青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

「現代ビジネス」アジサイ(繍球)記事と、オリジナル記事について の続き

2018-06-16 21:40:03 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


≪ⅠB≫(初期原稿のひとつ・後半)

アジサイの歴史が変わるかも知れない

筆者は中学を中退して以来(少年時代は、元祖不登校児で、部屋に引き籠ってアメリカンポップスを聞いているか、でなければ日本アルプスの稜線でテント暮らし)、野生生物の撮影のため日本の山々を駆け巡ってきました。ですが、この30年余は、主に海外、中でも中国を主要活動拠点としています。

誤解なきよう言っておくと、筆者は中国が大嫌いです。中国滞在中は、一日に100回はブチ切れています。なのになぜ中国で活動を続けているのかと言えば、それは日本の自然の成り立ちの根源を探りたいからです。対象は世界中に及びますが、中でも中国の自然の探求は絶対不可欠です。

たかだか数万年の歴史しかない現代人類と違って、多くの野生生物たちは、数百万年以上の時間単位で今に至るまで存在し続けているのです。その実態を知るためには、「日本」とか「韓国」とか「中国」とかの小さな枠に捉われていてはなりません。

主な材料は、チョウとセミと一部の植物。チョウは雄の生殖器(ペニスとその周辺部)、セミは鳴き声様式、植物は雌蕊(主体は子房で花後に種子が入った果物などになる部分)の構造が、それぞれ最も重要な比較形質となります。

野生生物たちにとって、外観は洋服みたいなものです。色とか形とか大きさとかは、周囲の環境に適応して、すぐに変わってしまいます。系統的な繫がりを知るためには、外からの影響ではなかなか変わらない部分を比較のための指標形質としなくてはなりません。言い換えれば、違いの程度が時間を測る物差しになりうる安定した形質です。外観による先入観を一切排除した基本構造の解析は、DNAの解析と、概ね共通の結果を示します。

自然界においては、往々にして、そっくりなもの同士が別の仲間で、全然似ていないものが同じ仲間だったりします(一例として、アジサイらしからぬアジサイと、まるでアジサイのようなアジサイでない植物を紹介しておきます)。

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3

4

5

6



どれがアジサイでしょう?
【答】
上段(1,2):ハエドクソウ科ガマズミ属
中段(3,4):アジサイ科アジサイ属(左:バイカアマチャ、右:イワガラミ)
下段(5,6):シソ科クサギ属

しかし、世間(人間社会)にとっては、「似ているものは同じ」「外観が異なれば違う」という、安易な判断が主体を成しるように思えます。どうやら「物事を深く追及する」ことは、日本人の美学に反するようなのです。




野生アジサイのいろいろ

アジサイの分類も例外ではなく、極めて安易な(非科学的と言っても良い)分類体系が、未だにまかり通っているのです。

アジサイ科は、以前はユキノシタ科に所属していました。しかしDNAの解析結果から、ユキノシタ科とは縁もゆかりもなく、ミヅキ科に近い仲間であることが判明しました。

大きく2つの亜科に分かれます。ウツギ亜科とアジサイ亜科です。アジサイ亜科には、大多数を占めるアジサイ属のほかに、少数の種からなる15の属があります。それらの属の種は、外観が(旧来の)アジサイ属 とは大きく異なるため、それぞれ独自の属に分けられているのです。

しかし、基本的な形態比較によっても、DNAの解析によっても、いずれの属の種もアジサイ属の種と変わらないことが証明されました。従って、アジサイ亜科に所属する全ての種がアジサイ属一属に含まれることになります(まだ正式な手続きは行われれていません)。 

筆者は、そのうえで、元からアジサイ属に含まれていた種も、別の属に分けられていた種も、一度「ガラガラポン」と最初から組み直して、2つのグループに振り分けることにしました。筆者の独断で(便宜的に)それぞれを「コアジサイ亜属」「オオアジサイ亜属」とします。

簡単に言えば、前回紹介した、園芸植物としてのアジサイの基になったヤマアジサイや、それに近縁なガクウツギ、コアジサイなどをコアジサイ亜科、それ以外の多数の種(日本産は、ノリウツギ、イワガラミ、ゴトウヅル、バイカアマチャ、ヤハズアジサイ、タマアジサイ、ギンバイソウ、クサアジサイなど10種前後)をオオアジサイ亜属としました。

アジサイ属全体種の種数は、研究者によって異なります。多く見積もって100種ぐらい、少なく見積れば20種ほど(筆者の見解は後者に近い)。9割以上が、日本列島(南西諸島を含む)、台湾、中国大陸南半部、ヒマラヤ地方東部に集中しています。一言で言えば、東アジアの生物です。他に、3種が北米、1~数種が南米、数種が熱帯アジアに分布しています。

ただし、ここで言う「種」とは、生物学的な分類基準における種です。ほとんど筆者のオリジナルと言ってもよさそうな処置で、おそらく大多数の人の概念にある「アジサイの種類」とは全く異なると思います。一般にいう(無数ともいえるアジサイの種類=品種)は、生物学的な分類基準では、全てヤマアジサイという一つの種に含まれます(オオアジサイ亜属に所属するアメリカ産2種が園芸植物として普及しているので、それを加えることもあります)。

ヤマアジサイは、ほぼ日本の固有種です。北海道~九州と周辺の島嶼、および朝鮮半島南端部と済州島のほか、中国大陸(東南部)にも分布するとされています。しかし古い時代に日本から渡来した栽培個体が、逸出して野生化している可能性もあります。事実関係は未解明です。

ただし、中国での分布地(中国の文献では複数の独立種に分けられています)の一か所は、上海の南西の天目山系で、ここには、日本固有種とされているスギが野生(ヤマアジサイ同様、本当に在来野生かどうかは未解明)し、ウツギ亜科の一員で日本の紀伊半島~九州および朝鮮半島の一部に分布するキレンゲショウマが隔離分布していることや、日本では高山蝶の一員として扱われるクモマツマキチョウの仲間が亜熱帯(屋久島と同緯度)の菜の花畑を飛んでいることなど、不思議な地域です。


ということで、中国には日本のヤマアジサイの野性は(ほとんど)見られないのですが、それに代わって、ヤマアジサイ同様にカラフルな外観の“アスペラ”(筆者はオオアジサイと呼んでいます)の仲間が、中国大陸の南半部に、ごく普通に見られます(台湾にも分布しますが、日本には分布していません)。日本の山地帯では7月に咲くヤマアジサイより、さらに遅れて8月に開花します。外観はヤマアジサイに非常に良く似ているのですが、血縁は遠く離れていて、ヤマアジサイが所属するコアジサイ亜属ではなく、オオアジサイ亜属に所属します。



オオアジサイの一種               


オオアジサイの一種


中国各地でポピュラーなオオアジサイ亜属の野性種には、もう一種、ノリウツギがあります。日本の各地でも、ごく普通に見られます。白花で、通常花序が円錐状になることから、他のアジサイとは区別が容易ですが、高地性(中国西南部の標高3000m前後に分布)の近縁種ミヤマアジサイ[仮称]では花序が平開し、一見しただけでは、次に紹介するコアジサイ亜属のカラコンテリギやヤマアジサイの白花個体と、区別がつきません(正常花の構造はもちろん異なる)。


ノリウツギ                    


ミヤマアジサイ


中国大陸のヤマアジサイの仲間

それでは、中国大陸では、園芸アジサイやヤマアジサイなどと同じコアジサイ亜属の種は、普通に見ることは出来ないのでしょうか?

オオアジサイやノリウツギと共に中国大陸の南半部に広く分布しているジョウザンが、中国のコアジサイ亜属の代表です(日本には分布しない)。血縁の離れたオオアジサイがヤマアジサイに類似しているのとは逆に、ヤマアジサイに近縁なジョウザンは、見かけが随分異なります。装飾花を欠き、(他のアジサイ類では乾いた実となる)果実が鮮やかな青や紫色に熟すなどの、外観の著しい差異から、通常はアジサイ属に含まれず、ジョウザン属とされています。しかし実際の血縁はヤマアジサイやガクウツギの仲間に非常に近く、雑種も形成されます。アジサイ属のなかでは数少ない、熱帯アジアに進出した種です。


ジョウザン                  


ジョウザン


中国に於いて「中国繍球(繍球はアジサイの中国名、すなわち“中国アジサイ”)」と呼ばれるのは、ガクウツギやトカラアジサイにごく近縁なカラコンテリギです。名前からすれば中国を代表するアジサイのように感じますが、実際は、広西壮族自治区北部から上記天目山系にかけての中国東南部の山々にのみ、断片的に分布しています。ことに桂林北郊の標高1000m前後の山中では、4月下旬から6月上旬にかけて、緑の山肌を純白の炎を放つように覆い尽くします。日本西部の西部から南西諸島に分布する、ガクウツギ、ヤクシマコンテリギ、トカラアジサイなどに非常に近縁な種で、それら全てを一つの種に収斂してカラコンテリギとする場合もあります。雲南省とその周辺山地に分布するユンナンアジサイは、正常花弁や雄蕊の葯が紫色帯びることが多いのですが、この特徴はカラコンテリギにも連続して現れ、やはり同一種として扱うことも可能だと思います。ちなみに中国の図鑑など大半の文献で紹介されているユンナンアジサイの写真は、オオアジサイの仲間などとの誤認です。


カラコンテリギ                


ユンナンアジサイ


ジョウザン同様に装飾花を欠くもう一つの群に、コバナアジサイ[仮称]類があります。カラコンテリギの分布域とほぼ平行してやや海側寄りの山地に断片的に分布しています。装飾花を欠くことを別にすれば、ヤマアジサイとガクウツギ類の中間的な形質を示します。これによく似て、さらに地味で小さな種が、沖縄本島の与那覇岳山頂付近に希少分布しています(リュウキュウコンテリギ)。

ヤマアジサイ自体は中国での分布の真否は不確かで、筆者がチェックした昆明の植物園の標本館に所蔵されている数千枚の野生アジサイ標本の中にも見だすことが出来ませんでした。しかし、葉のイメージが全く異なる(ヤナギやキョウチクトウのように細長い)ヤナギバハナアジサイ[仮称]の正常花の構造が、ヤマアジサイと一致することを突き止めました。そして、古い標本のラベルに示された広西西北部の九万大山を訪れ、野生の花を探し当てることが出来ました(広東省北部や江西省西部にも分布しているようです)。

興味深いのは、ヤナギバハナアジサイの生育地には、すぐ隣の山には数多く見ることが出来るカラコンテリギも、その南東側に分布するコバナアジサイも、見られなかったことです(ジョウザンとは混在している)。


ヤナギバハナアジサイ              


正常花(両性花)が散ったあと子房の柱頭が目立つ


もう一つのアジサイのルーツ

実は、中国には、野生のヤマアジサイの分布地がもう一か所あるとされています。日本から遠く離れた雲南最西北部の独龍江流域(ミヤンマー北部、インドアッサム地方に至る〉。通常ヤマアジサイの一変種として扱われ、“スティロサ”と呼ばれています。日本のヤマアジサイと同じ(または非常に近縁な)種が、日本から遥かに離れた地域に分布していることになります。

しかし実態は不明で、図鑑やインターネットで調べることの出来る“スティロサ”の写真は、やはりオオアジサイやユンナンアジサイとの誤認がほとんどです。

確かにこの辺りにヤマアジサイまたは非常に近縁な種が存在するらしいことは、確かなようなのです。インドのアッサム地方やミャンマーの奥地は、今では大変な秘境であるのですが、かつては大英帝国の植民地の一つであり、日本のヤマアジサイ同様に、かなりの古い時代から文献上の記録が示されています。もし、この一帯に「もうひとつのヤマアジサイ」が在来分布していたなら、数多くの園芸アジサイのなかには、こちらが親となっている品種もあるかも知れません。

そのような思いもあって、比較的最近アメリカやヨーロッパの研究者たちの手でなされた、アジサイ亜科全体のDNA解析を改めてチェックしてみました(材料の多くは野生株でなく愛好家が育てた栽培株のようです)。いやもう、びっくりしました。ほとんどの種の系統的な位置づけは、基本形態の比較を基にした分類と軌を一にするのですが、“スティロサ”はヤマアジサイと同じ種どころか、(同じコアジサイ亜属の範疇には含まれるとしても)最も遠い位置、すなわちコアジサイ亜属の最も基幹的な部分に置かれているのです。
何かの手違いとしか思えません。実際、筆者だけでなく、幾らかでもアジサイの分類に興味のある誰も(おそらく等の報告者たちも)が、そう思ったでしょう。でも、実は間違いではなかった。

この解析表の同じ位置には、“スティロサ”と共に、筆者の知らない種、“インドシネンシス”がゼットになって示されています。中国雲南省南部とベトナム北部から記録され、通常“スティロサ”と共に種としてはヤマアジサイに含められているらしく、中国科学院の纏めた「フロラ・オブ・チャイナ」のアジサイの巻にも紹介されていません。

記載はされたものの、おそらく誰もが独立種とは認知しなかったのかも知れません。園芸アジサイの品種の紹介には、ヤマアジサイの一品種として、イギリスやニュージーランドの植物園で育てられた個体を基にカタログなどに登場しているようですが、生物学的な立場の文献には(おそらく“スティロサ”ともどもヤマアジサイのシノニム=異名同物と見做されて)名前が登場することはなかった。その栽培個体のDNAを解析したところ、意外なことにヤマアジサイどころか、カラコンテリギやコアジサイやジョウザンなどを含むヤマアジサイのグループ(コアジサイ亜属)の中で、最も祖先的な位置に示されてしまったのです。

昨年、筆者は偶然この植物に出会いました。雲南省との境付近に聳えるベトナム最高峰ファンシーファン山。
あとでわかったのですが、100年ほど前に最初の記載されたのも、同じ山中の個体なのです。

原生林の中の急斜面を流れ落ちる渓流の最上流部に生える野生株に最初に出会ったとき、カラコンテリギ(あるいはそれに近縁なユンナンアジサイ)だろうと思いました。全体の印象はカラコンテリギと共通しますが、しかしそれにしては正常花が鮮やかな青色をしています。花序の付き方もヤマアジサイ的な傾向がある。子房の形を調べればどちらにより近いか分かるだろうと、ルーペを取り出して小さな花の中を覗きました。

なんと!子房(そこから伸びる花柱も)がない! そんなバカな! でも、ひとつのことを思い出しました。“スティロサ”や“インドシネンシス”と共に、上記のDNA解析でコアジサイ亜属の最も基幹的位置に置かれている種がもう一つあって、ハワイ諸島固有種のハワイアジサイ(装飾花を欠き外観はジョウザンに似ています)です。この種は、雌蕊と雄蕊が同じ一つの正常花(両性花)の中に存在するアジサイ亜科の中にあって、唯一雌雄同株(雄蕊と雌蕊は別の株に咲く別の花に存在)の種であることが確かめれれています。 
唯一、雌雄異株なのです。

ということは、DNA解析で最も祖先的に位置付けられる“スティロサ”や“インドネンシス(アオメコンテリギ[仮称])”も、ハワイアジサイ同様に雌雄異株であっても不思議ではありません。少なくても、中国雲南とインドシナ半島の境界山地の周辺に、ヤマアジサイにそっくりの、かつ極めて原始的な種が存在しているのです。もしかすると、日本起源中国経由の園芸アジサイとは別に、全く別経路で成り立つ園芸アジサイが存在している可能性もあります。今後、アジサイの歴史が塗り替えられる時が来るかも知れません。

 
アオメコンテリギ


正常花が散ったあと(左端と右端)残るのはガク片だけ


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≪Ⅱ≫(後期原稿のひとつ)

アジサイのことを、どれだけ知っていますか?

