青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代 (19)

2010-12-12 15:42:47 | アメリカン・ポップスearly60’s
(消し去られた60年代初頭のアメリカン・ポップス史)

昨日の「朝と夜のはざまで」で、夢の話題を取り上げました。Pops黄金期には、「夢」をモチーフとした幾多の名曲があります。代表的な数曲を紹介しておきましょう(1957年~1970年)。

●夢を見るだけ(All I Have To Do Is Dream)
1957年 The Everly Brothers Pop 1位/CW 1位/RB 1位
1961年 The Everly Brothers Pop 91位
1963年 Richard Chamberlain AC 6位/Pop 14位
1970年 Glen Campbell & Bobbie Gentry AC 4位/CW 6位/Pop 27位
(1994年にPhil Everly & Cliff Richard盤がイギリスのみでヒット)

●夢見る瞳(Dreamy Eyes)
1958年 Johnny Tillotson Pop 63位
1962年 Johnny Tillotson Pop 35位
1969年 Brian Hyland (non-hitですが、素晴らしい出来です!)

●ドリーム・ラバー(Dream Lover)
1959年 Bobby Darin Pop 2位
1964年 The Paris Sisters Pop 91位
(Rick Nelsonで1979年にCW 29位/AC 59位、86年にCW 88位)

●ジャスト・ア・ドリーム(Just a Dream)
1959年 Jimmy Clanton RB 1位/Pop 4位
前回までの「ElvisとBeatlesのはざまで」で紹介出来なかった「狭間のシンガー24人衆」5人のうち、時間的制約で紹介出来なかった4人を除く、唯一人CDの未入手による未紹介歌手が、Jimmy Clantonです。1940年ルイジアナ州生まれ。1959年に自作の「ジャスト・ア・ドリーム」が大ヒット。翌60年の「Go, Jimmy, Go」、63年の「Venus In Blue Jeans」のトップ10ヒットを含め、11曲のPopヒットを持っています。他の24人衆の多くに比べれば、ヒット曲の数は多いとは言えませんが、「ポップス黄金期」すなわち「ElvisとBeatlesの狭間の世代」を代表する歌手であるともいえます。今回、You-tubeで多くの曲を聞き得たこと、そしてリアルタイム聴いていた当時のアルバム収録の曲の印象から、その思いを強くしています。そのアルバムに収録されていた、僕が当時大好きだった一曲「A Million Drums」がYou-tubeにアップされていました。40数年ぶりに聴いたのだけれど、まさに「ポップス黄金期」のエッセンスがギッシリの素敵な曲です。バックに展開する画像がまた素敵、ティーンアイドル時代のBobby Darinとの2ショット、最近のJonny Tillotsonらとのスナップ、あと、ClantonやJan & Deanに加え、なぜか“Masaaki Hirao”の顔写真が載った講演パンフ、、、楽しさ満載です。

●夢に見る恋(Dreamin’)
1960年 Johnny Burnette Pop 11位

●夢のボート(Dreamboat)
1961年 Connie Francis Pop 14位

●夢見る乙女(Dream Baby)
1962年 Roy Orbison Pop 4位

●夢の中で(In Dreams)
1963年 Roy Orbison AC 3位/Pop 7位/RB 19位

●ドリーマー(The Dreamer)
1963年 Neil Sedaka Pop 47位

●夢の枕を(Send Me The Pillow You Dream On)
1958年 Hank Locklin CW 5位
1960年 The Brouns CW 23位/Pop 56位
1962年 Johnny Tillotson AC 5位/CW 11位/Pop 17位
1965年 Dean Martin AC 5位/Pop 22位



≪2010.7.24 四川省塔公~八美≫

「夢」「Dream」と並んで、アメリカン・ポップス邦題の定番と言えるのが、「涙」「悲しき」、原題だと「Cry」「Lonely」「Blue」といったところでしょうか。50年前のアメリカの若者達は、夢を見つつ、悲しくて、淋しくて、一人ぼっちで、涙を流して泣いてばかりいたわけです。

