青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

コロナとマスクと三四郎

2021-01-25 20:37:06 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



Sky3731さん
Kawada88さん
Rei9172015さん
「いいね」有難うございます。

ぼくは“いいね”の入れ方が分からないので、ここでお礼しておきます。

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さっき病院の待合室でT.V.を見ていたら、“「武漢が隠蔽している」由、許されざるべきことである”みたいな、「相変わらずのニュース」が流れていました。日本は正義ですもんね。武漢、可哀そうだな~(まるで牛若丸に退治されている赤鬼青鬼です)。

武漢が発祥、というのは、事実なのかも知れません。事実の一つ。いろんな事実がある。

※訂正済み「枠に囚われちゃだめだ、熊本より東京は広い、東京より日本は広い、日本より、、、、頭の中は広い」と、夜行列車の中で広田先生も言っていたし。

陰謀論に成っちゃうといけないのですが(三世もジョージも「陰謀論」が好きで、それはそれで傾聴に値する)、コロナ問題は「香港デモ」の続きです(「天安門」から連綿と続いている)。香港警察に代わって、武漢がターゲットにされた。まあ、されるだけの根拠はあったのだろうけれど、それが全てでも、本質的な問題でもありません。

パンドラの箱を開けた。

そして、

空気の操作。

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え~と、さっきの(いつもながらの)T.V.ニュース見て、冒頭に(僕の方もいつもながらの)戯言を入れておきました。

本来の書き出しは↓ここから(以下、支離滅裂です、書き直すの大変なので、そのままアップします、笑)。

大相撲、無事に?千秋楽終えましたね。今春、プロ野球も開幕するのでしょうか?「進むも地獄、退くも地獄」ということで、とりあえずやるしかないんでしょうけれど。

一年余り前、照ノ富士の記事を半分載っけたところで、残り半分(ほぼ完成)がお蔵入りになってしまいました。来場所大関に再昇進すれば、引っ張り出してきて掲載せねばなりません。

いや、いろんな分野で、「ほとんど完成しているのにも関わらずブログにアップしていない」記事が多数溜まってます。概ね、一生懸命真面目に書いた記事です。最後の「詰め」を考えているうちにそのままになってしまった、というパターンが大半です。

概ね、僕の「守備範囲」対象の記事ですね。「蝶」とか「蝉」とか「野生アジサイ」とか「野生レタス」とか、、、、。どうしても「本気」になってしまって、後回しになってしまう。

アメリカン・ポップスだったら、むろんジョニー・ティロットソンですが、ジョニー本人や同時代歌手の記事はなかなか書けない。「ケイデンス・レコード物語」などは、超大作(しかも99%完成)なんだけれど、もう丸2年以上ほったらかしです。それで、当たり触らずの、(時代やジャンルが)ちょっと外れたところばっかり書いている。

「アメリカン・ポップス(60’s)」「明治文学(19世紀末)」はともかくとして、いわゆる「人間社会」には全く興味も知識もない僕なのに、どこで風向きが変わったのか、ここ数年、「中国のあれこれ」「香港デモ」「コロナウイルス」、、、と、人間界の俗っぽい(?)話題ばかりに関わっていて、我ながら呆れています。

それが収入(原稿掲載)に繋がる、と思って取り組み始めたわけで、実際初めのうちは「貧乏日本老人の見た中国」という、それなりの一般受けするスタンスだったのが、やがて「大衆の総意に基づく要求」みたいなところから大きく乖離し始め、(読者はともかく)大手メディアからは見放されてしまったわけです。

でも、しつこく書きます。
「マスクとワクチンが人類を滅ぼす」
「“無意識強要同調空気”社会への警告」

誰もいないところでマスクしている人(ほぼ全員ですけれど)が気味悪くって仕方がない。その人が、ではありません、その社会の空気が。まあ、そんなこと気味悪がってると生きていけませんが(笑)。
 
マスクは、僕が今更ここで言うまでもなく、本来は(一般的な意味でも)「悪の象徴」なんですね。日本(とか香港とか)は別なんでしょうが、欧米では、「悪い事する人」がマスクしている、もしくは「重篤患者」が使用するもの、というのが、本来のイメージだったと思います

しかし、日本人(や「香港デモ」の若者たち)は、本当にマスクが好きなんですね。「自分たちは悪ではなく善である」と信じ込んでるので、正義のためには何やっても許されるはずなんだけれど、バレルと困ることも少なからずある。でもマスクしときゃ安全です。マスクしてることが、心地よいのです。

マスクは、個人情報漏れリスク管理社会の行きつくところです。そのうち、(自分の家族とか以外の他人に)顔を見せるには、(肖像権みたく)お金支払ってパーミット確保することが必要(ある意味ストリップショーだ)、という社会になってしまうのかも知れません。

もちろん、(意識上は)「コロナウイルスの脅威」のための防御策、ということで、皆マスクをしているわけですが、、、。

でも、(歴史的に見て、マスク強要に値する)特別な脅威なんですかね?