6月の花といえばアジサイ。4月の花サクラ(ソメイヨシノ)が、私たちに身近な園芸植物のほとんどが外国からの導入種という中にあって、珍しく日本が原産であることを、以前に紹介しました。アジサイも、その稀有な例の一つです。

アジサイには、3つの「種類」(「世界」と置き換えても良い)があります。

1「園芸植物」としてのアジサイ。
庭やお寺や街角で見かける、私たちが普段アジサイとして認識しているものです。人間が作った、自然界には存在しない植物で、花屋さんで売っています。無数と言って良い品種があります。

2「栽培植物」としてのアジサイ。
愛好家やマニアが、変わった色や形の野性株を山から採ってきて、自分の家の庭で手塩にかけて育てています。品評会があったり、販売組織があったりします。やはり無数の品種があります。

3「野生植物」としてのアジサイ。
人間の都合とはかかわりなく、地球上に人類が登場する遥かに以前から存在しています。世界に20~100種ほど(研究者ごとに種の数え方が異なる)が分布しています。

愛好家でなくとも、ほとんどの日本人が、何らかの形でアジサイに関心(好感)を持っていると思います。アジサイに関する本も、山のようにあります。しかし、それほど身近な存在であるにも関わらず、生物学的な立場から見た「アジサイとはなにか」に応え得る資料は、ほとんどありません。見掛けの変異に対する品種の命名が膨大な量で行われているのに相反して、系統的な分類は全くといって良いほど手が付けられていないのです。


アジサイの日本における普及はごく最近のこと

園芸植物としてのアジサイは、日本本土に広く分布するヤマアジサイの伊豆諸島周辺地域産集団を起源とします。園芸のサクラ(ソメイヨシノ)が伊豆諸島周辺地域産の(広義にはヤマザクラに含まれる)オオシマザクラであることと軌を一にしますが、野生-改良-普及が国内で完結しているサクラと違い、アジサイは少々事情が異なります。

まず、古い時代に中国に渡り、18世紀の末頃、中国からヨーロッパに紹介され、そこで積極的な改良がなされ多様な品種が誕生しました。欧米では園芸植物は大きくてカラフルで派手であればあるほど人々に好まれます。昭和も半ば頃になって、日本起源のアジサイは、豪華絢爛に変身して里帰りしたのです。そして、日本文化の代表の一つとして社寺などに植えられています(それ以前は、どちらかと言えば負の存在で、日本の文化に積極的に受けいられることはなかったようです)。

人々の間に普及するということは、花の見栄えを良くするということです。ですので、アジサイの「花」について簡単に説明しておきましょう。手毬のような形の一般にアジサイの花とみなされている部分は、花の集まりで「花序」と言います。それを構成する一つ一つが花である、と言いたいところですが、それも花ではありません。いわゆる一般のアジサイには、花がないのです。

花に見える3~5枚の花弁のようなものは花の外側のガク片に相当する、いわば偽の花で、「装飾花」と呼びます。その部分を強調し、やがて偽物の花だけで成り立つ園芸植物のアジサイが出現したわけです(装飾花と本物の花の組み合わせの園芸種もあります)。

中央部に集まる小さな本物の花は、正常花(生殖機能がある)、中性花(一つの花の中に雄蕊と雌蕊が共存)などと呼ばれます。生物学的な分類にはこの部分の構造比較が最重要なのですが、アジサイ愛好家や業者は無視しています。そして謂わば着飾った服に過ぎない(生物学的分類には全く無意味と言って良い)偽の花である装飾花の色や形にひたすら注目し、より魅力的なものにしようと努力を重ねているのです。


サクラやアジサイを愛でる日本の文化を、何の疑いもなく称賛するだけで良いのでしょうか?

日本の南西諸島には、純白の野生アジサイが分布しています。屋久島のヤクシマコンテリギ、三島列島・口永良部島・トカラ列島・徳之島・沖永良部島・伊平屋島に分布するトカラアジサイ(島ごとに葉や花に特徴があります)、石垣島・西表島のヤエヤマコンテリギです。

ヤクシマコンテリギは、屋久島を代表する素晴らしい花の一つですが、権威のある研究者がトカラアジサイと同一種と見做したため、公式には固有種とされていません。それに麓の至る所に生えているので、有難みに欠けます。ちょうど世界遺産に登録された頃のことです。山の入り口に当たる道路沿いに環境省や県の自然館などの大きな建物が立てられ、道路の両側を覆っていた野生のヤクシマコンテリギが全て引っこ抜かれてしまいました。そして、観光の目玉にと島外から導入した色鮮やかな園芸アジサイに置き換えられてしまったのです。

サクラのところでも違和感を覚えたのですが、次のようなコメントが多く見られました。「日本人は、植えた桜を手塩にかけて大事に育て、花の時期には侘び寂びを楽しむ、それは隣国(K/C)の人々には、とても真似のできない素晴らしい美点であり、桜の話をするならば、その歴史を強調すれば良いのであって、野生とか由来とかの話はどうでも良い」。人間の作り出した(疑似)自然にだけ愛情を育み、元からあった自然に対しては、(それが固有種とか絶滅危惧種とかならともかく)なんだか、ものすごく冷淡。

見る角度を変えれば「日本人の美徳」は、いかにも自分勝手で、決して自慢できるような物ではないような気がします。


幻のヤナギバハナアジサイを探しに行く

純白のトカラアジサイやヤクシマコンテリギの仲間は、南西諸島のほか、日本本土(ガクウツギとコガクウツギ)や台湾や中国大陸(カラコンテリギ“中国繍球”とユンナンアジサイ)にも分布していますが、色彩豊かな装飾花を持つ園芸アジサイの基となったヤマアジサイは、ほぼ日本の固有種です。北海道~九州と周辺の島嶼、および朝鮮半島南端部と済州島。中国大陸にも分布するとされていますが、古い時代に日本から渡来した栽培個体が、逸出して野生化している可能性もあり、事実関係は未解明です。

筆者は数年前、雲南昆明の植物園の標本館に3日間かけて泊まり込んで、数千枚のアジサイ標本を全て調べました。しかし、日本の「ヤマアジサイ」と同じ中国産野生種は一枚も見つけることが出来なかった。ラベルに「ヤマアジサイ(またはそれに近縁な中国固有種)」として記されているのは、全く別グループの種との誤認です。

野生生物では「外見」と「血縁」が相反する場合がしばしばあります。アジサイも例外ではありません。中国には日本のヤマアジサイに似た“アスペラ”(筆者はオオアジサイと呼称しています)と呼ばれる野生アジサイが各地で普通に見ることが出来ますが、これは「他人の空似」でヤマアジサイとは血縁が遠く離れたグループに属しています。

古い標本が多いので、花の色は落ちています。分類の決め手になるのは、花序の付き方と雌蕊の構造です。ルーペを使って一枚一枚チェック行ったところ、ある一つの標本が目に留まりました。葉のイメージが他のアジサイと全く異なる(ヤナギやキョウチクトウのように細長い)“グアンシーエンシス”という種の正常花の構造が、ヤマアジサイと一致することを突き止めたのです。

ラベルに示された広西壮族自治区西北部の山岳地帯を訪れることにしました。そこは、筆者の主要フィールドの一つ、桂林北方の「花坪原始森林」のすぐ近くです。その一帯には、白い花が美しいカラコンテリギ(中国繍球)が咲き誇っているはずです。ラベルに記された日付けは、カラコンテリギの開花盛期(4~5月)のずっと後の7月で、筆者が訪れたのは7月上旬。日本のヤマアジサイの開花期も同じ頃ですから、ラベルの情報が正確なら、咲き古したカラコンテリギの花に混じって咲く(色は不明としても)新鮮な花を見つけ出せば良いのです。

深圳から、夜行列車と長距離バスとローカルバスに乗り継ぎ、最奥の町からさらに峠を越えて隣町に向かう一日一本の村営バスに乗って、3日目のお昼に峠の頂上に着きました。ここでバスを乗り捨て、ラベルに記されていた峠下の村落まで歩くことにします。

意外なことに、すぐ東隣の山々には沢山生えているカラコンテリギが全く見当たりません。少々不安になってきた頃、原生林の渓流脇に、日本のヤマアジサイと同じ色調の鮮やかな青い花を見つけました。ルーペを取り出して、雌しべの構造を調べます。ヤマアジサイと全く同じです。

でも、葉の様子は、どこからどう見てもアジサイとは思えません。もし花がなければ、絶対に分かりはしなかったでしょう。「ヤナギバハナアジサイ」と名づけました。ヤマアジサイに最も近い血縁の中国産の種が、この「ヤナギバハナアジサイ」というわけです。


もう一つのアジサイのルーツ~アジサイの歴史が変わるかも知れない

実は、中国には野生のヤマアジサイの分布地がもう一か所あるとされています。雲南省最西北部独龍江流域。そこから、ミャンマーの奥地を経てインドのアッサム地方やブータンなどにかけてに分布する「独龍繍球」という種です。この種は、日本のヤマアジサイとほぼ見分けがつかず、研究者によっては、ヤマアジサイと同じものとされてきました。ヤマアジサイと同じ(または非常に近縁な)種が、遥か離れた地に分布していることになります。

改めてアジサイ属全体のDNA解析をチェックしてみました。ほとんどの種の系統的な位置づけは、基本形態の比較を基にした分類と軌を一にするのですが、“独龍繍球”は、ヤマアジサイと同じ種どころか、最も遠い位置、すなわちこの仲間(広義のヤマアジサイの一群)の最も基幹的な部分に置かれているのです。

“独龍繍球”と共に“インドシネンシス”という種がセットになって示されています。中国科学院の纏めた「フロラ・オブ・チャイナ」のアジサイの巻にも紹介されていない謎の種です。数十年前に中国雲南省南部とベトナム北部から記録されたものの、やはりヤマアジサイのシノニム(異名同物)と見做されて、誰もが独立種とは認知しなかったのかも知れません。しかし、遠く離れたニュージーランドの植物園で育てられていた個体のDNAを解析したところ、上記のような意外な答が示されたわけです。

筆者は雲南省との境付近に聳えるベトナム最高峰のファンシーパン山で、偶然この植物に出会いました。この山は、かつてベトナムを植民地化していたフランス人たちの避暑地として発展した少数民族の町・サパの背後に聳えています。白い花のカラコンテリギ(中国繍球)は、中国南部や台湾のほかに、このベトナムのサパからも記録があるのです。筆者は10数年前から何度もこの地を訪れています。カラコンテリギならば、標高700m付近から1500m付近に生育しています。筆者の行動範囲と、ちょうど一致しますが、これまで出会うことはありませんでした。

記録の間違いかも知れませんし、(標高3143mの)この山では、もっと高いところに生えているのかも知れません。昨年、頂上付近を探索することにしました。山腹に発達する熱帯雨林を、野宿をしつつ3日間探し続け、やっとカラコンテリギらしき植物に出会いました。

原生林の中の急斜面を流れ落ちる渓流の最上流部に生える野生株は、全体の印象がカラコンテリギと共通しますが、それにしては正常花が鮮やかな青色をしています。花序の付き方もヤマアジサイ的な傾向がある。雌しべの形を調べればどちらにより近いか分かるだろうと、ルーペを取り出して小さな花の中を覗きました。

なんと!雌しべがない! そんなバカな! でも、ひとつのことを思い出しました。独龍繍球や“インドシネンシス”と共に、上記のDNA解析ではヤマアジサイの一群の最も基幹的位置に示されている種がもう一つあって、ハワイ諸島固有種のハワイアジサイです。この種は、雌蕊と雄蕊が同じ一つの正常花(両性花)の中に存在するアジサイ亜科の中で、唯一雌雄異株(雄蕊と雌蕊は別の株に咲く別の花に存在)の種であることが確かめられています。ということは“インドシネンシス”も、ハワイアジサイ同様に雌雄異株であっても不思議ではありません。あるいは、雌しべはあるけれども、他の種のように花柱などが全く発達せず、機能的にも特殊なのかも知れません。

この花は、カラコンテリギでもヤマアジサイでもなく、それらの祖先的な位置づけにある、幻の“インドシネンシス”なのでした(ニュージーランドの植物園での栽培個体とも一致)。全体の様子がカラコンテリギやヤクシマコンテリギに似ていること、装飾花の中央の「眼」と呼ばれる部分と正常花の花弁が鮮やかな青色をしていることから「アオメコンテリギ(碧眼繍球)」と名付けておきます。

雲南省に近いインドのアッサム地方やミャンマーの奥地は、今では大変な秘境なのですが、かつては大英帝国の植民地でした。ベトナムは現在アジサイ改良の中心地となっているフランスの植民地でした。

もしかすると、日本起源中国経由の園芸アジサイとは別に、独龍繍球やアオメコンテリギ起源の、(雲南西部、インドシナ半島北部、インド東北部などの素材による)全く別経路で成り立つ園芸アジサイが存在している可能性もあります。今後、アジサイの歴史が塗り替えられる時が来るかも知れないのです。


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「現代ビジネス」アジサイ(繍球)記事と、オリジナル記事について

2018-06-16 20:55:40 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


梅雨の風物詩「アジサイ」は、実は生物学的に謎だらけだった

5月は、結局、掲載ゼロです。編集U氏からは、ほぼ毎日のように「来週掲載するから待って」「明日リライトを送るから」の繰り返し。いつものことだけれど、今回は余りに永すぎます。

一回の稿料3万円は、僕にとっては大金です(月の生活費・経費の1/3ほど)。命綱と言って良いのです。
それを貰うためには、T大卒エリートの、大出版社の若き編集氏に、いくら理不尽な思いがあろうが、逆らうわけにはいきません。

当初は、これまでのように、30年間の日中往復の間で感じた「中国人と日本人の文化の違い」を、敢えて「子供の日記風」に、ゆる~く書き記していこうと考えていたのです。

読者には、非常に人気を得てるようです。でも、いろいろ「大人の事情」があるらしく、「現代ビジネス」という「お金儲け」の為のメディアの中で、「貧乏でも平気」という話題を続けることは、抵抗感(「読者」というよりも「対中国日本人論客」や「クライアント」の間で?)を生み出しているのではないかと想像しています。

ことに「深圳」持ち上げ?(深圳のまるで未来都市のような超近代化に対しての多くの日本人の新鮮な驚き)記事が一気に氾濫しつつある中で、30年間深圳に携わる人間として、「それは表面的な印象に過ぎないよ!実態はいろいろと複雑」と冷めた目で水を差すことに、論客たちから反感を覚えられている可能性があります。

前回アップのすぐ後の4月26日は、筆者の70歳の誕生日でした。それで、(「逮捕」の記事の次は)その時の出来事を書こうと思ったのです。モニカと一緒に、僕のバースデイケーキを買いに、町のスーパーに出かけた時のことです。

中国人が、いかにドジで間抜けで、デリカシーに全く欠けた出鱈目限りない民度の低い人種であるかを、モニカの行動を観察しつつ証明していこうと(笑)。

と同時に、(日本文化が大嫌いなモニカが)深い部分では日本人を尊敬し、年長者を敬い、僕に対して最大限の敬意を払ってくれていることも、よくわかるのです。

モニカの想いを借りて、中国人たちの日本に対する想いの深層を、日本の人々に伝えようと、、、。中々の自信作に仕上がったと思っています。

しかし、「現代ビジネスの読者に対しては幼稚すぎる記事」ということで、掲載直前にボツになってしまいました。

それで、テーマを変えて、以前から用意してあった(100編近くの原稿を編集部に送信済み)「中国の食べ物」についての記事(オリジナルは今年正月に執筆)にすることにしました。

大まかな内容は以下の通りです。

中国料理を美味しいとは思わない。
油まみれで、どれも(どの地方でも)同じ味だ。

でも、一生懸命作ってくれる。

どんな高級店でも、衛生面には問題がある。

僕は、必ずといって良いほど下痢をする。

でも中国人は平気。

日本人は免疫がないのでは?

