青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

コロナの幻想(マスクとワクチンが人類を滅ぼす)

2021-01-20 20:57:32 | 香港デモ、新型ウイルス、日記



【自己保身(責任逃れ)のため互いに洗脳しあう大衆によって構築された日本の「民主主義」】

「コロナ」についての一年間の過去記事を振り返って行きます(断片的な再紹介)。

この一年間(その前の「香港デモ」からと言っても良いかも知れません)、ずっと同じことを言い続けてきました。改めて、過去のブログをチェックしてみました。もちろん、余りに下手で幼稚な文章に赤面する部分は少なからずありますが、全体としては、今考えていることと同じことを書いています。

バカな大衆(概ね高学歴のエリートが中心を成す、心優しく、礼儀正しい、正義の人々、、、)は、未だに本質が捉えられないのですね。

改めて、一年前からの記事を、(新たな記事の中に織り交ぜながら)再掲載していこうと考えています。自分では、全部まとめて「一つの物語」と捉えているので。さすがに「アメリカン・ポップス」の長過ぎる記事とかは削除し、「余りに下手で幼稚」と感じたところは、それなりに修正しておきたいですが、原則としては、元のまま再掲載していきたい、と考えています。

まず、主な登場人物を紹介しておきます。

僕(青山潤三)
1948年神戸生まれ。Nature-photographer and writer。神戸の甲南中学卒(実質一年で中退、「不登校児」のハシリです)。1960年代初頭から、屋久島をはじめとする南西諸島や小笠原で撮影や調査活動を続け、1980年代後半に、拠点を中国大陸に移しました。目的は、日本の自然の成り立ち(東アジアの生物地理)を探ること。蝶の生殖器構造、蝉の鳴き声様式、および一部の植物(主に野生アジサイ類)の基本形態比較による系統関係の考察。公的メディアに於ける著作(単行本)としては、「日本の高山植物」「日本の蝶」「屋久島の自然」関連を中心に、20冊余(「小学館」「平凡社」「白水社」「岩波書店」ほか)。新聞連載は「朝日新聞」「毎日新聞」「産経新聞」「東京新聞」「神戸新聞」など。2017~2020年にネットマガジン「現代ビジネス」(講談社)に連載。ブログ「青山潤三の世界・あや子版」(ほぼ毎日掲載)と「社会の窓から」(断片的掲載)。

あや子さん
ブログ「青山潤三の世界・あや子版」を、もう15年近く、無償で続けて下さっています。もともとは、僕の作品(旧ブログ)の読者です。お会いしたことがあるのは、10年ほど前に東京駅近くの病院に緊急入院時、妹さんと一緒にお見舞いに来て頂いた時だけ。僕より4つほど若いと思うので、70歳代手前かな? 佐世保に御主人と共に暮らしておられます(2人の息子さんは独立)。個人ピアノ教室を開かれていて、苦しい状況の中、無報酬で(むしろ少なからぬ持ち出し分あり)ブログを管理して頂いています。感謝に堪えません。僕のブログとともに、御本人の「佐世保の自然観察」ブログ(お世辞ではなく、すごく充実した内容です)も長年続けておられるので、そちらの方もぜひよろしくお願いします。

三世
コンデンスミルク三世。「コンデンスミルク一世」は僕です(名前の由来は別のところに何度か書いてるので、機会があったらチェックしといてください)。ブログ「社会の窓から」を管理してくださっています(気まぐれに断続的に掲載されます)。30歳代後半、結構美人で、セクシーで、スタイルが良く、世の男性にはモテそうな外観ですが、他にとりえのない、欠点だらけの人間です。もとい、訂正します。少しは長所もありますね。地頭は非常に良いと思う(あまり表には出さないけれど)。写真、文章、デザインなどの才能は素晴らしい。出身地が僕の父と同じ兵庫県姫路。〇番目の御主人(ジョージ、超イケメンで、頭も体力も抜群で、しかし超偏屈、まるでソクラテスの時代の哲人が、間違って現代に現れたみたい)の故郷、ギリシャはエーゲ海の島で暮らして5年目に入ります(4年間別れていないところも評価ポイント)。三世に対しては、腹が立つことばかりなのですが、ほとんど唯一の日本人の友達なので、これからも喧嘩しつつ仲良くしていこうと思っています。インターネット上で、「チエチエブログ」や「エーゲ海オンライン旅行」などに取り組んでいるので、(ジョージ共々)よろしくお願いします。

