青山潤三の世界・あや子版

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なぜか中国Ⅳ

2018-03-16 20:45:16 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

「チベット自治区」だけが「チベット」なのではない、ということを知っていますか?

2月9日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事


チベット自治区の州都ラサの寺院の一部が消失したというニュースに続いて、四川省雅江県の増西村と八角楼郷で大規模な山火事が発生し、何人かの人が逮捕された、というニュースが入ってきました。この2つの事件は、相互に関連する、政治的な出来事に違いないでしょう。

雅江県(旧・東チベットの康定と理唐の間、標高4500m超の高原の峠に挟まれた谷あいに県都があります)は、筆者の主要フィールドの一つです。殊に、八角楼郷は、メイン中のメイン。これまでに、無数の美しい写真を撮影しています。ただし、観光的には全く無名の地です。


雅江西方の峠下(標高4400m付近)からミニャコンカ7556mを望む。

四川省は、見事に東半部と西半部に分かれます。

東半分は、標高200-500mの四川盆地を中心とした漢民族居住圏。四川盆地には、現在は国家直轄都市となった重慶市と、四川省省都の成都市の、中国でも有数の巨大都市(人口はそれぞれ3500万人前後、1500万人前後)を有し、極めて高い人口密度を誇ります。

一方、西半分には、世界の7000m峰の東端に位置する標高7556mのミニャ・コンカや、世界の6000m峰の東端に位置する標高6250mの四姑娘山など、チベット高原の東半分が含まれます。

中国有数の過疎地帯でもある東半分には、成都以外にも数多くの100万都市(総人口1憶人以上)を擁しています。一方西半分は、最も大きな都市(康定ほか)でも10万人余(総人口約200万人)。

この一帯は「東チベット」(いわゆる大シャングリラ)とも呼称されるように、もともとは「チベット」の領土だったのですが、現在では、四川省西部(康定など)と雲南省北部(香格里拉など)に編入されてしまっています。

いわばヒマラヤ山脈の東の延長でもあるのですけれど、ヒマラヤ本体と異なるところは、山脈をブチ切るように、南北に大河が横断していることです(従って、この一帯の山々を「横断山脈」と呼びます)。

西から東に、インドのカルカッタに河口をもつブラマプトラ河水系、ミャンマーに至るイラワジ河水系とサルウイン河水系、ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナムを貫くメコン河水系、上海に河口をもつ長江水系(加えて、北寄りに北京近郊に河口をもつ黄河水系、南寄りにハノイに至る紅河水系と、香港に至る珠江水系)。

このうち、四川省西部を南北に流れるのは、西から、金沙江、雅砦江、大渡河、ミン(山偏に民)江などの、長江の巨大支流です。

各大河は南北に流れていますが、道路(国道)は東西に走っています。成都から西へ向かう国道318号線(北緯30度付近、日本では屋久島周辺に相当)と国道317号線(北緯32度付近、南九州に相当)が、チベット自治区に入って合流し、ラサに至ります。

ちなみに、温暖な四川盆地と極寒のチベット高原を分かつ移行帯は、下は亜熱帯、上は亜寒帯の豊富な植生を擁した「グリーンベルト」で、以前に紹介した野生のジャイアントパンダの棲息地です。

この一帯は、本来は「秘境」と言って良い地域だったのですが、10数年前頃から、多くの中国人たちから注目を浴びるようになりました。

自転車で、成都から(中には東の起点の上海から、あるいは昆明経由で南の香港や広東省から)ラサに向けて、この2つの国道(ことに318号線)を走破しようとする人々によって、一大ブームが引き起こされたのです。

路線バス(利用する旅行者はごく少ない)の窓から外を見ると、標高差2000mの急坂を隊列を成して喘ぎあえぎ上下するサイクリストを、何度も何度も追い抜いていきます。

車での走破を目指す人も多く(それらの人は、チベット自治区に入ってから後、さらに北方のウイグル自治区や青海省や甘粛省を巡ります)、マイカーの後方の窓に、必ずと言っていいほど、この地域の巡回道路地図が張り付けられているのを、中国に来たことのある人なら、誰でも一度は目にしているはずです(それらの車が実際に向かうわけではないけれど)。