ここでちょっと、話題を変えます。ご本人たちには、迷惑なことと思いますし、単に先入観による思い込みであることも確かなのですけれども、作者名の類似と、作品が醸し出す雰囲気というか全体のイメージが、何となく共通するように感じられる、ということが、少なからずあります。

僕自身のことで言えば、一字違いの「青山潤」という若手作家がいます。東京大学海洋研究所の気鋭の研究者(僕より19才も下)で、ウナギの分類や生態について著した「アフリカニョロリ旅」という好著で知られています。名前が似ているだけでも紛らわしいのですが、対象への関心の持ち方が実に良く似ている。互いの著作物を同一人物が手掛けたとしても、決して不思議ではないのです。むろん別人ですよ(笑)。混同された場合、僕は光栄に思いますけれど、向こうはさぞかし迷惑に思っていることでしょうね(笑)。

名前に「潤」が付くのが、「高野潤」と「斎藤潤」。ともにベテランのアウトドアー系作家で、高野氏は南米、斎藤氏は離島がメインテーマです。高野氏は僕より一つ年上、平凡社の土居氏とも親しく、彼からよく話を聞かされています。興味を向ける対象がとてもよく似ている、と言うとやっぱり向こうにしてみれば迷惑でしょうが。土居さんが担当した、平凡社新書「アマゾン源流“食”の旅」は、とても楽しく読ませて頂きました。斎藤氏は僕より6つ年下、光文社新書「トカラ列島~絶海の島々の豊かな暮らし」などの好著があり、その守備範囲は僕とかなり重なります。

さて、僕がらみのことはともかく、メジャーなところで村上春樹と池澤夏樹(池上冬樹という評論家もいるけれど、2人をパロッた名、ですよね?)。アカぬけしているというか、汗臭さを感じないというか、日本語よりも横文字が似合いそうな、良い意味での軽く無機質的な雰囲気が、共通するように思うのですけれど。大作家(昔の表現なら文豪)に素人がこんなことを言っちゃいかんですが。

池内紀と内田樹。この2人も以前僕は混同してしまっていた。ドイツ文学とフランス文学、研究者で評論家でエッセイスト、そして、ともに兵庫県に縁の深い方々です。ちなみに、上記2人を併せ、4人とも僕と同世代人と言っても良く、最年長の池内紀氏が1940年生まれだから僕より8つ上、最年少が1950生まれの内田樹氏で僕より2つ下。

池内紀も内田樹も、専門分野に留まらぬマルチな創作活動を展開し続けていますが、殊に内田樹は、このところ、あちこちのメディアに引っ張りだこ、氏の著作物をまともに読んだことのない僕は、本当にそんなに凄い人なのか?単にメディアに神輿を担がれているだけではないのか?という疑念も持っていたのです(もっとも、やはりメディアに引っ張りだこの、A.I.氏や、K.M.氏に対するような、胡散臭さを感じることは、始めからなく、直感的に信頼を感じ取ってはいましたが)。

で、「Johnny Tillotson~涙くんさよなら」をネットで検索していた時、意外にも出てきたのが、内田樹の以下のコメント。いや、凄い!見事というしかありません。僕などとは実力が違いすぎます。まさに、僕が言いたくて、でも表現力が及ばず、くどくどと言い続けて、結局言い得ないでいる内容を、一発で表現してしまっている。