清潔すぎるのも問題があると思う。

全ての生物は、他に対する防御のために、いわゆる毒物(薬物にも置き換わる)を内包している。もし、食物から全リスクを取り除こうとしたならば、やがて日本人はサプリメントだけに頼る民族となってしまうであろう。

これに、モニカによるレポートを付随(中国に対する懐疑)。
故郷の村の実態。汚染水で育てた野菜を市場に卸し、清冽な泉の水で作った野菜は自分たちの家庭で食べる。

それと、僕自身の体験(日本に対する懐疑)。
ある山の中で出会った老婆が、奇麗な水の飲めるところに山道を歩いて僕を案内してくれた。そこはオタマジャクシがいっぱい泳ぐ水溜り。老婆は「心配しなくて良い、この水は清冽よ!」と美味しそうに飲み干したが、僕は飲めなかった。日本人であることを恥ずかしく思った。

これも、掲載直前になってボツにされてしまいました。

それで、編集部の指示で、連載を始めた最初のテーマに戻って生物の話に再々転換。6月には「アジサイ」と「小笠原復帰50周年」をテーマに書くことになっていたので、早目に切り替えることにして、5月の中旬には両方を書き終え、送信しました。

6月に入ってすぐ(編集氏曰く、アジサイの話題は6月初めでなくてはならない)アップすることにしました。しかし、待っても待ってもリライトが届かない。

やっと連絡がきたと思えば「字数を減らせないか?(最初は字数には拘らずに書いてくれと言われていたのだけれど)」「話の脈絡が分からない(殊に分類に関わる面で)ところがある」「高名な執筆者の記事を先に載せねばならぬので、後回しにする、もう1日待ってくれ」。

一か月間、ずっとその繰り返しです。「今日は送るから」「明日こそ送る」という言葉を信じて、毎晩Wi-Fiが使えるスタバとマクドで、深夜までリライトが届くのを待機。

その間、オーバーではなく、数10回書き直した原稿を送信、そして「今晩リライトを送る、明後日アップ」が延々と続いたのち、やっと今日アップされたわけです。

一昨日には、虎の子の生活費を切り崩して、とんぼ返りで伊豆半島まで行ってきました(行きは新幹線、帰りは在来線)。野生のガクアジサイの撮影です(30年ぶりに北限自生地に行ってきた)。ガクアジサイの紹介は乗り気ではなかったのですけれど、「カラフルで一般によく知られたアジサイの写真も欲しい」と望んでいるらしい編集氏への忖度です。
 
届いたリライト原稿の最終チェックは、毎回基本的に(編集氏によるリライトにいくら不満があっても)ほぼ全面的に従い、大きな変更はしません。ただし、具体的な間違い箇所は指摘しておかねばならない。

今回は、以下の2か所(他にも多数訂正希望箇所はあったのだけれど、それらについては目を瞑ることにしました)。

●ユンナンアジサイの写真が何故か5枚のうち2枚も使われています。それは良いとしても本文にこの種の記述が一つもないのは、違和感を覚えます。それで、青網の部分を付け加えてください。
>純白のトカラアジサイやヤクシマコンテリギと同じ種は、中国大陸にも分布しています(カラコンテリギ)。
⇒純白のトカラアジサイやヤクシマコンテリギと同じ(または非常に近縁な)種は、中国大陸にも分布しています(カラコンテリギとユンナンアジサイ)。

●ここも、将来整合性が付かなくなってしまう可能性が、、、、(黄網をとり青網を加える)。
>筆者はこれを「ヤナギバハナアジサイ」と名づけました。これこそが、今まで見つかっていなかった、日本のヤマアジサイに最も近縁な中国産アジサイではないかとにらんでいます。
⇒筆者はこれを「ヤナギバハナアジサイ」と名づけました。これこそが、今まで見つかっていなかった、日本のヤマアジサイに最も近縁な中国産に自生するアジサイの一つではないかとにらんでいます。

直っていなかったですね(笑)。読者から何か指摘があっても僕の責任じゃないです(今回はまあまあですが、いつもタイトルについて「タイトルと記事の内容が違う」と読者からのクレームが来ます、タイトルは編集者が決めるので僕は関与していません)。

ということで、「あや子版」には、(削ったり再編したりして)100回近く書き直した草稿の幾つかを紹介しておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪ⅠA≫(初期原稿のひとつ・前半)

アジサイのことをどれほど知っていますか?

6月の花といえばアジサイ。4月の花サクラ(ソメイヨシノ)が、私たちに身近な園芸植物のほとんどが外国からの導入種という中にあって、珍しく日本が原産であることを、以前に紹介しました。アジサイも、その稀有な例の一つです。

アジサイには、3つの「種類」があります。

1「園芸植物」としてのアジサイ。
庭やお寺や街角で見かける、私たちが普段アジサイとして認識しているものです。人間が作った、自然界には存在しない植物で、花屋さんで売っています。経済的な価値があり「ビジネス」とも大いに繋がります。無数と言って良い品種があります。

園芸植物アジサイ


園芸植物アジサイ(セイヨウアジサイ)


園芸植物アジサイ(ガク花と手毬花)


2「栽培植物」としてのアジサイ。
愛好家やマニアが、変わった色や形の野性株を山から採ってきて、自分の家の庭で手塩にかけて育てています。品評会があったり、販売組織があったりします。個人間の取引で、1のような大規模な流通機関はありませんが「ビジネス」としては成り立つと思います。やはり無数の品種があります。

  

ヤマアジサイの一品種「ベニガク」


ヤマアジサイの一品種


ヤマアジサイとヤクシマコンテリギの雑種

3「野生植物」としてのアジサイ。
人間の都合とはかかわりなく、地球上に人類が登場する遥かに以前から存在しています。通常、山の中に慎ましく生えていて、2のような愛好家の対象にされる以外は、ほとんど知られることがありません。世界に20~100種ほど(研究者ごとに種の数え方が異なる)が分布しています。

   

ヤマアジサイ(エゾアジサイ)岩手
          

コアジサイ 山梨


トカラアジサイ 三島列島黒島

1と2は、それぞれ人間にとって需要があります。言い変えれば、人間の都合で存在しているわけです。従って「ビジネス」と成り得ます。3は一切人間の都合とは関係なく存在しているので、ビジネスとは無関係ですし、1の美麗さ絢爛さや2の侘び寂びも微塵もなく、一言で言えば役に立たない存在です。

「役に立たないものには無関心」。知人の大学教授が嘆いていました。最近の学生は応用科学ばかりを専攻して基礎学問に興味を示さない。

全国のアジサイの愛好家は、ものすごい数です。愛好家でなくとも、ほとんどの日本人が、何らかの形でアジサイに関心(好感)を持っていると思います。アジサイに関する本も、山のようにあります。

しかし、驚くべきことに、というか、これほど身近な存在であるにも関わらず、生物学的な立場から見た「アジサイとはなにか」に応え得る資料は、ほとんどありません。見掛けの変異に対する品種の命名が膨大な量で行われているのに相反して、系統的な分類は全くといって良いほど手が付けられていないのです。

どの生物の分野でも似たり寄ったりですが、アカデミックな研究者は、メジャーで愛好家の多い対象には、手を付けたがらない傾向があります。取り組むとしても、基礎的な系統分類ではなく、需要がたっぷり見込まれる世界(アジサイの場合は1や2)に限られます。

アジサイの日本における普及はごく最近のこと

ということで、あえて金儲けには「役に立たない」基礎的な情報を紹介していきます。ほとんど全ての日本人にとって極めて身近な存在ながら、誰一人知ることのない、アジサイの素性です。

一切の先入観を排し、筆者による基本形質分析と、最近のDNA解析結果を基に組み立てました。筆者のオリジナルであり、ほとんど全てのアジサイ解説書とは、大半の部分で重ならないと思います。アジサイ愛好家の人達が望むこと(いわば1や2の関連事項)は、何にも書いていません。でも、こうも考えて下さい。将来、人間生活の中でアジサイとより深く関わりあうために、基盤となる知識を改めて知っておいても損はない、と。

私たちに身近なアジサイは、園芸植物としてのアジサイ(1)です。その由来については、結構多くの方々がご存知でしょう。園芸アジサイ(園芸植物としてのいわゆるガクアジサイを含む)の基になったのは、日本本土に広く分布するヤマアジサイの伊豆諸島周辺地域産集団(通常、本土産とは別の種ガクアジサイとされますが、和名についての詳細は複雑な話になってくるので、ここではスルーします)です。

興味深いことに、園芸のサクラ(ソメイヨシノ)が伊豆諸島周辺地域産の(広義にはヤマザクラに含まれる)オオシマザクラであることと軌を一にします。しかし、野生-改良-普及が国内で完結しているサクラと違い、アジサイは少々事情が異なります。

まず、古い時代に一度中国に渡ります。それなりに中国の文化に溶け込み、園芸植物としての地位が確立したのちに、日本への里帰りもあったと思われます。しかし、どちらかと言えば負の存在で、日本の文化に積極的に受けいられることはなかったようです。

そして18世紀の末、中国からヨーロッパに紹介され、(良く知られている、シーボルトが愛人の名前を付けてヨーロッパに再度紹介したのは、その数10年後)そこで積極的な改良がなされ、多様な品種が誕生しました。欧米では園芸植物は大きくてカラフルで派手であればあるほど人々に好まれます。昭和も半ば頃になって、日本起源のアジサイは、豪華絢爛に変身して、里帰りしてきたのです。そして澄ました顔で、古くからの住民でございと、日本文化の代表の一つとして、社寺などに植えられているのです。

ここで、アジサイの「花」について簡単に説明しておきます。手毬のような形の一般にアジサイの花とみなされている部分は、花の集まりで「花序」と言います。それを構成する一つ一つが花である、と言いたいところですが、実はそれも花ではありません。いわゆる一般のアジサイには、花がないのです。

花に見える3~5枚の花弁のようなものは花の外側のガク片に相当する、いわば偽の花で、「装飾花」と呼びます。小さくて目立たない本物の花の周りに、虫を引き付けて花粉の媒体する目的で大きくて目立つ偽の花が形成されました。そこに人間が目をつけ、そこだけを強調し、やがて本物の花のない偽物の花だけで成り立つ園芸植物のアジサイが出現したわけです。

園芸アジサイのなかには、野生種と同様に花序の周りに装飾花、中央部に本物の花の集まり、という組み合わせのものもあって、ガクアジサイとよだれています。ヤマアジサイの一地域集団の伊豆諸島周辺に分布する野生ガクアジサイと一応同じものですが、存在の次元が異なり、園芸種はアジサイもガクアジサイも、基は野生のガクアジサイに由来しています。

中央部に集まる小さな本物の花は、正常花(生殖機能がある)、中性花(一つの花の中に雄蕊と雌蕊が共存する)、普通花などと呼ばれます。分類にはこの部分の構造比較(ルーペや顕微鏡を使わねばならない)が最重要なのですが、一般のアジサイ愛好家や業者は無視しています。そして単に着飾った服に過ぎない(生物学的にほとんど全く無意味と言って良い)偽の花である装飾花の色や形にひたすら注目し、(人間にとって)より魅力的なものにしようと、努力を重ねているのです。まあ、ビジネスに繋がるのだから仕方がないのですが。

侘び寂びの世界に繋がる日本のアジサイ文化

日本の各地に最も普遍的にみられる野生アジサイが、ヤマアジサイです。北海道から九州に至る日本本土のほぼ全域と周辺の島嶼、および朝鮮半島南端部と済州島に在来分布します(中国大陸の一部にも分布するという見解がありますが実態は良く解っていません)。



ヤマアジサイ 広島県恐羅漢山(関東地方のヤマアジサイより血縁的にはガクアジサイやエゾアジサイに近い?)

上記した、近年になってお寺や公園に里帰りし、日本の風景に溶け込んでいる園芸アジサイの基になったのは(種としては同じヤマアジサイに包括される)伊豆諸島周辺産ガクアジサイ(他に比べ葉や花が大きく剛健)ですが、愛好家たちが愛でるのは、ガクアジサイ以外の日本各地に野生するヤマアジサイのほうです。その花(装飾花)や葉の微妙な変異に注目し、侘び寂びの世界に没頭するのです。この風習は、園芸アジサイの普及の流れとは別個に、奈良時代頃から今に至るまで続いているようです。

そのような歴史があるにかかわらず、ヤマアジサイの生物学的な視点からによる分類は、ほとんど行われていません。慣例では、伊豆諸島周辺産を別種ガクアジサイ、北日本産を変種エゾアジサイ、そのほかをヤマアジサイ、それに茶飲料に利用するアマチャとか、九州産のヒュウガアジサイとか、数多くの変種を加えることもあります。

しかし、それらの分類は外観の印象に基づくものであり、一から分類体系を構築し直す必要があります。基礎形態の比較およびDNA解析に基づくと、従来ヤマアジサイとされていた集団は、遺伝的には多様な集団の混在であることが分かりました。一部のヤマアジサイ(おおむね本州西部や九州にみられる花色の鮮やかな集団)は、野生ガクアジサイや北日本のエゾアジサイと同じ一群、一方主に関東地方などにみられる白花の集団は、それらとは異なる血縁集団。ただし総合的な整理はまだ行われていず、よくわかっていないというのが現状です。

例えば四国。ここは特にヤマアジサイ愛好家が多い地域で、夫々の農家には山という山から採取されてきたヤマアジサイが育てられています。それぞれに自慢の品種名が付けられ、毎年各地で盛大な品評会が行われています。にもかかわらず、「四国のヤマアジサイとは何者か?」という基本的な事実の探求は、全く行われないでいるのです。実は四国のヤマアジサイのかなりの個体は、別の種であるガクウツギやコガクウツギとの交配起源である可能性を有しています(外観はヤマアジサイ、基本形質はガクウツギ類)。しかし、実態は全く不明です。

ヤマアジサイの仲間は、ヤマアジサイのほかに、コアジサイ、ガクウツギ、コガクウツギの3種が、日本の西半部(関東地方~九州)に分布します。ヤマアジサイの開花期は、低地では6下旬、山地では7月。同じ頃に咲くコアジサイは、装飾花を欠き、正常花だけで成っていますが、その分、鮮やかな青色の小さな正常花が目立ちます。


コアジサイ 山梨県櫛形山


ガクウツギ 大分県祖母山


サクラやアジサイを愛でる日本の文化を、何の疑いもなく称賛するだけで良いのでしょうか?

