昨日は孫たちを連れてボーリングに行って来たのだが、このボーリング場、四階建てのビルの中にあり、カラオケから、ビリヤード、ダーツ、その他様々なゲーム機などがある「複合型遊技場」と言った感じで、「本格的なボーリング場」と言うには少し無理があるようであった。
ボーリングが終わったあと、子供たちがゲームを楽しんでいるときに気が付いたのだが、平日の昼日中ゲームに夢中になっている多くの若者の姿を目にしたのだが、どの顔を見ても「覇気が無く無表情」だったのが気になって仕方が無かった。
ゲームに夢中になること自体は悪い事だとは言いたくないのだが、顔に覇気が無く、全く無表情で画面を見続ける姿は「これでまともな社会生活が出来るのだろうか?」と言う不安に駆られてならない。
ゲーム機が相手では「社会生活で必要なコミニュケーション術」と言う物は得られるはずも無く、対人関係が上手く行かないためにゲームにのめり込むのだろうが、これが更に状況を悪くするため、結局は悪循環に陥り、「社会に溶け込めず問題行動を起こす」と言う事につながるのだろうが、この事が「科学技術の発達による弊害」として問題視される事は殆どない。
これと同じような事は様々な局面で見られるのだが、今争われている「自公政権と民主党を中心にする野党との政権争い」の中でも顕著に現れており、お互いの公約を批判しあうだけで「公約を実現した結果起きる弊害」と言う事には全く触れようとはしない。
それでは何ゆえに触れようとしないのであろうか・・・・。
答えは至って簡単で「相手の弱点=自分の弱点」と言う事で、大同小異の公約を実現した結果起きる弊害を追求する事は「やぶへび」でしかないからである。
その中で唯一、麻生総理だけが頑張っているようには見えるのだが、その内容は「全く問題にならない」と言うレベルなのだが、「孤立無援の状態」ではこの程度しか出来ないのだろう。
地球という限られた環境の中では「飽く無き人間の欲望を際限なく満たす力」は無く、景気回復とか経済発展ということを諦める時が来ていると思うのだが・・・・。
ボーリングが終わったあと、子供たちがゲームを楽しんでいるときに気が付いたのだが、平日の昼日中ゲームに夢中になっている多くの若者の姿を目にしたのだが、どの顔を見ても「覇気が無く無表情」だったのが気になって仕方が無かった。
ゲームに夢中になること自体は悪い事だとは言いたくないのだが、顔に覇気が無く、全く無表情で画面を見続ける姿は「これでまともな社会生活が出来るのだろうか?」と言う不安に駆られてならない。
ゲーム機が相手では「社会生活で必要なコミニュケーション術」と言う物は得られるはずも無く、対人関係が上手く行かないためにゲームにのめり込むのだろうが、これが更に状況を悪くするため、結局は悪循環に陥り、「社会に溶け込めず問題行動を起こす」と言う事につながるのだろうが、この事が「科学技術の発達による弊害」として問題視される事は殆どない。
これと同じような事は様々な局面で見られるのだが、今争われている「自公政権と民主党を中心にする野党との政権争い」の中でも顕著に現れており、お互いの公約を批判しあうだけで「公約を実現した結果起きる弊害」と言う事には全く触れようとはしない。
それでは何ゆえに触れようとしないのであろうか・・・・。
答えは至って簡単で「相手の弱点=自分の弱点」と言う事で、大同小異の公約を実現した結果起きる弊害を追求する事は「やぶへび」でしかないからである。
その中で唯一、麻生総理だけが頑張っているようには見えるのだが、その内容は「全く問題にならない」と言うレベルなのだが、「孤立無援の状態」ではこの程度しか出来ないのだろう。
地球という限られた環境の中では「飽く無き人間の欲望を際限なく満たす力」は無く、景気回復とか経済発展ということを諦める時が来ていると思うのだが・・・・。