もちろん極めて少数ですが、なんと徒歩での走破を試みる猛者もいます。


八角楼で出会った、徒歩で成都-ラサを踏破中の中国人。


理塘の周辺には、標高4700m前後の峠がいくつもある。峠と言っても真っ平な道。


ちょうど八角楼での出来事。その若者は、川岸の草原で撮影中の著者を見つけて(車と自転車以外の都会人?に久しぶりに出会った?)喜び勇んで、駆け下りてきました。小さなリヤカーにシェラフとツエルトを積んで(食料は現地調達)、このあと一か月程かけてラサに辿り着く予定なのだそうです。

彼らの目的はチベット民族との親睦(いわば国家の推進する個人親善大使)。苦労してチベット居住圏を訪れ交歓することで、中国国民が一体となって、仲良くなると信じて疑いません。


国道318号線を四川盆地からチベット高原に入って最初の都市が康定(筆者が4年前に大けがで入院していたところでもあります)。標高1300mの大渡河沿いから、4200m超の峠上に至る旧坂の途中、標高2700m付近に町が発達しています。筆者が最初に訪れたのは29年前で、その頃はチベット民族が大半を占める、良くも悪くも素朴な街だったのですが、今や大量の漢民族の移住者とともに巨大な都市へと変革しつつあり、険しい山中までが新興住宅街として開発され、氷雪の峰々を背に、ビルが林立しています。

次の町が雅江。その次が理唐。最後が巴謄。理唐は標高4000m超の高原上の都市、雅江と巴唐は南北に流れる大河に沿った町です。

巴唐はチベット自治区とのボーダーで、外国人はここから西に向かうことは出来ません(南から来た場合は、梅里雪山の麓より北には入れない)。

成都のユース・ホステルに滞在する外国人バックパッカーたちの多くは、このボーダーを突破することを目論んでいますが、成功例は、まず聞いたことがありません。

外国人は、高額な代金を支払ってパーミットを取得し、西安からの列車で北へ大回りしてラサに向かうか、飛行機を利用するしかないのです(中国人にその話をすると「同じ中国なのだから、そんなわけないだろう?」と皆不思議がります)。

お金が必要なことはもちろんですが、いわゆるツアーに近い旅行スタイルしか取れず、自由な行動は許されません。

お金をかけて、がんじがらめになって、無理にチベット自治区に向かうのならば、比較的自由に行動出来て、実質チベット文化圏である四川省西部や雲南省北部を巡るほうが、ずっと有意義だと思うのは、筆者だけでしょうか?

都市伝説めいた、有名な話があります。ボーダーで追い返されそうになった時には、「どこから来たか?」尋ねられます。「ここから先に行ってははダメ、出発点に戻れ」。その時、成都からとか昆明からとか答えずに「ラサから来た」と言えば、チベットに潜入できる、というわけです。

さすがにそれはないでしょうが(もっとも間抜けな中国人のこと、以前は実際にあったのかも知れません)、例えば康定に行った後(同じ四川省内であっても)チベット自治区寄りの雅江や理唐方面はなかなか切符を売ってくれないのに対し、逆方向の成都に向かうチケットは、比較的容易に購入できるという事実があります。




太陽の輪と虹の雲。この辺りの空は、不思議満載です。

今は厳しくなってほとんど不可能ですが、以前(5-6年前まで)はノービザ滞在期限が切れたら、
香格里拉や康定の対外国人役場の窓口で、簡単に一か月延長の手続きが出来ました。大都市の場合は一週間前後かかる更新が、僅か数時間で可能だったのです(今は、ほぼ絶対に不可能)。

それでも、一応滞在の理由をつけないといけません。チベット省境をうろつくことを匂わせたらダメ
です。外国人が観光ルート以外でチベット自治区に向かうことを、過剰なほど快く思っていないのです。

上記更新は、同じ町で続けて2度は出来ません。ある時、康定の交付所で拒否されてしまいました。
「ここから最も近い(といっても7~8時間はかかる)四川盆地入り口の町に行きなさい」。外国人のビザ延長が厳しくなりかけた頃です。「出来るだけ早く香港に戻るのなら、数日の追加は与えても良い」というので、仕方なく受諾することにしました。

係官 香港に戻るなら数日間の追加をしてやる。チベット方面には行ってはならない。
筆者 わかりました。戻ります(リターンします)。
係官 理唐(リータン)に行ってはいけない。
著者 わかっています。リターンします。
係官 リータンに行ってはいけないと言ってるだろう!
筆者 だからリターンすると言ってるじゃないですか!!