ガクウツギ(分布東限は高尾山)とコガクウツギ(同・伊豆半島)は純白の装飾花を持ち、疎らで片の大きさが歪です(両種の関係には不明な点が多い)。開花期は5月。

南西諸島にも、純白のガクウツギの仲間が分布します。屋久島の低地帯にはヤクシマコンテリギ(高地帯に
は分布南限のコガクウツギも観られ、場所によっては混在しますが、交配は行われていません)。屋久島を代表する素晴らしい花の一つです。

権威のある研究者が、ヤクシマコンテリギをトカラアジサイと同一種と見做したため、公式には固有種とされていません。それに固有種らしからぬ麓の至る所に普通に生えているので、有難みに欠けます。ちょうど世界遺産に登録された頃のことです。山の入り口に当たる道路脇に、環境省や県の自然館などに属する数件の大きな建物が立てられました。それから間もなくして、道路の両側を覆っていた野生のヤクシマコンテリギが全て引っこ抜かれてしまったのです。邪魔者の在来種を排除して、観光(これも自然保護?)の目玉にすべく、島外から導入した色鮮やかな園芸アジサイに全て置き換えられてしまったのです。

サクラのところでも違和感を感じたのですが、このようなコメントが多くを占めていました。日本人は、植えたサクラを手塩にかけて大事に育て、花の時期には侘び寂びを楽しみます、それは隣国(K/C)の人々には、とても真似のできない素晴らしい美点であり、その歴史を強調すれば良いのであって、野生とか由来とかの話はどうでも良い。

それ自体は確かにそうかも知れません。しかし、人間の作り出した(疑似)自然にだけ愛情を育み、元からあった自然に対しては、(それが固有種とか絶滅危惧種とかならそうでもないようだけれど)なんだか、ものすごく冷淡。見る角度を変えれば「日本人の美徳」は、いかにも自分勝手で、決して自慢できるような物ではないような気がします。

ヤクシマコンテリギとトカラアジサイを同一種とする案には、筆者も必ずしも反対ではありません。しかし それを慣行するならば、中国大陸産のカラコンテリギや日本本土のガクウツギなども包合する必要が出てきますます。そこまでの研究が成されていない現状では、とりあえずは別種としておくべきだと思います。同種か別種かはともかく、ヤクシマコンテリギは、トカラアジサイにない顕著な特徴を持っています。葉が紙質で、縁の切れ込みが著しく深く、先端が極めて細長く伸び、しばしば葉裏に濃い紫色の幻光を伴います。


ヤクシマコンテリギ 屋久島              


トカラアジサイ 口永良部島

屋久島の真西最短距離僅か12㎞には、火山島の口永良部島が浮かびます。距離的近くても、その生物相は屋久島とは大きく異なり、むしろ北の三島列島や南のトカラ列島と共通します。この島のトカラアジサイは、ヤクシマコンテリギと対照的に、葉が分厚い革質で光沢を持ち、葉裏に紫色の幻光はなく、代わりに葉表がしばしば紫色になります。これらの特徴は、トカラ列島口之島産など他のトカラアジサイとも共通します。

屋久島の西北62㎞の三島列島黒島は、以前「バラン」の項で紹介したような、独自の生物相を持っています。トカラアジサイは主に山上の原生林に生え、葉が革質であることなどは他の各地産と共通しますが、装飾花が極めて大きく、葉が極小さいのが特徴です。


トカラアジサイ 三島列島黒島             


トカラアジサイ トカラ列島口之島

屋久島の南西56㎞のトカラ列島口之島産トカラアジサイは、逆に巨大で丸味を帯びた葉をつけます(園芸アジサイと良く似ている)。黒島産同様、装飾花が極めて大きく、海岸沿い一周道路の周辺に、まるで人間が植えたかのような見事なアジサイ並木が見られます(島に放牧されている牛が食べ残したため)。

トカラアジサイは、その他のトカラ列島の島々や、奄美諸島の徳之島、沖永良部島、および沖縄本島北部のすぐ西にある伊平屋島に分布します。それぞれの島ごとに、顕著な特徴を持っています。ちなみに伊平屋島も不思議な島で、沖縄本島目と鼻の先に位置しながら、生物相は顕著に異なります。そして、ずっと離れた屋久島産と共通する植物が生えていたりします。


トカラアジサイ 伊平屋島               


ヤエヤマコンテリギ 西表島


南琉球の石垣島と西表島には、別種とされるヤエヤマコンテリギが分布しています。

トカラアジサイやその近縁種は、小さな島々を含む南西諸島の多くの島に分布しますが、屋久島を除く南西諸島ベスト3の面積をもつ、沖縄本島、奄美大島、種子島には、何故かこの仲間が分布していません。それぞれすぐ隣の、伊平屋島、徳之島、屋久島に普通に見られることを考えれば、不思議と言わざるを得ません。

台湾や中国大陸産のカラコンテリギ(中国繍球=繍球はアジサイの中国名)については、およびヤマアジサイの仲間以外のアジサイについては次回。





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「現代ビジネス」新着記事

2018-04-24 08:41:41 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

「現代ビジネス」新着記事
「中国人なら死刑だぞ」中国当局に捕まった私が生還できた理由


とりあえず、発表された記事そのものだけを紹介しておきます。元原稿はほぼこの2倍あり、「逮捕」のほかにも「遭難」の話にも触れています。編集者と話しあった結果、「逮捕」話だけを独立で掲載することにしました。僕としては不満なのですが、短くすることは(読者も読みやすいことでしょうから)一応賛成だし、従うことにしました。リライト(僅かな箇所)分の原稿は、その後訂正することなくそのまま掲載してくれたので、編集U氏には感謝しています。「遭難」の記事を伴ったオリジナルについては、改めてブログにアップする予定です。
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「ねとらぼ」のニュース紹介

2018-04-22 18:53:54 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史

↑これは素晴らしい記事ですね。ぜひ皆さんに読んで頂きたいです。目から鱗が落ちること必至です。(執筆者名は不明)

僕が以前何度もブログに紹介した(しかし誰一人注目してくれない)自分の未発表記事「逆・選挙の格差問題」のことを、これを目にすれば少しは理解いただけるのではないかと、、、。
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中国人にとっての「日本櫻花」

2018-04-02 14:00:15 | 「現代ビジネス」オリジナル記事


【生物地理の不思議シリーズ・6】


“桜”は、いつごろから、どのような経緯で、日本の文化の象徴となったのか? 
 ~実は、その歴史は、意外に新しいのです~

2018.3.22 記(オリジナル原稿) 2018.4.1掲載(「現代ビジネス」)

中国人にとっての「日本櫻花」

今年も、サクラの季節がやってきました。東京付近では、3月20日過ぎと、例年よりやや早めの開花が見込まれていたようなのですが、開花直前になって突然の春の雪に見舞われたことから、結局は例年とさほど変わらない開花時期に落ち着くようです。

近年は、桜を見るため、この時期になると大量の中国人が押しかけてきます。中国に於ける日本のサクラの人気は、それはもう凄まじいものです。
 
筆者は、日本と中国を行き来する生活をしています。中国人は、筆者が日本人だと分かると、真っ先に(ほとんど挨拶代わりに)サクラの話題を投げかけてきます。

「ルーベン(日本)・インファー(櫻花)・ヘン(とても)・ピャオリャン!(美しい)」

春節が終わる頃には、日本のサクラの話題で持ち切りになります。最近の中国人は、もしかすると大抵の日本人よりも、日本のサクラに詳しいかも知れません。ひと月以上も前から、開花時期の予想も頻繁に行われています。

日本に対してはネガティブ批判が多い中国ですが、ことサクラになると全面的な支持です。不思議に思うのは、何でも模倣する中国が、なぜかサクラだけは模倣しないのだろうということ。その気になれば、どこにでもいくらでも植えることは出来るのです。あえてそれをしない(積極的に力を注がない)理由は、「日本」と「サクラ」がセットになっている、という背景があります。

上に「桜花」と書いたけれど、正確には「日本櫻花」でセットの語になります。単に「桜花」だと、中国では食用のために栽培する「桜桃」(サクランボ)の花のことかも知れませんし、あるいは、正確には日本より遥かに種数の多い中国産野生サクラを指すのかも知れません。

筆者は、去年たまたまサクラの季節に中国から日本に帰って来て、真夜中に羽田空港に着きました。乗客は、ほぼ全員が中国人?どうやら日本人は僕一人のようです。

到着ゲート出たところで驚愕しました。ベンチや飲食店の周りがサクラのデコレーションで埋め尽くされて
いるのです。花を満載した本物の木を、水を湛えた大きな甕に差して、見事な景観を作っています。

日本人が特に喜ぶわけでもないと思うので、明らかに外国人、特に中国人向け、流行りの「忖度」ですね。
まあ、来日したばかりの外国人に喜んで貰おうとする気持ちは、良いことではあると思います。

そんなわけで、多くの中国人にとっては、日本に行って桜を見るのが人生の目標の一つとなっている、と言っても、決して大袈裟ではないように思われます。

私たちが思う以上に、「日本イコール桜」という概念が定着しています。中国だけでなく世界の人々(ルーツが自国であると主張する韓国だけは別、笑)の共通認識として、サクラが「日本の象徴」となっているのでしょう。

サクラは日本の「国花」ではない

したがって、読者の方々の中には、漠然と「サクラ」を「日本の国花」と思われている方がいるかも知れません。でも、「桜」は日本の国花ではありません。日本の国花は「菊」です(「国花」の設定には法的な拘束力がないので、最近は「桜」も共に「国花」として扱う傾向にありますが)。

サクラとキクは、春の花と秋の花、樹木と草本、すぐに散る花と長持ちする花、と何かにつけて対照的です。

実は、他にも大きな違いがあります。ともに、日本を代表する文化の象徴ではあるのですが、そこに至った「経緯」が異なるのです。そのことを説明するために、まず「菊」についての話から始めます。

菊は「日本の国花」ですが、「日本生まれ」ではありません。主に中国の北部や朝鮮半島に自生するチョウセンノギクと、中国東部などに自生するハイシマカンギクが、中国のどこかで自然(あるいは人為的に)交配して作出された、「中国生まれ」の植物です。 

チョウセンノギクもハイシマカンギクも、同じ種(の別変種)が、日本にも在来分布しています。

ということは、日本でも自前で「菊」を作出しようと思えば出来たのです。でも実際は、自分たちで手がけることはせず、中国で作出されたものを導入し、やがて「日本の国花」まで出世した、というわけです。

ゼロからのスタートではなく、出来上がったものを外部から取り入れて繁栄に結び付けるのが上手な、日本人の面目躍如たるところです(同じ「模倣」でも中国のそれとはクオリティが違う、というところがミソ)。

キクに限らず、私たちの身近にある有用植物(野菜や果物や園芸植物)も、おおむねスタートは国外からの導入です。興味深いのは、キク同様に、その多くが日本にも同じ(あるいはごく血縁の近い)種が在来分布しているのにも関わらず、素材として利用しなかった、ということ。

でも、僅かではありますが、例外もあります。すなわち日本に在来分布する素材をもとに作出された有用植物。その数少ない例のひとつが「アジサイ」です。園芸植物としてのアジサイの母集団は、伊豆諸島に分布しています。

もっとも、アジサイの場合、素材は日本産であっても、作られたのはやはり国外。古い時代に中国に渡ったあと、近年になってヨーロッパに伝えられて、そこで園芸植物としての改良が成され、日本に里帰りした、というわけです。

そして、非常に稀な例として、正真正銘、日本に在来分布する「素材」を基に、日本において作出され、日本国内に広く普及した植物が、「サクラ」です。


日本の「サクラ」は“何種”ある?

「サクラ」という名の種はありません。「サクラ」は、通常、サクラ属(サクラ属を広義に捉えた場合はサクラ亜属)の総称です。

実は、サクラ属の野生種(広義でも狭義でも)は、日本よりも中国もほうが、ずっと多いのです。なのに、中国では園芸植物としては利用されていません。多くの種は山の中に、どちらかと言えば慎ましく咲いていて、華やかな存在ではありません。

日本には一体何種の「櫻」があるのでしょうか? これは結構難しい問いです。2つの意味で、、、。

まず、生物学的な「種」と、一般にいう「種類」は、全く意味が異なります。前者は人間の思惑には全く関りのない、純粋に「植物」の側から見た分類です。

一方、後者はあくまで人間の判断(都合)による分類で、植物自体のアイデンティティには、ほとんど関与していません。「自然科学」というよりも、どちらかと言えば「商業」とか「美術」に近い分野、と捉えても良いでしょう。

「生物学的な分類」も、研究者によって結果が異なります。ある研究者が、種の下の単位の亜種とか変種とかに置いた分類群を、別の研究者が独立の種と見なしたりたりすることは、ごく普通にあることです。

「研究者によって」と書きましたが、正確には「研究機関」によって(あるいは「人脈」によって)異なる、と言った方が良いでしょう。ぶっちゃけて言うと、その時点で最も権威のある研究者の意見が、定説となるわけです。

現時点では、日本の野性サクラは「9種」とする見解が多いようですね。筆者には、全くしがらみがないので(笑)、勝手なことを言えます。最も統合的な見解に沿って、一応5種と考えています(別段、全くこだわってはいません)。

その5種は、ヤマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ、マメザクラ、および系統のやや異なるミヤマザクラです。

通常は、ヤマザクラを、ヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラの4種に、マメザクラは、マメザクラとタカネザクラに分けられます。これで9種ですね。

でも、研究者によっては、もっと多くに分割したりします。例えば、チョウジザクラを、チョウジザクラとオクチョウジザクラに、マメザクラを、マメザクラ、キンキマメザクラ、イシヅチザクラなど数種に、
タカネザクラを、本州の高山に生えるタカネザクラと北海道の山のチシマザクラ(ともに開花期は7月)に、それぞれ分割したりします。

それでも、多く見積もっても15種にも達しないでしょう。中国産は45種(中国植物志)とされています(日本には自生しないスモモやウメやモモのグループを含めると100種を超す)が、研究が進むにつれて、増えていく可能性があります(研究自体のクオリティーに問題がある、と言えば身も蓋もないのですが)。

ちなみに、沖縄ではポピュラーな櫻として知られているカンヒザクラは、国外からの移入種です。石垣島の非常に狭い範囲(沖縄県最高峰の於茂登岳北斜面)に生える個体が、在来自生、という説もありますが、結論は出ていません。カンヒザクラはアジアの暖地に広く分布するので、どこからかの移入であっても、古くから石垣島に自生していたとしても、ともに不思議ではありません。

開花宣言の時期、というのも混同があります。沖縄での開花時期は、ソメイヨシノではなくカンヒザクラを対象としているようです。沖縄にもソメイヨシノは植えられていますが、圧倒的に数が多いのはカンヒザクラです。両者は全く別系統の種で、性質も著しく違います。「沖縄が温かいから早く開花する」のではなく、「もともと開花時期が早い」のです。カンヒザクラは東京付近にも普通に植えられていて 2月末から3月前半に花盛りとなります。多くの人々は、サクラだとは知らずに、モモの一種とでも思っているのでしょう。

ちなみに、人為的に作成された(上記5種のうちミヤマザクラを除いては互いに交配が可能)品種や、野生であっても見かけ上の僅かな違いに注目して愛好家が名を付けた品種は、いったいどれほどあるのでしょうか? 想像もつきません(500品種とも1000品種とも言われています、なお、シダレザクラとかヤエザクラは、共通の特徴を持つ品種群の総称)。