内田樹の研究室 
2004年05月08日 可傷性と鼻声 
【以下、一部を抜粋して紹介させていただきます】

Take good care of my baby (Bobby Vee)/Crying in the rain (The Everly Brothers)/若い人は想像しにくいかもしれないけれど、1964年までのアメリカン・ポップスの男性歌手のクルーナー・タイプの発声は、メロウでウィーピーであった。1960年代の前半まで、アメリカの男性アイドル歌手は、すぐに「べそべそ泣く」タイプの楽曲によって世界を席巻していたのである。ジョニー・ティロットソンは『涙くん、さよなら』で「だから、しばらくは君に会わずにいられるだろう」と歌った。ということは、「しばらく」以外の時間、ジョニー君はべそべそ泣いて人生を過ごされていたのである。/1955年から1963年まで、つまり朝鮮戦争の終結からケネディ暗殺までの時代が「the Golden Age of American Pops」である。/それはアメリカが名実ともに世界最強国・最富国であった時代であり、その時代はアメリカの男たちが自分の弱さを平気で示すことができた幸福な時代であった。

1964年のブリティッシュ・インヴァージョンからあと、アメリカの男性歌手は前ほど気楽には泣かなくなった(例外はビーチボーイズの女性的ファルセットだけだ)。/それはアメリカが先の見えないベトナム戦争に踏み込んでいった時期と符合する。/3曲目から後はアメリカの「鼻声」がハイスクールボーイの気楽なすすり泣きから、もっと深い傷に注ぐ涙に変わった時期のものである。傷は日常生活のささやかな気づかいによっては癒されないほど深くなり、その傷あとからはじくじくと血がにじみ続けるようになった。そして1977年頃を最後に、アメリカの男性歌手は「鼻声」ですすり泣くのを止めた。/それから後、私たちが聴くことになった音楽では、シンガーたちは怒声を挙げ、権利を主張し、罵倒を浴びせ、ついには無機的な機械のように痙攣的な発声をするようになった。

そんなふうにして、「鼻声歌手」たちは音楽シーンから消えていった。それはアメリカの国力が低下し、傷つきやすさを誇示することが、戦略的に許されなくなった時代の始まりを示している。私は男たちが「すすり泣き」をする曲が好きだ。涙を見せることができるのは、強く、優しい男だけである。/もう一度アメリカの男性歌手が「鼻声」で歌う時代は戻ってくるのだろうか?



内田樹の研究室 
2006年04月14日 フェミニンな時代へ 
【この末尾の一節に至る全ての文章も素晴らしい内容なので、ぜひ直接「内田樹の研究室」を訪れ、通読してみて下さい】

共同体が求めているのは「泣くべきときに正しい仕方で泣ける」ような情緒的成熟を果たした男なのであるが、そのようなやわらかい感受性をもった男性を育てるための制度的基盤を半世紀にわたって破壊してきたことに私たちは今さらながら気がついたのである。
アメリカの黄金時代が、アメリカの若者たちがすぐにべそべそ泣く時代であったように(ジョニー・ティロットソンとかボビー・ヴィーとか、泣いてばかりいたぜ)、日本はこれから「泣く男」をもう一度つくり出せるようになるまで劇的な社会的感受性の変化の地層を通り抜けることになるであろう。




≪2010.5.5 雲南省下庄~祥雲≫

ということで、「涙」のアメリカン・ポップス1962年度3大名曲(原題にはどれも「涙Tear」は付いていません)。

●涙の紅バラ(Roses are Red My Love) Bobby Vinton (1962年Pop 1位/AC 1位/RB 5位)
●涙のくちづけ(Sealed With a Kiss) Brian Hyland (1962年Pop 3位)
●涙ながらに(It Keeps Right On a Hurting) Johnny Tillotson (1962年Pop 3位/CW 4位/RB 6位)

いずれも62年の夏に大ヒットした、カントリー・バラード・タッチの美しい曲ですが、50年近く経った現在におけるポジションは、それぞれに異なるように思えます。

「涙の紅バラ」は、ポール・エヴァンスの作詩・作曲。文句なく美しいメロディー、美しい歌詞、タイトルに続くリフレイン部分の歌詞は、あのバイロンの詩を基にしています。Paul Evans(1938年ニューヨーク生まれ)は、John D. Loudermilkと共に、僕の大好きなシンガー・ソングライター。ジョニーとも仲が良いようで、ジョニーのH.P.のリンク欄の友人の部に、いの一番に紹介されています。この曲は、次の2曲と違って、意外にカバーが少なく、“ボビー・ヴィントンの「涙の紅バラ」”としての位置付けが、より明白に感じられます。