モニカ
僕の弟子です。本人は知人に僕のことを「ベスト(スペッシャル)フレンド」と対等関係を強調していますが、最近は素直に「私の先生です」と紹介してくれてるみたいです。広東省の北端の江西省境に近い客家の村出身。雲南省昆明 の大学に4年(修士号とかも持っています)、卒業後同地の企業に4年。10年前に深圳~昆明の夜行列車で出会い、いろいろと手伝って貰うことになりました。8年前、一度大ゲンカして一年近く音信が途絶えたことがありますが、突然「過去の喧嘩は無かったことにしましょう」とメールが来て、その後また僕の仕事を渾身的に手伝ってくれています。対外的には「中国のアシスタント」となっていますが、報酬とかは一銭も払ってないので、ちょっと違いますね。この上もなく出鱈目でノー天気、かつこの上もなく真面目な努力家、中国人の縮図です(笑、でも僕はそこが大好きです)。僕にとって、娘(というか年齢的には孫)であり、妹・お姉さん・彼女であり、実質的にはお母さんみたいな存在です。僕のことをジュンゾウと呼んでくれるのは、20年以上前に逝去した母と、モニカだけです。5年前、中国人男性(一つ下、とても優しい人)と見合い結婚、4歳になる娘さん(小七)がいます。小七が成人するまで元気でいることが僕の究極の目標です(もっとも今年二人目が誕生予定なので、更に長生きせにゃなりません)。せめて、僕が生きているうちに、野生生物関係の写真(原版写真の整理)や資料(記事の英訳)を纏め、モニカや小七の世代に引き継ぐ準備をしておきたいです。

U氏
元・「現代ビジネス」(講談社のインターネットマガジン)の編集者(現在はたぶん別部署に異動)。腹が立つ、と言えば、こいつほど腹立たしい人間はいない。僕より40歳下ですよ(モニカや後述するパラリラと同世代)。なのに、僕のことを、「無知無能なろくでなし」と軽蔑しきっているみたい(実際はどうなのか良くわからない)で、腹立たしいことこの上ありません。岡山県倉敷市出身。東大文学部の、たしか上野千鶴子さんの教室とかで学んだようです。アマチュアロックバンドのベーシストもやってます。まあ、客観的に見れば、なかなか良い人物ではある(ちょっと真面目過ぎるところもある)のですが、僕とは感性や価値観の基準が違いすぎるので、いかんともしようがありません。去年の6月に、コロナ関係の記事『「とりあえずマスク」ですっかり安心している日本人への違和感/ただの「同調圧力の象徴」になっていないか』を掲載した日から、連絡をとることも出来なくなってしまっています。

会長
日本ジョニー・ティロットソン・ファンクラブ(JTFC)の、5代目の会長。僕より2歳年長の女性のMさんです。リアルタイムでは、僕は1~3代目の会長とは仲が良かったのですが、Mさんとの接点はほとんどありませんでした。数年前、僕のブログのジョニー関連の記事を目にして「もしかすると昔神戸からちょくちょく東京に来ていたあの青山さんですか?」とメールを頂き、40数年ぶりに再会したのです。前々回パソコンが壊れた時に、新しいのを購入して下さるなど、多くの恩義があります。頑張って共著の「ジョニー・ティロットソンの時代」を出版せねばなりません。ジョニーとは(度々アメリカに行き)家族ぐるみで交流していたのですが、最近は体調と経済的な事情で訪問は断念しているとのこと。最後にジョニーと会ったのは、僕が誘った(経費はMさんが出してくれた)4年前のバンコクでのブライアン・ハイランドとのジョイント・コンサート。その時に手伝ってくれたのが、当時タイに在住していた三世です。

パラリラ
僕ら(10数年前のバックパッカー仲間うち)では「ジン君」で通っています。若き(今は30歳代半ばになったけれど)天才です。背が高く、ハンサムで、いろんな才能(音楽、写真、文章、そのほか多岐に亘る)を持ち、心も素直で優しい人間ですが、どこか物足らない(才能を持て余している)ところが、、、。最初の出会いは、2008年、成都のユース(日本人バックパッカーのたまり場)で、いろいろと面白いことがあったのですが、そこらへんは彼の昔のブログ「芸大生世界一周」を読んでください。その後もちょくちょく会っていて、2016年の夏、ジョニー・ティロットソン&ブライアン・ハイランドのジョイント・コンサートがタイ・バンコクで行われたときに、当時バンコクに住んでいたパラリラに手伝って貰おうと、彼のいるゲストハウスを訪ねました。でも、「忙しいから」と断られてしまった。代わりにと、押し付けてきたのが、当時同じゲストハウスに住んでいた三世です(彼女は後に、なんとそこ買い取ってオーナーになった)。ちなみに、三世の今の御主人のジョージもそこのゲストでした(三世よりも僕の方が先に会ったのが自慢!)。パラリラのお母さんは中国の方で、東京で中華料理を開かれています。パラリラ自身も別の場所でギョーザ屋をやっているので、よろしければ訪ねてあげてください。