とにかく、外国人バックパッカーたちがチベット民族と個人的に触れ合うことを、戦々恐々としているのです。

理唐や雅江では、しばしば暴動が起こります。その度に外国人はオフリミットされてしまいます。むろんその方面に向かうバスの切符も売ってくれません。

チベット族の人たちは、漢民族の前で本心を表すのはマズいということを、十分に承知しています。
中国人旅行者たちにも、表面上はフレンドリーに接しているようです。

旅行者たちは皆お人よしですから、歓迎されていると思っています。とんでもない。

相手が日本人だとわかると、それはもう堰を切ったように本音を吐き出します。「奴らを〇してやりたい」どのチベット人も、異口同音にそう語りかけてきます。

チベット高原を走る道路はおおむね立派で、なおかつ、ボーダーを間違ってうっかり超えた友人(もちろんすぐに追い返されたけれど)によると、チベット自治区に入ったとたん、さらに立派な道路
になるそうです。

そして道沿いの、どのチベット民家も、豪華なことこの上もない。そんな家を建てる収入など、とてもあるはずがないのですが、国家に従っている限りは非常な優遇を受ける、ということなのでしょう。


筆者が最初にこの地域を訪れたとき、康定からの路線バスで理唐に向かう途中、八角楼のすぐ手前の標高4600mの峠頂(といっても高原状の緩やかな地形)でバスを乗り捨て、パルナッシウスなどの高山蝶の撮影に取り組みました。

夕方近く(と言っても午後3時頃)そろそろ撮影を終えて先に進もうと思ったのですが、甘かった。
もちろんバスはない(あっても途中から乗るのは難しい)し、ヒッチハイクもなかなか出来ません。
やっと一台のトラックに乗せてもらうころが出来ました。

雅江の町で夕食。再び出発した時には日が暮れて、真っ暗な闇の中の行軍です。トラックの目的地は、理唐まであと10数キロの小さな民家です。地元のタクシー?を読んでもらって、理唐に到着したのは真夜中の0時近く。

外国人が宿泊可能なホテルは、閉まっています。でも一階の片隅から明かりが漏れていたので、ドアを思いっきりドンドン叩いてみました。

流暢な英語を話す、若い美しい女性が出てきました。


筆者は、途中で休みつつ、のんびりと走るトラックの運ちゃんや、理不尽な料金を請求されたタクシーの運ちゃんに腹を立てて(本来なら親切を感謝しなければならなかったのでしょうが)、ほとんど切れかかっていたものですから、中国人に対して怒り心頭の状態です(もっともトラックやタクシーの運転手はチベット族)。

彼女が顔を出した瞬間、本来なら「泊まることは出来ますか?」と訊ねなければならないところを、とっさに「中国人はだい嫌いだ!!」と口走ってしまいました。

しまった、と思ったのですが、彼女は笑いながら、鸚鵡返しで「ミー・トゥー!!」。
 
若くして(当時20代半ば)ホテルを経営をする(両親が地元の権力者)チベット人で、学生時代にイギリスに留学していたそうです。

その後、仲良くなって、この町で度々行われる鳥葬に一緒に参加したり、ドライブに連れて行って貰ったりしました。

名前を出すのは不味いでしょう。チベット語の姓名が、「ハッピー」と「フラワー」に相当するので、 日本語で「幸田花子」とつけてあげました。ダサい?かもしれないですが、本人は結構気に入ってくれています。

4年前、筆者が康定の病院に入院したときは、何度か見舞いに来てくれました。その後会っていないのですが、理唐や雅江での暴動が報道されるたびに、大丈夫だろうか?と心配しています。