属の範囲も、研究者ごとに見解が異なります。サクラ属の場合、広義には「梅」や「桃」も含まれます。そして中国では、サクラ(桜花/桜桃)よりも、スモモ(李子)やアンズ(杏子)やモモ(桃子)のほうが圧倒的にポピュラーです。「櫻桃」の呼び名からも分かるように、中国の一般の人々にとっての(野生の)サクラは、桃の一種のように思われているのかも知れません。実際、サクラと、モモやアンズやスモモの花はそっくりです。

スモモやアンズやモモは、狭義にはそれぞれ独立の属に属します(でも花は、見た目には野生種のサクラとほとんど変わらない)。ヨーロッパなどにも同じ仲間が分布し、スモモ(亜)属はプルーン、モモ(亜)属はアーモンド(食用とする部分がモモと異なる)が主流です。

ウメ(亜)属はアジアの植物で、中国などでは一方の代表種アンズのほうが著名です。一般に「ウメ」と呼ばれている、公園や果樹園に植えられている樹木の中には、(ともに中国に野生する)ウメとアンズのハイブリッドも多く混ざっています。

ちなみに、サクラ(亜)属のヨーロッパにおける対応種は、いわゆる“チェリー”(セイヨウミザクラ)、すなわち「サクランボ」の花です。中国にも独自のサクランボ(桜桃・シナノミザクラ)の品種が数多くあります。以上のことからも分かるように、(狭義でも広義でも)サクラ属は、花を愛ずるよりも、果実(や種子)を食べるのが、世界の主流です。

ソメイヨシノの出現

サクラは、日本においても、江戸時代末期までは今のように華やかな存在ではありませんでした。

前にサクラは(狭義の)サクラ属の総称だ、と記しましたが、一般の人々には、「サクラ」イコール(一園芸品種の)「ソメイヨシノ」として捉えられているかも知れません。

中国で言う「日本櫻花」をはじめ、外国人達が日本の代表として崇めるのも、このソメイヨシノのことです。

漢字で書くと「染井吉野」。(東京駒込の)染井で作出された吉野桜(奈良県吉野山のヤマザクラ)という意味です。

自分たちでゼロから新しく何かを作り出すことが苦手な日本人なのに、よくやった、と褒め称えたいところなのですが、実は、偶然に見つかった僥倖の産物であります。

本州から朝鮮半島にかけて分布するエドヒガンという種と、伊豆諸島周辺産のオオシマザクラとの、自然交雑が基になっている、と考えられています。

植木市場で両者を栽培していたところ、いつの間にか勝手に(人為的にという説もある)交配して、新しい品種が生まれた、というわけです。

葉が出る前に花が咲くエドヒガンと、大きな花のオオシマザクラの特徴が合わさって、ひたすら明るく豪華絢爛な、私たちになじみのソメイヨシノが生まれ、それを売り出したところ爆発的な人気を呼び、全国いたるところに広がりました。僅か150年ほど前の、江戸時代の末期から明治にかけての頃です。

現在、日本中で見られるソメイヨシノは、全て最初に染井の植木屋さんで見つかった個体のクローンだということで、全国どこで見ようが、変わらぬ姿を保ち続けています。

ソメイヨシノは、確かに豪華絢爛で、明るい気持ちに成れて嫌いではありませんが、筆者の個人的な好みで言えば、樹々の新葉が芽吹き始めたばかりの薄墨色の山肌に、ともしびのように仄かに萌えあがる、ヤマザクラやカスミザクラやマメザクラなどの野生種のほうが好きです。

今著者は、ソメイヨシノを見に日本を訪れる大量の中国人観光客と入れ替わりに、一人で中国の山野に野生の桜を見に行くため、複雑な気持ちで空港に佇んでいるところです。


成田空港到着ロビー。2017年3月31日。






中国の野性サクラの一種。甘粛/陝西省境の秦嶺山地にて。



中国の野生サクラとハルカゼアゲハの一種(アオスジアゲハの仲間で、早春に出現、日本にはいない)

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付記

今朝(4月1日)アップされた(冒頭部分に「首都圏以南の桜の名所では、今日がお花見の“最後のチャンス”というところも多いかもしれません」が付け加えられて、編集U氏の苦労が偲ばれます)のですが、昨日のブログとの間隔を開けねばと思い、一日遅れで紹介します。

その間、いろんなコメントをチェックすることが出来ました。幾つかのサイトを読み比べるに、U氏の指摘通り、圧倒的にヤフーニュースのコメントが低俗ですね(コメントチェックマニアの僕としてはその方が楽しいけれど)。中韓噛みつきまくりです(笑)。

「現代ビジネス」のほうのタイトルは「中国人も韓国人も“日本の桜”が気になって仕方がない理由」、元原稿では「“桜”は、いつごろから、どのような経緯で、日本の文化の象徴となったのか?」。内容にはダメ出しをすることがあっても、タイトルだけは、これまで全て編集部の出した案に素直に従っています。

読まれるためには、少々ハッタリ気味であってもインパクトが必要です。しかし僕の記事に限らず「驚くべき」の多用は、少なからず引いてしまいます。読者の一人としては、いいかげん止めてほしいと思います、、、意識的にそうしていることは分かっているのですけれど(笑)。

コメントに「タイトルと内容が違うじゃないか」というのが幾つかありました。僕の責任ではないです。まあ、このタイトルだと中韓いじりが益々激しくなるわけです。

あと、「エンタメ」「ライフ」「国家・民族」「中国」「韓国」の項目に入っているけれど、本来ならば「科学」とか「教養」のほうだと思うのですが、、、。まあ良いでしょう。

U氏曰く、「書きたいことを書く」のではなく、「読者が知りたいことを書く」。僕も賛同です。売れて(読まれて)ナンボですから、個人ブログとは訳が違います。

しかし、僕としては、「書きたいこと」でも「知りたいこと」でもなく、「伝えるべきこと」を書く義務があると思っています。

一般の日本人の、知識に対する要求志向が、余りにも「応用」的な対象に偏っていて、「基礎」的な対象が全く無視されているように思えてなりません。「そのような知識は“科学論文”で表現すれば良いのだ」と。しかし僕はそうは思いません。何事に於いても、基礎知識がまず必要であると。

その“橋渡し”をしたいのです。しかし、多くの読者は、それさえも求めていない。

「読者が要求する知識」は、わざわざ僕が書かなくても、誰にでも(殊に頭の良い優等生には)書けます。

「誰でも知っているはずのこと」
「知っている人は知っているが多くの人が知らないこと」
「僕しか知らないような新たな事実や考え」

2番目に重点を置き、3番目はちょこっと付け加える、というのが僕の考えなのですが、編集U氏に言わせれば、1番目さえも多くの人は知らない、ということらしいのです。

そして多くの人は、人間社会に関りのない(特に生物学的な)話題には、興味を示さない。そのような話題は、マニアックな(趣味的な)場か、アカデミックな(学術的な)場で行えば良い、と思っているのでしょう。しかし、それは違う。「人間社会」に係わる話をするのであっても、対象が人間以外の生物であったなら、まずその生物のアイデンティティから探索していく必要があると思っています。それが成された上で、はじめて「人間社会」における考察が成し得るのです。

「分かり易く伝えること」と「正確さを期すこと」は、しばしば相反します。どちらも不可欠なのですが、それを両立させることは、結構難しい作業です。

読者の中には、「野生種とか起源とかはどうでも良い、大事なのは、中韓にはない日本独自の文化として成り立っていること、その歴史についてもっと詳しく書く必要がある」という人がいます。一つの側面から見れば確かにその通りではあるのだけれど、それらについての考察や紹介記事は、履いて捨てるほどあるのです。一方、「成り立ち」に至るまでの、植物自体の歴史についての記事は、ほとんどと言って良いくらい見当たらない。

ということで、ここでまず必要だと思ったのが、最低限の「分類」の話です。

狭義のサクラ属の日本産野生種は、5~10種ほど。
(僕は5種と考えている、しかし現時点での定説は9種、それを列記する)
中国産は日本産の10倍近く。
野性栽培を問わず「品種」の単位でなら、野生の「種」の100倍近くの「品種」が日本に存在する。

残念ながら、それらの大半は、削除されてしまいました。仕方がありません。

その「分類」の話はともかくとして、ごく簡単に今回の記事の梗概を示しておきます。

日本人に最もなじみ深い植物である、キク(家菊)もサクラ(ソメイヨシノ)も、野生種ではなく、人為的に交配された「品種」。

共に、両親に当たる野生種(変種の場合も含む)は、日本にも中国にも韓国にも在来自生している。

従って、中国・韓国・日本のいずれの地域も、「起源」たりうる可能性を持つ。

しかし、キク(家菊)が作出されたのは中国大陸、ソメイヨシノの作出は日本であることが、(形態形質による比較に於いても、分子生物学的解析結果に於いても)証明されている。

ごく簡単な、分かり易い話だと思うのですが、、、。

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追記

「現代ビジネス」の記事がアップされるごとに、このブログに「オリジナル記事」を載せて行っています。「なぜか中国」シリーズに関しては、2月上旬までに9回分を纏めて執筆を終え、編集部に送ってあるのですが、まだ残り4回分が掲載されていません。「モリカケ問題」をはじめ、政局の動向によって先に掲載しなくてはならない記事がどんどん増えていくため、(一応毎週と想定してもらっている)僕の記事が、どんどん後回しになってしまうのです。加えて、前々回は「チベットの火事」、
今回は「サクラの季節」と、もともと予定していなかった自分の記事も割り込むことから、いつになれば「なぜか中国」シリーズが完結するのか(そのあとは「沖縄」関係のシリーズに移行したい)、予測がつかない状態です。

出来る限りスムーズに掲載を進めるため、より多く(最大公約数)の読者の求めに応じた記事を書かねばならず、僕自身が読者に伝えたい「重要部分」は、必然的に削られてしまいます。また、文体を「インターネットコラム」的スタイル?に統一せねばならず(そのため、「現代ビジネス」に限らず、僕以外の執筆者によるネット上の多くの記事も、どれも似たスタイルの文体になってしまう)、その結果、僕の文章の特徴であるリズムや言葉遣いの多くが、排除されてしまいます。

それで、本来伝えたい部分も読者に示しておきたい、という思いから、(編集氏の了解を得て)「現代ビジネス」掲載直後に、ブログのほうに「元記事」のほうも、並行して掲載している次第です。

ただし、最近は(上手な文章を書く必要性よりも優先して)「出来るだけ書き手の文体の個性を尊重してほしい」という僕の意向を、編集のU氏は理解してくださっているようで、最初の頃に比べれば、元原稿と余り大差のない内容・文体になっています(編集氏の理解もありますが、僕自身も合わそうと努力をしている)。

「元原稿」というのは、大きく分けて2つあります。一つは、プレゼンの段階で編集部に書き送ったもの(すなわち「オリジナル原稿」)。

それを編集U氏がリライトし、僕がチェックする。間違い部分を訂正し、削除された部分で、どうしても復活させたいところは、改めて差し込む。文体や言葉遣いや文章の流れも、譲れない部分は元に戻してもらう。こちらが、もう一つの「元原稿」(「改稿」としておきます)。

原則、U氏のリライトを、タイトルも含め、おおむね受け入れるようにしています。U氏のほうでも、最終的な僕の要求には応えてくれています。従って「現代ビジネス」の記事に、不満があるわけではありません(ことにここ数回は、センテンスの順序と、僅かな表現を変えるぐらいで、オリジナル草稿をほぼ全面的に生かしてくれている)。

オリジナ原稿と発表記事の大きな違いは、冗長な部分と、(生物学的な記述など)読者が読み辛いと思われる部分の有無です。より多くの読者に対しては、それらを無くすことで、読みやすくなっているはずです。従って「現代ビジネス」のほうを読んでもらった方が良いでしょう。一方、コアな読者の方々は、「削除した」部分にこそ、興味を示して頂けるのではないかと思っているのです。

実は、「完全なオリジナル原稿」は、編集氏からのリライトのチェックを重ねているうちに、どこに行ってしまったのか分からなくなっているものが少なくありません。ということで、この「あや子版」に紹介する「なぜか中国」シリーズの記事は、ある時は「完全オリジナル原稿」であったり、ある時は「編集者からのリライトの再チェック改変原稿」だったりします(おおむね、両者の中間あたり)。

今回も完全オリジナルは見つけられず、改稿途上のものを「生物地理は面白い」シリーズ6として、「あや子版」に掲載します(「完全オリジナル」と「現代ビジネス発表記事」の間の差は僅かです)。






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なぜか中国Ⅴ

2018-03-20 15:26:04 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

怒っちゃダメ!それが中国のカルチャーなのだから諦めなさい、、、凄い説得力です

2月8日記述 3月20 日付け「現代ビジネス」掲載記事 の元記事




紅包(撮影:Monica Lee)

前回は、春節つづきを書こうと思っていたのですが、四川省東部のチベット民族居住権で不審な山火事が相次ぎ、ちょっと寄り道して、それに関連する記事を紹介しました。 

もっとも、筆者は本来、その四川省や雲南省の山岳地帯を中心に、野生生物(主に昆虫と植物)の撮影や調査を行っているのですが、冬の間は極寒の世界、それで、比較的暖かい華南(広州や深圳など)やタイやベトナムに移動して(あるいは日本に帰国して)過ごしているわけです。

春節初日、アシスタントのMからメールがきました。春節の記事を今日アップしたよ、と伝えたら、一応喜んではくれたのですが、ちょっとがっかりした様子も。というのは、春節期間の村の様子を一生懸命撮影して、僕の記事に混ぜて使ってもらいたい、と考えていたようなのです(ちなみに前回の「先祖供養」の写真はMが実家で撮影したもの、前々回の新幹線の写真はMのご主人の撮影です)。

ということで今回はMが取材・撮影した地方の春節を紹介しながら進めて行きます。以下はMが送ってきた記事(カッコ内は筆者注)。中国の田舎の正月風景です。日本と似ている?それともかなり違う?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
春節は中国の最大のイベントです。新婚の女性は、赤ちゃんを伴って両親のもとに帰ります。
農村では、みんな半月~ひと月前から春節の準備します。まず、村中を奇麗に掃除します。そして、手作りのお菓子を用意します。
大晦日は、朝と昼の食事は簡単に済ませ、日中に部屋のドアの周りの「春朕」を張り替えます(日本で言えば「門松」を立てるようなもの?)。
夕食(团圆饭または年夜饭と呼ぶ)は、最も大事なイベントです(「年越し蕎麦」、、、)。
「团圆」の意味は、全ての家族が一緒に食事をする、という意味です。
夕食のあと、子供たちはシャワーを浴び、新しい着物に着かえます。
そして、午前0時、爆竹花火を一斉に打ち上げます。
新年の最初の挨拶は、新年快楽(あけましておめでとう)、恭喜発財(「発財」だけだと「お金を貯める」の意味、それが「あなたに幸福を」になるわけで、いかにも中国!)。
客家(移動民族、簡単に言えば中国のユダヤ、Mの一族もそうです)の正月料理のメインは、肉団子です(これが最高に美味しい!!)。7人家族で、5000gの葱、5000gの肉、1000gのサツマイモが、その材料です。
 