「仮説はダメ」という人がいます。ならば、「定説」の肯定も、確たる根拠はないと思いますが。

「脅威」は、これまでにもあった。「ウィルス」をはじめとした幾多の様々な脅威がありました。それを考えれば、人類誕生時から「マスク必須」だったはずで、、、。今頃気付いた(マスク必須を思い立った)わけです。

科学(文明)が発展すればするほど、(様々な「事実」が判明し)全ての自然界の現象が「脅威」となって、人類と「敵対」する。科学によって、それらを蹴散らそう、としているのです。

マスクとワクチンの行きつくところは、いつか人類は“改造人間(実質ロボット)”になってしまう、ということでしょう。

しばらく前に、「脅威の殺人オオスズメがアジアからアメリカに侵入」というニュースがありましたね。

無論、それを撲滅しなければ、というのですが、幸い?というか、その後あまり話題になっていないようです。

日本は、その「殺人スズメバチ」と、奇跡的に共存し得ている。それを欧米の人たちが知って、新たな考えを巡らせているのだと思います(本来の「文明」というのはそういうものだと僕は思う)。

そんな素晴らしい「文化」があるのに、「マスク」「ワクチン」一辺倒ですか。まあ「コロナ」は「中国発祥」だから、最初から敵対一辺倒で進まざるを得なかった。

もっとも「殺人オオスズメバチ」、アメリカに見習って「撃退すべし」という意見が出てこないとも限りません。「絶滅危惧種」として人間社会から切り離し、手厚く「保護」し、そしてオガサワラシジミみたく消えていく。そうなって欲しくはないですね。

コロナに対しては、ともかく今、自分が助かればいい、とだけ思っているわけです。確たる根拠もなく、いや確たる根拠がないからこそ、「みんなそう思ってるから」と、ひたすら不安に浸る「集団」と化す。

僕は、「教育」とは「洗脳」の同義語だと捉えています。大事なことは、自分の頭で考えること、だと思っています。「教育」によって、「体系」に沿った能力のみが必要とされ、物事を俯瞰的に見渡す能力が失われつつある。

俯瞰的に物事を捉える事ができない、いや、それを為すことが怖くて踏み出せない(受験脳だけ備わったバカなので単に出来ないだけなのかも知れんけど)人々が、今のマスクの集団です。

その人たちに戯れにアドバイスしておきます(こないだのブログでも同じこと書いたけれど)。僕は、もうすぐ73歳ですね。仮に今消えちゃったとしても、早死にというわけではないです。まあ平均には近い。今でも(交通費さえあれば)5000m級の山にも登れるだろうし、あっちの方も(10数年間試してないので分からんですが)可愛いコを用意しといてさえくれれば、たぶん大丈夫だと思う。

健康マニアの人や、リスク回避食生活徹底の人たちとは対極にある、(ストレスとかも含め健康管理面では)滅茶苦茶最悪な生活環境下に置かれ続けてきました。にも拘わらず、年齢上は(一応ですが)いわば「勝ち組」です。それがどういう意味を持つのか、皆で考えて欲しいです。

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広田先生「枠に捉われちゃだめだ」
三四郎「日本はどうなるのでしょうか?」
広田先生「滅びるね」

人間、ことに日本人は、「枠」が好きです。枠の中にいることが、美徳のように思われている。そして、その枠の中で、「体系」とか「方法論」とかを前提に、知識さえつければ、それを駆使して何でも出来ると。

科学の驚愕すべきスピードでの発展(それは「方法論」に沿って「答え」を見つけ出すことで成されている*)を考えれば、永遠の命の獲得も、宇宙の果てへの到達も、案外さほど遠からぬ日に実現可能なのかも知れません。でも、そうなることが、それがどうしたということなんでしょうか?

*小保方さんも、何とかという現象をたまたま見つけた(その一端に出会った)。しかし、それを体系に沿って再生することは出来なかった。役に立たない発見、というわけです。役に立たないもの(実証再現出来ないもの)は科学として否定されます。その中に、何らかの暗示があるのかも知れない、ということは考えないのです。

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僕は、幼稚で無能で、かつ老人で痴呆症かも知れんので、何度でも繰り返し言いますが、、、、。

「自己中心」な人々が集まって「標準」を成し、「自己中心」的な人々を批判する人間を「自己中心」的として排除していく、というのが、今の世の中(殊に日本社会)だと思っています。

「思いやり」といった言葉をよく聞きますが、本当の「思いやり」には、(自他共に)痛みが伴うものではないかと。といって、目の前にいる人を傷つけたくはない(それで僕は、近くに人のいるところではマスクをしている)。

(次元が全然違いますが)敵に襲われる瞬間の小動物などを目前にすれば、つい手助けをしたくなる。難しいところでしょうけれど、、、。 

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**三四郎のヒロインは美禰子(40年ほど前に僕が失恋した相手とイメージがそっくり!)ですが、僕は「三輪田のおみつさん」(注:作中に本人は一度も現れない)が真のヒロインではないか、と思っています。

付録:

全然関係ないけれど。ジャクリーン・ボイヤーというドイツの女性歌手の、「おみつちゃん」。1963年のドイツの大ヒット曲で、ジョニー・ティロットソンの「ユー・キャン・ネバ―・ストップ・ミー・ラビン・ユー“恋に弱い子”」(「ジュディ、ジュディ、ジュディ」のA面です)と、ドイツのヒット・パレードのNo.1を競っていました(同時期の日本/アジア関連のヒット曲は当然のように「スキヤキ“上を向いて歩こう”」と日本では見做されていますが、世界的な視野で見渡せば必ずしもそうでないことが分かります)。たしか以前にも紹介したと思いますが、何バージョンもユーチュブに紹介されている中、この映像(インドネシアだ!)が特に気に入っているので、最紹介しておきます。*ジョニー・シンバルも「明日があるさ」のB面で歌っている。

Mitsu, Mitsu, Mitsu" by Jaqueline Boyer

(“フジヤマ”“ヨコハマ”“着物高いです”)








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