友子さんの父上
僕が33歳の時から、50歳時まで、丸18年間、一緒に過ごしていたのが友子さんです(彼女が19歳~36歳時)。一緒に過ごしていた、といっても一緒に住んでいたわけではなく、しかし、ほぼ毎日のように、お互いの家(前半はすぐ近所だったけれど、後半は世田谷と鎌倉)やその近所のカフェなどで、逢い続けていました(非常におとなしい文学少女です、、、たまに取っ組み合いの喧嘩になると僕のほうが負けてましたが、笑)。男女として、というよりかなりデリケートでイレギュラーな関係で、、、そのあたりの説明は非常に困難なのでパスします。1998年の夏に突然別れ、その後の消息は知りません。家族(というか一族)が絡む問題です。その(日本社会に於いて多大な力を持ち、僕を忌避する)一族の中で、唯一一貫して2人を見守り続けてくれていたのが、友子さんの父上のT氏(家庭裁判所書記間で共産党の熱烈支持者の非常に厳格な方)です。今は、世田谷の別の家に一人暮らしで、先日88歳になりました。年に数度お会いし、コーヒーを飲みながら世間話をしています。去年の秋、二つ目のハードディスクがクラッシュしてしまったとき、併せて80万円余の修復費用が捻出できず、朝一番世田谷のT氏宅を訪ねて泣き付いたのです。年金暮らしなので、とても無理、でもカードに生活費の分が残っている、それで新しいパソコンを買ってやろう(HDD回収は後回し、昔のようにチョウの撮影をして、一からやり直すべき、それにはまともなパソコンが必要)、と、その足で一時間近くかけてヨドバシカメラまで同道して下さり、15万円のパソコンを買ってくださいました(一年に一台くらいのペースでパソコン破壊してるので、今度こそ大事に使います)。あとで、「カードがすっからかんになって自分の生活が大変な状態」というメールが来ました。借金はないのですが、1989年の中国重慶の大学滞在中は、都心のホテル(重慶飯店のフロント)まで行ってほぼ毎日友子さんと電話で話しいていて、そのコレクトコール代が数十万円。「友子と青山さんから半分づつ返してもらうからね」といつも笑いながら話されています。実現するまで互いに長生きせねばなりません。

スーリン
僕の中国行きは、初期の頃は概ね上海イン/アウトでした。1990年代半ば以降は香港イン/アウト。ただし、初めの頃は香港~広州間は大抵直通列車で行き来していて、深圳は素通りしていました。香港の中国返還後、新たなシステムが関係してか、一度深圳で下車し、イミグレで手続きを行ってから、広州、あるいは直接成都や昆明に向かっていました。それでも(イミグレの手続きをして列車を乗り換えるだけで)深圳に滞在することはありませんでした。それが、ある年(2004年)続けざまに予想外のアクシデントが発生(イミグレで三脚が折れてしまった/ATMでカードが吸い込まれてしまった)、それぞれ「新しい三脚を日本の企業から貰い受ける/吸い込まれたカードの返還手続きを日本の銀行で行う」必要から、数日間、深圳に滞在せざるを得なくなったのです。(ボロホテルに泊まる今と違って)なぜか高級ホテルに投宿しました。僕は大都市には全く興味がないので、ひたすら部屋の中にいるだけです(当時パソコンはまだ使っていなかった)。出かけるのはホテルの脇のコンビニに買い物に行く時だけ。そこでバイトをしているスーリンと顔見知りになりました。聞くと、広西壮族自治区の田舎の中学から集団就職で深圳に出てきて、以来10年近くの間、香港企業1つと日本企業2つ(一つは山田電機、日本人社員とは一人も会えなかった由)で働いていたけれど、最近首になって途方に暮れている、とのこと。僕は一月後に広西桂林の山に行く予定だったので、手伝って貰うことにしました。その後の成り行きには、なかなかの“ほのぼの話題(小説とかにもなりそう)”とかもあるのですが、話が長くなってしまうので割愛。やがて結婚を決意し、鎌倉の市役所で必要書類を全て揃え、寸前まで行ったのだけれど破談になりました(30歳の年齢差の外国人、ひいおじいちゃんが日本兵に殺されている、、、等々、田舎では大変な事なのです)。でも、それから15年余、まだ仲はいいですよ!年に一度ほど、(雲南や四川に向かうとき)桂林で下車して、駅の近くのレストランで食事したり。ここ数年は、年に数回のメールでのやり取りですが、僕にとっては、一番大事な人なのです。