肉団子、中国名は「肉丸」(撮影:Monica Lee)



Mの実家の春節期間の食卓(撮影:Monica Lee)

春節初日は、みんな、夜更かしするので、2日目はお昼ごろまで寝ています。この日は、親戚を訪ねなければなりません。でも、普通、若者はクラスメートや友達に会います。年寄りは家に居ます。畑に行ってはなりません。また、物を捨てることも禁止されています。
叔父さんや叔母さんに、贈り物をします。園芸植物だったり手作り菓子だったりしますが、ほとんどの人は、果物と贈答飲料セットです。年寄りや子供たちには、紅包(お年玉のようなもの?赤は中国のラッキーカラー)をプレゼントします。
どの紅包にも、願いを込めます。お年寄りが健康であるように、子供たちがすくすく成長するように、よく勉強するように、、、。
広東省の会社では、最初の仕事日は仕事をせずに、経営者が従業員に紅包を贈ります。その中には、お金も入っています。ラッキーな人は100元(約1600円)を得ますが、ほとんどは10元です。

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おいおい! 筆者は、春節期間中、ほぼ「白いご飯」だけで、独りぼっちで過ごしたというのに、なんという幸せそうな光景でしょうか。



前々回の記事で“「内陸農村部」と「沿海都市部」の貧富の格差”に関する話を書きました。

本来「田舎」と「都会」は全く異なった次元に成り立っているはず。なのに両者を無理やり同じ土俵に上げて「格差」を扇いでいるような気がする。問題にしなくてはならないのは「地方の遅れ」ではなくて「都市の歪な繁栄」ではないのだろうか、と。

「毎日同じ服を着て出社するのは、社会人として恥ずべきこと」などと言う人がいます。筆者には、どこからそんな発想が出てくるのか、さっぱり解りません。

多様なファッションを否定はしません。でも本来、そんなのはお金をかけなくても出来るはず。バッグにしても、100円ショップの「布製手提げ」と、何万円もするブランド品と、どこが違うのでしょう。

社会の常識は、虚構の価値観に基づいた「現実」のに成り立っている、と考えても、さほど間違ってはいないと思います。でも、一般の人の多くは、そうは思っていない(思ってはいても行動には示さない)のかも知れない。そこから外れると「負け組」「異端者」とされてしまう。

筆者が無知で鈍感なだけなのかも知れませんし、単なる貧乏人の妬み・僻みかも知れません。

それで、視点を明確にするために、まず筆者自身のことを書いておくことにします。

一応、ホームレスではありません。かつ、「酒」も「たばこ」も「女」(若い女の子は好きですけれど、笑)も「ギャンブル」もやらない、真面目?人間です。従って、中国や東南アジアに、女(男)や薬(ヤク)が目的で出没する日本人は、好きにはなれません。

不登校児の走りで、中学は1年までしか行っていません。自分の部屋で60年代前半のアメリカン・ポップスを聞いているか、日本アルプスの稜線にテントを張って自炊生活をしているか、どちらかだった10代の頃。考えてみれば、国内外の差はあっても、70歳になる今も同じことを続けているわけです。

まあいわば、「生涯一引き籠り児」+「生涯一放浪者」といったところでしょうか。ちなみに、一般論で言っても、「引き籠り」と、「世界貧乏旅行」に挑戦している若者たち(年配者も)は、本質的な部分で良く似ているように思えます。

40年近く、この世界(活字業界)で生きてきました。大手の出版社を中心として20冊ほどの単行本を刊行し、朝日・毎日・サンケイ・東京などでの新聞連載も行ってきました。

しかし、その期間のほとんどを中国の山野で野生生物を探索していたのにも関わらず、メディアから依頼を受ける記事は中国関係以外が大半。「日本の蝶」とか「小笠原の自然」とか「アメリカの植物」とかの話題を、中国の各地をうろつきつつ、安ホテルに籠って執筆してきたのです。

この短期連載の最初に記したように、活字文化自体が斜陽化し、若者の多くが野生生物や国外の出来事に興味を示さなくなってしまった“ドメスティック&インドア傾向”の今の日本で、「中国の野生生物の活字媒体での紹介」が生業として成り立つわけがありません。 




筆者とドイツ人バックパッカー3人組。中国国境に近いベトナムサパにて。

そのため、お金に全く縁のなくなってしまった筆者が、お金のことを取り上げるのは場違いかも知れないのですが、、、。

最近日本でも「下流老人」とかの話題が姦しいようです。月収10万円、いや20万円近い収入でも下流のカテゴリーに入るのだそうです。筆者からすれば、一体、日本人は、どれほど贅沢なのかと思ってしまいます。

日本では東京郊外のアパートに住んでいる筆者の場合、家賃(少額の年金と相殺)以外の収入・支出が約10万円。事務所代わりのスタバ代、交通費、食費、光熱費、たまに銭湯に行きます。これでも結構贅沢ですよね。自分では別に下層だとは思っていません。

むろん、医療のことなどを考えれば、そうも言っていられない、でも、それを問題にしだしたなら、きりがないでしょう。非常に重要なことですが、とりあえず割愛して話を進めます。

おしゃれをしたり、スポーツをしたり、音楽を聴いたり、旅行に行ったり、、、それらを否定するつもりはありません。生きていく上に置いての重要なファクターには違いないでしょう。でも仮に月収20万円もあれば、(基本生活費からの差額で)大抵のことは出来るのではないでしょうか?

確かに日本の物価は高いと思います。国外から戻ってきたときは芯から腹が立つほど異常に高く感じます。特に交通費と宿泊費。例えば、広州-桂林間の新幹線料金が2500円弱なのに対し、ほぼ同程度の距離の東京-神戸間は2万円近くします。宿泊費は、中国の地方都市では、駅前のかなり豪華なホテルでも1500~2000円ほど。日本なら1万円近くすると思う。

でも食費とか光熱費とか衣服代とかは、安く抑えようと思えば抑えることができるはずです。

一体、みな何にお金を必要としているのでしょうか? 

ステレオタイプの意見があります。日本人はお金に対して恬淡、中国人はお金に執着する。大方の日本人の中国人に対する印象のひとつは「お金のことしか考えていない人種」、ということでしょうね。一応著者もそう思います。

「これは何ですか?」
「100円」

「バスターミナルへの行き方を教えてください」
「(バス代は)200円」

何でもお金のことが、最優先で出てきます。

生活の中でのお金に対する距離感が極めて近いのです。

でも、正確に言えば、単に密着しているというよりも、その状態を「開けっ広げにしている」ということだと思います。日本人だってお金に密着した生活をしています。しかしそのことを表には出しません。お金は不浄な存在とされ、お金にかかわる表現を軽々しくすることは「卑しいこと」とされるのです。

中国人は、お金の話をすることを、悪いこととも恥ずかしいこととも思っていないのではないでしょうか。

原稿料だって、支払い期日になれば確実にくれる日本と違って、踏み倒されてしまったりすることもあります。しかし、こちらが困っていれば、支払い期日が来なくても、気前よく前渡ししてくれたりもします。

筆者の友人の大学生4人組が音楽バンドを組んでいて、あちこちでライブを行い稼いでいます(本当は違法)。結構金になる、、、、はず、なのですが、2度に1度ぐらいの割合でギャラに係わるトラブルを起こし、支払って貰えなかったり、仲介人がギャラを持ってとんずらしたり、、、理不尽ではあっても、自分たちの置かれた立場上、正式に訴えることも出来ず、いつも頭を抱えているのです。

白人2人黒人2人の構成。興行元が「メンバーに黒人が混じっているからギャラは払えない」などと、ここが21世紀の地球上なのかと疑うほどの、信じられない暴言を平気で言い放つのです。

最近、日本でも中国でも「黒塗顔」批判に対する是否の議論が起こっています。「過度の自主規制はかえって問題の本質を見失う」という意見には賛同できる部分もあります。しかし「現実に」このような背景があるのです。そのことを知っておくべきだと筆者は思います。

中国は今、猛烈な勢いで“不良外国人”の締め出し(および彼らの集まる場所の撤去)にかかっています。筆者のごとき「低学歴」「低収入」「高年齢」の日本人は、絵に描いたような典型的不良外国人でしょう。一部のアフリカ系の人々も、狙い撃ちされているように思えます(日本における現状も似たようなものでしょうけれど)。

筆者は、一時、昆明の結構メジャーな出版社で、半ば専属ライターという形で記事や写真を提供していました(これも本来は違法?)。原稿料は大抵の日本の出版社などより良く、しかも気前よく支払ってくれます。

自分で書いた記事を自分で英訳、それをMが中国語訳をして、執筆料と翻訳料の両方をせしめるのです。数年前、最初に数10頁を引き受けたとき、雑誌が出た直後に、数十万円が突然Mの口座に振り込まれました。思いもせぬ金額だったので、Mは狂喜乱舞、息せき切って僕に知らせに来ました。

その後何度か寄稿を続けていたのですが、ある時(一昨年)、突然出版社が消えてしまいました。ちなみに、その出版社を紹介してくれたのが、筆者が常宿としていたユースホステルのオーナー。同じ頃、そのユースホステル自体も、突然閉鎖されてしまったのです。

やろうと思えば規則外のことでも簡単に出来る。でも、当然可能なはずのことが理由もなく出来なかったりする。なんでもあり、要は出鱈目、ということなのです。

お金に対しても、もろに興味を示すわりには、意外に執着していないような気もします。お金が常に表に出て、目まぐるしく動き回っている、といった感じ。

日本人は「奥ゆかしい」ということになっています。でも、言い換えれば、感心ないそぶりをしているだけ、(「守銭奴」とまでは言いませんが)内に静かに執着しているわけです。

「中国の貧富の格差」を考える際、そのような、お金に対しての感覚の日中の違いも、念頭に置いておくべきでしょう。




銀行のATMから出てきたニセ札。 



食堂の壁に貼られていたニセ札のお知らせ。

ご存知のとおり、中国では昔も今も、ニセ札が横行しています(スマホ決算の利点は、それを避け得ること、もっとも新たな手口が出てくることでしょうけれど)。

筆者も、何度も掴まされたことがあります。去年は20元という、実にせせこましい金額をやられました。でも額の多少にかかわらず腹立しい。

上海のユース・ホステル(国際青年旅舎)で宿泊費を支払った時のおつりの20元。向かいのコンビニでニセ札だと言われ、すぐにフロントに戻って取り換えを求めました。

スタッフ曰く、「確かにニセ札のようだ、我々が渡したことも確かだ、しかしあなたは受け取った、もはや我々の関与するところではない」。

さすがに腹が立って、Mに電話で通訳をして貰って、徹底闘争するつもりでいました。しかしMは、「怒っちゃダメ!それが中国のカルチャーなのだから諦めなさい」と言います。

そ、そ、それは、あんまりな、、、、。でも、全然説得力がないようにも思えるのだけれど、案外、凄い説得力であるような気もしてきます。

中国における物事の答えは、日本式の思考パターンでは割り出せないのです。

例えば、前々回の記事で、トイレと交通事情について取り上げました。トイレに関しては、官民一体となって美化に取り組み、日本より遥かに多くの清掃員が終日一生懸命掃除をしているのにも関わらず、いつまで経っても汚いまま。チケット売り場も、改善に改善を重ねる努力をしているのにも関わらず、いつまで経っても混雑はなくならない。

行数の関係で削除せざるを得なかったのですが、読者に一番伝えたかったことは、それらの事実の紹介でも、具体的に何が問題で、誰が悪いといった原因を探ることでもなく、「よく分らないのだけれど、はっきりしていることは、どこかが、何かが、おかしい」ということなのです(その結果、チケット完売のはずの列車が、がら空きで走っていたりします)。

地下鉄の乗り換え時にも、そのことは強く感じます。香港の地下鉄の場合は、路線ごとにプラットホームが上手く組み合わされていて、乗り換えがスムーズにできるのに対し、深圳の地下鉄での乗り換えは、困難を極めるのです。

乗換駅での案内板に示されているのは、プラットホームの番号だけ(過剰なほど大きくて数多く目立つ)。肝心の路線番号がどこにも見当たりません(隅っこに記されていたりするときもありますが)。これでは、どのプラットホームに行けば良いのか、さっぱりわからない(プラットホームの番号を示したところで何の意味があるのでしょうか?)。

要は、単純に間抜けなのです。何事においても頑張ってはいるのだけれど、どこかが抜けている。良かれと思って、もがけばもがくほど、根本的な部分で破綻をきたしてしまう。

最新設備が整い、数10分置きに掃除を繰り返している新幹線(固有名詞としてではなく「新しい幹線」という意味)のトイレが、うんざりするほど汚いのと対照的に、最近の長距離在来線車内のトイレは、とてもきれいです。

昔は汚かった。改善に向けていろいろと試行錯誤してきたのでしょうけれど、新幹線のように予算を割くわけにも行かず、ギブアップしたのでしょう。

その結果、在来線列車内のトイレは、線路直結便壺と蛇口とバケツだけ、という超シンプルなスタイルになりました。各自バケツで流す。これがピタリ決まって、実にクリーンになった。中国のトイレ中最も清潔といっても、過言ではないと思います。

上記の話は、「格差」解決の、一つのヒントと思ってください。




深圳地下鉄駅。プラットホーム番号だけで、肝心の路線番号がどこにも示されていない。




★連絡先
infoあayakosan.com あを@に変えて




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なぜか中国Ⅳ

2018-03-16 20:45:16 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

「チベット自治区」だけが「チベット」なのではない、ということを知っていますか?

