陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

ある自殺者の捜索

2006-06-03 01:01:39 | 海の話
先日行った病院の近くにNヶ浦という某名所がある。
何故、某名所なのかは、ここでは書かない。

僕が潜りを職業としていた時、ある依頼があった。
それは、遺体の捜索だった。
依頼者は・・・自殺者の友人と言う事だった。
家族は誰一人・・・自殺した人間なんか、と言う事で、
見捨てたらしかった。
断崖絶壁の海の上の岩場に遺書と、靴が両方揃えて置いてあったと言う。
警察が捜索する日数は限られていて、何日間か捜索はしてくれたらしいが、
見つからなかったらしい。

僕達は船で沖に出て4人で2班に別れ、広い範囲を捜索した。
潮の流れを読み、沖から岩場の中まで。

沖には定置網などが広く入っている、網に掛かっていないか?
断崖絶壁の岩場は、そのままストーんと海に落ち込んでいる。
海の中は入り組んだ洞窟など複雑な様相だ。
その洞窟の中に流されていないか?

1時間ほどの捜索の後、別グループが見つけた。
すぐさま応援に駆けつける。
遺体が崩れないように、担架と数枚の毛布を用意した。

海底近くに漂う遺体、それはとても目の当てられる状態ではない。
ここに書く事も憚られる。

しかし・・・確か、探して欲しい人は、両方の靴を揃えてあったと言ったな?
髪も短いと言ってたっけ?
靴は、片方だけ履いている。
髪も水中でフワフワ漂っている。

海の中で毛布で丁寧にくるみ、担架に固定して、慎重に船の上に引き揚げた。
捜索を依頼された人とは違った。
しかし、そこで打ち切った。

僕達は、依頼者から声を掛けられた。
「例え違う人間でも、発見された事により、
自分の友人も少しは、うかばれるでしょう」


死してなお、家族からも見捨てられる。
しかも発見されたとしても非常に痛々しい状況になる。
残された家族の苦悩も計り知れない。

自殺など決してしてはいけない。

這いつくばってでも生きていかねば・・・・・。




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あの名所 (ゆめ)
2006-06-03 08:28:40
家族が行って見てきたみたい。

私が病院にいる時。



私もここまで、はいつくばって生きてきました。でも時々、もういやになります。

このしんどい肉体を捨てて、楽になりたいと

思うときもあります。

 生きるってつらいなぁってしみじみ思います。

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Unknown (充途)
2006-06-03 16:13:31
去年は、どうやって死のうかな~、でも自分では死ねないな~と悩んでいた時期がありました… ^^;

「遺書―5人の若者が残した最期の言葉」という本をを読んで、やはりいかんな~と思い、精神的に支えてくれた友人に対して、絶対に自殺しないと誓い、なんとか回避しました。



「生きるとは何か?---生きる---とは、死のうとする何ものかを絶えず自分から突きはなすこと、だ。生きる---とは、われわれにおける、またたんにわれわれにおけるだけのものでないところの一切の弱化し老化したものに対して、冷酷で無情であることだ。」

という病気で苦しんだ人の激しい言葉を壁に貼ってました。なつかしいです。。。
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Unknown (gonzo)
2006-06-03 22:03:38
ゆめさん、ホント、生きるってつらいなぁ~って思う時、一杯ありますよね。

僕も同じです。

時々どころか、毎日が嫌になってきます。



でもまだまだ諦める訳にはいきません。



生きてて良かった。そう思える時も必ず、あるはずですから・・・。



辛いですけど、精一杯、生きてまいりましょう。

これも人生・・・。









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Unknown (gonzo)
2006-06-03 22:24:36
充途さん、生きるとは何か?死とは何か?



そう考え出したら際限なく考えが拡がってしまいますね。

生きる意味を考える時、自分はまだそんな事を考える領域にさえ達していない人間だと、改めて痛感します。

だから今は、与えられた時を精一杯生きていくしかないですね。



精神的に支えてくれる友人がいるということ、それだけでも素晴らしい人生かも知れません。

そんなことも忘れがちになってしまいますね。

人間は誰しも一人で生きてきたのではない・・・。



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