真夜中に灯りが漏れていた、左側の扉を叩いたら、、、。

この地域への最初の訪問から数年間、成都から康定を経て、あるいは昆明から香格里拉致を経て、
何度も行き来をしました。

雅江の町から西方は、最初に通ったときは夜中、漆黒の闇の中を4~5時間走り通したのです。谷底を走っているものとばかり思っていました。完全な漆黒の世界です。ごくたまに、うっすらと車や家の灯りが、亡霊のように浮かび上がります。

後に昼間に走って、実は大半が4500m前後の高原上を走っていることが分かりました。標高3000mを切る河沿いの雅江の街以外は、常に4000mを超す天空の地なのです。

始めのほうで記した、徒歩で走破中の青年に出会った「八角楼郷」は、雅江県の東端の、康定寄りの標高4600mの峠の下方です。

そのどん詰まりの川の源流付近(標高3800m前後?)に沿って、素晴らしいお花畑がありました。ある年、雅江の町を拠点に、丸2日間そこに通いました。そして、手あたり次第、その草原に生える全ての植物(200種近く)を撮影。

お花畑といっても、いわゆる高山植物ではなく、日本の田畑の雑草と同じ仲間の野生種が大半です。田畑のいわゆる雑草は2次的に成された植生ですが、それが天然に成立しているのです。いわば「人里植生」の原型。


八角楼東方の峠に上る道。初夏には白いシャクナゲの花で埋め尽くされます。


八角楼の天然お花畑。

実は、その翌年再訪したのだけれど、草原自体が無くなってしまっていた。あたらしい山岳ハイウエイの建設が始まっていたのです。

最後に訪れたのは4年前。もうどこだかわからないほど、完璧に変化していました。


この国道318号線(上海-エサ、最後はネパールとの国境に至る)は、筆者が1960年代の半ばからメインフィールドにしている屋久島とほぼ同じ、北緯30度線を前後して走っています。屋久島の位置は、正確には北緯30度13分-28分の間。雅江の街はジャスト30度なので、町を貫く雅砦河に沿って少し北に行けば達するはずです。

しかし(結構メイン道路のはずなのに)路線バスがない。屋久島の海岸に相当する、2つの川の合流点まで、徒歩とヒッチハイク。

途中見た光景には、かなり驚きました。明らかに、(成都からラサへ、チベット高原を東西に横切る)
鉄道建設が行われているのです。

ヒッチハイクした車は、凄い高級車でした。一目で政府の高級官僚とわかる役人が、お供を連れて乗っています。おそらく鉄道建設現場の視察なのでしょう。

快く乗せてくれて、はじめは拙い中国語で、その偉い人とフレンドリーに会話していました。

突然訊ねられました。

高級官僚氏「ところで君はアメリカは好きかね?」
筆者は笑顔で答えました「もちろん好きですよ!」
高級官僚氏の表情が微妙に変ったようです。

しばらくして再び同じ質問が。
高級官僚氏「君はアメリカが好きなのか?」
筆者「ええ好きです、、、」
今度は、明らかに怒りの表情。

三たび同じ質問です。
高級官僚氏「本当にアメリカが好きなのか?」
筆者(さすがに空気に気づき、でも今更嫌いとも言えないし)「中国も好きだしアメリカも好き」
お付きの人たちは凍り付いています。
一瞬、車を放り出されるかと思いました。
お付きの人たちが取り成してくれて、何とか目的地まで辿り着けたのですが、、、。
あとは無言、生きた心地がしなかった。

どうやら、中国の真の敵は、日本ではなく、アメリカのようです。

具体的には何事もなく済んだのだけれど、心の中では中国で一番恐ろしく感じた出来事です。


中央の山(格業)は標高6204m。麓の標高(約4500m)


チベット放牧民の小屋。この辺り(理塘-巴塘間)も屋久島と同緯度地域。


雅江の街中にて。昔は日本でもよく見かけました。


 理塘の隣町(ここで真夜中にタクシーに乗り換えた)。


空気が澄んでいるからか、標高が高いからなのか、、、昼間でも月の表面の模様がはっきりと見える。


みんなフレンドリーです。八角楼にて。



★連絡先
infoあayakosan.com あを@に変えて








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