2月9日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事


チベット自治区の州都ラサの寺院の一部が消失したというニュースに続いて、四川省雅江県の増西村と八角楼郷で大規模な山火事が発生し、何人かの人が逮捕された、というニュースが入ってきました。この2つの事件は、相互に関連する、政治的な出来事に違いないでしょう。

雅江県(旧・東チベットの康定と理唐の間、標高4500m超の高原の峠に挟まれた谷あいに県都があります)は、筆者の主要フィールドの一つです。殊に、八角楼郷は、メイン中のメイン。これまでに、無数の美しい写真を撮影しています。ただし、観光的には全く無名の地です。


雅江西方の峠下(標高4400m付近)からミニャコンカ7556mを望む。

四川省は、見事に東半部と西半部に分かれます。

東半分は、標高200-500mの四川盆地を中心とした漢民族居住圏。四川盆地には、現在は国家直轄都市となった重慶市と、四川省省都の成都市の、中国でも有数の巨大都市(人口はそれぞれ3500万人前後、1500万人前後)を有し、極めて高い人口密度を誇ります。

一方、西半分には、世界の7000m峰の東端に位置する標高7556mのミニャ・コンカや、世界の6000m峰の東端に位置する標高6250mの四姑娘山など、チベット高原の東半分が含まれます。

中国有数の過疎地帯でもある東半分には、成都以外にも数多くの100万都市(総人口1憶人以上)を擁しています。一方西半分は、最も大きな都市(康定ほか)でも10万人余(総人口約200万人)。

この一帯は「東チベット」(いわゆる大シャングリラ)とも呼称されるように、もともとは「チベット」の領土だったのですが、現在では、四川省西部(康定など)と雲南省北部(香格里拉など)に編入されてしまっています。

いわばヒマラヤ山脈の東の延長でもあるのですけれど、ヒマラヤ本体と異なるところは、山脈をブチ切るように、南北に大河が横断していることです(従って、この一帯の山々を「横断山脈」と呼びます)。

西から東に、インドのカルカッタに河口をもつブラマプトラ河水系、ミャンマーに至るイラワジ河水系とサルウイン河水系、ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナムを貫くメコン河水系、上海に河口をもつ長江水系(加えて、北寄りに北京近郊に河口をもつ黄河水系、南寄りにハノイに至る紅河水系と、香港に至る珠江水系)。

このうち、四川省西部を南北に流れるのは、西から、金沙江、雅砦江、大渡河、ミン(山偏に民)江などの、長江の巨大支流です。

各大河は南北に流れていますが、道路(国道)は東西に走っています。成都から西へ向かう国道318号線(北緯30度付近、日本では屋久島周辺に相当)と国道317号線(北緯32度付近、南九州に相当)が、チベット自治区に入って合流し、ラサに至ります。

ちなみに、温暖な四川盆地と極寒のチベット高原を分かつ移行帯は、下は亜熱帯、上は亜寒帯の豊富な植生を擁した「グリーンベルト」で、以前に紹介した野生のジャイアントパンダの棲息地です。

この一帯は、本来は「秘境」と言って良い地域だったのですが、10数年前頃から、多くの中国人たちから注目を浴びるようになりました。

自転車で、成都から(中には東の起点の上海から、あるいは昆明経由で南の香港や広東省から)ラサに向けて、この2つの国道(ことに318号線)を走破しようとする人々によって、一大ブームが引き起こされたのです。

路線バス(利用する旅行者はごく少ない)の窓から外を見ると、標高差2000mの急坂を隊列を成して喘ぎあえぎ上下するサイクリストを、何度も何度も追い抜いていきます。

車での走破を目指す人も多く(それらの人は、チベット自治区に入ってから後、さらに北方のウイグル自治区や青海省や甘粛省を巡ります)、マイカーの後方の窓に、必ずと言っていいほど、この地域の巡回道路地図が張り付けられているのを、中国に来たことのある人なら、誰でも一度は目にしているはずです(それらの車が実際に向かうわけではないけれど)。

もちろん極めて少数ですが、なんと徒歩での走破を試みる猛者もいます。


八角楼で出会った、徒歩で成都-ラサを踏破中の中国人。


理塘の周辺には、標高4700m前後の峠がいくつもある。峠と言っても真っ平な道。


ちょうど八角楼での出来事。その若者は、川岸の草原で撮影中の著者を見つけて(車と自転車以外の都会人?に久しぶりに出会った?)喜び勇んで、駆け下りてきました。小さなリヤカーにシェラフとツエルトを積んで(食料は現地調達)、このあと一か月程かけてラサに辿り着く予定なのだそうです。

彼らの目的はチベット民族との親睦(いわば国家の推進する個人親善大使)。苦労してチベット居住圏を訪れ交歓することで、中国国民が一体となって、仲良くなると信じて疑いません。


国道318号線を四川盆地からチベット高原に入って最初の都市が康定(筆者が4年前に大けがで入院していたところでもあります)。標高1300mの大渡河沿いから、4200m超の峠上に至る旧坂の途中、標高2700m付近に町が発達しています。筆者が最初に訪れたのは29年前で、その頃はチベット民族が大半を占める、良くも悪くも素朴な街だったのですが、今や大量の漢民族の移住者とともに巨大な都市へと変革しつつあり、険しい山中までが新興住宅街として開発され、氷雪の峰々を背に、ビルが林立しています。

次の町が雅江。その次が理唐。最後が巴謄。理唐は標高4000m超の高原上の都市、雅江と巴唐は南北に流れる大河に沿った町です。

巴唐はチベット自治区とのボーダーで、外国人はここから西に向かうことは出来ません(南から来た場合は、梅里雪山の麓より北には入れない)。

成都のユース・ホステルに滞在する外国人バックパッカーたちの多くは、このボーダーを突破することを目論んでいますが、成功例は、まず聞いたことがありません。

外国人は、高額な代金を支払ってパーミットを取得し、西安からの列車で北へ大回りしてラサに向かうか、飛行機を利用するしかないのです(中国人にその話をすると「同じ中国なのだから、そんなわけないだろう?」と皆不思議がります)。

お金が必要なことはもちろんですが、いわゆるツアーに近い旅行スタイルしか取れず、自由な行動は許されません。

お金をかけて、がんじがらめになって、無理にチベット自治区に向かうのならば、比較的自由に行動出来て、実質チベット文化圏である四川省西部や雲南省北部を巡るほうが、ずっと有意義だと思うのは、筆者だけでしょうか?

都市伝説めいた、有名な話があります。ボーダーで追い返されそうになった時には、「どこから来たか?」尋ねられます。「ここから先に行ってははダメ、出発点に戻れ」。その時、成都からとか昆明からとか答えずに「ラサから来た」と言えば、チベットに潜入できる、というわけです。

さすがにそれはないでしょうが(もっとも間抜けな中国人のこと、以前は実際にあったのかも知れません)、例えば康定に行った後(同じ四川省内であっても)チベット自治区寄りの雅江や理唐方面はなかなか切符を売ってくれないのに対し、逆方向の成都に向かうチケットは、比較的容易に購入できるという事実があります。




太陽の輪と虹の雲。この辺りの空は、不思議満載です。

今は厳しくなってほとんど不可能ですが、以前(5-6年前まで)はノービザ滞在期限が切れたら、
香格里拉や康定の対外国人役場の窓口で、簡単に一か月延長の手続きが出来ました。大都市の場合は一週間前後かかる更新が、僅か数時間で可能だったのです(今は、ほぼ絶対に不可能)。

それでも、一応滞在の理由をつけないといけません。チベット省境をうろつくことを匂わせたらダメ
です。外国人が観光ルート以外でチベット自治区に向かうことを、過剰なほど快く思っていないのです。

上記更新は、同じ町で続けて2度は出来ません。ある時、康定の交付所で拒否されてしまいました。
「ここから最も近い(といっても7~8時間はかかる)四川盆地入り口の町に行きなさい」。外国人のビザ延長が厳しくなりかけた頃です。「出来るだけ早く香港に戻るのなら、数日の追加は与えても良い」というので、仕方なく受諾することにしました。

係官 香港に戻るなら数日間の追加をしてやる。チベット方面には行ってはならない。
筆者 わかりました。戻ります(リターンします)。
係官 理唐(リータン)に行ってはいけない。
著者 わかっています。リターンします。
係官 リータンに行ってはいけないと言ってるだろう!
筆者 だからリターンすると言ってるじゃないですか!!

とにかく、外国人バックパッカーたちがチベット民族と個人的に触れ合うことを、戦々恐々としているのです。

理唐や雅江では、しばしば暴動が起こります。その度に外国人はオフリミットされてしまいます。むろんその方面に向かうバスの切符も売ってくれません。

チベット族の人たちは、漢民族の前で本心を表すのはマズいということを、十分に承知しています。
中国人旅行者たちにも、表面上はフレンドリーに接しているようです。

旅行者たちは皆お人よしですから、歓迎されていると思っています。とんでもない。

相手が日本人だとわかると、それはもう堰を切ったように本音を吐き出します。「奴らを〇してやりたい」どのチベット人も、異口同音にそう語りかけてきます。

チベット高原を走る道路はおおむね立派で、なおかつ、ボーダーを間違ってうっかり超えた友人(もちろんすぐに追い返されたけれど)によると、チベット自治区に入ったとたん、さらに立派な道路
になるそうです。

そして道沿いの、どのチベット民家も、豪華なことこの上もない。そんな家を建てる収入など、とてもあるはずがないのですが、国家に従っている限りは非常な優遇を受ける、ということなのでしょう。


筆者が最初にこの地域を訪れたとき、康定からの路線バスで理唐に向かう途中、八角楼のすぐ手前の標高4600mの峠頂(といっても高原状の緩やかな地形)でバスを乗り捨て、パルナッシウスなどの高山蝶の撮影に取り組みました。

夕方近く(と言っても午後3時頃)そろそろ撮影を終えて先に進もうと思ったのですが、甘かった。
もちろんバスはない(あっても途中から乗るのは難しい)し、ヒッチハイクもなかなか出来ません。
やっと一台のトラックに乗せてもらうころが出来ました。

雅江の町で夕食。再び出発した時には日が暮れて、真っ暗な闇の中の行軍です。トラックの目的地は、理唐まであと10数キロの小さな民家です。地元のタクシー?を読んでもらって、理唐に到着したのは真夜中の0時近く。

外国人が宿泊可能なホテルは、閉まっています。でも一階の片隅から明かりが漏れていたので、ドアを思いっきりドンドン叩いてみました。

流暢な英語を話す、若い美しい女性が出てきました。


筆者は、途中で休みつつ、のんびりと走るトラックの運ちゃんや、理不尽な料金を請求されたタクシーの運ちゃんに腹を立てて(本来なら親切を感謝しなければならなかったのでしょうが)、ほとんど切れかかっていたものですから、中国人に対して怒り心頭の状態です(もっともトラックやタクシーの運転手はチベット族)。

彼女が顔を出した瞬間、本来なら「泊まることは出来ますか?」と訊ねなければならないところを、とっさに「中国人はだい嫌いだ!!」と口走ってしまいました。

しまった、と思ったのですが、彼女は笑いながら、鸚鵡返しで「ミー・トゥー!!」。
 
若くして(当時20代半ば)ホテルを経営をする(両親が地元の権力者)チベット人で、学生時代にイギリスに留学していたそうです。

その後、仲良くなって、この町で度々行われる鳥葬に一緒に参加したり、ドライブに連れて行って貰ったりしました。

名前を出すのは不味いでしょう。チベット語の姓名が、「ハッピー」と「フラワー」に相当するので、 日本語で「幸田花子」とつけてあげました。ダサい?かもしれないですが、本人は結構気に入ってくれています。

4年前、筆者が康定の病院に入院したときは、何度か見舞いに来てくれました。その後会っていないのですが、理唐や雅江での暴動が報道されるたびに、大丈夫だろうか?と心配しています。


真夜中に灯りが漏れていた、左側の扉を叩いたら、、、。

この地域への最初の訪問から数年間、成都から康定を経て、あるいは昆明から香格里拉致を経て、
何度も行き来をしました。

雅江の町から西方は、最初に通ったときは夜中、漆黒の闇の中を4~5時間走り通したのです。谷底を走っているものとばかり思っていました。完全な漆黒の世界です。ごくたまに、うっすらと車や家の灯りが、亡霊のように浮かび上がります。

後に昼間に走って、実は大半が4500m前後の高原上を走っていることが分かりました。標高3000mを切る河沿いの雅江の街以外は、常に4000mを超す天空の地なのです。

始めのほうで記した、徒歩で走破中の青年に出会った「八角楼郷」は、雅江県の東端の、康定寄りの標高4600mの峠の下方です。

そのどん詰まりの川の源流付近(標高3800m前後?)に沿って、素晴らしいお花畑がありました。ある年、雅江の町を拠点に、丸2日間そこに通いました。そして、手あたり次第、その草原に生える全ての植物(200種近く)を撮影。

お花畑といっても、いわゆる高山植物ではなく、日本の田畑の雑草と同じ仲間の野生種が大半です。田畑のいわゆる雑草は2次的に成された植生ですが、それが天然に成立しているのです。いわば「人里植生」の原型。


八角楼東方の峠に上る道。初夏には白いシャクナゲの花で埋め尽くされます。


八角楼の天然お花畑。

実は、その翌年再訪したのだけれど、草原自体が無くなってしまっていた。あたらしい山岳ハイウエイの建設が始まっていたのです。

最後に訪れたのは4年前。もうどこだかわからないほど、完璧に変化していました。


この国道318号線(上海-エサ、最後はネパールとの国境に至る)は、筆者が1960年代の半ばからメインフィールドにしている屋久島とほぼ同じ、北緯30度線を前後して走っています。屋久島の位置は、正確には北緯30度13分-28分の間。雅江の街はジャスト30度なので、町を貫く雅砦河に沿って少し北に行けば達するはずです。

しかし(結構メイン道路のはずなのに)路線バスがない。屋久島の海岸に相当する、2つの川の合流点まで、徒歩とヒッチハイク。

途中見た光景には、かなり驚きました。明らかに、(成都からラサへ、チベット高原を東西に横切る)
鉄道建設が行われているのです。

ヒッチハイクした車は、凄い高級車でした。一目で政府の高級官僚とわかる役人が、お供を連れて乗っています。おそらく鉄道建設現場の視察なのでしょう。

快く乗せてくれて、はじめは拙い中国語で、その偉い人とフレンドリーに会話していました。

突然訊ねられました。

高級官僚氏「ところで君はアメリカは好きかね?」
筆者は笑顔で答えました「もちろん好きですよ!」
高級官僚氏の表情が微妙に変ったようです。

しばらくして再び同じ質問が。
高級官僚氏「君はアメリカが好きなのか?」
筆者「ええ好きです、、、」
今度は、明らかに怒りの表情。

三たび同じ質問です。
高級官僚氏「本当にアメリカが好きなのか?」
筆者(さすがに空気に気づき、でも今更嫌いとも言えないし)「中国も好きだしアメリカも好き」
お付きの人たちは凍り付いています。
一瞬、車を放り出されるかと思いました。
お付きの人たちが取り成してくれて、何とか目的地まで辿り着けたのですが、、、。
あとは無言、生きた心地がしなかった。

どうやら、中国の真の敵は、日本ではなく、アメリカのようです。

具体的には何事もなく済んだのだけれど、心の中では中国で一番恐ろしく感じた出来事です。


中央の山(格業)は標高6204m。麓の標高(約4500m)


チベット放牧民の小屋。この辺り(理塘-巴塘間)も屋久島と同緯度地域。


雅江の街中にて。昔は日本でもよく見かけました。


 理塘の隣町(ここで真夜中にタクシーに乗り換えた)。


空気が澄んでいるからか、標高が高いからなのか、、、昼間でも月の表面の模様がはっきりと見える。


みんなフレンドリーです。八角楼にて。



★連絡先
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なぜか中国Ⅲ

2018-03-16 10:35:07 | 「現代ビジネス」オリジナル記事



中国の都市と地方の「格差」は本当にあるのか?