広州のK氏
だんだん長くなってしまいます。以下は短くいきます。中国在住の元?(今もかな?)日本人。結構カッコいいのですが、かなりチャラいところもある(高田純次を若くしたような感じ)40歳台後半の男性です。数年前、僕が行きつけの広州のスタバで、たまたまお会いしました。それ以降交流を続けています。中国人の奥さんは、医者です。本人は、日本の結構大きな企業を中途退職し、中国で一旗揚げようと、移住したそうです。なぜ中国なのか、というと、好き嫌いとか思想とかは関係なく、単純に日本と中国を比較すれば、将来の伸びしろは圧倒的に中国の方にある、と考えたからだそうです。結構お金持ちみたいです。でもケチなので援助はしてくれません(一度交通費として1200円貰ったことと、とんかつ定食を御馳走してくれたことがある)。つい先日も、メールが来ました。僕のいたアパートから(ということはモニカのアパートからも)ごく近い場所に豪邸を買って(5000万円とか)引っ越した。私は人生の勝ち組になりました!と。なんか、中国政府のお墨付きも貰って、将来の展望開けっぱなし、らしいです。僕は「勝って兜の緒を締めよ」と返信しておきました。とはいっても、嫌味のない、とても感じのいい方で、僕の「中国指南役」をかって頂いています。難点は、なぜか三世と折り合いが悪そうなこと。会ったこともないし、メールでのやり取りもしたことないし、でも互いに「そいつが関わるなら、私は降ります」というので、頭を悩ませています。

ヨドバシカメラのM君
もう、40年近く前から、ヨドバシカメラにはお世話になってるんですね。ちょうどDVDとかが普及し始めた頃、全国ヨドバシカメラの書店コーナーで、僕の作品(DVD「日本の高山植物」)を販売していた時期があるんですよ(20年ほど前かな?)。それなりに売れているはずですが、原稿料(一括印税)は刊行時に出版社から貰っているので、売れ行きと僕個人の懐具合は(よほどのベストセラーにでもならない限り)関係ありません。でも、癪に障るのは、その大したことのない中身のDVDがそれなりに(印税から逆算すれば少なくても数千枚)売れて、実質その100倍、1000倍中身が充実している自主製作のDVDは一枚も売れないわけで、、、、。メジャーメディア(小学館系列会社)と個人では勝負にならないことは分かっていますが、それにしても納得はいきません。それはともかく、歴代のスタッフの方々には、(今回のHDDのクラッシュのような)よほどの困難なアクシデントでない限り、無償で修理やソフトのインストールをして頂くなど、言葉に尽くせない援助を頂いてます。今の担当のM君(30才手前)も、ズボンとかセーターとかを貰ったり、企画(写真のネット販売、まだ一枚も売れていませんが)の準備を手伝って戴いたりで、感謝に堪えません。

福生のスタバのスタッフたち
やっぱり長くなる(笑)。今、そのスタバでこれを書いてます。あちこち(世界各地)のスタバに通い出してから、かれこれ20年ぐらい経ちます。大船のスタバとか、ロサンゼルスのスタバとか、、、、。今は基本福生のスタバ。たまに立川、吉祥寺、それに東京駅。中国滞在中も、(外出時の電源確保は)概ねスタバです。これまでも何度も書いたように、朝9時から夜11時まで、319円のドリップ・コーヒー一杯で粘っていることが多い(ここしばらくは、時短営業の関係もあって、正午前後から午後8時までのパターン)ので、本心では、申し訳ない思いで一杯なのです。むろん、スタッフの側も本心ではさぞ迷惑に思ってるのかも知れませんが(笑)、そんなことはおくびにも出さず暖かく接し続けて頂いているので、感謝しています。出来るだけ他のお客さんの迷惑にならぬよう、隅っこの電源席に座っています。まあ、顔なじみのスタッフの顔を見るだけでも、なんか気持ちが落ち着きます。現時点で一番古くからいるのは、Iさんという20代後半の女性(胸に名札があるのだけれど名前はまだこの人一人しか覚えていない、誕生日覚える特技があるのに、名前覚えるのは苦手なんです)。Iさんには、たまに休憩時間に話し相手になってもらいます。ありがとう、とここで言っておきます。

