰うため)も終えました。しんどかった。いつ完成するかも、どのように役立てるのかも、全く展望はつかないのですが、あと99巻、根気よく続けるしかありません。
 
僕の(勉強・仕事の)守備範囲(「研究」とか「専門」とかの言葉は嫌いなので使わない)は、蝶と蝉であり、アジサイを中心とした植物(野生、ただし一部は人為との関り)であり、それらを題材に「日本~東アジアの生物相の成り立ち」(殊に「琉球/南西諸島」の本質)を考察することです。それは(生活の糧に結びついているか否かに関わらず)仕事です。趣味ではありません。
 
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趣味は、アメリカン・ポップス(主に1960年代前半)と、明治文学(ことに明治20年代)ですね。もっとも、「仕事」にしろ「趣味」にしろ、全てにおいて、言わんとしていることは共通しています。
 
「事実は一つではない」、、、、多様性の(便乗意見や“御為ごかし”ではなく、心からの)肯定です。換言すれば、「無意識強要同調空気」の否定。
 
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「涙くんさよなら」は、正真正銘、ジョニー・ティロットソンの日本(およびアルゼンチン、チリ)に於ける大ヒット曲なのですが、いつの間にか、(当時は全くヒットしなかった)「坂本九」のヒット曲に置き換えられてしまっている。それを大衆が「是」とし、異論を(無意識的に)排除する(あるいは無視する)。「どうでもいい事」と言えば「どうでもいい事」なのですが(笑)、実は(普遍的な問題として改めて見つめると)「大変な事」なのですね。
 
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「正義とは何か」「悪とは何か」、、、(例えば「宇宙の果ては何処にあるのか?」などの命題共々)誰もが、子供の頃(若い頃)、一度は思い巡らしたのではないでしょうか?でも、大人になってからは、その「逡巡」を放棄してしまっている。いや、さっさと(都合のいい)答えを出してしまっている気がします。
 
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僕は頭が悪いので、なかなか“答え”というものが出せません。
 
誤解を招くといけないので、「マスク」について、一言付け加えておきます(前にも言ったと思うけど)。僕は「マスク拒否論者」ですけれど、常にマスクは持ち歩いています。自分で「規則」を作っています。
次の状況ではマスクを着用する。
>2m以内の距離で一定時間(数秒以上)人と対面するとき。
>密封空間で複数の人々と隣接して滞在するとき(車内など)。
>病院の中。
それ以外の場合はマスクは着用しません。誰もいないところでマスクをしている人を見ると、不気味にしか感じません。実は、上に記した状況下でも、マスク着用が必要だとは必ずしも思っていないのです。でも、怖がっている人に対して、更に不安を煽るのは、本意ではありません。でもでも「マスク着用を強要する社会は決して良い将来には繋がらないですよ」という警告は発し続けたい。というわけで、誠に面倒なのですが、その時々に応じて、マスクを付けたり外したりしているのです(通常は外している)。
 
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一昨日は広津柳浪の「今戸心中」を、昨日は斎藤緑雨の「油地獄」を再読しました。
想うこと、多々あり、です。
 
 
 



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コロナ遺書

2021-01-05 16:21:13 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



マスクとワクチンが人類を滅ぼす。

繰り返し言いますね。

これ(現在の世界の状況)は単に「コロナ」云々の問題ではないのです。もっと大きな、「人類の在り方」の根源に直結する問題です。

風邪は、非常に恐ろしい病気です。それに伴うウイルスも非常に恐ろしい。「恐ろしい」ということで言えば、全ての現象が恐ろしいのです。僕の存在だって、あなたの存在だって、ある意味「恐ろしい」。

病気も、ウイルスも、敵であると同時に仲間でもあります。人類の力を過信して(あるいは過小評価して)、それを叩き潰す・排除すること(あるいはそこから逃げること)だけを考えていても、なんの解決策にもなりません。

そろそろ、自己保身、リスク管理、異質の排除をひたすら行い続ける社会から、脱却しませんか?



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