「涙のくちづけ」は、ブライアン・ハイランドの専属ソングライターとも言える、ピーター・ウデル&ゲイリー・ゲルドの作詞・作曲、カントリータッチというよりも、フォークのイメージが強いようです。曲自体の有名度は、3曲中ナンバー1かも知れません。後に、ゲリー・ルイスとプレイボーイズ(68年Pop 19位/AC 32位)、ボビー・ヴィントン(AC 2位/Pop 19位)の両バージョンでも、それぞれ大ヒットしています。日本では、レターメン盤で69年に大ヒット(アメリカでは65年に発売もノンヒット)。ハイランド盤は、リアルタイムでは、こと日本においては左程ヒットしなかったように思われます。スーリンのfavorite-song(ということは誰かのversion で中国でもヒットした?)、この曲がかかると、反射的に踊りだします(笑)。

「涙ながらに」は、ジョニー自身の作詞・作曲。「涙のくちづけ」が、大衆に広く知られる、ポピュラー・スタンダードとなっているのに対し、こちらは、カントリーの世界限定の、クラシックナンバーとなっているようです。カバーヒットは、アダルトコンテンポラリーチャートで、ベテラン女性歌手のマーガレット・ホワイティング盤(69年AC 28位)、カントリーチャートで、ビリー・ジョー・ロイヤル盤(88年CW 17位)。エルヴィス・プレスリーの愛唱ソングとして良く知られています。

この「涙ながらに」、意外に唄うのが難しい曲のようで、カバーの多くは、伸び伸びと唄うジョニーのオリジナル歌唱スタイルをとらず、それぞれに工夫を凝らした、特徴のある仕上がりになっています(エルヴィスversion然り、ボビー・ダーリンversion然り、ディーン・マーティンversion然り)。その中で、ストレートなカントリータッチで伸び伸びと唄っているのが、実力派女性カントリーシンガーのジェーン・シェパード盤。もうひとつのジョニーの大ヒット曲「ポエトリー」も、唄いやすい曲とはいえず、しっくりくるカバー盤には余り出会いません。でも、You-tubeで見つけた、女性シンガーPernilla Wahlgren盤、これは素晴らしいです。それと以前にも紹介したことのある、フィリッピン(あるいはタイかマレーシア?)の“パット”という若手女性シンガーの唄う「こんなに愛して/Why Do I Love You So」。ジョニーのペンになる作品では、「君の面影/Your Memory Comes Along」をコニー・スミス、「Another You」をスキーター・デイヴィス、「Judy, Judy, Judy」をペトゥラ・クラーク、「Who’s Gonna Take the Garbage Out」をロレッタ・リン(&アーネスト・タブ)、そして「キューティー・パイ」を伊東ゆかり、、、、、どうやらジョニーの曲は、女性歌手との相性が良いようです。



≪2010.5.5 雲南省下庄~祥雲≫

原題のほうに「涙/Tear」の付く曲を3曲。
●How Many Tears Bobby Vee (Pop 63位)
内田樹氏が紹介している、VeeのNo.1ヒット「Take good care of My Baby」の、ひとつ前のヒット曲。
●Today’s Teardrops Ricky Nelson (Pop 54位)
リッキーの名曲「ハロー・メリー・ルー」共々、Gene Pitneyの作品。
●Teardrops by Teardrops Gene Pitney (Pop 130位)
上記の2人、Bobby Veeの大ヒット曲「ラバー・ボール」、Ricky Nelsonの大ヒット曲「ハロー・メリー・ルー」の作者が、ジーン・ピットニー。こちらは、歌手としての彼の小ヒット曲です。