病院の事務局長I氏と主治医F先生&K先生
2013年秋の「ドングリ事故(奥歯の崩壊)」後遺症では、長い間苦しみ続けてきて(今でも苦しんでいる)、あちこちの病院での診察や治療も受けて来ました(日本国内だけでなく国外でも)。しかし、いつまで経っても良い方向には進みません。2年ほど前、市役所からの紹介で(いくつかの医院を経て)公立福生病院で再手術を受けることになりました(そのことについてはこれまでも書いてきたし、今後も報告を行う)。結果は“吉”と出た(最も辛かった陥没破壊奥歯の残根を取り除くことが出来た)のですが、それはそれで良かったとしても、また別の症状に襲われることになり、今現在も悪戦苦闘中です。とりあえず、月2回平均で内科で受診を続けています。主治医のF先生(女医、年齢不詳)が、とても優しい方なので、受診するだけでホッとした気持ちになります。それと事務局長のI氏(58歳、元“山男”由)にも、いつも愚痴を聞いて貰っています。なんか、感謝することばっかりですね。その福生の病院とは別に、東青梅の個人医院のK医師(80歳前後?)にも、月に一回診察を受けています。K医師は、週5日、朝から晩まで一人で患者さん(概ねお年寄り)を診察し続けられています。凄いことだと思っています。


他にも、上海でいつも無料で泊めて頂いている、上海芸術家村(仮称)の中国人の大有氏とか、かつて上海で会社を経営していた(今は奥さんの実家の日本に帰っている)日本人のMK氏とか、僕の二番目の“弟子”で、今は故郷のニュージーランドで勉学仕事に励んでいるルイスとか、紹介しておきたい人が何人もいますが、またの機会にしましょう。


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ドリー・パートン、リンダ・ロンシュタット、エミロー・ハリス

2021-01-20 13:23:06 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


ドリー・パートン、リンダ・ロンシュタット、エミロー・ハリス

いや、もう、これは全く偶然としか言いようがなくて、、、、、。

唐突なんですが、今日1月19日は、ドリー・パートンDolly Partonの75歳の誕生日だったんですね。僕の中じゃ、ドリー・パートンは、「アメリカン・ポップス黄金期」より一世代後(1970年代以降)のC&W界の大スター、という認識しかなかったのですが、、、。

僕は、たまたま、、、、ドリー・パートンと同時代のカントリー/ポップスのスター女性歌手のリンダ・ロンシュタットLinda Ronstadtの“隠れファン”で、もう一人、エミロー・ハリスEmmylou Harrisと、80年代後半になって(40歳を過ぎてから)女性ボーカル・トリオを組んで、「逢ったとたんに一目惚れ」などのC&Wヒットを放っていて、ここんところ、その「逢ったとたんに~」を三人で歌う映像に嵌っていて、、、。

その「逢ったとたんに~」は、もちろん、テディ・ベアース(フィル・スペクター)の60年の大ヒット(ポップチャートNo.1)で、先日、そのフィル・スペクターが亡くなって、その追悼の記事に、彼女たちがカバーしたその曲の映像を添付して、、、、。

昨日、たまたま、その“トリオ”の、一時間に亘る「伝記ビデオ」をユーチュブからパソコンに取り込んでいたので、昨日に一度、今日は二回も(英語の聞き取りは一割ぐらいしか出来ていないけれど)、なぜかその映像を見ていたのです。

色々と思うところがあって、明日のブログに、その感想を書いてみようかな、と考えたのです。彼女たちの年齢は僕より1~2歳上、ということは知っていました。一番メジャーで、かつ誕生日が早いのは、ドリー、確か今月75歳になるはず。リンダは、今74歳で夏に75。一般的に見れば最もマイナーなのかも知れないエミロー(僕などは、80年のロイ・オービソンの10数年ぶりのヒット曲「ザット・ラビン・ユア・フィーリング・アゲイン」のディエット・パートナーとして記憶している)は、春が来て74歳、、、、等々も、なぜか知っていました(歌手の誕生日を覚えるという“全く何の役にも立たない特殊才能”が僕に備わっているらしい)。