2月7日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事




中国は、2月16日、2018年の春節を迎えました。旧歴の元旦で、新暦の日付とは、毎年異なります。ちなみに昨年は1月31日。おおむね、日本の節分および春分の日の前後。中国では新暦の「1月1日」は“ただの普通の日”、圧倒的に「春節」が大事です。

人々は、都会からそれぞれの田舎に帰ります。我々外国の旅行者は、うっかりしていると、泊まることも、食事をすることも、出来なくなる羽目になります。



春節の行事の一つ、山道で先祖を供養する 広東省紹関市翁源県貴聯村2015年春節 Monica Lee撮影

ところで、この原稿は、春節の6日前に、アシスタントMが借りてくれたアパートで書いています。Mは今日から10日間、昨春生まれた赤ちゃんのお披露目でご主人の実家で過ごします。その間、筆者が一人で食事が出来るよう、2週間分のお米を買い置きしてくれました。

残り財産は2000円を切ってしまっています。次の原稿料入手は月末。それまでの20日間(せめてMが帰ってくるまでの10日間)、これで過ごさねばなりません。朝食兼昼食が白飯(日本から持ってきたお茶漬け海苔が4袋あるので半分ずつに分けて振りかける)、夕食が近所の食堂で100円のヤキソバ(焼きビーフンをはじめ様々なバリエーションがある)、、、2000円あれば楽勝です。

と思って、さっき夕食を食べにアパートの外に出たら、ウァー!真っ暗、まるでゴーストタウン、全てのお店が閉まっています。まだ春節初日まで6日もあるというのに、、、、、。
一時間近く探し回ったけれど、どこも開いていません。この辺りは大都市郊外の工場地帯なので地元の人はほとんどみんな田舎に帰ってしまっているのです。都心まで出れば食べ物屋は見つかるでしょうが、交通費諸々が勿体ない。

というわけで、これから10日間、朝昼晩を白いご飯だけで過ごさねばなりません。中国の油だらけの食事に比べれば、“唯の白いご飯”は最高のご馳走なのだけれど、さすがに3食10日間はきつい。でも仕方がありません。

実は、これまでも、春節の時期には、苦労をして来ました。例えば、2007年(今はすっかり有名になってしまった)雲南省の菜の花に撮影に行ったとき。

それ以前から毎年のように訪れているのですが、春節初日前後は避けていました。しかしこの年は、うっかり大晦日に当たる日に訪れてしまったのです。ホテルの食堂は営業していないし、町の中探しまくっても、食事を出来るところは見つかりません。

途方に暮れていたとき、バスターミナルからホテルまで乗ったタクシー運転手のおばちゃん(中国の地方は女性のタクシードライバーが非常に多い)が、困ったことがあったら連絡頂戴な、と名刺を渡してくれていたことに気が付きました。

連絡を取ったら、早速やってきてくれました。どこに食堂があるのだろうと思っていると、着いたのは、おばちゃんの家。実はご主人はお医者さんで、どうやら町一番の裕福な家庭のようです(と言っても、せいぜい日本の中流の下あたり)。

春節の間、私たちが面倒を見てあげる、といって、高校生のお嬢さんと、中学生の弟さんが、
つきっきりであちこち案内してくれました。

日本で言うおせち料理を食べながら、年を越す(世界の終わりかと思うほどの膨大な数の爆竹花火の轟音に包まれます)直前、急患が出たとのことで、ご主人(凄いハンサム)は、着の身着のまま飛び出して行きました。お医者さんは偉いなあ。

春節元日の朝からは、3人で菜の花の村を訪れました。姉弟の親友だという、道端の売店の子供たちに会いに行きました。広い個室を与えられている姉弟2人と違って、友人の部屋は、壁に取り付けられた狭い(寝台列車のような)ベッドです。

身分は大変な違いです。でも、本当に仲良しらしく、全然そんなことは感じません。

春節2日目の夜は、車で1時間、隣の貴州省の一族の村(雲南省・貴州省・広西壮族自治区の境付近にあります)での新年の集まりに、ゲストとして呼ばれました。ここでも爆竹花火、その余りの凄さに見とれ、撮影するのを忘れてしまった。

三省の境には、その数年前にも訪れたことがあります。その時見た光景が今も目に焼き付いています。ほとんど垂直の崖の道を、年配の男の人(たぶんお父さん)に手を引かれて、ウエディングドレスを着た花嫁さんが下りてきた。待っていた車に乗って、これから結婚式に向かうところなのでしょう。なんだかひたすら感動して、この時もうっかりシャッターを切るのを忘れてしまった。

中国の「田舎」のことを、皆さんは、どれぐらいご存知でしょうか?

都市部との凄い格差、貧乏極まりない、、、本当にそうなのでしょうか?

確かにその通りなのかも知れません。月収100万円近くを稼ぐ都市のエリートに対し、1円2円の稼ぎを得るために、汗水を垂らして働いているのは、事実です。

でも筆者には、田舎の人々がことさら貧しいとは思えません。言葉の綾になるでしょうが、貧乏ではあっても、貧しくはない。








お医者さん姉弟の友達が住む町 2007年春節

中国の人々を、とりあえず3つに分けてみました。

A大富豪。 
B田舎の人々(地方都市住民ではなく、本当の田舎の村の、農民・漁民)。
Cそれ以外の人々(沿海・内陸にかかわらず、都市の住民)。

Aについては評論のしようがないです。桁外れなのでしょう。筆者個人的な感覚では、とてもまともな人たちであるとは思えません。

いわゆる都市の「富裕層」はCに入ります。都市の「貧民層」もCに入れました。横綱と幕下の違いはあっても、同じ土俵上で戦っているからです。

それに対し、BとCは関連性を見だすことが難しい。早い話、土俵が違うのです。

中国では、身分が「都市戸籍」と「農村戸籍」に厳密に別れています。ここでは詳細は略しますが、「農村戸籍」の人々には、都市で暮らすうえで様々な制約が課せられています(例えば移動一つをとっても複雑な手続きが必要な場合があります)。

「農村戸籍」の人間が「都市戸籍」を取得するのは、並大抵のことではないようです。全ての田舎の住民(以下、漁村・漁民なども含め「農村」「農民」と表記)は、都市戸籍を得ることを、人生の究極の目標としている、と言っても過言ではないかも知れません。

都市で暮らす人間が「都市戸籍」住民だとは限りません。「農村戸籍」のまま都市で働いている人のほうが多いのかも知れません(当然収入には大きな差があります)。

ところで、あくまで例えですが(実際にはそんな単純な問題ではないので)、農民は、都市に出稼ぎに出ます。中には、首尾よく「都市戸籍」を得る人もいるでしょう。

中国の社会は、今の日本とは違って、家族(あるいは一族や村)単位で構成されています。個人はパーツです。稼いだ金の多くは、家族や村に還元されるのです。

農民自体の収入は、(戸籍を問わず)都市で働く人々の稼ぎに比べて、それはもう驚くほど少ない。しかし、それとは別に、(都市で働く農村出身者経由で)お金は入ってきています。物価はもちろん安い。相対的には、果たして貧乏と言えるのでしょうか?

もうひとつ別次元での「例え」を挙げます。都市の富裕層はお金を持っています。億ションを保有している人もいるでしょう。社会的な地位や名声を持った人も当然多くいます。

それら(お金そのほか)は「実在」するものなのでしょう? 都市における経済は、右肩上がりで急速に上昇していきます。物価も収入もどんどん上がっていく。それは永遠に(右肩上がりで)続くものなのでしょうか? 何らかの巨大なクライシスに面した時、「お金」も「億ション」も「地位や名誉」も、一瞬にして霧散してしまうことはないのでしょうか?

人々が「現実」だと信じている社会は、もしかすると「バーチャル」の上に成り立っているのではないでしょうか?

農村の収入は、右肩上がり、とはいかないでしょう。いつまで経っても、ほぼ平行線のまま進んでいきます。収入の格差は、都市部と開くばかりです。

しかし、明確に言えることは、土地と資源は、都市の「現実」とは無関係に存在し、極端に増えはしなくても、消滅もしない(「資源」に関しては様々な影響を~汚染とかも含めて~都市社会から受けているでしょうが)、紛い無き「現実」の世界です。

都市では、給与とともに、物価も急速に上がっています。ここ数年で4倍になったなど、様々な報告がなされています。収入も横ばいでは取り残される。皆が右肩方向に上がっていかざるを得ません。

それに対し、農村部での物価は、筆者の知る限り、この10年20年の間に急激に上がったようには、とても思えません。上昇しているとしても、横ばいに近い、緩やかな右肩上がり程度、と言って良いでしょう。

もとより、農村と都市を同じ価値観で比較すること自体がおかしい。次元が異なるのです。

もしこの社会が、都市と農村が全く別個に成り立つならば、いくら格差があっても問題ではないはずです。農民は、横ばいのままの収入で、生活必需品に関しては、何一つ不足なく暮らせるのではないでしょうか。決して貧しくはありません。

筆者は今、30年間に撮影した膨大な量の写真を整理中で、そのほとんどは野生生物なのですが、人物の写真も少なくはありません。あることに気が付きました。都市部で撮影した人物は、大抵が無表情。それに対して田舎の人の写真は、老若男女皆が皆、満面の笑みを湛えているのです。その笑顔が物語っています、格差は本質的な問題ではない、と。


四川省雅安市宝興県隴東鎮東拉村

しかし、大前提があります。農村が、都市のほうを見ていなければ、という。問題は、農民の意識が、常に都市のほうを向いている、という事実。

都会の情報が入ってきます。インフラ、住居、食べ物、ファッション、、、全てが都会の方が魅力的です。しかしそれらは高額で、自分たちは手に入れることが出来るほど裕福ではない、という思い。そこに「格差」が生じます。

実際は、大して素晴らしいものではないのかも知れません。でも、そのことが分からないとしても、それは仕方がないことです。

バーチャルは、人を惑わせます。

例として一つだけ挙げておきます。ファッション。業界関係者には申し訳ないのですが、果たして人間にとって、どこまで必要なものなのでしょう?

衣服は、低温や外敵から身を守る、局部を隠す、ここまでは解ります。生物共通の、異性に対しての興味を引き付けるディスプレイとして必要、と言われれば、そうかも知れない、と思います。しかし、今の人間社会において実質的に大した意味を成しているとは思えません。

筆者は、基本薄着、というよりも1年中ほとんど同じ恰好(Tシャツ一枚)で過ごします。清潔さを保つことは大事なので、100円ショップでTシャツとブリーフと靴下を3セット揃え、常に洗濯、それとズボンを2本(1000円)、ポケットが沢山ついたサファリジャケット(1500円)、それらを年間通して使いまわしています。寒いときは、貰ったジャンパーを羽織ります。清潔でさえあれば、それで充分だと思う。衣食住の衣に関しては、年間3500円ほどの出費です。

しかし、どうやら多くの人々は、少し暑くなれば薄着をし、少し寒くなると次々と着込んでいるように思われます。予算もかなり割いているのではないでしょうか。

2度や3度の気温の変化でいちい衣服を変えていれば、筆者のように極寒の高山や熱帯のジャングルに行ったときに、どうするのでしょうか、、、、そんなところには行かない、と言われれば実も蓋もないけれど。
  
筆者は30年間、普通は一般人の行かない奥地の自然環境、いわゆる「秘境」を徘徊しています。ローカルバス、ヒッチハイク、徒歩(1日50㎞ぐらいは歩く)、むろんツアーなどには一切参加しません(この前の隕石探索が人生初めてのツアー)。

いわば、冒険家、探検家のように、、、、しかし実際は似て非なるものです(正直、彼らに対して失礼)。著者の場合は、好んで「冒険」しながら「秘境」に行っているのではありません。

たまたま調べたい対象が「秘境」と言われるような地(というより誰も知らない普通の地)に棲んで(生えて)いることから、そこに辿り着くために(なおかつ予算節約のため)、必要にかられて、仕方なく、さまざまな困難を伴う冒険まがいの行動を取っているだけで、秘境に辿り着くことと過程の困難自体を目的とする探検家・冒険家とは、根本的に異なります。

プラントハンターや、昆虫コレクターとも違います。いわゆる「珍しい生物」には興味がありません。身近な「普通の生物」の、例えばその祖先のような存在を探っている、と理解して下さい。「マニアック」と言われると、非常に腹が立つ。本人としては、極めて普遍的な、人類に役立つ活動をしていると信じているのです(笑)。

秘境に行くことも、途上の冒険もしなくて済むものなら、部屋の中で終日顕微鏡を覗いていたい(筆者のライフワークは蝶の生殖器の構造解析による系統考察)。夢は、熱帯の島のビ-チで若い美女に囲まれ、ヤシの木に吊るしたハンモックに終日揺られて過ごすことですが、いつか叶うのでしょうか?

話を戻します。

人類は、無駄を排除し能率を挙げることに力を注いできました。にもかかわらず、それとは別の無駄な存在、本来バーチャルでしかないものが、いつの間にか現実化し、それが基準となって、世界を覆い尽くしてしまっています。

「毎日同じ服を着て出社するのは、社会人として恥ずべきこと」などと言う人がいます。筆者には、どこからそんな発想が出てくるのか、さっぱり解りません。

多様なファッションを否定はしません。でも本来、そんなのはお金をかけなくても出来るはず。バッグにしても、100円ショップの「布製手提げ」と、何万円もするブランド品と、どこが違うのでしょう。

なに、全てがバーチャルな価値観だけで成り立った「偽物」に等しい、と考えても、さほど間違ってはいないと思います。集団催眠を利用した、合法的な詐欺のようなものです。しかし、現実には、世界はバーチャルな空間の中で完結してしまっている。それが基準となり、否定しようにも元には戻れません。

本来、田舎が下、都市が上、というヒエラルキーはないはずなのですが、バーチャルは、都市が上、という幻想を作ってしまいました。というよりも、社会が(無意識的に)そう仕向けているようにも思えます。

「虚=都会」と「実=農村」を、無理やり同じ土俵に上げている。その結果、中国の農民は、都市に出る(可能なら都市戸籍を得る)ことを、人生の全ての目標に置くことになります。

格差に問題があるのではなく、そのような方向性(格差を強調し問題にすること)自体が問題なのではないでしょうか?

今の中国にあっては、格差の「是正」ではなく本質の「認識」が必要。問題があるのは、「地方の遅れ」なのではなく、「都市のバーチャルな発展」なのです。

地方が地方のままで、収入が少なくても相対的に豊かで、皆が笑顔で幸せに暮らしている、、、良いことですよね? いや、国家にとっては、それでは困るのです。

中国は、大国を目指し、大都市を基準として、物価を上げ、給料を上げ、国民の総収入を増やすことに全力を挙げています。田舎が田舎のままで、少ない収入で幸せであってもらっては困ります。田舎という存在は無くさねばなりません。だから、収入の格差にこだわり、煽り、田舎の人々は、それに乗せられる。

中国の都市は、田舎が徐々に発展して成ったものではなく、無理やり作られた(深圳などは、その典型)といって良いでしょう。だから表面的には、豪華で、煌びやかで、近代的に見えても、中身は出鱈目で空疎です。

筆者は中国のほか、東南アジア諸国に行くことが多いのですが、それらの国々を歩いていて感じるのは、それぞれに大きな問題を抱えているにしろ、(インドやアフリカ諸国など、滅茶苦茶大きな問題を抱えている国々ともども)ベーシックな部分では欧米社会とはさほど違わない、世界レベルでの“普通の国”であるということです。

中国以外の多くの国は、田舎が主体になって構成されているような気がします。田舎の存在が認められ、田舎のままグレードアップしていく。全体が徐々に底上げするわけですから、繁栄の速度は遅くなります。

中国は、まず都市ありき、です。大都市圏だけが、一気に(かつ、身分不相応に、出鱈目なまま)繁栄し、お金持ちの大国になった。まあ、成金みたいなものですね。

田舎は田舎のまま生き続けることが出来なくなり、滅亡するか、都市に吸収されるか、そのどちらかしか、選択肢が残されていません。それが、今の中国の姿なのだと思います。

ちなみに、道程は正反対ですが、田舎を切り捨てることによって、猛烈な勢いで大国になった国が、もう一つあります。それは日本。

日本と中国だけが、世界水準から大きく外れているような気が、、、。もちろん、お互いに正反対の方向にです。両国とも、ちょっと“独自の方向に行き過ぎ”ではないでしょうか?


雲南省デチェン蔵族自治州維西リス族自治県立馬花



我が谷は緑なりき





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