「泣く/Crying」を3曲。
●Crying Roy Orbison (1961年Pop 2位)
オービソンの自作。“絶唱”とは、まさにこの曲のこと。
●Crying in the Rain The Everly Brothers(1962年Pop 6位)
内田氏が挙げた、もう一曲のアメリカン・ポップス黄金期の代表曲。エヴァリー兄弟のTop10ヒットとしては、続く「That’s Old Fashioned」と共に、最も後期のもの。
●Crying in the Chapel Adam Wade (1965年AC 20位/Pop 88位)
後年のエルヴィスのヒット曲(1965年AC 1位/Pop 3位)として有名ですが、他にも何人かの歌手によってヒットしています。ここでは、黒人Pop歌手、Adam Wade(1937年ペンシルバニア州生まれ)盤を紹介しておきます。

「LonesomeとLonely」
●Lonesome Town Ricky Nelson (1959年Pop 9位)
●Only the Lonely Roy Orbison(1960年 Pop 2位/RB 14位)
●Lonely Teenager Dion(1960年Pop 12位)
●L-O-N-E-L-Y Bobby Vinton (1965年AC 7位/Pop 22位)
「Mr.ロンリー」と言えば、むろんボビー・ヴィントン。No.1ヒット「Mr. Lonely」も、この曲も、彼自身の作品です。

最後に「ブルー」
●Blue Train(of the Heartbreak Line) John D. Loudermilk (1964年CW 44位/Pop 132位)
「Mr.ブルー」も、ボビー・ヴィントン(「Blue on Blue」「Blue Velvet」)とロイ・オービソン(「Blue Angel」「Blue Bayou」)で決まりなわけですが、ここでは僕が敬愛する、シンガーソングライターJohn D. Loudermilk(1934年ノースカロライナ州生まれ)のこの曲を。明るく軽快な“失恋”カントリーナンバー。You-tudeで聴くことが出来ます。

ちなみに、僕がラウダーミルクの最高傑作と思っているのが「Broun Girl」(全曲ほぼ語りです)。好きなのは、ジョニーに提供した「That’s Love」、それにマリアンヌ・フェイスフルの大ヒット曲「可愛い小鳥/This Little Bird」(1965年AC 6位/Pop 32位)も外せません。

You-tubeで聴くことの出来るLoudermilkの唄は、ほかに、初期R&Rナンバーの「バルコニーに座って/Sitting in the Balcony」(1957年Pop 38位)や、最近のライブからの映像「Break My Mind」など。一押しは、曲はもちろん、映像が最高に素晴らしい「Language of Love」(1961年Pop 32位)、ぜひ皆さんもチェックして下さい、気に入って頂けること請け合いです。

You-tubeの話題のついでに、You-tubeで見付けた、その他の気に行った曲を、幾つか紹介しておきましょう。「Blue Train」と同じ列車もので、Bente Lind(1948年生まれの女性シンガー)の「South Going Train」。文句なく楽しい曲、やはり映像が素敵です。

曲名にLonesomeとCryの両方が入っているのが、ジョニーのヒット曲のひとつでもある、ハンク・ウイリアムスの名曲「I’m So Lonesome I Could Cry/泣きたい程の淋しさだ」。さらに、ハンクの相棒、フレッド・ローズの作品で、むろんハンクも唄っている「Blue Eyes Crying in the Rain」、こちらはBlueとCryingが共に曲名に入っています。You-tubeで見つけたのは、ジョニーも唄っているこの曲と、やはりジョニーのヒット曲のひとつでもあるカントリークラシック「Heartaches By the Number」を唄っている、12歳(現在14歳)の少女カントリーシンガー、Kayla Patrickの弾き語り映像。大袈裟に言えば、アメリカ版「浪曲子守唄/一節太郎:唄」とも言えそうな(笑)歌詞内容の「Heartaches By the Number」を、12歳の女の子が唄う、そのアンバラスな魅力に、嵌まってしまっています。もう、メロメロです。いや、断じてロリコンではないんですよ(汗)。




≪2010.5.5 雲南省下庄~祥雲≫








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