さっき、一応誕生日調べて置こう、と思って、ふと、ドリーの誕生日は今頃じゃなかったっけ?とチェックしてみたら、ドンピシャ、今日だったわけです。

確か一年ほど前にも、アニタ・カー・シンガーズのアニタ・カーのことを書こうと思って、改めて誕生日調べたら、ちょうどその日だった、ということがありましたっけ。でも、長年のファンだったアニタとは違って、ドリーの場合は先にも書いた通り、これまでは彼女の曲を聴くことも、存在を意識したことも無かったものですから、“初めて意識した日が誕生日”というのは、まさかの奇跡の偶然だと思います(まさに“逢ったとたんに一目惚れ”です)。

いずれにせよ、そのこととは無関係に、この一時間映像の感想を、ちょっと書いておこうと思ったのです。

ちょっとだけです(リンダの病状に不謹慎な触れ方になるかも知れないので)。

僕は、以前から、リンダ・ロンシュタットの“隠れ”ファンなのです(ジョニー・ティロットソンとの関連なのですが、それについてはまた別の機会に)。なぜ“隠れ”というのかと言えば、“リンダ・ロンシュタットのファン”とカミングアウトするのは、なんとなく恥ずかしいと思いませんか?(別に何の根拠もありませんが)。

もっとも、“ドリー・パートンのファン”というのも、更に恥ずかしいような気もしますが(やはり何の根拠もありません、なんとなく、です)。

“エミロー・ハリスのファン”というのが、(何の根拠もないですが)最もカッコいいような気がします。

この、その時点でスターだった、かつ、互いに全く対極の(ある意味それぞれ実に分かりやすい)個性を持つ同時代歌手三人がトリオを組んだ、というのも、目から鱗が落ちるような思いです(昔から友達同士だったそうですが)。キャラが確立していて被らない。まるで、(病院の待合室で読む)少女漫画のようです(これが、例えばアン・マレー、リン・アンダーソン、オリビア・ニュートンジョンとかだったら、大してインパクトは無かったと思う)。

この、“トリオの伝記”の映像で紹介されている「現在の姿」は、60歳を過ぎてから(もしかすると70過ぎてから?)のものと思われますが、ちょっと不謹慎な言い方に成るけれど、リンダ・ロンシュタットの劣化状態が、飛び抜けて著しいですね(昔可愛かった分、、、むろん長く病気を患っていることもあるので仕方ないのですが)。

それとは対照的に、若い頃は全然あか抜けていなかった(正直、僕の好みとは真逆で、ロイ・オービソンは何でこんな不細工なのとわざわざコンビ組んだのか、と長年思っていた)、今は白髪ばあちゃんのエミロー・ハリスが、断然女らしく、綺麗になっている。

そしてそして、若いころの“あか抜けなさ”に関しては、さらに上に行くのがドリーですね。ただし、エミローが女性らしい色気ゼロだったのとは反対に、露骨に“女”強調(いわゆるぶりっ子)で、なんでこんなのが人気あるのだろう、とずっと思っていました(僕の趣味から言えば完全パス)。

改めて今回、若い頃の映像を見ても、その思いは変わりません。でも、「逢ったとたんに一目惚れ」を三人で唄う、40歳超の映像を見ると、なるほど、ドリーのぶりっ子色気過剰も、20何年も続けていると、それはそれで他の追従を許さない唯一無二の芸になっている、と思わせるものがあります。

付け加えると、エミロー・ハリスの相変わらずの“色気のなさ”も、それはそれで以前よりも素敵です。その“ポジティブに進化している”2人と違って、リンダ・ロンシュタットは、ただオバサンになってるだけのような気が、、、。まあ僕はリンダのファンなんで、それはそれでも良いのですが。

でも、そのまた20年後の(ほぼ現在の?)映像は、ちょっとショックでした。前記したように、リンダの劣化が激しく(病気は別としても、有態に言えば、太りすぎ)、エミローが予想外に女らしくなっている。

そして、何より感動したのが、ドリーの“露骨な女らしさ(セクシーと言っても良いのかな?)強調”が、道を究めた感がある、いや、僕から見ても魅力たっぷり、ということです。

ところで、一昨日「フィル・スペクター逝去」の記事をチェックしていたら、「リンダ・ロンシュタット逝去?」の記事(「哀れな晩年」と紹介されていた)も見つけました。まだ死んでないよ~~。フェイク記事ですね。こんなの書かれないように、元気で頑張ってくださいね!


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